38

 緊張感は一瞬にして再来する。崩れていた音は唐突に、まるで時が止まったかのようだった。照明となるのは月明かりのみ、光宝で慣れてしまった目のせいで、仮に普段夜目が鋭く利いたとしても、薄明かりの今、葉の境界線、ぼんやりとした焦点が鮮明になるには時間がかかりそうな感じさえする。嫌な予感はうっすらと過ぎった。だが幸いなことに予感は当たらず、代わりに予測だのしない次なる光が突如生まれる。


 光は何度も明滅を繰り返し、再び光源としての役割を与えられたかのように、草の青緑をくっきりとイトス達の視覚に映した。その様子にはなりゆきを見守る。誰も言葉を浮かべない。


 時間差、唐突に視界を眩ませるほどの白が飛び込んできた。かと思うと雨のような風の音も耳に飛び込んでくる。


 ――霧か?


 肌に感じる冷たさ、氷でも削るような音。そして白……全てから連想されるものが、イトスにはこれしかなかった。


 原因は理解している。ただ何が起きているかはまったくわからない。実感できることがあるとすれば一つの色彩に閉じ込められた体すら目視できない程の状況であるということ。それでも死だとか、消滅だとか、そういった重い空気ではなかった。寧ろ〈逆〉である。


 風の音は時間の経過と共に薄らいでいく。心なしか白に黒が混じりはじめて見えた。段々と光は再び褪せはじめる。闇が世界と視界を支配し出したような解け混じり方。イトスにとって唐突な出来事にも思えた。嗚呼、折角目が闇に慣れ始めていたのに。


 同時に押し寄せてくる諦めと倦怠感、それがあるだけまだ余裕なのかもしれない。


 思えばどれほど白に塗れていたのだろう……と思案したのはほんの一瞬。


 ふと、違和感に気づいたイトスは視線を地面に落とした。縦長四角の存在が一つ。思わず腰を屈めて眺めてみる。どこかで見慣れた物で、書かれた文字も浮かび上がってきた。普段使っている言葉で〈塔〉と表記されている。形から察するに、恐らくセドの占い道具だろう。何枚か先程の状況下で散らばったのだろうか。


 ついでだからとカードを手に取ると、ちょうど足音がすぐ近くで聞こえた。見上げると当の本人、セドがそこに居た。


「よかった……無事だったんだな」


 安堵した声が、うっすらと見える笑みとともに聞こえてくる。


「無事っつーか、何も変な感じはしなかったし」

「そうなのか? って言ってもそうだな。特に実害ないし」


 ふぅと軽く息を零したイトスは、弾みをつけ立ち上がると目線をセドに合わせた。そうして落ちていたカードを手渡す。すると驚いたような顔を彼に向けてきた。


「えっ、落ちてた?」

「ああ、だから拾った」

「そっか。他のは一切落ちてないっぽいんだけど、なんで一枚だけ……」


 セドは状況を飲み込めていないようだ。自分の懐を探りカードの束を取り出すと、その枚数を確認仕出す。だが、何枚かを指で弄り、そうして首を傾げた。


「なあ、イトス」

「あん?」

「恐らく落ちたの〈塔〉だとおもうんだ。どっち向きで拾った?」

「んなこた覚えてられっか」

「はは、そうだよな。悪い、拾ってくれてありがとな」


 イトスの答えに対してセドは一瞬だけ間を作った。イトスは違和感を覚えたが言及はしない。必要が無いように感じたからだ。


 すっかり手持ち無沙汰になった体で、イトスは周囲を見回すと、特に変わったわけでもない森の光景が広がる。どうせなら夢であればよかったのに、とも思ったが、きっとこれも解決してそろそろ家に帰れるだろう、という気持ちも強くなる。否、そうとでも思わねば気を保てなかった。


