第12話 ゆうか ―その3―
ゆうかは事務所に顔を見せなくなった。
朝の登校班には顔を出し、今まで通り話もするけれど。
「本当にもう信じらんない」
母親がとった行動を私に謝りながら、不満ばかりが口に出る。
「確かに腹は立つけれど、ちゃんとお母さんと話しあった方がいいと思うよ」
「人の話なんか聞かないもん」
「それでも話さなければ、気持ちも伝わらないから。俺の言うことなんか聞いてくれる訳ないし、俺の分も一緒に、ゆうかが考えていることを伝えなきゃ」
「……うん、わかった」
しかし、あれで終わりではなかった。
ゆうかと最後に会ったのは昨年の三月八日。
一週間ほど朝も会うことがなく、また何か……と心配していたころに、久しぶりに事務所へやってきた。学校帰りではなく、私服で自転車に乗って。
「元気そうじゃん。でも、しばらくは、ここに顔を出さない方がいいんじゃない?」
「すぐ帰るから、大丈夫」
今から塾へ行くそうだ。
「明日、時間ある?」と差し出したのは、ピンク色の合唱大会プログラムだった。
ゆうかの中学校では、毎年この時期にクラス対抗の合唱大会を開催している。去年も誘われ、区の公会堂へ行った。
「あの人には来てほしくないから。来ないで、って言ってあるし」
受け取った私に、
「よかったら来てね」と、すぐに帰っていった。
話をしたのは、ほんの二、三分。
自転車で塾へ向かうゆうかに、
「気をつけてね」と言って手を振ったのが最後になるとは、この時は思ってもいなかった。
躊躇して言えなかった、「分かった、行くよ」
以前なら、笑顔で言えたはずの言葉が言えなかった。
翌朝、合唱大会へ行くか悩んでいた私に、一通の封書が届いた。
裁判所からの調停通知だった。
申立人は、ゆうかの母親。ゆうかへの接見禁止を求めている。
警察がダメなら裁判所、というこの人の行動に、怒りを通り越して恐怖を覚えた。もし裁判所もダメだったら――私に危害を加えようとするならまだしも、矛先がゆうかに向くのが怖かった。
以前、喧嘩したときに母親から殴られて、あごの関節を痛めて一週間ほど食事もままならなかったゆうかを見ていたし、ここまでするからには「自分が絶対に正しい」という切迫的な意思が感じられる。正しいから何をしてもいい――それは、こちらから見たら、何をするか分からない、と映った。
この日から、ゆうかと会うことはなくなった。
私自身も少し距離を置こうと思っていたけれど、ゆうかと母親の間でも何かあったのだろう。朝の登校班はもちろん、事務所にも顔を出さなくなった。
調停は五月までに二回、行われた。
調停員は男女一名ずつの年配者だったが、男性の方は端から私に対して猜疑の目で見ていた。ちょうど松戸で痛ましい事件があったばかりと言うこともあり、先入観で判断されていた。一方、女性の調停員は私の話に理解を示してくれたのが救いだった。
「きっと、この子はあなたのことをお父さんのように思っていたのね」
そして、こう続けた。
「法律では子供が成人するまでは、保護者としての権限が非常に大きいのです。保護者の言い分が優先的になります。色々と思いはあるでしょうけれど、ここは離れて、この親子を見守ってあげたらいかがですか」
取りまとめた裁判官の男性にも、こう言われた。
「申し立てに対し、事件性はないものと判断します。ただし、申立人の意思に沿って、今後は当人(ゆうか)と連絡など取らないこととします。
昔は地域で子供の面倒を見るのが当たり前だったけれど、今はそうもいかなくなりましたからね」
はっ、警察と裁判所で同じことを言ってやがる、と心の中で悪態をつきながら、調停結果を承服した。
八月の夏祭りのとき、ゆうかが引っ越したことを知らされた。
* * * * *
ゆうかのことだから、きっと私が怒って嫌われてしまったと思っているんだろうな。
自分に自信が持てず、必要以上に卑下してしまうところがあったから。
私が離れたことで、母親との関係が上手くいけばいいけれど……それは無理な気がする。余計に反発して、殻に閉じこもっているんじゃないかな。
引っ越しして友達もいないのなら、余計に心配。
今は女性調停員のある言葉が、私の拠り所になっている。
ゆうか本人の意思を無視して、母親がこんな申し立てが出来るのかを聞いた時、
「保護者の権限はそれくらい強いと言うこと。言い換えれば、母親が保護者でなくなる、つまり本人が成人すれば、本人の意思の方が優先されます。あとは本人次第です」
いつか二十歳になったゆうかが、ふらっと事務所に現れるときが来るのかな。
あと五年ならば、まだ私も生きてると思うから。
中学生になってから身長も伸びて百六十センチを越えていたけれど、どんな女性になっているのかな。
一緒にお酒を飲みに行く約束もあるし。
この話も笑って話さたらいいけれど。
「もっと、ちゃんと守ってくれればよかったのに!」と私に文句を言いながら、腹パンチしてくれたらいいのに。
その時は、ちょっとだけ手加減してね。
二年続けて図書委員をやったくらい、本が好きなゆうかに届くことを願って、この話を書いたんだ。
ゆうかから始まった見守りも、これからも続けていくつもり。
四年生のタクトくん、覚えてる?
「最近、ゆうかちゃん全然来ないね」と聞かれたことがあったよ。引っ越したことを話したら、とても驚いていた。
あのピンクのプログラム、大切にとってある。
ゆうかと彼女の写真は、事務所の机に今も飾ったまま。
またいつか、二人に会えるよね。
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