32
何か確信でも得たような自信のある声の後、機転を利かせたように鳴り響く鐘の音。低音で、同速で、壁や床をも地鳴りさせるような。数度耳にした時計の報せ。十一、無機質に鳴り響いた。
「逆、走?」
唖然とした声を上げ首を傾げたセドと瞬間的に目が合う。イトスからすればその言動が、意味がわからぬか唐突に声を掛けられた驚きからかは定かではない。はっきりとする前に話主であるミドセが答えを告げた。
「逆走には様々な意味があるけれども、僕が言いたいのは君達が考えている思考を逆転させるってことだよ」
「いや、いやいや。そもそもどういう意味だよ。唐突に決定打みたいなこと言われてもわからないって」
戸惑った表情を見せるセドの顔色を一瞥していたのか、それから背を向けていたオルタがミドセの方へ顔を向ける。セドとは逆に彼は非常に冷静な瞳だ。
「思考の逆転、ですか」
「そう、本当だったら君が承諾して主にでもなってくれれば片付く話なんだけど、その様子だと全くやる気がないみたいだから。正直呆れたよ」
目を閉じながらミドセは、よく見れば腕に控えていたらしい分厚い装丁の本を早めくりする。オルタの目に動揺、迷うくらいなら従えば多少は楽だろうと思うのだが口にはしない。誰だって責任を被るのは面倒くさいものだ。
一方好機と言わんばかりに口角を上げるミドセの横顔が何を考えているのか。半ば状況に身を任せようとしていたイトスが感覚的に思ったことを口にする。
「正攻法じゃ無理……ってか」
「ご名答。だから改めて調べていたんだ。この森の仕組みをさ」
「最初から思いつけよんなもん」
普段の冷静さからは考えられないほどに――いや、説明をする時はいつもこの調子ではあるが、なにか追究している今の彼女はそれ以上に、ただし声色は淡々と――饒舌さを発揮するミドセにイトスは呆れから息を吐く。それに呼応するかのように金の目を細く彼に向けてくる。
「君達だけだったら一生理解できないような事象と手段を、より少ない手数で探り当てるなんて早々できたものじゃないと思うんだけど」
「お、おう……んで」
流すイトスの言葉は、明らかに興味がない。捉えたのか一瞬の硬直をもって表情を無へ落とし直したミドセが、探り当てた頁をなぞり上げた。
「これは一つの伝承。過去〈主〉が居ない時期は十年程度あった」
「十年も?」
オルタが驚愕の声を上げる。明確に信じられないといった表情がそこにはあった。
「恐らく。でも〈光宝〉は何人たりとも奪えなかった。だからこそ力と森を存続させて現在も特定の場所に封じられている、ということ」
「じゃあ、主にならなくても良い。と」
「確証性はないよ、伝承だもの。でも僕の友人がこの世界の出身でね、〈迷った時は動かぬように〉というしきたりで陣地を守ってきた。というから迷信ではないんじゃないかな。あと、最終判断は君であるわけだし。でも居間に堂々と鎮座していたこの本の内容を知らなかったから……正直資格ないんじゃないかな」
ミドセの小馬鹿にした調子が視線ごとオルタを突き刺し、不満か立腹からか、オルタが目を逸らす。イトスから見ても正論だ。それでも言葉を促す。
「長ったらしいのは良いから、とりあえず要点くれ」
「要点、ね。〈主〉にならない方法としては〈主を放棄する〉という願掛けを、〈光宝〉に対して主候補がすればいい。主と、主候補の願いはリスクを負わないんだとさ」
言いながらミドセはオルタへと視線を戻す。一方オルタは彼女に視線を返さない。ただ思い悩みがあるようで、どこか遠くをみているような気もした。
――正攻法じゃないったって今の状態で実現不可能だろ。
もしオルタが同じことを考えていたのだとしたら……イトスは代弁する。
「んなもん今から? クノンより前に〈宝〉の前にたどり着けっていうのかよ」
「そうだよ」
「冗談じゃねえ。〈疾風〉って名前がついている、多分天界じゃ誰よりもはええ足の奴に、今更どうやって追いつけっていうんだよ」