 続いて人数を目視で確認する。先程の面子のままだ。アシュロは状況がわからないのか自分と同じように周囲を見渡しており、リィノは先程の〈能力〉で疲れたのか多少眠たそうにしていだ。オルタは一人呆然と、光宝のあった場所をみつめ、クノンはティティの無事で安心したのか座り込んで共に抱き合っていた。


 そんな様子を確認すると、いい加減本当に終わらせたい衝動にイトスは駆られ始めていた。そういえば状況が変わる前、自分は何か言おうとしていたことがあった気がする。それがふと頭の中に過ぎった。ゆっくりと、イトスはクノン達に近づいていく。踏み鳴らす草の感触が、どことなく先程よりも柔らかく感じた。


 気づいたクノンはイトスに目を向けると警戒したような空気を放つ。ティティをかばう仕草。……何を考えているんだ、と内心思いつつも、イトスは立ったまま見下ろした。


「そういや隣の森は、住人が問題起こしたから滅びたらしいじゃねえか。……っつーことは、光宝が無くなったからこの森が滅びるわけじゃないんだろ。ならさ、別に物事をそうだと決めつけるとか決めつけないとかしなくていいと思う」

「けど……」


 クノンはどうも納得がいかないのか、寂しそうな顔をする。やや発生する苛立ちを、イトスは抑えながら続けた


「こーいうことは、証明するまでわかんねぇけど、証明しても実際大したことねぇんだよ。それを俺が今、破壊して証明してやったんだ。だから、めんどくせぇことはもうやめようぜ」

「イトス……」

「考えなくても、お前の中ではもう答え出てるんだろ。周りが否定しようが止めに来ようが変わらなかった。わざわざ危険な場所で身をもって証明する試みするくらいなら、最初っから自分のやりたいことができる安全圏にいきゃいいんだよ。もちろん〈証明して信用させる〉って手法の奴もいるけどさ。そういう事を俺は、言いたいんだ」


 自覚はしていた。明らかにらしくないことを言っている、と。だが混沌とした空気の中、これを今終わらせることができるのが不思議と、自分な気がしたのだ。


「〈光宝〉っつーのは願いを叶えると周囲にリスクが発生する……っつーのはセドが身内で実感したことらしいけど、結局そもそも、前提の願いが叶ったかっていうと、そうじゃねぇかもしれないだろ? 叶えるモンじゃねぇのかもしれない」

「そういえば、そうだ。ただの呪いアイテムかもしれないんだよな……酷いなって思ってたけど」


 セドが近場で小さく言葉を漏らしながら頷く。それを全てイトスは見逃さなかった。


「あー、まぁなにが言いたいかっつーと、〈ハイリスク・ハイリターン〉とかいうやつ。あんなことしなくてもお前ら願い叶うんだろ、ここなら――だから」


 イトスは頭を掻きながら大きく息を吐く。


「森も無事だし終わりだ。お前らも正義とか、責任とか、固っ苦しいモンから解放されたし、晴れて〈自由〉なんだからよ」


 ついでといわんばかりに、イトスは背をむけたオルタへ声をかけた。びくりと動く背、恐る恐る向けられた顔をよく見ると、泣いているようにも見える。


「あ? どした」

「俺、勘違いしていました。感情だけで動いて、勝手に責任をなすりつけられてきたのだと思って、全然願いなんて叶わないんだって焦ってました。そうじゃ、なかったんですね」

「さっきも言ったろ、最終的に得られる結果を叶えるのは多分、自分だって。……誰だったか〈失った物は戻らないかもしれないけど、得られる物はそれ以上にある〉とかなんとか。とにかく願い叶うか叶わねぇかはお前にかかってるんだよ。それを選択すんのが多分、〈本当の自由〉って奴だ」


