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「神様が……いや、神様たちが変えてくれたんですよね。森を」


 外の空気がひんやりと肌を小突いてくる。若干風が鳴りはじめていたようで、かすかに草や葉が掠れ音を奏でていた。トゥティタは簡単に説明された内容は把握していたようで、そういって穏やかに言葉を羅列する。


「ならボクも、変わらないといけないなって、おもった……り、しました」


 笑顔でセドに近づいてそう言うトゥティタ。その頭一つ高いセドは言葉が終わると同時に中腰に、目線を等しく彼に合わせた。


「俺達は手伝っただけだ。だから、神様じゃない。変えることは出来ないから……でも変わったのは事実だから、ちゃんとトゥティタも変わっていける」


 にこやかにそう言ったセドの調子は相変わらずに、体勢を戻すと小屋から少しずつ距離を離していく。


「ここで良いんですか?」

「問題ないよ。帰り道は心得ているしね」


 互いの――世界に戻るか留まるかを選択した両者が分離する。


「本当に、お世話になりました。森にまた、来てくださいね」

「もちろんよ、今度来た時ちゃんとティティちゃんを幸せにするのよ、クノン!」

「わかってる、絶対また来いよな」

「ああ、覚えてたらな!」


 言葉が交わされ切った後、森の出口へ足を運ぼうとする。少しずつ距離は開き、ゆっくりと光を反射していた森の色は藍を混ぜた闇に落ちていった。


「お兄ちゃん!」


 もう出し切っただろう言葉の残り弾が、最後にイトスを真っ直ぐに貫いた。面倒だと思いながらも、イトスが振り返る。白い翼が、月よりも白く存在を強調して小さく視界に映った。


「今度は、忘れないでくれよ。……さよなら!」


 大きな声は静寂から鼓膜へ響き、最早鬱陶しくて言葉を返す気も無い。だが小さく、誰にも聞こえないように、イトスは闇に言葉を渡した。


――面倒くせぇからそうしておく。


 しばらく沈黙が続き、代わり映えもしない世界をただ五つの生命が真っ直ぐに歩いていた。月明かりが不思議と道を照らす光量の為、照明は必要ないだろう。


「霊の気配まで消えてるから、なんかほんと、みんなしばられてたんだねぇ」


 悠長に言葉を繰り出したのはリィノ。自立して歩いているあたり、やはり彼の活動時間帯なのか。あまりこの時間、共に居ないため少し不思議な感覚だった。


「二日、かぁ」


 アシュロが道端の石を蹴り転がす。からからと小気味よく音が何度も反射した。


「濃厚だったけど、なんか幸せ貰えたから疲れなんてどうでも良くなっちゃったわ」


 そう言って先行していた彼女だが、後方を振り返ってはたと止まる。イトスは訝しげな表情を声に出した。


「どした」

「セド、あんまり元気ないわね。そんなに友達と別れるの嫌だったの?」

「へ? いやいや、んなわけないじゃん」


 急に話を再び振られたセドは、驚きながらも頭を振った。並んで歩いていたため横目で見ると、確かに少しいつもと様子が違う……気がした。が、すぐに理解する。


「セドは朝型なんだよ。お前らみたいな夜魔と勝手が違うんじゃね?」

「イトス、覚えててくれたのか?」


 反応してくる言葉はいつもの調子で、かえってそれが気味悪くも感じた。しかし問う気もなく、ただ息を落として小さく頷く。


「覚えとかなきゃ面倒くせぇこともあるだろ、そんだけ」

「覚えとかなきゃといえば」


 アシュロは単語を掬い取って、黙々と道を歩くミドセの前に踊り立ち、足を止めた。


「トゥティタはなんで覚えてなかったの? ミッチーの〈能力〉?」

「知りたい?」


 特に不快そうな態度も見せずにミドセは小首を傾げる。アシュロが大きく頷いた刹那、声を遮る様に、耳を切り裂くような音が響いた。唐突すぎて耳を塞ぐにも間に合わず。幸い聴力まで奪われることが無かったのが救いか。


