35

 得物を構えながら、ティティと呼ばれた少女は近づいてくる。慣れた目のためか、それとも月明かりを受けての明瞭さか、薄青のベールをまとっていた空気の隙間から、少女の瞳が垣間見えた。


 その色は碧――得物である銃もまた、そのような色をしていた。幹に張り付いた穴からみても、手持ちのそれは間違いない〈銃〉という代物だ。イトスたちから見て一風変わった少女の威圧感ときたら、まるで肌で感じ取れる嫌悪感では片付けられない程である。


 と、いうことは……ここでセドが緊張感を露わにしながら小言を漏らした。


「やっぱり、この感覚といい〈天使〉、なのか?」


 そういえばクノンの彼女の件といい、そんな話をしていた気がすると、イトスはようやく思い出しながらその少女をしっかりと見据えた。こちらとは未だ目は合っていない。オルタと、その先にある〈光宝〉へと、あたかも自分たちなど目に留めていないかのように少女は視線を注いでいるのだ。セドの声が届いたかは定かではない。


「ティティさん、あの」

「オルタちゃん。やっぱりオルタちゃんも未練残ってるんだな。その光宝で彼女でも復活させようっていうの?」


 勝ち気な声色に愉しさを奇妙なほど折り込みながら、ティティという少女はそうオルタに向かって小首を傾げる。光宝について、オルタの身の上について、既に彼女は知っているようだった。違う――オルタの口から、そう恐らく出かけただろう言葉を遮ったのは、隣に居たアシュロだった。


「違うの! オルタさんは皆の為に」

「誰だ、あんた?」


 必死に弁明しようとしたアシュロの言葉で気づいたのか、向けていた表情がこちらへと向けられる。それから数を確認して舌打ち。みたところ彼女は特に援護する者もいなさそうだ。


「ん……もしかしてこの気配は、私ら〈四界〉に属する〈悪魔さん〉達かね」


 その後ティティは不愉快そうな表情を向けてくる。放つ音色も無意識にか下がっているように感じた。


 少女が言う〈四界〉とは、イトスたち〈悪魔〉や、恐らく彼女の種族〈天使〉を含んだ四つの種族が、それぞれの縄張りを所有しており、空中領域を分割した上で絶妙なバランスをもって存在している世界のことである――というのは学園でも習ったような常識だ――もっとも、イトスはあとの二種族をすぐに思い出せないのだが。


「〈現代想像種の四界〉、その〈天使〉と俺達は昔から仲が悪い。とはいっても今は互いに距離置いてて、干渉しないという協定を結んでいる――っていう認識はそっちでも通用するのか?」


 確認するように、だが構えつつもセドが続ける。


「できれば、争わずに事を収めたいんだけど」

「ふむ、悪魔って好戦的なのばっかって教わったから、上から言われてる気分でちょっと新鮮だな」


 天使の少女は戸惑ったように笑う。そして頷く。


「それはコッチでも同じ認識」

「じゃあ――」

「っつーても、ここは他界だからあんま関係ねぇんだよな」


 セドの一瞬でも期待した表情を見てなにを思ったのか、彼に向けて少女は銃を向ける。二丁……その一対の銃は明らかに一つの的へと焦点を絞っていた。セドの表情は強張っている。状況と、相手が〈女性〉である点含めてもかなり彼にとっては不利な状況だろう。だが、容赦なく少女の銃口から弾丸は飛ぶ。目掛けて数発。一気に小豆のようなものが一直線を駆け抜けた。


 ――が


「は? 私の弾を全部避けたってか?」


 対象であったセドはものの見事に、咄嗟と言わんばかりに横へと飛んでは茂みへと座り着地する。弾の向きは確かに乱雑だった。幸いか狙ってかは知らぬがセド以外には当たらず。その彼自体も一発すら身に当てずに、軽く舞いながら避けたのだった。これには逆に少女が意外性からか硬直する。それからセドに対しての睨み。銃口向きはそのまま、セドも姿勢を変えずにただ銃と少女へと目線を向けていた。


「はん、面白いねぇ、てっきり鈍足だと踏んでたんだけどな」

「無駄だ」


 気をセドに取られていたのか、少女は間近にてかけられた言葉で更に硬直、目を丸くする。声の主であるイトスは金の髪、その頭側面に銃口を押し付けながら、容赦なく次の言葉を吐いた。