さらりと、いともたやすく口にするミドセに対して、突っかかる勢いでイトスは抗議していく。揚げ足を取る気はなかった。ただ現実味を考えると、どう考えてもそれは無理難題の羅列にしか聞こえないのだ。
クノンは足が速い。それに関してはイトスからしても第一印象として覚える程度の身体能力を秘めている。瞬きをすればそこには居ない程、しかも持久力にも長けている。そんな者と張り合えというのか――そうイトスが思案していると、ミドセはやや黙り込み、それからイトスへ再度体を向けた後、呆れたような表情と共に肩をすくめて見せてきた。
「やれやれ、本当に理解していないんだね、君は」
「あ?」
「まあ、無理はないか、〈利用した〉とき逃げたのは君だしね」
やたら癇に障る言い方に露骨に嫌悪感を含んだ表情をイトスは浮かべる。オルタが驚いた様子を目の端で見た限り、相当の顔をしているのかもしれない。愛想の悪さは自覚しているが、それもやけに気分が悪い。
「現在のクノンの状況は、時には結局呑まれていなかった。まず森の中を動いている。不思議と〈時に呑まれる〉状況の場所は避けているみたいだ。土地勘かもしれないけれども。この時点で不利だからわざわざ追いかける案は消去法で消える」
「で」
「〈光宝〉のある正確な位置を知っているのは〈主〉と〈主候補〉が絶対だ。だから位置を割り出してもらって直接〈そこの鏡〉から行くのさ」
一方ミドセは余裕の表情を浮かべてながら、親指でおおよそ鏡の設けられた向きを指し示す。鏡――イトスはぼんやりとしすぎた形状を思い出しつつ、疑問の仕草を単語とともに捻出しようとする。
「あの鏡ね、ぱーってワープする機能ついてるのよ!」
――と、どことなく心許ないが、思わぬ助け舟が背後から現れた。声の主をみやると、アシュロがいつの間にか近くで文字通りの体勢でこちらを上目遣いで見上げていた。熱でもはいっているのか両拳を握る手に力がこもっている。
「オルタさんのところに行くときに使ったんだ! 帰り方はわからなかったからミッチーに音で呼んでもらってたんだけど。あの鏡ね、こっちから決まった場所へ行くことはできるみたいで、ミッチーは多分みんなでわーっと行って、クノンを待ち伏せしようって考えなんじゃないかな!」
たどたどしく、しかも一息といわんばかりの早口はまるで空気ごと変貌させた。硬い授業のようなミドセの説教よりは幾分わかりやすい力説だ。それにしても体裁は必要だろう。イトスは主導権を奪われたミドセにとりあえず目を配る。
「まあ、簡単に言えばそんなところかな。納得した?」
呆れ半分だが肯定を示す言葉が返ってきた。イトスからすればなんとも信じがたい事を言っているように聞こえるのだが、否定して時間を犠牲に長々と授業が始まることを考えればと頷くしかない。
「んで、オルタの野郎が行って願掛けてきたら、クノンの野望っぽいのは叶わなくなるわけで。用済み、今から解散。ってことでいいんじゃねぇの」
「そう、彼の信頼度があればそうする予定だったけど。正直単独で行かせてちゃんとするとは思えないんだよね」
「セドも説得したいって行ってたし同行させりゃいいだろ」
「俺は、聞いてる限りそうする必要があると思っているけど」
黙り込んでいたセドが口ごもりながらも言葉を紡ぐ。確実に含みのある意味合いだ。
「けど? なんだよ」
「そのやり方だったら、大方安全に、それこそミッチーの言うとおりうまくいくだろうさ。やり方は」
「何、不満因子でもあった?」
どこか言いづらそうなセドの口ぶりに、ミドセが苛立ちを声色に乗せた。無理もない、これまで何も抗議しなかった彼から突然声が上がったのだから。促すようなその空気と態度にセドは困惑した表情を見せては首を軽く横に振る。それから今度は首を傾げた。
「支離滅裂でいいよ、今考えている事を教えて」
「クノン、だけじゃないんだよ。向かっているのは」
「は?」
「誰、だろう。とにかく人がいる。銃を持って、オルタの行動を阻止しようとしているんだ」
「イトスが、なにかするということかな」
