36
「っと……」
土の上に突き刺さる金属、よろめく肢体。いち早くイトスは体勢を整えた。
意外にも銃弾は、至近距離のティティには当たらず、更に距離を大きく引き離している。この感覚、漂う魔力、イトスは知っていた。
「ようやくお出ましか、元凶さんよ」
薄ら笑いが思わず溢れる。ティティは地面に座り込んでいたが、彼女は砂埃ごと長身の男に庇われるように覆われ、特に怪我はないようである。
イトスはゆっくりとその男へ視線を向けた。
「随分遅かったじゃねぇか、クノン」
言いつつも指で銃身の傷を確認する。金属――足元に鎮座する短剣は幸い得物には当たらなかったようだ……が、クノンは言葉をすぐには返さない。彼はイトスを、そしてもう一方へと交互に目線を向けている。
「オルタさん!」
悲痛そうなアシュロの声。軽く見やるとオルタがふらついていた。右手を抑えた状態でこちらへ背を向けている。視線を下ろすと同じ姿の短剣が草むらの上に転がり落ちていた。掠めたか直撃かは解らない。
「なんだよこれは」
「それはこっちの台詞だ、イトス達は俺とティティを阻止するためにわざわざきたのか?」
絞るような声。それは、響くほどではないが怒気に満ちているような気もした。クノンは真っ先にイトスを睨みつける。紫の瞳は色を強く、決して揺らがないと言わんばかりのものをこちらへと向けていた。それに対して深い溜息をイトスは漏らす。
「俺じゃなくてさ、向こうに云う言葉だろ、それ」
そう言いながらイトスは親指でセドを示す。アシュロと二人がかりでオルタを支えていたセドが名に反応すると、彼は困惑したような目をクノンへと移した。クノンは一瞥、しかしすぐにイトスへと目を向け直す。
「こちらにとっては変わらない。どのみちティティに傷をつけようとした。許せない」
「向けてきたのはそっちでもか?」
イトスは眉を潜めた。来たばかり、状況が解らない――それはまだ良い。だがあまりにもその言い分は理不尽といったものではないか。と、言ったところで頑固と評判のクノンがそう簡単に意を改めるわけはない。イトスは腰を下ろして刺さった短剣を抜き取る。
「で、許せないって言うけどどうする気だ? お前確か魔力操作苦手だろ?」
半ば煽り気味に、イトスは銃口から出た煙に息を吹きかける。クノンはやはり答えない。それが非常にイトスにとってもどかしかった。
「〈ランクD〉だから、焦って答えが出ないとか言うんだったら待ってやるよ。悪いが〈憎悪系〉の対応には慣れてんだ。っつーてもお前は〈強欲一色〉のはずだったけど」
「それが、許せないんだ」
珍しく回転し、クノンの簡単な情報を凄まじい勢いで思い出した記憶。それを材料に使ったことでようやくクノンは言葉を放つ。ここには答えないことで事が進むと思っている奴らばかりなのだろうか。イトスはそう胸の内で嘆きながらも、「ほう」と冷静を装った。クノンは続ける。
「〈ランク〉とか〈禁忌〉だとか、そういう上下関係とか禁則事項とかを羅列して〈自由〉だなんて。な、イトスもそれを自由だと思うのか? だからティティにその自由な権力を奮ったのか?」
「は?」
ワケがわからない。とイトスは直情的なところを表情と声に出した。セドとクノンが喧嘩した現場は見ていない。もしかしたら状況を聞いた時に聞き流したかもしれない。そうだとしても唐突すぎるし、今ひとつ話が通じない。
「ティティに銃を向けたことに対して怒ってたんじゃねぇの?」
「それもある。でも違う」
見たときから解っていたことだが、クノンは混乱している。目に見えて明らかだ。証明するかのように更にまくし立ててくる。
「俺は、阻止しようとしたこと、否定しようとしたこと、それどころか周りにまで被害が及んでること、自由じゃないくせにそれが規律だということ。全部に納得が行かない。だから募って、募って、許せなくなっているんだ。今も、そうなんだろ、たったひとつしか叶えられない光宝に、嫌がらせみたいに群がって先取りして」
迫真の声をもって首を振りながらも、クノンはティティを大事そうに抱きしめる。ティティが涙声で彼の名を呼ぶと、クノンは視線を下ろすが、冷静には戻らない――いや、それが彼であったか。