「あいにく狙った野郎は回避力が馬鹿みてぇに高いんだよ。特に銃弾にはな」

「おっと、全然気づかなかったぜ。気配もなかったし――」


 と、ここまできて至近距離のイトスに気づいた少女は、横目で彼を見ては言葉を失う。訝しげにイトスは眉を潜めるが、少女はその間に距離感を測るように数歩横へ後退しながら、これまで的を狙っていた碧い銃を地面へと向け下ろす。明らかに驚いた表情、イトスは不思議そうに目を細めた。


「んだよジロジロみやがって。それに不意打ちで撃つって無礼すぎんだろ、こっちのはなしもきかないで」

「その銃……と、左手。もしかしてお兄ちゃん?」

「は?」


 少女の言葉に思わずイトスの表情が凍りつく。その驚愕した空気は耳にした周囲にも伝わり……一番当人であるイトスがその沈黙に耐えきれずに言葉を撃ち返した。


「油断させようって魂胆だろうけどよ、銃持ってるからって理由でそんな冗談吐くんじゃねえ」

「違う……違うのお兄ちゃん」


 突如少女の覇気は崩れ下がる。まるで人格でも入れ替わったような声のか弱さ、それに若干動揺しながらもイトスは言葉の続きを疑り深く見つめながら待つ。


「あなたは、私のお兄ちゃんなの、恐らく……いや、絶対に!」


 あまりにも無茶がありすぎる。イトスはとりあえず信じるにしても、こればかりはそれこそ面倒だと大きく息を吐いた。驚いたのは全体的にそうであろうが言い出した本人はそれを撤回しない。それどころか――


「私はティティリアリア=ベネジェクテッド。能天使で、炎の大天使ウリエル様を先祖に持つ、長女です」

「いや、そういうの全然いらねぇんだけど」


 真面目に自己紹介を始めたティティは、自身の胸に手を当てながら、先程までの態度とは打って変わった様子を見せてきた。


 天使は悪魔とは逆に平和的で争いを好まないと聞いたことがある。案外これが本分なのではないかと思うのだが、いかんせん初見の印象が悪すぎる。全く彼女の言い口が理解できない。


「ベネジェクテッド……?」


 アシュロが少女の言葉を反復する。聞き覚えがあるのだろう――否、聞き覚えが無い方が可笑しい。


「お前、今なんて」

「ベネジェクテッドです。私のお兄ちゃんなら、同じ姓を持つはずです」

「いや」


 イトスは真偽はさておいて話を少しずつ整理していた。こういうときに天使の知識だの持っていそうな、こちら側の役割が席を外しているというのは実に不便であるとイトスは胸中嘆く。


「それは、お前の〈彼氏〉からきいた情報なのか?」


 それなら納得がいく気がしてイトスは確認したのだが、結果は即答といわんばかりに首を振られることで更に不信さを増す。


「母親から、聞いてることです。容姿とかも教えてもらっていますから」

「ちょっとまってくれよ」


 セドがやはり構えながら、イトスの代わりに信じられない表情で声を上げる。


「イトスは天使だったとか、それとも逆にアンタが悪魔で天使に変化したとか、そういうこと言いたいワケ?」


 冗談じゃない、ありえない。と、当然の反応を友人が見せてくれたことでイトスは若干安堵した。


 そうはいっても少女が頷くことで更に複雑な気持ちが泡立つ。と、いうのも少しずつだが、何故か〈あるはずもない〉心当たりが少しずつ自分の内側で浮かんできている気がするのだ。


「五年前まで、お兄ちゃんは天使だったんです。とはいっても生まれたときに大罪を犯したってことで、十年間、〈種族整理〉ができる歳まで幽閉されていたみたいだけど……覚えて、ないよね」


 寂しそうな表情をティティは向けてくる。作り話のような文句に呆れて物が言えないとはこのことか、イトスも得物で撃つ気が次第に失せていた。


 で、あるからこそ、彼は溺れさせたはずの過去の記憶をうっすらと思い出しながら仲間へと目を向ける。これまで黙っていたリィノは、眠たげにイトスと目を合わせた後首を振った。少なくとも半年前転生したリィノが知っているわけがないのは、イトスも理解している。


