31

「神様……」


 桃の目は然るべき状況と言わんばかりに丸くなる。無理もない。〈神様〉と云う単語が出て来る時点でそれはもう尋常ではないのだ。仮にその名を一番乗りに上げたトゥティタが知っているということが、この〈亜の民〉が伝承してきたからで、だからこそオルタがその話を知っていたとしても、明らかに目の前の――しかもこの世界では型破りであろう姿をした空色の男が〈神様〉だなんて到底受け入れがたい話だろう。


 何度かオルタはセドから目を離したり焦点を合わせ直したりして様子を伺っていた。繰り返しを目の当たりにしたセドが肩をすくめる。


「〈占い師〉だけならここまで不審がらなかった気がするんだけど、なんで余計な事言ったんだよ、リィノ」

「えー、この森で有名な話ならしんじてくれそーじゃん。なんなら〈かみさま〉とか言ってきた証人連れてくるのもありっしょ」


 状況が曖昧な境目にあり、互いに納得の行かなそうな口ぶりを、セドとリィノはそれぞれに交わし合っていた。怒気には至らない、ただ不満だけを連ねるような表情。対してオルタは不信感を視線に浮かべながらも様子を伺っている。畏怖するよりは不安である雰囲気を見てなにか察したのか、まるで手懐けたかのような手つきで、オルタの背後にいた少女――アシュロは艶やかに質量豊かなオルタの桃色の髪を掬うようになで上げていた。


 半ば蚊帳の外に自分がいる様な状況下で視線を送りながらイトスは発言主を待った。あまりにも退屈で無意識にも腕を組んでいた指に力を込めてしまう。本当にさっさと解決する気がないのではないか……欠伸をするほどの悠長さ、とは言っても自分がまとめたり先導するというのは実に面倒だ。イトスはその中間をひたすら彷徨っていた。


「ね、なにがそんなに不安なの?」


 苛立つ程の気まずい空気を薙ぐように言葉を口にしたのはアシュロだった。優しく、そして緩やかに、彼の髪を梳き上げる指をもどかしいほどゆっくりと動かしながら。しかしまたもやの沈黙が始まりかけ、イトスはその動きを含めて募った嫌悪感から何かしら言おうと口を開きかけた。オルタが出し惜しみするかのように言葉を捻出したのはまさにその時である。


「アシュロちゃんが〈イレイサ〉っていう、何かの……誰かの目的を代わりに引き受けてこなす、実行屋みたいな仕事をする場所に所属している、というのは解るんだ」

「うんうん、合ってるわ」

「きっと、この方……セドさんも仕事の一貫として話を持ち出してくれたんだということも解るんだけど……自分自身、占いをあまり、信用していなくて」


 その声は小さく、囁くように鳴る。位置としてはやや距離を置き、退屈しのぎに損傷の出ていない丸太壁に背を預けたイトスの耳に届いたのは、単純にそれなりの聴力があったからだろう。全体に届いたのかは定かではない。


「うーん、占いを信じていない、か……だって、セド」


 アシュロは動きを継続しつつ、言葉を代弁するかのようにセドに向けては丸い視線を合わせた。判断だとか説得であるとかは自分ではできないという表れでもあるのだろう。少なくともイトスにはそう見えたし、あながちそれは間違っていない気もする。何しろこれまで彼女が判断した、という状況がこの緊迫した最中あまり見受けられないからだ。


 そうであればとイトスは黙しつつセドへと焦点を代える。そっか、とセドは若干困ったような笑顔で言葉を零し、それから一度、瞳をゆるやかに閉じたあと、静止。間もなくオルタへ再度目を開き向けていた。横からの角度で見ても間違いなく、セドのあの目は〈現実ではない〉場所を視ている。やや離れた距離のオルタが見る限り焦った様子でも、驚いた状況でもなく、ただ様子を伺っているだけのように見えるのは、微細な変化だけを施した目の色に気づいていないだけなのかもしれない。ただやはり注視されるという事実には〈亜の民〉としては疑問を抱いたようだ。


「な、なんですか?」


 短い時間であれど、何かしらで関係性が砕けたアシュロとは打って変わった丁寧な口ぶりへと戻ったオルタは、不審と不安が混じった声色をセドへと投げる。それでもセドはすぐ言葉を返さない。恐らく聞いていない可能性も考えられるが


「クロスチェレスタ、森の番人」


 至って自然に繋げるように、沈黙を短く重ねた後セドから言葉が出てきた。とっさにオルタへイトスが視線を向けた。明らかに驚いた様子。ここでなにかしら動きや言葉の意味を詮索する必要はない――イトスは相も変わらず状況だけを追うことに徹する。


「隣の森が消えた日、そこの住人が〈禁忌〉を破ってしまったばかりに滅びてしまった。その理由はまだ受け入れきれない感じ、なんだよな」

「あの、それを、どうして」


 文字通り狼狽。先程筒抜けとなってあまり聞いていなかったが、状況を見るに口にはしていない話題だったのか。セドをみれば未だ此処を見ていない青の目で、確認しつつ未だ見ている。それでもオルタの言葉は耳に届いたのだろう。