駆け切るように言葉を発したクノンは息を継ぐ。全力で走った後であるからか言葉が出てこないのだろう。イトスはその血相を変えた表情をみながら、何かを忘れているような気がして、別の場所に視線を向け言い放った。
「リィノちょっと頼む」
「なに?」
突然呼ばれたことで傍観していた姿は訝しげに首を傾げながらも、リィノが手隙な体をこちらへと運ばせてくる。いつもよりは足が軽そうに見えるのは〈夜〉という時間のためか。
「あの二人、落ち着かせてくれねぇか」
近づいてきたリィノを、もどかしさゆえに腕を引っ張ってイトスはは耳打ちする。え……と乗り気ではない返事をリィノはしたが
「ん、いいよ。めんどくさそうだもんね」
と、迅速に承諾してくれる。リィノの能力である〈精神操作〉は、本人が安定していれば影響力は膨大だ。思念して状態を抽象的に操るらしいので何が起こっているかはわからないが、少なくとも目の前のクノンには有効だ。
数秒。リィノがクノンに目を向けていると不思議とクノンから怒りの表情が静まってくる。元々〈憎悪悪魔〉でもないクノンを我に返すについて、難を示すことがない。併せてティティも落ち着いてきたのか、息を整え取り戻そうとしていることが伺われた。
思惑通りの影響。実感こそはできないがその時間稼ぎでようやく思い出す。ここに来る前、天界で二人で話したときのことだ。イトスはクノンの名を呼ぶ。
「お前が自己責任で選択するのと同じように、俺も自己責任で選んでる。という話は前したよな」
「ああ……たしかに。その時イトスは〈巻き込まれるのが面倒だから行け〉と促してくれた」
「俺は確かにお前に責任もって言った。けどルディルがお前の後追いすることになって状況が変わった。行ったら皮肉にも巻き込まれる結果になっただけだ。責任とってルディルを俺は止めにきた。ついでにセドを回収にきた。そんだけだ」
落ち着いたクノンの声に冷静に、あたかも覚えていたように装いながらもイトスは言葉を紡いだ。
「そうか、それなら」
クノンは安堵したのかいつも通りの声色を浮かべつつ、疑問を口にしてくる。
「じゃあイトスに矛先を向けるのは〈門違い〉だな。……でもこれだけ。ティティを撃とうとした理由は?」
「正当防衛」
イトスは即答する。間違ってはいない。補足でもするかと続けようとしたが、それには代わるかのようにティティが答えてくれた。
「イトスさん……違うや、お兄ちゃん達を誤解したのは私。阻止、しようとしてるみたいなのには変わらないんだけど、少なくともお兄ちゃんは、ダチに銃むけた私を怒ってるだけ」
「お兄ちゃん?」
目線をティティに向けていたクノンが驚いたようにイトスへと目を動かす。どうやら本当に事実を知らなかったらしい。だが説明するのも面倒だ、とイトスは肩をすくめた。
「事情はあとで聞け。確かに色々あってお前らの邪魔してるのは間違いねぇよ。でもその主謀はアイツだから、話はあっちとつけてくれ」
口にしつつもセドに指差しながら、投げる勢いでそう言う。今ならセドも、リィノの操作の影響を受けて対応してくれるだろう。垣間見るように彼を横目でみると、セドはぼんやりとクノンを見ていた――いや、あの目は恐らく〈視ている〉。だからこその表情だろう。
指差しに気づいたかはさておき、セドはその目のまま、ゆっくりとクノンに近づいていた、怒気も主張性もない雰囲気で。ただ距離が近づくにしたがって角度がイトスへと向いてくる。「おい」と声をかけるとようやく目の色が戻った。
「お前、きいてた?」
「聞いてた。クノン、相談してくれたとき話ちゃんと聞かなくてまずはごめん」
クノンは当事者の言葉に閉口する。その表情からして、クノンがどう思っているかはわからないが、おかまいなしにセドの目はイトスに焦点を当てた。
「オルタに破棄してもらうのは、一回止めてきた。じゃないとクノンも納得しないだろうから。勝手なことしてごめん。アシュロが当たった傷は診てくれるってさ」
言い終えてから、横切るようにクノンにセドは近づいていく。クノンは怒りか恐れかはしらないが、緊迫したような表情で青い存在を捉えていた。
