第3話 ハルナとナツキ
雨の中、自転車に乗るのは嫌いだ。
レインコートの、あのゴワゴワ、カサカサしたものを着るのが嫌いなのだ。傘を差しながらの運転なんて危なくて、もっての外。だから、雨の日は二十分程かけて歩いて事務所へ向かう。
傘そのものも好きで、先日、紫地に蛇の目模様の和傘を買った。ただでさえ目立つ傘を百八十の大男が差しているので、子供たちもツッコミまくる。
「何それー!」
「なんか変な傘」
「わたしにも持たせてー」
私の廻りに集まった子供たちの輪の外で、なっちゃんがこちらを向いて微笑んでいた。目が合うと、さらににっこりと笑って手を振ってくれる。
私も応えて右手を挙げて微笑んだ。
なっちゃんも小学三年生。私の中で黄金世代と勝手に呼んでいるうちの一人だ。小柄だけど足が速く、運動会では毎年リレーの選手をしている。なっちゃんはとてもシャイで、初めて会った頃は話しかけてもうなずくか首を振るかだけで、声を聴いたことがなかった。これはハルちゃんがいたからかもしれない。
ハルちゃんは、なっちゃんのお姉さんで現在は中学一年生。見守り隊の手伝いを始めたときは、まだ小学校2年生だった。妹とは打って変わって、とても人懐っこく、ずっと仲良くしてもらった。二人の共通点は笑顔。いつ会ってもニコニコしている。
なっちゃんがいかにシャイなのか。去年、こんなことがあった。
登校班では六年生が班長となって、みんなをまとめて学校へ向かう。去年はハルちゃんが班長だったが、その日は用事があって一足早く学校へ向かったらしい。
私が集合場所に着くと、なっちゃんが手招きをする。何かと思って近づくと、さらに手招き。どうやら内緒話がしたいようだ。自転車のサドルに跨ったまま腰を折り、頭を下げてなっちゃんの口元へ耳を寄せる。
「あのね、今日、お姉ちゃんが先に学校へ行っちゃったの」
「そうなんだ」
「それでね、五年生の副班長さんに代わってもらって、って言ってた」
「そっかぁ、わかった」
「だから、そうじゃなくって――」
「えっ、なに?」
「おじさんが五年生に言ってよ」
「えー、なっちゃんが言えばいいじゃん」
「おじさんが言ってよ」ひじ打ちしながら、ささやくなっちゃん。
「なっちゃんが言いなよ」
「おじさんが言って」
小声での不毛なやり取りが続いた後、私が声を掛けて登校班は出発しました。
ハルちゃんは卒業が近づくにつれ、毎日のように「ボーリングに連れてって」と言うようになった。どうやら五年生の時に初めてやったボーリングが楽しかったらしく、またやりたいとのこと。それなら親に頼めばいいじゃん、と思いつつ、おじさん、満更でもない様子が顔に出ていたはず。それじゃ、卒業記念に行こうかということになった。
仕事も辞めてしまい、しばらくの間は何もする気になれず、ただぼーっと
過ごしていた。空を眺めてばかりだった気がする。親が遺してくれた事務所
ビルがあったおかげで生活には困らなかったけれど、今思えば本当に抜け殻
のようだった。
これじゃいかん、誰かの役に立つことをしようと立ち上げた探偵事務所
だったけれど、開店休業状態。そんな中、元気と希望を分けてくれた君たち
へ何か御礼をしなくちゃね。
同じ登校班で、ハルちゃんと同級生のタイガ君も誘い、なっちゃんと私の四人で卒業記念ボーリング大会を開催。保護者にも私の存在を知っていただいてはいるけれど、連絡先を添えたお手紙も事前に渡し、卒業式の翌日にバスで出掛けた。
タイガ君となっちゃんは初めてのボーリングということで、バンパーを立てて二ゲームを楽しんだ。バンパーがあるとガーターにならず、クッションボールでもピンが倒れるので面白い。ハルちゃんはもちろん、みんな楽しんでくれたみたいだ。
ちなみに、ボーリングブームを知っている世代である私は、大人気なくスコア百八十台を連発して、おじさんの威厳を保ったのだった。
その夜、ハルちゃんのお母さんからお礼のメールが来た。二人とも喜んでいたようだけれど、特になっちゃんは興奮状態だったらしい。ストライクも取れたと大はしゃぎでお母さんに話したそうだ。
なっちゃん、どれだけシャイなんだよ。そんなにうれしかったなら、おじさんにも直接伝えてくれよ。
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