第8話 ゆうき

 事務所の隣にある古いビル、そこの一階に喫茶店『輪舞曲ロンド』がある。ビルのオーナーで元マスターのユキさんは、七十を超えているというのに私よりも背が少し高く、細身のダンディな人だ。

 今は店を娘さん夫婦に任せていて暇にしているので、うちの事務所にもちょくちょく顔を出す。古くからの知り合いなので遠慮もなく、私の方も「ボケ防止になるから」と言って、電話番をお願いして出掛けることもある。



 この日もユキさんに留守番を頼んで朝から出掛けた。

 仕事を終え、三時過ぎに帰ってくると、

「おかえり」「おかえりー」二つの声が出迎えてくれた。

 もう一つの声は六年生のゆうきちゃんだ。応接用のソファーに座り、本を読んでいる。

「なんだ、来てたんだ。待たせちゃったね」

「ううん、平気。ここはくつろげて落ち着くし」

「今日は学校、早く終わったの?」

「うん。五時間だった。うちにいてもかずきがうるさいし」

 かずきちゃんは、ゆうきちゃんの妹で二年生。会うと必ずと言っていいほど、かずきちゃんへの愚痴がでる。でも、仲は良さそうなんだけどな。



 ゆうきちゃんは人懐っこい性格で、登校班は違うけれど、毎朝校門前で会ううちに話をするようになり、仲良くなった。家が事務所に近いこともあって、五年生の頃からたまに遊びに来るようになり、今では私がいなくても事務所で待っていることもある。

 私がいない間、ユキさんとどんな会話をして、どんな風に過ごしているのか、一度見てみたい気がするけれど。ユキさん、無口な人だからなぁ。



 ゆうきちゃんは何をすると言う訳でもなく、本を読んだり、事務所のパソコンでユーチューブを見たりしている。

「なんか、おやつない?」

「パソコン、教えて」

「ブタメン食べたい」

 ゆうきちゃんの雑談相手をしながら、私は書類づくりをする。

 一度、お母さんが偵察に来たこともあった。そりゃ、知らないおじさんの家に遊びに行ってるなんて、心配して当然。うちの事務所は大通りに面していて、外から室内が見渡せることもあり、ちょうどユキさんもいたせいか少し安心したらしい。

 でも、お母さんを心配させちゃうようなことも実はあるのだ。


 学校に用事があって、たまに行くことがある。

 そんな時、ゆうきちゃんに会うと、

「あっ、おじさん♪」と言って抱きついてくる。

 抱きつくといっても身長差があるので、私の腰に手を回しておなかの上に頭を乗せて見上げてくる。いつもこんな感じで、六年生になっても同じようにしてくる。

 こちらとしてはうれしいけれど、そろそろお年頃なんだから考えた方が……と思っていたが、今ふと気がついた。


 これって、浦安の『夢の国』で人気者のネズミ君に会った時、女の子がする反応では……。

 俺はぬいぐるみキャラかよ。






 もう一人、うちの事務へしょっちゅう遊びに来ていた子がいた。

 それが、ゆうかだ。

 ゆうきちゃんともよく一緒になったので、Wゆうゆうなどと言って仲良くしていたけれど。

 ゆうかが私の前に姿を見せなくなって、もうすぐ一年が経つ。

 ゆうきちゃんは何となく分かっていたのか、何も聞かない。

 登校班の子供たちから、一度だけ「前の班長さん、最近全然見ないけど?」と聞かれたことがある。


 娘のように可愛がっていたし、父のように慕ってくれていた。

 ゆうかと笑顔で会える日が、また来るのだろうか。

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