39
「は? 面倒だから〈光宝〉ごと壊した?」
数十分距離の足取りは、イトスとセドにとっては重たいものであった。案の定、小屋に戻って開口一番。状況の確認をされた二人が簡潔に物事を伝えると、その場に居なかったミドセは居間の壁を背に足を組みながら大きく肩を落とした。信じられない――誰が見てもミドセの表情、そして口調に含まれた心情は解った。室内ということもあって密閉感を感じる窮屈な空気。一旦黙してのため息は数回、何か言葉を選んでいただろうミドセから生み出される。頬に添えられる中間三本の指先。
「全く、後先考えない頭がよく僕のところに帰ってこれたね」
「ほら、言った通りだ」
身の置き場の無さそうな表情をしながら、セドは横に並ぶイトスに目配せをしてきた。彼女の視線はそれまでイトスだけに白い目を向けていたが、冷たさは滑るようにセドへと移る。
「君もだよ、セド」
「ええっ!」
「僕が動かない方がいい。というから有難く頂戴してその通りにした。代わりに策を教えたよ、効率が良いものをね。なのに蓋を開けたら」
「そりゃそうだけど、俺じゃイトスとか……クノンを止められなくて」
気まずそうな表情で目を逸らしたセド。イトスはそんな様子を横目に見ていたが反省する気は無かった。つま先を床に擦り付ける。
「とにかく森は無事だったし、俺も足が痛い。もういいだろ。お前が怒ったところでなんの解決にもならねぇよ」
「まあ、結論だけみればそうなんだけどね」
大きく息を吐いたミドセを横目に、イトスはゆっくりと周囲を見極めた。様子をみるにリィノが音を上げていない、いつもの調子で背負ってもらっていたし当然だろう。アシュロはオルタと何か話しており、トゥティタはそれを床に座り込んで眺めていた。そして色々思案がまとまったのだろうティティリアとクノンは、どことなく安堵した様子だった、何かしらの嵐が過ぎ去った後のような空気。ミドセも様子を眺めていたのか、そこまで認めた頃には再度呼吸を整えていた。
「結局光宝が森自身を維持していたわけではない、『主』も大して重要じゃなかった。つまるところ、そういう事なんだね」
「だと、思うぜ」
「まあ、これ以上詰問やら説教やらしても無駄か。悪運が強い。それだけは褒めてあげるよ」
呆れたような声色で、明らかに嘲笑した表情で淡々と彼女が言うと沈黙が始まる。疲労や落着、複雑な感情、一気にそれが襲ってきたのだ。ふらふらとイトスは歩きながら、居間にある硬い木製の丸椅子に横着に腰掛けた。
「んで」
重心を右足に預けるように、右太ももに片肘、そして頬杖をつきながら右上へと目線を移す。褐色の長身は言葉にビクリと反応した。
「怯えるこたねぇだろ。俺はさっさと片付けたかっただけだし怒っても居ねえよ、余力消費したくねーし」
「イトス……」
「結局どうするんだ? 天界に帰るならお前の願いは叶わないけどお前がこれまで守ってきた〈正義〉とかを保てる。帰ってこないなら、お前の願いがもれなく叶う。……俺としちゃ後者のほうが楽だと思うけどな。悪魔界の生活は楽だから、俺なら前者選ぶけど」
声を掛けられたクノンは言葉を遮られて黙する。選択肢は、今ならどちらも安全圏。ただしこれからの生き方や環境の変化を考えると、すぐに決めるには重い問題。イトスも若干ながらそれは理解している。だからこそ彼はミドセを一瞥した。訝しげにミドセはイトスを睨んでくるが、その目の中にある真意を理解したようだ。確認するまでもなくイトスが吐き捨てるように口にする。
「ミッチー、お前の方が説得とか上手いだろ。賢い頭で説明してやってくれよ」
「そうはいっても、それは当人達の問題じゃないのかい? 先程から話を断片的に聞くに」
「だからだよ、優柔不断なコイツらにもう〈危険は去った〉だの〈自由にしろ〉って話はしたんだよ。それでも尚迷ってんだよ。俺は解決したと思ってたんだけどコイツらの表情が全然浮かねぇの」
