28

 イトスは念の為ではあるが、ルディルの様子を確認してみる。謎の文字が記された帯をあらゆるところに巻き付けている黒衣や黒帽には、相当を殺めたのだろう返り血が、決して目立つわけではないが確実に布に染み込んでいた。金の短髪も黒と紅の独特の――右目の黒と行動の所為で忌み嫌われる存在を確立している――色彩には、セドのような変色性も感じない。それでも先程と全く雰囲気が違う。輪をかけて無邪気な雰囲気と、殺意のない空気がまるで別人だ。


 続いて、そのルディルに異常な程怒りの感情を表し、病的なほど執着するセドをみやる。逆にこちらはルディルに対しての殺意を一方的に向けているため、距離をある程度離すように移動を促した。そうでないとまともに話を聞き出せないのだ。状況を確認し終えるとイトスは深く息をついて、地面に力なく座り込んでいたルディルを見下ろす。先天的に垂れがちな瞼はそのまま上目にはならず、ルディルは顔を上げる事で目を合わせてきた。しっかりと目が合ってから一考する。先程彼はセドと目を合わせていたはずだが、死神の名を冠した動きを見せなかったのは、先程聞いた〈制限〉によるものなのだろうか。


「お前、さっきココが何処か聞いたな?」


 森を親指で示しながらイトスは言う。争いによって発生した、木が燃え焦げた匂いが鼻を突くが、血液の鉄分臭に比べたら大したことはない。ルディルは少し考えて、ゆっくりと体を傾けると、首を縦に振ってきた。


「うん~、なんかヘンなとこぉ~」

「此処はお前の言うとおり、思っクソ変な所だ。多分電気もなければ言語も通じねえ、異世界ってところ」

「異世界~? そうなんだぁ~ひさしぶりぃ~」


 まるで友達との他愛もない会話のような、それでも一文字一文字が緩やかに出てくる感覚に、イトスは内側で苛立ちを感じ、実際に溜めきれずに小さく舌打ちした。


「んで、お前は、こっち降りてきてからなんも覚えてねぇの? っつーか、どこまで覚えてんだ?」

「んっとぉ~ んっとねぇ~」


 中々答えが出てこない動作、もはや暇つぶしの勢いでイトスはセドに目をやる。セドは腕を組んで、非常に不満そうな表情で、ルディルが、イトスに対して何か仕出かさないかを考えている様な睨みつけ方をしていた。片や穏便な空気、片や殺伐たる空気、その板挟みは居心地が平常に増して悪い。あまりに遅い返答を待つことで集中力が切れそうな最中、掌を合わせる音で再び意識を視線を戻した。


「あのねぇ~ピンク色の耳が生えたぁ~男の人にあったぁ~」

「ピンク色の……耳が生えた? それはこういう場所でか?」

「そ~」


 満面の笑顔は恐らく冗談ではない。いや冗談ならば死神の言葉に関係なく、イトスの気分的に銃で失神くらいはさせるかもしれない……其のくらい耳を疑った。――耳。形状はわからないが、この世界で見たのであれば割と最近の情報で、背後に建つ小屋の室内に居る〈亜の民〉と同種なら納得がいく。できればそうであって欲しい。強引に仮定を押し込んで、イトスが言葉を続け質問しようとする。が、それはルディルが言葉を続け、抑止された。


