Epi:S  自由とは何か

34

 まさか本当に鏡の先に世界が広がっているなど、誰が想像しただろう。碧々とした緑、深藍色の空に満月一つ。空間としてはもう目が慣れてしまっていた。しかしどこか大人しい空気を感じる。恐らく、目の前に佇む大きな白球体のせいであろうか。いずれにせよイトスには妙な感覚だった。


「ただの鏡にしか見えなかったのにな」


 ぽつり、そう零してしまうのも無理もない。独り言であったがそれを聞いて自分への言葉だと思い込んだのか、後からやってきたセドが反応を示した。


「景色が映っててそれで移動するって言ってたけど、何か俺達と違う風に見えてたのかも」

「変な住人ばっかだもんな。違いねぇ」


 作戦――と称された気がしたが、縁遠いほどの静けさにイトスは戸惑う。或いは所謂、嵐の前の前触れか。


 イトスは降り立った場所を振り返る。まるでこの空間が壁紙で出来ているかのように裂けた隙間から、先程まで居た空間が見え、つづいてアシュロがゆっくり通ってくる。魔法製品とセドが云っていたか、いずれにしても通る際そのような感覚はなかった。転移装置で移動してきた時の、無重力極まりないあの感触を今味わいたくはなかった為、その点に関してはイトスは安堵していた。


「これが、光宝?」


 リィノ、オルタと潜り終えると裂け目は役目を果たしたと言わんばかりに塞がっては継ぎ目ごと消えていく。イトスは文字通りにしか見えない球体にさして興味は無かったが、このような奇怪な物質に興味を示すリィノならその反応は当然だろう。近づかない距離でまじまじと球体を眺めていた。


「すごい、いわゆる神秘的ってやつね」


 一方アシュロの反応は、とにかく好奇心からによる物だ。


「奇跡って感じ。そういうアイテムなのかな」

「さあ」


 リィノの隣に立って景色含めて見回していたアシュロは、半ば興ざめと言わんばかりのリィノに気づいたか定かではないが、話の矛先をイトスへと向けてくる。


「奇跡といえば」

「何だよ」

「イトスって無関心決め込んでるけど、その割によく人を見てるじゃない?」

「さあな」


 突然過ぎて言葉を選ぶ暇もない。イトスは心にも無かった発言に眉を潜めた。


「暇だったら見てるって感じ。それでね、多分気になっただろうな、でも面倒くさいからって理由で言及しなかったことが有るんじゃないかなって思って」


 人差し指を口元に当てながら、彼女は自信満々に言うのだが、やはりイトスには解らない。恐らく興味が無いと言っても彼女のことだ。勝手に話は進む。で? 彼は聞き流すように軽く相槌を打つ。視線は向けない。そこまで大したことでもなく思いつきだろうから。


「ミッチーの手の話よ。あの子ヒビ入って魔力落ちてたじゃない。でもあんなおっきな魔術みたいなことができた。気にならない?」

「別に」


 間髪いれずにイトスがそう返す。


 確かに、ミドセの右手が荒れていたにも関わらず短時間で何事も無かったように振る舞っていた。だが理由は見当がつく。単純にかけられた水が乾いた事で痕が引いたか、自分たちの種族が、魔力ある限り運用される〈肉体再生能力〉が働いたか、或いは


「お前が応急処置――治癒能力使ったんだろ?」

「なーんだ、わかってたんだ、それとも説明された?」


 アシュロが両手を後ろで組みながら、ひらりとその場で半回転した。調子が良い。足取り軽やかに、もしこのまま踊るのであれば彼女もまた夢魔、この時間ということで一層に引き立てられた魅力で本来は見えているのだろう――少なくとも彼女の姿見に魅了されるものであれば。


 暇と言わんばかりに体を軽く空気に慣らしながら、アシュロは沈黙する空気を緩やかに切り分けた。イトスは答えずにぼんやりと見る。何も感じない。


「や、ないか。あんなに頑固だもんね。とにかく! 実際に他人に働きかける治癒能力ってそうそうなくてレアらしいから、それってまさに奇跡っぽいよねって話よ」

「お、おう」

「やっぱイトスに言ってもわからないか」


 アシュロは苦笑、そして舌を出して動きを止めた。そのままオルタへと視線を当てる、光宝眼前にただ立ちすくんでいた。


「オルタさん?」

「光宝、久しぶりに見たんだ」


 イトスの角度からみえたオルタの横顔、その目には球体の光が集束している。好奇に満ちているのか、ただの照り返しかは解らない。ただ息を呑む程の感想がでてくるあたり、おそらく前者なのだろう。


「いざ目の前に立つと、全てが――いや、目的を忘れてしまいそうで」

「オルタ」


 今度はその獣人に近づいていたセドが、長身の下から覗きこむように声をかける。


「さっき言ったとおり、運命を変えるには、お前が破棄する願いを叶える。それをすれば誰も犠牲にならないし、もう何か過ちを繰り返すこともないと思うんだ。俺にはその、役割の重さとか、解らないけどさ」

「セドさん、あの」

「大丈夫だって、やる分には至ってリスク……ううん、悪いことは起こらないし、俺達のためにもなるとおもって、やってくれないか?」


 普段通りの愛想でセドはそう説得する。専ら言い回しが仕事口調ではあるが、恐らく、性格的に考えて本心なのだろう。しかしオルタはまだ引っかかるような、なんとも言い難い表情をこちらにも向けてくる。桃色の瞳には、反射抜きでの怯え。


 相変わらず踏ん切りがつかないとでも言うのだろうか、イトスは舌打ちし、懐の銃を構えて脅しでもかけようと考えるが、気配ごと空気に溶け込んでいたリィノが、黒袖をイトスの前面に出しては静止の合図を目配せする。