 風が、優しく音を奏でる。遠くで羽ばたきの音がはじめて耳に届いた。オルタが、その方向を向き目を閉じる。彼の表情は、涙が頬には残っているが、どことなく安らかだった。


「解りました。森も、俺も、どうやら余計なものから解放されたみたいです。皆さんのおかげです。これからのことは自由に選択していこうと思います」

「え――お、おう。頑張れ」


 イトスは適当に言ったつもりだったが、あっさりと納得されたことに困惑しながら再度周囲を見渡し、怪訝そうな表情を見せた。


「森が、解放されたって、どういうことだ?」

「時が、戻ったんです」

「時が?」


 そういえばそんなことを前に言っていた気がする。時が呑まれ、時が止まった場所があると。なんらかの気配で理解したというのだろうか。確かにどことなく生命の気配は増えた気がする。人間ではない、動物のものではあるが。


「はい。これで時に呑まれた場所はなくなったとおもいます。〈吸血鬼の呪い〉も解いてもらえたのかもしれません、本当に皆さんのおかげです」


 オルタが近づいて頭を下げてきたが、イトスは構わず無視してクノンへと目先を変えた。


「で、お前らどうすんだ?」

「俺達……」

「森はなんか解決したんだってよ。あとはお前ら次第じゃね?」

「少しだけ、考えさせてくれ」


 クノンはそう言ってティティと至近距離で向き合った。特に何の感情が芽生えたわけでもないがイトスは目を逸らす。声だけは耳に届いた。


「なあ、ティティ」

「ん」

「俺達は、このままでいいんだよな」

「うん。もう私達、自由でいいんだ。縛られなくて良いんだ。お兄ちゃんのおかげ」

 もう大丈夫だろう。最初だけ会話を聞き、流すかのように焦点ごとアシュロに向ける。アシュロはここまでずっと静観していたが、イトスが近づくと愛想良く首を傾げた。


「イトス、なんかカッコ良かったよ」

「ああ、面倒だった。大体こういうのやるのミッチーとかの役回りだろ」

「ふふ、でも多分そんなお人好しなこと、あの子じゃ言わないわ」


 たおやかに、アシュロはそう笑って、天使と悪魔の対を眺める。


「あの二人は多分、天界に戻らない道を選択しそうだなって思うの」

「ま、そうだろうな」

「それでも躊躇するなら、私が背中押すから任せて!」


 平和が戻ってきた空間ならではの明るい動作でアシュロは自信満々に言う――が、別の所に焦点を当てて、一瞬動揺した様子を見せた。勿論イトスは見逃さない。


「アシュロ?」

「ううん、セド。今日はずっと変なこと言ってるけど、大丈夫かなって」

「あー……そうか?」

「なんとなーくね。でも私が近づいたら何も言ってくれないから。聞いてくれるなら頼りにしてるわよ!」

「うわ、面倒くせぇ」


 できれば、自分の言葉が吐き出したもののように、そろそろイトスも解放されたかったが、どうやらまだ残っているようで、イトスはそのままセドに近づいた。


 近づきすぎるまでもなく、セドはこちらを見てきた。なるほど、たしかに少し釈然としない風にも見える。


「あ、イトス」

「なあ、まだ不安因子でも残ってんのか?」

「えっ」


 セドがはっとしたようにしながら首を振りそのまま笑みを、流し目付きでみせてきた。


「残ってないって。解決してよかったな。イトス様々だ!」

「本当に、なんか面倒くせぇことが起こるとか、そういうことねぇよな。もう終わりだよな」

「あー」


 押すようにイトスが突っかかると、そこでセドが目を逸らし、やがて苦笑いを浮かべる。


「その、〈光宝〉壊しちゃったじゃんか」

「おう」

「ミッチーにさ、どう説明するんだ?」


 勿論考えてなどいなかった。イトスとセドの間に一瞬の空白が流れ


「森も無事だし、大丈夫じゃね?」


 重々しくイトスはそう返したが、確かにそう言われると、たとえ視えてなくても重々しい未来が待っていることは簡単に想像がつく。


「セド、やっぱり説教長くなる運命ってやつか?」

「いや……でも、絶対こう言うと思うぜ? あいつなら――」

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