「今のは……なんだよ」


 イトスが若干跳ねた脈拍の負担に舌打ちしながら吐き捨てる。一番状況を把握していそうなミドセを見たが、彼女は目を合わせるが否や表情一つ変えずに首を振った。それでも、答えが返ってくるには時間もかからず、そして意外にもあっさりと、告げられた。


「なんか、つまらなかったんだよね」

「え?」

「うーんとね、ハッピーエンドってやつ。そうかんたんに、うまくいくわけ無いんだよ」


 平然と、抑揚もなく呟くリィノが、月明かりを髪留めに反射させながら不敵な笑みを見せる。


「あれは、どういう――」


 展開が理解出来ず困惑と苛立ちが募りイトスは顔をしかめながら言うが、その爆発音以上に雑音が近くで鳴り響いた。割れたような――それは声。


 声は暫く甲高く唸り、やがて言葉として整合させていく。


「〈塔〉の正位置、やっぱり、あの時そうで」

「お、おい、セド」


 異質な声を絞り出した存在、セドは座り込み豊かな髪をひっかくように掻き乱す。聞いているのかは定かではないが、突然壊れたかのように震えだし、茂みに大量の雨を降らせる。イトスは思わず彼の背を叩いた。


「落ち着け。んだよ唐突に」

「塔の正位置、危険と災害をもたらす意味! 駄目なんだよ……止めれなかったんだよ」

「はあ?」


 あまりに突発的な叫びが、悲痛さを言葉として夜を駆け巡る。


「もう……嫌だ」


 そして突如止まる。嗚咽は若干響いているが、構わずイトスは再度立つ。何が起こったのか、瞼を閉じて生命の気配を辿る。


 何か、減った気がした。足りない……感じだけがするのだ。イトスはリィノを見た。何をした? とまではいわない、ただ静かに睨みつける。狂人たる目つきで彼は笑った。


「〈禁忌〉は外界で通用しない。それってあくまで基本事項なんだよね。それとはべつに〈親告罪〉っていうのがあるんだよ。つまりそーいうこと」


 不敵すぎる笑みから、リィノはセドを見ては憐れむような目つきを浮かべ、そのまま視線をミドセへと移す。言葉を、説明を待っているかのような無言。特に顔色を相変わらず変えないまま、ミドセは目をゆっくりと伏せる。


「なるほどね。君は確か〈魔王推奨の転生者〉、加えて先天的な念力持ち。交信手段を使った訳か」

「そ。まー俺はただ、魔王様に異世界転移の経緯を聞かれたから、教えただけなの。でも『外界だから恋愛とかいいんだよね?』 って確認したよ」

「その気が無かったと? ……いや、言及する必要はないな。もしそうなら、魔王が気まぐれで外界にも関わらず禁忌を行使したことに対して二人に〈制裁〉を与えたと。簡単に言えば〈消した〉、と」

「ちょっと」


 アシュロが困惑しながら二人の顔を見比べた。冷静と狂気的な空気が混じり合い、いうなれば混沌。ミドセは呆れたように目を開けると右手指で弧を描く。


「魔王は僕たちに見えない存在だから、権力を振りかざしてたまに悪どいことをするんだよ。いい意味で、冠らしいことをするけれども。あれこそが本当に〈自由〉な奴だ……もっとも、君はこうなることを計算してやったみたいだけどね」

「軽蔑する? 仲間としてみすてちゃう?」

「まさか、僕には全く関係ないことだし、彼らには興味もないからね」


 鈴の音が響いた。特に何も起こった様子はないようだが、イトスはミドセを睨む。


「簡単にリィノの言い分を説明してくれ」

「そうだな」


 ミドセは対して、笑みを浮かべて弧を造っていた人差し指で小さく円を描いた。


「彼は怠惰悪魔だけど、同時に〈憎悪悪魔〉だからね。不快だから彼らを消したくなった、それだけだよ」

「なっ」


 初めて耳にした内容に思わず言葉が詰まる。リィノは〈怠惰悪魔〉とだけ聞いていたのだ。だがその驚きが空気に飲まれていたせいだと悟り、いざ冷静になるとどうでも良くなってくる。