「あのね、黙って聞いていたけど正直ヘタレすぎ」

「へた……はい?」

「腰抜けって言いたいの。そうやって自分の身を案じるワケ? 最初は森破壊したいとか言ってたのにアレも嘘だったんだね。それとも何? 彼女復活とかそういうこと願っちゃう? いや別にいいけどさ」


 オルタはいきなり話し始めた不満な声色に目を丸くする。無理もない、皮肉を言いがちな彼であるが、ここまで口数多く煽ることは少ないのだ。オルタの肩の強張りは目にみえて取れる。


「そもそも光宝だって一回だけ願い叶えるだけ、とは限らないじゃん? となると根本意味を成さないようにしないと、みんなみーんな不幸になっちゃうんじゃないかな?」

「でも、言い伝えでは……」

「久々に来たっていったけど、そのときでもいーや、実際に試した事とか、目の前で叶えてくれたのをみたこととかあるの?」


 リィノはイトスは背を向けているが、恐らく表情は失ったまま、雰囲気だけにつまらなさを纏いつつ言っているのだろう、オルタの怯えは続く。それでいて首を振った。


「こういうシロモノって結構クセ強いんだから。願いを叶えるなんて簡単にできて〈おわり〉ってものじゃない。影響力を考えてよ。それこそ、このままにしてる方が、この世界での〈吸血鬼〉のけーやくといっしょみたいなことにならない?」


 あくまで客観的に、リィノはそう紡いでいく。これにイトスは同情、説得力を感じた。


「狼さんよ、とっととやってくれるだけでいいんだ。クノンと、彼女? だっけ、知り合いなんだろ? あいつらが迷惑被ったらいやだろ?」

「それは」

「めんどくせぇな、セドが言うとおり、俺らとかあいつらの為だと思ってやったらおしまい、それでいいだろ」


 息を呑む音がした。ここには五名存在するが、たしかに一人に託すのは荷が重すぎる話だ。とは言っても連鎖を断ち切ることに何を躊躇う必要があるのだろうか。


「生きてる人も、死んだ人も、これ以上〈光宝〉を求めて争う必要や、悪いことが起こることも、本当にないんですね」

「ああ、さっさとやってくれ」


 鬱陶しい。陰湿なのか性格なのかはどうとして、苛立ちは既に募りすぎていた。イトスは銃を向ける。


「やらなきゃ撃つ。言っとくけど、外さねぇから」


 それゆえの言葉は、自分にとって予想外にゆっくりと、普段よりやや低めの声でイトスの口から紡がれた。最早命と交換条件にしなければ、この獣人はやりもしないのではないか、と思ってきたからだ。いつもなら体を張ってでも止めそうなセドが珍しく何も言わない。恐らく同じ気持ちであろう。もっとも、彼は肝を冷やすかのような表情で見守っているのだが。


「わかり、ました」


 銃口に脅されたからか、オルタは覚悟を決めたようにそう口にした。


 オルタがまっすぐに〈光宝〉を見る。何をするのかはわからない、彼は自らの手のひらを合わせ、なにか印をゆっくりと作っていく。


 黙って見守るのも飽き飽きとしてきたためイトスは目を泳がす。球体の近くになにか彫り記された石碑が植えられるように立っていた。遠目越しにオルタの指と交互にみると、石碑の形と同じような形を指で作っていく、願いをかける際にいくつか印を組み合わせる必要があるのだろうか。


 述べ十数の手の形、暗譜でもしているのか、確認もしないまま見事に、それが石碑最後の行を形成し始めると雰囲気が変わる。白の球体の光量が、眩すぎるくらいに増しはじめたのだ。


「ちょいと待ちな」


 ほぼ変化が現れた瞬間、そんな声が静かな森の中に大きく響き渡った。セドが感づいたのか、オルタを体当たりで押しては倒す。ちょうど空間があいたその場所に、光線のような物質が通過し、近くの樹木幹に穴をあける、そして煙。セドは思わぬ状況に、いつもなら睨みつけでもしそうな表情を悲痛な感じへと代え、イトスを見てきた。


「イトス、急にどうしたんだよ」

「いや、俺何もやってねぇし」


 続いてセドが信じられないといった目つきでイトスをみやった、念のための確認の色。たしかに得物である銃は腰元に戻されている、それを確認したのかどことなく安堵した様子だ。


「でも、この中で銃なんか、それに声も」

「声?」

「あれどうみてもイトスの声じゃなかったわよ、女の子だったわ」


 アシュロがすぐさま指摘しながらオルタに「大丈夫?」と言いつつ近寄った。イトスは首を傾げる。呆然としていたからか聞いていなかったのだ。


「じゃあ、一体……ともかく、直撃しなくてよかった、ごめんな、術式とめて」

「いえ、大丈夫です」


 セドの肩を借りながらオルタは起き上がる。そして幹の穴から出る煙をみたあと真逆の方向へ、ゆっくりと気配が遠くから動くのを感じたのか、オルタはすぐさま立ち上がると驚いたような顔を、今は暗がりで見えない方向に見せる。


「ティティ、さん?」


 声が届いた先に注目する。イトスはようやく気配を体で察知するがどうも人間や悪魔といった気配にしては柔らかすぎる。暗闇に視線を向ければ次第に月明かりが注目照明のように人を映し出す。


 金の長髪がやわらかに月の光を乱反射していた。表情まである程度視界に入ってくると、恐らくの寒色を灯した少女の瞳が笑う。


「私の契約の邪魔を阻止するやつは、獣人であっても阻止するぜ、オルタちゃん」


 鈴でも転がしたかのような声は月の使者や妖精だったとしても、少女という風貌にしては、まるで不釣り合いなほどの言葉遣いでそう言った。

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