30

 イトスは改めて状況を確認した。やや開けた空間に乱雑に寝転がされた姿は二つ。気を失っていると思っていたのだが、そうではなかったらしいセドが肩で息をしながら、青い瞳を細め、ゆっくりと体を起こしては座り込む。呼吸を整えているのが見てとれるため、イトスは一度焦点を別方向に定めた。


 もう一人こそが重要な存在だ。全身に淡桃色を基調とした体毛を纏っている体は、明らかに自分たちとは外見の構成要素が違う。〈亜の民〉の特徴だと言われるならば違和感はないのだが、彼もやはり同じように、体毛よりは濃い桃色の短髪を生やしていて、たとえばトゥティタと同じように、両斜めにむかって動物的な耳を伸ばしていた。骨格が違い、伸びた鼻の部分がときおり微かに動く――そんな姿は見慣れないイトスにはやたら奇妙だ。立ち尽くして訝しげにそれを眺めていたイトスを、アシュロが下から覗き込んできた。


「これでも随分説得したの!」

「説得……はぁ、話が読めねぇけど。そうなのか」

「関心うっすいわねぇ相変わらず」


 アシュロは舌舐めずりしてみせたあと、覗くのを止めていまだ開いていない獣人に近づき、自らに抱き寄せた。そして指を差し示す。


「えっとね主となってもらうことをお願いするために、私はミッチーに頼まれてオルタさんにお近づきになったの。でもやっぱりオルタさんは渋っててね。なんとかこう、色々と仲良くなることで、いいよってお話になったっていうか」

「とりあえずソイツがオルタっつー奴で、んで、お前がなんか変なことやらかして、結果オーライってことか?」

「変なことって何よー! でも、うん結果オーライかも」


 むすくれながらもアシュロはそう言っては頷いた。彼とアシュロの間で何があったか言及しないにこしたことはないのだが、言葉の端々から垣間見える彼女の〈色欲〉を司る性格が全てを聞かずとも悟らせてくれる気がした。イトスは重たく息を吐く――と、そのせいなのか、関連性はさておき、体が軽くなった。右腕の方向をみやると、リィノが音も立てず至って自然に体を離しては自立していた。彼は首をゆっくりと左右に傾げ、じっとりとした瞳で周囲を見回した。


「あれ、おさまった? ふー……」


 それからリィノは先程とは違い冷静さを取り戻したようで、ゆっくり猫の様に柔らかい体を逸らした後、大きな欠伸をした。こちらもどうやら大丈夫そうである。仲間の無事を確認したあと、イトスはすっかりと思考から抜け落ちていた壁際に目をやった。霧の壁が張られたかのような白い空気は、その奥を覗き見ることや、注視することすら許さない。退屈しのぎにそこに近づいては霧の世界に手を伸ばすと、程よい清涼感をもった湿り気が腕を撫でてきた。その感覚はまるで水の如く、加えて耳をすませば聞こえてくる鈴の音が、姿こそみえないがここには居ないミドセの状況を暗に示している気がした。


 性分ではないが、状況を把握するに越したことはない。念のためイトスが今までにみた人の気配を数えていると、いつの間にか立ち上がっていたらしいセドの声が心配そうに名を呼んできた。


「どうしんだんだ、イトス?」

「いんや、なんでも。お前は大丈夫なのか?」

「ああ、全然平気……まったく格好悪い所ばっかみせちまった」


 苦笑しながらのその声は、平穏さを表すかのような口ぶりではっきりとそう唱えるように伝えてくる。どことなく、声がまだ震えている気もしたが、状況が状況なだけに無理もない、それでもイトスからすれば気を揉む必要などどこにもなかった。できればこのまま平和に物事が片付いてくれとイトスは願うが虚しく、折悪く言葉が疑問調子でセドがら発せられる。


「ところで……死神、あいつ一体最後、なんだったんだ?」

「俺に聞くなよ。ただ……ま、多分お前と今回は同じ形なのがみえていたんじゃねぇの?」


 実際はその正体が〈吸血鬼の呪い〉だと推論されたことは、この答えのあとすぐ彼の思考内で思い出されるわけだが、イトスは面倒さ故に訂正はしなかった。本当に必要ならば、恐らくまた話題を誰かしらが出してくれるだろう。


