第10話 ゆうか ―その1―
子供たちと登校するようになって、初めて仲良くなったのがゆうかだった。
登校班の集合場所へ行った最初の日、ゆうかはいきなり話しかけてきた。
「おじさんも一緒に行くの?」
おはよう、といった挨拶ではないところが、今にして思えばゆうからしい。こちらも初めて子供たちと顔を会わせるし、自己紹介もしなければなどと思って多少は緊張していたけれど、ゆうかに声を掛けられリラックスできた。
当時のゆうかは小学校四年生。引っ越してきたばかりで、ゆうかにとってもこの日が最初の登校班だったと後で知った。
どんな子かというと――決して『いい子』ではない。
わがままで言葉遣いも悪く、暴力的な面もある。閉じた傘をふざけて振り回し、なぐってきたことがあり、その時は強く叱った。
まわりとも壁を作ってしまうタイプで、厭世的な考えが垣間見える。同学年や上級生とはほとんど言葉も交わさないけれど、年下の子たちの面倒見はよく優しい一面もある。
そんなゆうかとは、なぜか気が合った。気が合う、という程度のものではなく、初めからお互いに何かを感じていたのかもしれない。
毎日のように話をするようになり、五年生になる頃から卒業するまで、登校時の私の左隣はゆうかが独占していた。
たくさん話をしていくうちに、ゆうかに自然と目が向いていた理由を知ることになる。
ゆうかは母親と二人で暮らしていた。父親と死別したのか離別なのかは知らない。私から聞くつもりはなかったし、ゆうかが話したいときに聞けばいいと思っていた。
母親はフルタイムで働いており、仕事で出張して家を空けることもあると知った時は、少なからず驚いた。致し方ないとはいえ、小学四年生の子がひとりで留守番――留守番と言っていいのか分からないけれど――をして、夜を過ごすというのは、親も心配かもしれないが、当人はとても心細く不安な面があったはず。
ゆうかにとって、仕事ができる自慢の母親だった。だからこそ、ひとりでいても大丈夫と頑張っていた。
そんなストレスが日頃の言動に出ていたのだろう。ゆうかの愚痴も聞いてあげるうちに、少しずつ穏やかになっていったのは、気のせいではないと思う。
「何かあったら、遠慮しないでいつでも相談して」と話し、いつしか娘のように思い、父親のようになついてくれていた。
二人で町会の行事に出ることも増え、知らない人からは親子だと思われていた。初めの頃はいちいち説明していたけれど、段々と面倒になり、二人とも否定しないようになっていった。
忘れられない思い出がある。
近くの神社で夏祭りがあり、準備を手伝っていたら、浴衣を着たゆうかが遊びに来た。私とのやり取りを見て親子だと思った町会の方が、写真を撮ってくれるという。
二人で並んだ時に帯の腰へ手を当てた。
するとゆうかが右手を後ろへ回し、私の右手の上に重ねた。
今でも、その写真は事務所の机の上に飾ってある。背中に隠れた二人の手は写っていないけれど、この写真を見るたびにあの時の思いが浮かんでくる。
ゆうかは、どんな思いだったのだろう。
卒業式の日は下級生がお休みなので登校班はなかったけれど、前日に「一緒に行こう」と誘われ、校門前で母親とゆうかが並んだ写真を撮ってあげた。
臨席することはできないけれど、晴れ姿を見せてくれてうれしかった。
ゆうかが中学生になると、登校班で会わなくなった代わりに、学校帰りに事務所へ立ち寄るようになっていく。多いときは毎日のように事務所へ顔を出していた。
ここでも、とても印象に残っていることがある。
初めのころは、事務所へ来ると「いらっしゃい」と声をかけていた。
頻繁に訪れるようになってからは「お帰り」と声をかけるようになった。
ある日、遊びに来たゆうかがぽつりと言った。
「わたし、『お帰り』って言われたことがなかったんだよね」
母親がずっと仕事をしていたから、家に誰かがいるときに帰ってきたことがない。当然、「お帰り」と言ってくれる人もいない。
「お帰り」と言ってくれる場所は、ゆうかにとって特別な思いを抱かせたのだろう。
美術部に入り、画材を買いに新宿へ行ったり、運動会へ応援しに行ったり、期末試験で学校が早く終わった時にはランチをしたりと、父娘のような楽しい時間を過ごすことができた。
ハルちゃんがボーリングに行きたいと言い出したのも、ゆうかとクリスマスイブにボーリングへ行った話を聞いたからだ。
しかし、ゆうかとの別れは突然の嵐のように始まった。
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