「五年前……」


 セドが特に目の色を変えることなく、至って普通に状況を口にし始める。イトスにとってまさに、その気の長い過去の時期を考えるのも面倒で、そもそもどうだっていい話じゃないかと、頭痛が神経を若干苛みかけていた瞬間の話だった。


「イトスは学園に転校してきた。転校自体は珍しいことじゃない。リィノみたいに転生して来ている奴らも居たし。で、イトスは〈記憶が無い〉って言ってた。気がついたら天界に居た……って」


 そういえばそうだった、とイトスはようやく思い出す。彼自身よりも遥かにイトスのことを把握しているのではないかと言うほど、セドは丁寧にそこまで言葉を紡ぐのだが


「でも、過去にどういうことがあったかとかは、俺は視たことが……いやなぜか〈視れなかった〉から、そこまでは俺も立証できない。運命が、大きく変わったからかもしれない」


 特に頼んだわけでもないのだが、申し訳なさそうにセドはイトスに目配せしてきた。


「〈種族整理〉を知ってる?」


 ティティが補足するように口にする。


「〈転生〉とは違って種族が変わる時、その人はそれまでの記憶を失っていることが多いの。だから……ごめんな。んなこといったってわからないに決まってるよな」

「いや――んで?」


 イトスはそこまで把握した後、ティティを睨みつけた。聞いている限りは妹であるのかもしれない。そうであっても、たとえそれが真実であろうがイトスにはどうでも良かった。再会を喜ぶことも、感情すら湧くこともなく、淡々とイトスは目を合わせる。頭一つ低い身長の少女は怯えるかのように見上げた。


「それを言って、何か俺達に関係あるってか?」

「妹なんだよ? 喜ばないの?」

「会ったことも、これから今後会うかもわかんねぇ、しかも種族違い。……俺はどうだっていい」


 冷たく突き放つ。遠慮でも、信じたくないからでもない。単に興味がイトスにはないのだ。そこまで言うとついに妹だと自称する少女は涙を浮かべる。続いての声は実に悲痛そうに絞り出された。


「私は、お兄ちゃんにずっと会いたかったんだ! 悪魔になったっていうのも知ってた。もちろん会ったことなかったけど、生まれた瞬間に銃持ってお母さんとお父さんを撃ち抜いたっていうのが、その過激な性格にずっと憧れてて、他の人に出来ないことをやってのけるっていうのがすごいと思ってて」


 感情的に、その声は続く。


「覚えていないかもしれない。会ったことないし。でももしかしたら分かり合えるかもって思ってた。天使の生活って働き詰めで厳しいから、〈自由〉にできるって素敵だなって、だから」

「で」


 まくしたてるような弾丸に向かって、イトスは自らの手を――利き腕ではない右手を差し出し制止の素振りを見せる。


「俺は全く興味ねぇ話なんだけど、同情得て何しようと思ってたんだ?」

「イトス……」


 心配する表情のセドを一瞥したあと、イトスはティティにもう一度目を向け――たかとおもいきや、そのままオルタへと視線を移した。不意打ちと言わんばかりに注目されたオルタは戸惑う。


「とっととその球の効果無効にしてくれ、こいつが同情煽って足止めしてるなら面倒くせぇから」

「ちが――」


 ついにティティは泣き出す。目に水の粒を大きく溜め、草むらへと雨のように落としながら、しかしイトスはそれを無言で見下ろし、そのまま利き腕を、銃口を再び彼女へと向けた。


「イトスさん」

「さっさとやれよクソ狼!」


 横目で、オルタを睨みつけ言葉でイトスは威嚇する。流石にここまで声を上げたのはいつ振りだったか。一瞬で喉の奥が痛くなる。オルタの後ろ姿をようやくそれで認めた後、座り込んで泣きじゃくりはじめたティティにイトスは容赦なく取手を構えながら得物を差し出す。肩から震える少女は気づいたのか体を強張らせた。……が


「売られた喧嘩は返さねぇとな、妹さんよ」


 そのまま引き金を引く。



 金属の音が、地面を掠めた。

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