銃。その単語で浮かぶ人物はイトスしかいない。それはイトスも理解しているし、ミドセなら尚のことだろう。確かに今のイトス自身の心情なら苛立ちで発砲もしかねないが……対してセドは青い眼に星を宿しながら頭を振った。
「いや、イトスじゃない。女……? 金髪で、青い眼で、人間かはわからないけど。腕利きっぽくて」
「ティティさんですかね」
悩ましげなセドの単語を拾ったのはオルタだった。イトスも、空間にある大部分の視線もオルタへと集中する。聞いたことの無い名前だ、勿論セドの言う特徴も。その注目にオルタは動じたようであるが、すぐに息を整えた。
「クノンさんの、恋人です。優しいんですけど害獣が現れたときに、拳銃、っていうんですか? それを撃って助けてくれるすごい人なんですけど、クノンさんが言うにはたしか……せんとーきょー、ってやつで」
「なんか、すげえ奴だな」
言い終わらないうちにイトスは息を吐き、続ける。
「で、セド。そいつが発砲して阻害してくるって言ってんのか?」
「恐らく、なんでそんなことするかまでは、わからないんだけど」
「んじゃミッチーが一掃したら片付くんじゃねーの」
「確かに、効率的に事をなすならそうしたいところだね」
淡々と、今度はまるで他人事のような口ぶりでミドセが発したことで、更にイトスは眉間に皺を寄せた。
「なんだよ、まさか今度はお前が逃げようっていうんじゃ」
「君程腰抜けではないから。そんなことはしないよ」
イトスが煽るように語気を強めると、それに乗じる勢いでミドセの言葉が返ってくる。そもそも彼女とは意思の疎通が容易にできないのだ。いつこの空気が崩壊してもおかしくない状況。ゆえに苛立ちが状況に構いなく連なってくる。
その空気を割ってきたのは一つの欠伸だった。音に向かっての視線の移動。これまで眠っていた一つの少年の覚醒の合図だ。
「銀だからさー物理的に移動できないんだよ、イトス」
開口一番、ふわりとリィノは単純明快に、回りくどい言い方を出口へと追いやる。
「もーめんどいでしょ。ミッチーは弱点とか言わないんだから」
「弱点というわけではないけどね」
「いーわけしなくていいよ。多分ミッチーは遅れて直接来てくれるから、その間このおにーちゃんの監視と護衛みたいなことをして。さっさと家に帰って寝るってプランにしたらいーんじゃない? そしたらセドも心配が減って無事かいけつってやつ」
さらりと、いつから聞いていたかわからないリィノの言葉が集束する。瞳はまるで提案するように向けられた。
「あとはみんなしだいだよ。特にどーするの、イトス」
「どうするったって」
イトスは未だ気乗りしないのだが、大きく息を零したあと、口論を中断したミドセへ目配せするように視線を向ける。勿論赴くとなっても行動するという段階を挟む為面倒なことこの上ないのだが、反して辞退を決め込んだところで説教が増えることを考えると、どちらが心身共に楽かが見えてこないのだ。
それを見透かしたのかは解らないが、視線を浴びたミドセはなにか思い出したような表情をした後、淡々とイトスに向かって、まるで予防線でも張るかのような口ぶりで
「仮に君が此処に残ると仮定しよう。取り残されるとなればここを後にした僕達が迎えにくるとは限らない。その場合君が天界に戻ってこられるか」
といつも通り言葉を積み上げる。ミドセからしたら、アシュロの力説も、リィノの提案も自分への肯定と取っているのだろう。苛立ちの態度を余裕さへと転換したのも恐らくその為だ。
そういえば帰還方法を考えていなかったと思い出したイトスは、やはり流されるまま従うべきなのか。と思いつつも、判断的に曖昧な位置にいる自分の友人へと目を向けた。残念ながら付き合いの浅いオルタはここでは意見としても信用としてもあてにならない。正気を取り戻しているらしいセドは目をこちらに合わせたあと、どことなく申し訳なさそうにも見える微笑みを浮かべてきた。