「〈真実だと伝えるには、実際に示せばいい〉……って言う奴が知り合いにいる。俺はそれを示しているだけ」


 そう言って持ち前の愛想をそのまま表情として浮かべていた。何度か響いた鈴の音がもう一度鳴り、突如外の音は弱くなっていく。状況の一転、それは外だけでなく、内側でも起こっていたようだ。オルタは胸をなでおろしたのか、セドに向かって頭を下げた。


「やっぱり、お願いしてもいいですか」

「ああ、最初からそのつもりだったし……信じるも信じないも、最終的には自由だから」

「おー、あっさりとくだけたねー」


 緊迫した空気が一層削れたところで、ようやくかといわんばかりにリィノはからかうように口を開きオルタへと投げていた。申し訳なさそうに目をそらしたオルタに対して、セドは大きく息を吸い込みながら風穴を一瞥、それからイトスに目を向けてきた。イトスは睨むように返す。


「なんだよ」

「いや……なあイトス、ミッチーなにしてんの」

「さあな、けど」


 イトスはふと自分の直感を乗せて風穴を見た。重たい空気はだいぶ収束されている。疲労を募らせながら気配を探ることに集中する。


「死神の独特の奇妙な気配は周囲には感じられないんだよな、後は――」

「帰り方が解らない馬鹿を丁寧に帰してきただけだよ」


 ぽつり、言葉が耳に届いたのはその半ばのことであった。いつの間にか風穴……ではなく逆方面の入り口の前に立っていたのは紛れもなく今までこの場にいなかった〈ミドセ〉そのものである。厚手の書類、位置として背面を閉じたまま片手で弄る彼女は淡々と言葉をイトスの言葉に継ぎ足す様に口にする。セドは目を丸くした。


「おま、いつからそこに」

「何時だっていいじゃないか。それより占いでもするんでしょ。少し調べ物をするからその間に片付けてよ」

「調べ物って」

「君が主候補さん? 少し同胞をお借りするね」


 投げられる質問に目も暮れず、金の瞳はオルタを射抜き、それから扉の奥へと出て行く。何を考えているか、イトスは見当もつかなかったが、唐突に何かしら情報を入手することに没頭するのはいつものことだ、と特に気にしないことにした。――もっともセドは不満そうであるが。


「セドさん、占いって言いましたが実際どうするんですか? 何をしたらいいんでしょうか」


 息づいてからの発声。オルタの言葉でようやくセドは表情を戻し、視線も彼に戻してくる。セドの占い、といえば大方やりかたは一つだ。ゆえに静寂は然程長くは続かない。


「異世界の……俺達の来た世界は別なんだけど、その場所とも違う。別の世界の絵がついた札を使うことが多いんだ。ここで通用するかはわからないけれども――やる場所はっと。床、でもいいか」


 セドは周囲を見回し、比較的汚れや埃などない場所まで進むと腰を下ろした。そしてオルタを一瞥しては手招きする。不安と共に抱く表情は意外そうな、心外であるといった色がオルタからにじみ出ていた。それでもアシュロから体を離し腰を上げると、おずおずと一歩ずつ脚を進めてセドに近づいている。表情はそれでも変わらず複雑そうな表情をしながら。


「異世界。ですか?」

「あー、うん。異世界っていうのは……」

「そうなんですね、アシュロちゃんから聞いた時びっくりしたのですが、その様子だと本当なんですね。安心しました」


 続いては若干安堵した表情を移し始める。セドが言い終わらないうちに理解したということは何かしらあったのだろう。そうして少し距離をセドとあけつつ、四つん這いのような形で座り込んだ。


 セドは上着の裏の小袋からカードを取り出す。青で構成された上下対称の、まるで天体のような装飾。その束を無作為に手の上で切り分けては、規則性でもあるのか数枚その柄を向けたまま数枚で形をつくっていく。目の色は正常。本職の血筋である彼は手際の良さと、イトスには到底理解しがたいような、裏返した先に書かれた絵札の意味をなぞっては読み上げていく。