「確かに、俺は事情も知らずに、占いの結果だけ伝えて、お前に一切配慮もせずに〈天使と付き合って仲良く消えろ〉って言った。もっとその結果を受ける前に、クノンの身になって話をきいたら、そしたらもっと後押しできたかもしれないなって、今は思ってる」
セドが振り返るように紡ぐ過去の台詞――傍から聞けば煽り文句のようなそれを、面と向かって受けたのはティティだった。目を丸くして、様子を伺うようにセドを見ている。彼女からは先程発砲したときの好戦的な印象などとっくになくなっていた。
はたしてあれは強がり的なものだったのだろうか。イトスはふと擦り合わない部分の違和感を頭によぎらせる。さりとても話は続いた。
「保身とか、後悔とかでの後付ではなく?」
発声はクノン、疑りの音は彼の喉から押し出される。セドを見るにそう言う意識は全く無かったのだろう。信じて、とは本人が訴えようにも言えない雰囲気だった。
「そう思うなら、そう思ってくれてもいい。信じるも、信じないも、自由だから」
セドは声を荒げず静かにそう落とす。イトス自身が当事者ではないため、当時どのようなやり取りがあって、どちらに非があるかなどわからなかった。セドはそのまま目を伏せている。そこに主張性は見られない、それだけは事実であると思いたい。
「改めて、事情はなんとなくわかった。俺もなんとか手伝えるかもしれないから聞きたい。なんでクノンは彼女の事が、好きなんだ?」
「そんなこと……いや、なんだよ今更」
全くだ。とイトスが同情したくなる言葉をクノンが吐き出す。それでもセドは首を振り、問うた言葉を更に詰め続ける。
「〈今だから〉聞きたいんだよ。それについては否定する気はない。ただ、禁忌は、破ると消えてしまうから。失いたくなかったんだよ。クノンが言ってた〈事実じゃないかもしれない〉説もわかる。それに、外界にいけばそれがなくなるなんてことは識らなかったんだ」
刹那、風が薙ぐ。木の葉が囀り、肌に霞む冷たい空気。魔力は感じない〈彼女の到着〉とは明らかに違う。ただ空気を割るような、自然な形だった。
音に呼応するようにセドが目を開く。視るは現実。
「いわゆる縁結びみたいな感じでここにくる予定だったんだろ? 俺は友人として、しっかり聞きたい。クノンが嫌いだとか、天使が憎いだとか、そういう理由であの時そう言ったわけじゃないことを、俺は証明したくてここにいるんだ」
一旦屈み込んだセドが、地に伏せていた短剣を手に取り、クノンへ向かって差し出した。
「投げて渡したら、俺絶対当たりどころ間違えるから直接返す。もし話せないし、おとなしく光宝で願掛けしたいっていうんだったら、俺を刺してくれ」
びくりと、クノンの眉が動く。セドの表情には笑みが浮かんでいたが、言葉には明らかにそぐわないものであったのだ。クノンは困惑の声と共に渡された柄を手に取る。短剣の刃先はセドを向いていた。
「いや、そこまで……何言ってんだ」
「流石に身をもって知ってるだろ? 魔力さえあれば肉体は再生されるから、めった刺しにしたところで俺が死ぬわけじゃないって……多分な。それに、他殺にはこの地じゃカウントされないから問題ないし」
セドの瞳の星は現実を、クノンを正面から受け止めるような真っ直ぐな色をもって見ていた。どういう思考かはさておき、彼なりの〈覚悟〉なのだろう。
「クノン……」
手を出さず、ただクノンに抱きくるまれるティティは、見上げながら成り行きを見守っていた。周囲を見回しても殺意の空気はどこにもない。だからこそクノンに一斉に神経が集中する。クノンの表情は緊張か、不信さか、不気味さか、どこか思わしくない表情をしている気がした。セドが改めて刃から離れながら言葉を奏でる。
「これは拙い占い師として、信じてくれていたクノンに対して、しっかり導けなかった俺のけじめだ。わがままってわかっているけど。最後まで結果の……運命の責任をとらせてくれ」
空気の音が止んだ。緊張の一線である。後、クノンの手が動いた。
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