どことなく腑に落ちない風に肩を落として、イトスは引導ごと誰かに放り投げたい気持ち一心で息を吐く。こういう時に傲慢な悪魔を刺激すれば大方満足して乗ってくるものである、と思っていた。だがこちらもどうも優れた顔をしていない。だがクノン達とは明らかに異なる。視線が思案を経て何点かを捉えたのだ。やがて目が止まると手の先をその方向へ向ける。
「それならそこに適任者がいるじゃないか。俗世間で遊び呆けてる奴が」
イトスはその先を辿る。捉えた姿に納得した――同時に若干不安になるが。それも束の間、ミドセの視線に気づいた〈アシュロ〉は、実に悠長な笑みを見せては悩みがない手振りを示す。
「心配しなくていいわよ。この二人、間違いなく一緒に居る方向を選ぶもの」
ね。と、道筋を把握しているはずのセドに彼女は目配せをするが、当人は唐突な前振りに硬直し、苦笑いと共に微笑んで頷きもしない。アシュロは目を数回瞬きさせた。
「でも、きっとこれからどこで生活するか、とかが心配で、不安だったんじゃないかなとお見受けしたのよ。でも大丈夫、オルタさんからすっごい提案があるの!」
場の緊張を砕くほどの声が木材を反響し実に一音一音が明瞭に響いた。力説と言わんばかりのそれにはトゥティタが強張る。無理もない、あまりにも唐突すぎたのだ。
クノンは暫くその声に唖然とし、目をしばらくティティと合わせた後。オルタへと同時に視線を移し始める。話題を投げられたオルタには先程までの悩みはない。安心した、と判断したのだろうアシュロはそのまま跳ねるように彼から距離をあけた。
「えっと」
躊躇無さそうではあるが、どことなくその言葉に緊張の様子を感じる。一体どんな言葉をアシュロは吹き込んだのだろうかと言うほどの挙動。オルタはそんなイトスの思考に気づいたのか、それとも暗示か大きく息を吸い込んだ。
「天界、というところに帰れないというのなら、ここに住みませんか?」
「ここに?」
クノンが驚いた表情を目に浮かべての復唱。それが信じられないか想定内かを確かめることなく、オルタは目を合わせずに続けた。
「森全体の様子はわかりませんが、領域はたくさんあります。自然に囲まれて生活するのも一考だと思うのです。クノンさんやティティさんには言葉ですとか色々と教わったこともあります」
ここから先は特に自分に関係はない。そうおもって視線を別に移せば、ティティの目に安堵が灯り、クノンの服の裾を小さく握っていることにイトスは気づく。やはり出会った時の覇気は一体なんだったのか。虚実か、ただの二重人格か。これも知る術などないだろう。
「それに、好きなんです。ティティさんの歌、クノンさんの舞。ここならきっと人目を気にすることなく、自由に叶える事ができますよ。お話を聞いていると少しだけ、生活が不便かもしれませんが」
「オルタちゃん」
ティティは完全にその方向性で行こうと思っているのか、反発する様子は見受けられない。クノンも恐らく反対しないだろう。ただこんな偏屈で遊戯もない退屈な場所で長く過ごすことにいつまで耐えられるか、ということを考えるにはあまりにも酷であるだろうが、所詮は他人事だ。
クノンはそれでも、言葉を捻り出した。これまでよりは思考は短い。
「じゃあ、そうしようか。多分、慣れると思うし、きっとセドはまた、来てくれると思うから」
言葉の終止符。
決まった、と理解した瞬間の解放感とは凄まじいもので、誰が合図したわけでもないのに脱力感が生まれる。空気はどことなく複雑さを感じた。無機質ではない淡い彩色、慣れない香り。自分にとって非日常すぎた世界、そこに落ちた同世界の住人。思惑がそれぞれ異なるのは当然といえば当然だ。