 改めてイトスは肩を鳴らして息を吐く。そうして居間の真ん中に戻ると、アシュロの腕の中の桃色の瞳はゆっくりと開いた。完全な円形をみせたとき瞳孔は特徴的に大きく、一瞬だけ気味の悪さを感じた。中々このような瞳に天界では出会えない。


「あ、オルタさん、おはよう」

「アシュロちゃん……おはよう」


 落ち着きのある鼻にかかった声が若干低く、なだらかな言葉として〈オルタ〉と呼ばれる獣人の口から捻出された。その表情はアシュロをみやると少しやさしく。ほっとしたような状態へと変化する。


「アシュロ、お前本当に……なにやったんだ?」

「なーにもしてないわよ!」


 もはや後ずさりしたくなるような空気にイトスは言葉を詰まらせると、急に焦った様子で声を荒げたアシュロは頬をふくらませる。一方オルタは驚いたのか頭部についた耳を、まっすぐと張った。


「アシュロちゃん、この人達は?」

「ん……あぁ、さっき言ってた仲間の子よ。お友達なの」

「そうですか、皆さん、なんだかこの森でご迷惑をおかけしたようですみません」

「ああ、まったくだぜ」


 思っていたよりも丁寧な言葉を向けられ、イトスが不愉快露わに言葉を吐き捨てるが、逆に何故かセドがそれに伴ってか、はたまた別の意味でか、黙しつつ会釈をした。残念ながらそれには気づいていないように、その桃の瞳は周囲に動かされた。


 場所は把握したのだろうが、オルタは外部からの湿気で大分色素のとれた床の赤を目に留めては、居場所から大きく腰を下ろしたまま後退した。驚愕は無理もない、準備もしてなかったであろうおぞましさに染まった表情が、その色をただただ信じられないと言わんばかりの調子で、縫い付けられたように凝視していた。


「大丈夫だってば!」


 アシュロはそんなオルタを宥めるように、背後から腕を回す。


「あなたに危害は訪れないわ」

「でも……やっぱり。本当に婆様は」


 言葉を詰め、そしてオルタは咳込んだ。何があったのか、状況を、時間経過ごとに忘れているイトスは全く理解すらできないが、そんなことはつゆしらず、オルタの背をアシュロが気を配ってか軽く数回叩いてみせた。結果オルタはあまり時間をかけず、次第に顔色を戻し、落ち着きをみせてくる。


「改めまして、俺がこの森の次の……主、に指名された者です」


 言葉は一音ずつはっきりと、理解ができる言葉をオルタはそういうのであるが、語気に強さを感じる反面、どことなくやるせなさを感じた。イトスはそこに不信さを感じつつも、手短にを促す意も込めて、掌を翻す動作を見せながら口にする。


「んじゃ早速だけど、俺らに迷惑をかけているって自覚あるなら、さっさと主になってくれね?」

「森の奥に存在する宝を守るために、ですよね……それはアシュロちゃんから聞いています」


 本題を向けた途端、予想はしていたものの、不意に神妙な面持ちのオルタは、どうも釈然としない表情で返答を濁らせてきた。そんな様に唾を吐くような顔でイトスはアシュロを睨む。


「な、アシュロ、本当に説得したんだろうな? アイツほどお前が上手くやるとは思わないんだけど」

「ちょ、そんなこと……ねぇオルタさん、まだ渋っているの? ただ主になるだけでいいの」


 アシュロはやはり追い詰められたような口調をイトスには向けるが、オルタに対してはどことなく色艶が声に含まれていた。その温度差への違和感は、鈍そうなリィノすら感じたらしい。イトスが横目でリィノを見るとやはり煙たそうな表情でアシュロを見ていた。アシュロの特技ではあるらしいのだが、イトスはいつまで経ってもその魅力やらに関心を向けられない。理解し難い要素の一つである。


 一旦の沈黙が続いた。気まずさとの中間。誰しもが言葉で本題に戻すのには大分苦慮するような状況である。黙することでオルタが再考しているという推測もできるが、それでも居心地の悪さはどんな状況下でも最悪な気分であることを嫌というほど刷り込まれている。