「えっとぉ~その人がぁ~『今いる主が居なくなって引き継がなかったら、自分は自由の身かもしれない』……って言ってたぁ~その後ここの小屋にはいったぁ~」

「それで、お前はソイツの言葉を聞いて中の住人をぶっ殺したワケ?」


 話を掻き乱す勢いでセドが口を挟んでくる。よく通る声は此の場にいる限り嫌でも耳に入ってくるのだろう。それにはルディルが首を傾げた。


「殺したぁ~?」

「しらばっくれるんじゃねぇよ、侵入したってことは殺したに違いねぇだろ?」


 怒気上昇、声を張り上げるセドに、思わずイトスは耳を塞ぎ、それから手でやめろと合図をする。数秒、黙った様子を確認すると、イトスはルディルに再度目を向けた。


「そこは記憶にないんだな」

「ん~……なんでここに居るんだろうねぇ~」


 まるで迷子になった小動物のような仕草をしながらルディルは目を細めてくる。若干頭が痛い、気持ちを最低限抑えつつもイトスは先程寸前で押し黙った言葉を引き出した。


「じゃあ逆に〈天界〉で、最後の記憶ってどんなのか覚えてるか?」

「あ~、それは覚えてるぅ~」


 今度は特に間を持たせずの発言にイトスは安堵した。この言葉遣いは指摘しても無駄だろう。その点は諦めがついたように流す。


「研修生? とかいうグループさんにぃ~襲われたのぉ~怖かったよぉ~」

「は? 襲われた?」

「なんかお話聞いちゃったのぉ~駄目だったのかなぁ~」


 研修生……恐らく〈幻奏新和〉の組織員の話だろう。ルディルの言うとおり、音楽事務所に研修生制度なるものがあるらしいが、情報組織という裏の顔があるだけに、密談内容を奪われるのは命取りに当たることもある。もっとも何処で話していたか、という状況にもよるのだが――少なくともそんな事実を知っているのは一部の組織に所属する者だけで、勿論ルディルは知らないだろう。


「どんな話だ?」


 イトスはそう解釈しながらも話を促した。〈役職〉としてはどこにも所属していない、一般人である彼に行き渡った情報なら別段横流しされても問題無いだろう。案の定何も知らないルディルはすぐに口を割ってくれた。


「クノン~? が天使と付き合うことになったけどぉ~、法とか建前だからぁ~、みんなで応援しよ~っていうやつ~」

「ああ、下らねぇ話で襲い掛かってくるんだな」


 有益ではない、そう解ったイトスは肩を竦めた。がどうやらそう感じたのは自分だけであったらしい、空気の流れが変わった。この手の空気を即座に変えられるのは一人しか居ない。


「なあセド。この話、お前はどう判断する? やっぱり〈死神様〉が言うことだしほっといていいか?」


 背を向けたままそう言うが、当人の言葉は返ってこなかった。暫し沈黙と混沌とした空気に挟まれながら深い息を吐いた後、イトスはルディルに銃口を向けた。驚きからか、一瞬ルディルの瞼が開いた。特に黒の、光を通さない瞳が見開かれる点に恐怖心が生まれないこともないが、今のイトスにはどうでもよかった。


「ルディル、交換条件だ。……っと忘れてた、お前に〈鈍らせる弾〉ぶちこんだからそりゃいつも以上にクソ言葉が遅いんだな。まあいい」

「なにぃ~?」

「本来だったら、このまま更に弱体化させてセドに留め刺してもらってもいいんだけど、あいにくお前が居たら面倒なんだよ。話とか長ったるくなるし」

「イトス、何勝手――」


 突如思いがけない言葉を耳にして、外野にいたセドが素っ頓狂な声を出してきた。イトスはそれを一瞥し、再度ルディルに戻す。


「セド、お前は黙ってろ! 俺の目的はお前の身勝手な行動を止めることなんだ。これ以上この件に……いや、天界に帰れ」

「身勝手ぇ~? この件? ――なんのことぉ?」

「話せばややこしくなるしお前も首突っ込んできそうだし言わねぇよ。とにかく天界に帰れ。んでちっと暫く大人しくしてろ。発症さえしなきゃお前もただの悪魔やってけるんだ」

「ん? ……うん~」


 イトス自身が自覚できる程、力押しで説得性に欠けた交渉だ。イトスもこの空気は限界――ゆえに要点だけを掻い摘む。伝わればいいのだ。そんな意思表示に、疑問符を浮かべているようではあるが、ルディルは言われるがままに頷く。そしてイトスが言わなかったことを補足するように確認してきた。


「要はぁ~悪い事したけど見逃してやるってことぉ~?」

「そそ、とっとと帰れ。邪魔だし」

「解ったぁ~イトスの頼みならいいよぉ~」


 思っていた以上に単純な成立に、イトスの、無意識に緊張していたのであろう糸が解ける。ルディルは二つ返事で頷くと、ゆっくりと立ち上がっては、出口に向かって向きを変更しようとする。が、その前にもう一度振り向いてきた。視線は遠く、セドの方角だ。


「セド、怒ってボクを傷つけるならぁ~君もボクと同じだよぉ~」


 にこやかに、そう言っては何事もなかったように方角を戻す。地を踏みしめる音はゆるやかに。やがて姿は闇に溶けていった。


 空気が軽くなったのはその少し経った後だった。緊迫は全体を通して一過したように消えた。気配の遠のきを確認して、イトスはセドの方を向き、近づく。接触まであと数歩、のところでセドから悲痛な言葉が絞り出された。


「イトス、なんでアイツを見逃したんだよ! また天界で犠牲者増えたらどうすんだ。ここでやっとけば別に問題にはなんなかっただろ?」


 懇願のような早口。今後を考えると相当焦っているのだろう。顔を見たくないほどにセドはルディルを毛嫌いしている。その立場からするとここで成敗しておきたい気持ちが、理解できないわけではない。が、セドの意見に同情を許すつもりもない、イトスは銃を懐に直しながら言葉を紡いだ。