「そうか、で、あいつらは助からないとして、どうするんだ?」

「どうするって?」

「帰るんだろ? コイツこのままにして」


 イトスはセドを顎で指す。座り込んでしまった彼はおそらく自分から動かないのではないか、というほどに縮まり切っている。嗚呼、とミドセは思案するような仕草を見せつつも腕を出口の方角へかざす。月から光球が勢い良く地面に落ち、そこから静かな竜巻が生まれた。


「君達は先に帰っててくれない?」

「あ?」

「いや、あの竜巻僕が放ったから自力で帰れるしね? 確かにセドをこの状態で返すのは得策じゃないだろうよ。鬱になって〈怠惰悪魔〉に変貌されたらたまったもんじゃない」


 言葉からしてミドセはセドを正気に戻してくれるような口ぶりなのだが、いつも衝突している様子からは考えられない。言葉を紡いで、イトスは確認する。


「どうにかするっていうのか?」

「出来なかったらこんな提案しないよ、ほら、あの竜巻に乗れば普通に天界に帰れるよ。お疲れ様、リィノも咎めないから帰ったら休むといいよ」

「まったくおひとよしー。じゃあそーする」


 リィノはすっきりした。と言いながら奇妙にも一足先に竜巻の方角へと向かった。竜巻というにはやけに静かに、淡い緑とそよ風のような音を周囲に吹き込んでいる気がする。イトスもそれに続こうとするがアシュロの足が止まる。


「ミッチー、私は、ここで待ってるわ」

「アシュロ……」

「ミッチーの魔力は〈自分の知識〉でしょ。魔力大量消費して、帰れる術忘れたら戻ってこられないのよ」


 イトスは聞いていない振りをしながら進む。風は強い。これを生成するのに彼女が知識を使っているのだとしたら、一体どの知恵を削っているのだというのだろうか。それとも他人が思っている以上に、これには思ったほどの魔力を使っていないのか。だが恐らく彼女がする回答は一つしか無い。


「僕がそんな不覚を取ると思っているの?」


 予想通りの声が、自信満々に耳に届く。


「それに、僕もね、大分疲れてるんだよ。だから下手したら君たちの貧相な魔力に感化されて巻き込むかもしれない。嫌でしょ、記憶を消すのに巻き込まれるの」

「記憶?」


 アシュロが繰り返し、イトスの足が止まった。もう手にとどく場所に陣はある。それでも声がこちらに届くのは、ミドセの魔力と彼の聴力が合わさっているためだ。


「そう、それがさっき使った〈能力〉だよ。あと一回しか使えないけどね。さ、巻き込まれないうちに行って、この馬鹿を生かしたいなら」


 鈴が一拍、凛とした音をまた歌った。アシュロはためらっていたようだが、足軽にこちらに近づいてくる。不安そうでな様子でもない。不意に振り返れば、陣に飛び込ませるようにイトスの背中を押してきた。中にはいればもう外の音は聞こえない。


「リィノ」

「んー」


 リィノはいつものように生怠そうな声をあげる。呼んだイトスは平常心を保ちながら尋ねかけた。


「セドを、混乱させるまで、お前は計算したのか?」

「いーやぜんぜん。あそこまで挙動不審になるとはおもわなかったよ。ただ、あまりにここにきたのが理不尽すぎて、ついやっちゃっただけ」


 しれっと、恐らく素直に吐き出された言葉。イトスにはなんだか共感できるような気がした。やっぱり、日常の中ゆったりしている方が性に合っているからだ。


「あら、私には聞いてくれないの?」

「なんて?」

「カップル殺されて腹立ってないのか? みたいな」

「いや」


 イトスは、何故か打って変わって能天気そうなアシュロに向かって息を吐き捨てた。


「お前は誰が恋愛しようが構わないだろうからさ」

「ふふふ、そうかもね」


 アシュロはこちらに体を向けないまま笑みを含んだ声をそう紡いだ。



 視界は霧のように白く、そうして眠りの深くに落ちていくような感覚が全身を包んだ。二度目の、二日前の感覚、まさにそのものだった。

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