 イトスが耐えかね、言葉にしようとしたのと、普段滅多に割って入らないリィノが口を開いたのはほぼ同時だった。そのため先手のリィノの呼吸に気づいたイトスはすぐさま閉口する。


「オルタさんはアレ? ふんぎりつかないってやつ?」


 実に単調な問い。オルタは少しそれに戸惑うように目を泳がせると、しどろもどろな言葉と共に頷いた。


「少し、アシュロちゃんだけではなくて、皆さんにも話しを聞いてもらいたい」

「嫌って言ったら?」

「それは……」

「んなめんどくせぇことなんで巻き込まれた俺らが引き受けないといけないわけだ?」


 イトスはまるで銃で言葉を撃ちこむように、相手に投げつける。否定的なその様にオルタという獣人は案の定萎縮するが、意外にもそれを阻止する者が飛び出してきた。まるで体を張るように、あまりにも突拍子もないことであった


 ――まさかこの状態の最中そのような存在が自分の眼前に現れるとは、イトスは目を疑う。だがこの有様。ただ呆然と、睨む気力もないままそれに疑問を投げるしかない。


「セド、どうしたんだよおい?」

「聞いてやろうぜ。今外にも出れない俺らができることって……いや、俺にできることもざっと考えてこれくらいしかない」

「ミッチー居ないけど、いいのか?」

「むしろアイツがいて話しづらくなる可能性だってあるじゃないか。だったらいま居る面子の中で、話を聞いてあげたほうがいいとおもうんだ」

「でもお前、あんまり時間ねぇぞ?」


 確認するように、イトスは言葉を投げるが、セドの返答は恐らくこの状態だと歪まないだろう。セドはそんなイトスのこわばった表情を見て、微笑んでみせた。


「まだ、時間はあるんだ。一つずつこなせば、糸口がみえるかもしれない」

「んあー、もうめんどくせぇ、わかった」


 そこまで言われると反論するのも面倒臭さを感じてくる。観念したかのようにイトスは床に割り膝で座った。ありがとな、セドは柔らかくイトスにそう言ってみせてはオルタに目線を向けはじめた。


「話してもらえるか?」

「いいですけど、その、もう一人いらっしゃるようで」

「大丈夫よ」


 オルタの疑問にはアシュロが笑みを浮かべて答えている。


「その子、絶対どっかで聞いてたりするんだから。きっと終わった時に『なるほどね』とか言ってでてきたりしちゃうから。ちゃっかりしてるわよその辺は」

「わかりました」


 数拍置いて、自らの意見が通ったことに胸を撫で下ろしたオルタは、表情を緩めながら少しずつ状況を話し始めた。


 掻い摘めば、オルタには昔好きな人が居たのだが、それは禁断の恋であった。思い切って告白しようとした矢先、相手の国が崩壊したのだという。想い人は幸い無事であったが、謎の青年が現れて、どこかに行方をくらませたという。


 ――ここまでは淡々と語られたため、惰性からイトスは右から左に流すように聞いていたが、次の言葉で語気が強まり、眼が覚めた。声が脳裏に嫌でも刻みつけられる。


「絶望しました。此の森がなくなればいいと。〈光宝〉さえなくなればいいと。主さえ居なくなればいいと……俺はずっとそう思ってきたんです。あのお人が居なくなった世界に、意味などありません。そう考えると、とても、快諾できなくて」

「な、なんか規模でけぇな……」


 イトスは完全に呆れ、言葉を詰まらせた。オルタの眼の奥の灯火には真剣そのものの意思を感じた。やはり同情の余地など一切イトスにはないが、否定する程の気力もない。


 どうすればいいか……そう考えるまでもなくセドが相槌をいれ、言葉を促していたことに、イトスは安堵した。彼は先程から頷きながら、イトスのやや離れた隣に座って、その長い話に耳を傾けていたのだ。その為オルタの目線はもはやセドにひたすらと向けられ、問いかけもまた、当然のようにセドへと投げかけられた。