「なんだかんだで、イトスが手伝ってくれるって俺知ってるから。見てるだけでも良いから、一緒に行ってくれないか?」
何回か聞いたことがある言葉。くどい程に耳にはしているのだが、表情と裏腹に強制力が半端ない。ぽつりと、セドにイトスは問う。
「お前のその〈未来〉かなんかに今のところ俺はいるのか?」
「いる」
「無事に俺、天界に帰れる?」
「そこまでは、でも事はお前がきてくれたら上手く片付く」
巧みに乗せようとしているのか、事実かまでは解らない。しかしセドの性格上、危険因子があれば真っ先に言葉を口にすることは知っていた。と、なると若干引っかかる部分がある気もするのだが――考えても仕方がない。イトスはそこでようやく重い腰を上げて首を縦に振る。
「んじゃ帰れるっぽいなら行く。さっさと片付けて、とっとと家で寝たい」
「ほんと、セドが言うと簡単に頷くのねー」
何か好奇な目と口ぶりを見せるように、アシュロが場の状況を含めて茶化してきた。イトスは空気には染まらないようにひらひらと手で制するようにアシュロへと向ける。
「めんどくせぇんだよ、お前らと違って……で、ミッチー、結局お前はどうすんの」
言いながらイトスが言葉を投げると、一考した空白を作ったミドセが、イトスへと視線を向け直してきた。
「〈吸血鬼の呪い〉を始末してから、霧にでもなって合流するよ」
「お前、まだそんなこと言って」
「どの道始末は、いつかしに来ようと思っていたんだよ。僕の場合片付きさえすれば小細工のかかった鏡よりも楽に移動できるしね……セド、この計画の中に危険はあるかい?」
「いや。あったら俺止めてる」
「と、いうことだよ。何か異論ある?」
悠々とした計画を展開したミドセがイトスへと言葉を打ち返す。正直結果さえわかればどうでもいいと思っていたイトスは首を振ろうとし、早めに切り上げようとした。
「〈吸血鬼の呪い〉は、誰が仕掛けたか。教えてくれませんか?」
オルタが、その流れに割って入ってきたことで、イトスは舌打ちする。できれば早くこの湿りと重い空気から解放されたいと言うのに。
「お話を聞いている限り、貴方は理解しているようですから。お答えいただければ、〈光宝〉の位置を含めて協力します」
「なるほどね」
突如オルタの弱腰が真摯となったことで空気が一転する。状況を察するに主を放棄するとしても住人としては気になるものなのかもしれないなと合点がいった。もっともイトスにとってはどうでもいいのだが。
質問を投げられた主、ミドセを見やる。彼女は首を軽く捻ったあと、相も変わらずの口調で、オルタを視線で捉える。答えを口にするのは思った以上に早かった。
「〈幻術を操り惑わす〉力を持つ輩が僕達の世界に居てね。あちらでは薬のような役割に使っているのだけど、こちらでは毒になるような役割を〈置き土産〉としてこの森に置いているみたいなんだよね。吸血鬼と契約したから〈吸血鬼の呪い〉だなんて名称がついているけど、その輩がしでかしたことさ」
「幻術?」
続いてセドが聞きなれないと言わんばかりの声を上げる。イトスも耳にしたことはない。
「生活に馴染みすぎて大分薄れているけれども、大掛かりに稼働している〈能力〉があるんだよ」
一体何のことを言っているのだかイトスには考えもつかなかったが
「その主が誰かまでは特定できてないのだけども」
最後の語気を囁くように言ったミドセの言葉を耳にしてしまい。言及する気力ごと思考の奥へと追いやることにした。
「そうですか〈呪い〉の具体的な性質はわからないのですが、お婆様が困っていたのを知っていたので……今回の件、協力しますので、始末してもらえるのならお願いします」
どこか安心したのかもしれない、そんな言葉を紡いだオルタの表情はやっと柔らかく笑みを浮かべてみせてきた。
「その決断を、もっとはやくしてくれたらすんだのにねー」
御尤もだ。そう感じるような事を代弁してくれたのはリィノであった。
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