「問題になるだろ、普通に考えて。アイツがここで死んだらリィノが嬉々としてまた本題から逸れるし。それに、今回の本題はアイツじゃなかったろ? 脅威は去ったけど、課題が無くなったわけじゃない」

「そう……だけど」


 言い返し辛そうにセドが目を逸らす。怒気はまだ残っているようで、それがセドの目に若干の煌々とした色を灯していた。


「それに、アイツを早々に追い払った理由は、お前だよ」

「は? 俺?」

「アイツに明け渡したくない話が有ったんだろ。お前の態度わかりやすいんだよ」


 そうイトスが指摘すると、セドが目を丸くしてイトスを見てきた。手に取るように解る図星感。イトスは呆れた表情を返す。


「死神の話聞いて、態度変わったくせに黙りこくるんならもう少し器用に隠し通せよ。で、何かに気づいたのか?」

「いや……えっと」


 目線を合わせたり、泳がせたりと忙しく、セドは両手四肢を合わせながら言葉を続けてきた。


「俺。アイツに何も聞かずに、ただ怒っただけだった。先のこと考えてさ。そんな無謀なことをするならやめろって」

「で?」

「それで、クノンは向こうの仲間に応援されて、意を決する覚悟で俺に相談してきたんだなって。もっと、話聞いてやればよかったんだ」

「ってことは、お前はこの話には納得なんだな。死神の話を信じていないのかと思ったぜ。……それならもう追わなくていいんじゃないか。お前が良い方向に導かなくたって、クノンは自分の意思で好きなように上手くやるとおもうし」


 今度こそ帰れるかもしれない。イトスはそんな希望の端切れを掴んだ気で、そう、簡潔に言葉を放つ。


「そもそもルディルが居なくなったなら、もう大丈夫なんじゃねぇの?」


 セドがぴたりと動きを止める。瞬きもせず、ただイトスをみてきた。それが何を考えているかわからない不気味さを醸し出している。また、視ているのだろうか。


「いや」


 イトスが抱いていた淡い期待に反して、セドは頭を振っていた。


「アイツが居なくなれば、俺も脅威が去るって思ってたんだよ」


 続いて頭を抱えながら、難しい表情へと変わる。


「違う……? なんで? この世界なら恋愛しても問題ないんだろ? 死神の脅威も去ったんだろ? じゃあ――」

「落ち着け」


 動揺しているのか声がいつも以上に上ずっているセドをイトスは宥めた。目に見て取れる混乱した空気が、病気とは違う意味で、セドを発狂させかねない。この状態でもあえて気が狂ったような態度をとらないだけまだ救いか。暫く顔を覆ったままセドは静止したが、やがて少しして天を仰ぎ、息を吸い込む。そうして落ち着いた表情で、セドはイトスを見てきた。それから何をおもったのか、少し笑みを浮かべて口を開こうとする。


 ――が、それは新たな気配が生まれたことで遮られた。イトスは気配を背後に感じて咄嗟に振り向く。この突発的な出現方法を取るのは実に一人しか考えられない。


「なんだよ……リ」


 その名を呼ぼうとしたが、姿をみて言葉を失った。――違う。


「カエレナイヨ」


 紛れも無くその姿は見知っている……先程姿を見送ったはずのルディルだった。表情については……今度は無邪気さを通り越して奇怪たる状態だ。一言で言えば、形が、人としては歪んでいるような。


 案の定セドは言葉を失っていた。失神していないだけまだマシか。反射神経に体を預け銃口をルディルの〈形〉に向けながら、セドに言葉を吐き出す。心なしか、その歪さに指から汗が伝う。


「おいセド。リィノ呼んでこい」

「なんで――」

「ミッチーでもいい。お前の方が解ってるだろこういうの」

「足が……」

「おう、ならお前囮になれ、死神相手だし好都合だろ。今なら容赦なく殺れるぞ」


 セドの、恐怖で染まった声色をよそ目に、銃を対象から外し、そうして一度ルディルの腕を掴んでは地面に勢いをつけて叩きつけた。幸い先程の――得体のしれない霧とは違って実体がある。だがこの異様さをそのまま野放しにしてもめんどくさいだろう。


 イトスは一度青ざめたセドが涙目でこちらを見てくるのを確認したが、お構いなしに小屋へと足を向ける。名前を何度か呼ばれた気がしたが、聞いていないフリをすることにした。

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