「あの、俺は間違っている? 言うとおり掟に従って、その運命を受け入れないといかない? あなたもそう思いますか?」


 で、あるならば受け止める必要のあるセドは、それをどこか見通したような、しかし普通の色の瞳を見せていた。質問の後のセドはまずゆっくりと目を伏せて、そうだな。と囁くように零す。


「運命を、どう受け入れればいいかわからない。そうじゃなくて運命を変えたい。あんたが考えていることってつまり、そういうこと?」


 殺意や冷たさはない、ただ冷静にして柔らかさのある言葉がセドから紡ぎ出される。運命――イトスはセドが〈それ〉を強調した点だけは聞き逃さなかった。


「あ、ああそう、そうなんだ。おかしい……ですか?」


 そんな真剣味を含んだ態度を逆に〈否定的〉に捉えたオルタは、首をかしげながら、心配そうにセドの言葉を待つ。だが返答よりも先に現れたセドの双眸は、イトスが横目にしている限りでは、むしろ好意的に笑みを含めながらオルタを再度捉えていた。


「いんや、そうでもないと思う。そんな人どこにでもいるからさ」


 そうして一度セドは目をオルタから離し、まだ風の止まない、ぽっかりと穴の開いた空間を見やった。風鈴のごとく心地のよい音が、未だ鳴り響いている。恐らく無事なのであろうが、果たしてここまでの長丁場、彼女は何をしているのか……。セドはそう考えたがやはり止め、現実に戻ってきた――といった一連の思考が読めてきそうな表情でオルタに目を向け、今度は首を傾げた。


「なぁオルタ。あんたはどういう風にすれば納得するんだ? ……本当に、森を壊したら納得する?」


 殺伐とした言葉がでてきたが、その主は特に本気で推しているような口ぶりにはとても思えない。……無論この発言主はセドであるのだから、恐らくそれは避けろという意思くらいは込めているのかもしれないが。それでもオルタにとってはこの先を決めるほどの選択肢であったのか、真剣に押し黙る。深い呼吸。


「実はそれも……どうしたらいいかわからないんだ」

「そっか……そうだろうな、じゃあ」


 頷いたセドはまた目を伏せると、突然空気の流れが変わる。続いて彼は息を吸い込み、胸に空気を抱えたあと、瞳を開けた。しゃらりと、鈴とは違う、独特の音がきらびやかに室内に弾ける。まるで軽快な、波とも砂ともとれる音


「俺が、あんたの運命を変える手伝いをしてやるよ」


 目の色は、通常通り。しかし自信に満ち溢れた異質な表情が、笑みがセドから場に似つかわしくない程溢れ出てきた。唐突な変貌にイトスは眉を潜める。


「は? 待てって、お前意気込んでるけどそんな大層なことできるのかよ」


 恐らくある程度ならできるだろう、ということはイトスも理解している。だがこの緊迫とした森空間の空気を変えるほどの余裕などセドにはないだろう……と少なくともイトスはそう思っていた。が、対してセドは手をひらひらとイトスに振っては苦笑してみせてくる。


「できないできない。だからこそだよ。結局決める必要があるのはオルタだし。だから……俺にできることは、そんなあんたに選択肢をひとつでもつくってやること。そう今気づいたんだよ」


 その言葉にオルタは目を丸くしてセドを見ていた。


「あなたは……一体どのような方なのです?」

「ああ、そこら辺の占い師だ」

「占い……占いか、でも」

「信じるも信じないも、あんた次第だ。じゃないと今のあんたの思考だと、主になった直後に森を滅ぼしかねない」


 相変わらず一瞬でセドの表情は、これからの未来でも視たかのような真剣さへと変わる。


「それから、やっぱりやらなければよかったって、一生後悔する……もしくはそのまま、どうにかなるかもしれない。それはやっぱり、あんただって避けたいだろ?」

「そう……いや……でも」

「だいじょーぶだよ、オルタさん」


 聞いていたか聞いていないかすら解らないほど鳴りを潜めていたリィノが背中を押すように口を開いた。それに驚いたようにオルタがリィノを見ると、やはり同じく――否、こちらはむしろ狡猾じみた笑みを浮かべて言葉を続ける。


「そのセドっていう占い師さんは、ここの〈かみさま〉だから」

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