「ここに書かれている絵が今後を指す媒介みたいなもので……」


 セドはオルタの顔色を伺いながら、できるだけ意味を彼なりにほぐしながら説明していた。――が、イトスにはどうでもよかった。


「なあ、アシュロ」

「んー?」


 気がついたら案の定うつらうつらとした表情で座り込んでいたリィノを横目に過ぎ去り、イトスはアシュロに近づいては問いかけた。


「お前は、ミッチーの親友なんだよな?」

「そーよ」


 平常通りの明るい声色をもって、アシュロはイトスに目を向けてくる。それに対してのイトスの表情は相も変わらずだ。


「アイツは結局何がしてぇのかわからないのか? なんも言わずに行っちまうしそもそも調べ物ってなんなんだよ」

「んん、どうなんだろう」


 難しそうな顔をしてアシュロは首を傾げる。やっぱわかんねぇか、と諦めて息をついた刹那、意外にも返答が続いた。


「でもね、確かイトスとセドがどっか行っちゃったときに、ミッチー言ってたのよね。〈吸血鬼の呪い〉がーって」

「ああ、それは俺も聞いた。そういうの正直どうでもいいよな」

「私もそう思ったんだけど、〈光宝〉っていうのは 〈吸血鬼の呪い〉が解けないととれないーみたいなことたしか言ってて」

「〈光宝〉なあ……」


 度々耳にするその名前。イトスの覚えている限りでまとめると、〈所有者となった者〉の願いは叶うがその関係者に何かしらが起こる。その願い守る為の主になるか否かが今オルタの中で問題が起こっている。そしてクノンはそれを取ろうと躍起になっているのかもしれない。ゆえにこの広大な森の中で行方不明となっている。状況については居間の鏡で解るようではあるが……ひとしきりイトスは思考し息をついた。のしかかる疲労感。ただ不思議と慣れてきたのか倦怠感は先程よりは薄らいでいた。


「なあ、アシュロ」

「今度はなーに?」


 イトスはもう一度問いかける。


「クノンの言う〈自由〉って何だろうな」

「そりゃ、天使の彼女と禁断の愛を結んでもお咎めのないルールよ」

「あー、お前に聞くのが間違いだった」


 イトスは後悔しつつもう一度肩をすくめた。自由か……そう、もう一度思考を回した瞬間に頭の中に衝撃が走ったような感覚が起こる。


「本質は〈正義〉の正位置。ええっと自分の中で納得が行かないから何かしら行動して示したいって気持ちはやっぱりあるん……イトス?」


 その、どことなくいつもと違う様子に驚いたのだろう、解説中のセドは手と口を止め、イトスへ目線を向けた。オルタも続く。やや早足気味、それはドアの引き戸に手をかけ、乱雑に音を立て開く、移動しながら、イトスは口を開いていた。向けたのは居間の先。


「ミッチー、〈吸血鬼の呪い〉は解くな」

「は?」


 本の山の近く、その床で書物を手にとっては座り込んでいたミドセが訝しげな視線を向ける、背後にいて様子を眺めていたクトロカは丸い目を一層に、丸くした。


「アイツがやろうとしてるのは、多分〈自由〉に対する自分を使った証明だ。恋愛は恐らく二の次なんだよ。だからクノンの場所わかってんならそこ移動して無理やり天界に連れて帰って……俺はとっととこんな世界から帰りてぇ。遠回りな事すんじゃねえ」


 思わず出た言葉は、イトス自身が驚く程に感情的だった。


「はあ」


 ミドセは少しの間隔の後重い息を吐いた。視線は呆れた様子で、イトスをしばらく見つめていた。


「そうだね、ちょっと僕も誤算だったよ。君がそこまでいうなんて思ってもいなかった」


 そうやってミドセが本を閉じると、後ろにいたクトロカに後ろ手に本を渡した。重みでもあるのか、細身のクトロカは覚束ない足で体勢を整え直そうとする。ミドセは体を起こすと小首をかしげ、それから不満そうな表情をみせた


「本当に君は先刻の話聞き流していたんだね、呆れるよ」

「どういうことだよ」

「恐らく〈光宝〉のもとにクノンを辿り着かせたくない。という意味合いで君は言ったんでしょ。その口ぶりだとアシュロから情報得たんだろうけど。でもそもそも〈光宝〉は次の主が決まった時点で固定化される。だからその後の対応を僕は調べていたんだよ、あとは「光宝」を守る別方法もね。ついでにいえば〈吸血鬼の呪い〉は本当に別件。今はほとんど関係ないよ。僕が動きにくいだけだし」

「えっえっ……」


 聞いていたのか、アシュロが目を見開きながら扉の隙間から顔を出す。


「あれ、〈吸血鬼の呪いが解けないと光宝とれない〉って言ってなかった?」

「言ってないよ。相変わらず勘違い甚だしいね」


 気が重いよ。と言わんばかりに肩を落とすと、今度は質問する素振りをミドセが向けてきた。


「で、主の気持ちはまとまったわけ?」

「それが」


 アシュロは喜ばしくなさそうな表情を見せる。オルタの声が聞こえた。


「セドさん、やっぱり無理です。こんな重い役回り……やっぱり」

「おや、全く手応えないみたいだね」


 ミドセがイトスに近づきながら言葉を紡ぐ。


「で、どうすんだよ。もう俺、これ以上あんまり考えねぇから。その別方法あるならそれでも提案してくれよ」


 イトスは内心襟首でも掴みたい気分だが、余力もない。だからこその訴え……軋むような床の音が突如止まった。難しそうな顔をしているかとおもいきや、案外ミドセの表情には余裕がある。


「ああ、そうしようか。この森の民は本当に役に立たないからね」


 そのままイトスとアシュロの間を横切り、恐らくまだ座っているだろう、重たい空気の二人に向かって、ミドセは勝機でもみつけたような声色で言葉を投げた。


「もういいよ。さあ、〈逆走〉しようか」

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