なんだかんだ言ってらしくないことをした。きっとそれも日常と違う空間に浸らされたせいだ。そう感じながら息を吸い込む。ゲームみたいな世界は本当に存在していて、所謂こんな世界で生活する人たちはさぞかし退屈なのだろうと感じるほど。
イトスは少しだけ目を閉じた。まだ外の闇が深い――そう感じさせられる音がする。静かで、今はもう魔力ですら防音加工もされていないだろうから響くだろう風の音は止んでいた。一つ二つの違和感はイトス自身の中にあったが、まず一つは、ある一つの声で浮き出される。
「そういえば、クトロカは?」
オルタは首を傾げてトゥティタを見ていた。トゥティタは首を振る、精一杯首を揺らしたようにも見えた。
「わかんない」
トゥティタはゆっくりとオルタに近づいていた。だがそれは恐怖というより素直な身振り。そういえば生命の存在が一つだけ無かった。今度はトゥティタが首を傾げた。
「クトロカって誰?」
「何って、トゥティタ、さっきまで一緒に居ただろう?」
オルタに突如驚いたような色が浮かぶ。焦りか、困惑か。その目はすぐにこちら側へ向けられた。少なくとも自分へではない。記憶を含めて、確実に何か情報を持っていそうな人物へ、ということは明らかだった。
「クトロカに……いや、トゥティタに何かしたんですか?」
「何のこと?」
静かに、注視されたミドセが腕を組んだまま眉を潜める。見る限りは動揺しているわけでは無さそうだ。だが逆にイトスは動揺してしまう。折角終わったと思ったのにまた深みに引きずりこまれそうな気もする。
「だって、〈吸血鬼の呪い〉を解く、と言ったじゃないですか」
「そう、解いたよ? 僕がやったのはただそれだけだ」
実に無機質に言葉は紡がれた。オルタは少しずつ、不信に感じたのか顔色が変わっていく。警戒の空気。だがミドセは動じない。それどころか息を小さく吐いて、言葉を宙に泳がせた。
「じゃあ仮に僕がクトロカ、及びトゥティタに何か手を出した、と仮定するね」
ミドセはまるで芝居かかったように指を操った。初めから用意していたように軽やかに口は語る。
「クトロカをその場合、僕はさっき言った〈置き土産〉だったと仮定した。結果大きな災いが起こりそうになったのを阻止する。森の為だった。――もし、そういった意図で僕が仮に事を成した結果が此処にあるのなら……それでも君は咎める気かい?」
よく見るとミドセは、まるで他人を引き込みそうな、蛇が獲物を呑みこむような目で真っ直ぐにオルタを見ていた。数秒瞬きしないそれは、オルタを硬直させ、やがて何度も訪れた空間を、オルタの代わりに吸い込む。
「もしそうだとしたら……いえ、分かりました。恐らくそうなんでしょう。クトロカが森を縛っていたのであれば、イトスさんたちに俺達は解放されたのだろうと、思います。トゥティタにも、気を使ってくれたんですね、ありがとうございます」
不自然な程丁寧でかつ誠実に、オルタは頭を深く下げた。一体なにが起こったのか、イトスにはやはりわからなかったが
「〈魅了〉よ」
気がついたら近くに居たアシュロが間近で小さく耳打ちしてきた。思わずイトスは、反射的に身を彼女から切り離す。そんな様子にアシュロは細かく肩を震わせて笑った。
「あの子はそうだと気づいていないけどね」
当人に聞こえないように小さく言ったようだが、ミドセが何も詮索してこないあたりそれは功を成したようだ。
再び静寂。明らかに眠そうなリィノはともかく、いつもよりも口数が少ないセドが、どうしてか気になったイトスは目を予告なくやる。セドは特に驚きもせずに、純粋に愛想を見せてこちらを見てきた。
「じゃあ」
まるでそれを合図と取ったように、セドは手を軽く叩いた。
「しばらく、クノンとはお別れだな」
今度こそ、終わったのだ。そんな雰囲気が若干の風と共に流れる。
時計から鐘が一つだけ、鈍く深く響いた。
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