27
とりわけ湿気などはなかったが、室内に比べたらどれほど風通しがいいことか。この外という外で……いや、目の前で起こっている光景というものは、大方予想がついていた構図であったが、イトスには全く意図が理解できなかった。
距離としてはたどり着くのに並に歩いて十数秒は要する程度。眼前に見えるは地面着地と同時に宙へ跳ね、同時に煌めく氷粒を周囲に纏わせる存在――効力はやや離れたイトスの気温すら急激に下げる程。軽い瞬きをする内に粒はやがて硬化し、菱型へと繕われ、目先の対象物に一直線、縫い止めようと準備を始めていた――そんなセドが一人。
もう一人は、その凍えた投擲物を電光石火くぐり抜け、間を縫って、地面を中心に踏みしめ、頃合いを見て持っている得物――鎌に雷撃魔力を纏わせながら、一閃。遠目からは余裕か否かまでは判断つかないが、不敵な笑みを相変わらず浮かべていたルディルだった。
ルディルは地面に対して拍子を取りつつ足を踏みしめ、突如止まった横殴りの氷雨の源を見つめている。
先程セドは〈仕留められる〉という言葉を残していった。これは受動なのか能動なのか……最初はぼんやりとしていて解らなかったが、状況を見るに、恐らくはセドが、ルディルを仕留める好機である、と感じたという事が段々と理解ができてきた。それを確証付けるかのように、イトスからみれば双方で違う瞳の――死神といわれるゆえんの〈黒〉が、元から垂れた瞼を更に細めて口を開いた。口角から、紅く染まった水滴が重力に逆らえず落ちていく。
セドとの付き合いは長いが、こんな状態を見たのは初めてであった。――いや、もしかするとクノンが駆けた日も、戦況としてはこうだったのかもしれないが。
「ねぇセド、どうしてボクを傷付けるのぉ~? ボクはただぁ~門出を見送りたいだけだよぉ~」
無邪気な声は静寂たる森の中をよく響かせる。特徴的な間延びは到底真似できるような代物ではない。そのことはルディルの眼前の〈彼〉がよく心得ているだろう。
セドもまた、普段よりも随分と血の気の多い様子であった。
「んなもん、お前の言い分を信じられるか……見届けて、いや、なんでお前がその事を知っているんだよ」
男としては高めの声音を持つ、というのはこの二人の共通点ではあるのだが、まるで人が変わったように、どこから出ているか解らないような低音でセドは吐き捨てていた。睨み合っているという状況ではあるが、両者こちらには気づいていないのだろうか……イトスはそう思いながらも機会を見守る様に伺う。ルディルは一旦の沈黙の後、ぱちくりと瞬きをする。
「この森のぉ~後継者さんがぁ~教えてくれたのぉ~」
にかりと口角を上げた表情は不安定で、少なくとも会話の相手が真実と取るとは思えない。案の定セドは――と、思ったが意外にも一旦セドは言葉を詰めた。体感的な一拍。
「んじゃ、見届けて、それから?」
「え~? え~っと、えっとぉ~」
セドに納得する節があったのか、それとも聞く耳を持たないことにしたのかは定かではない。だが確実に苛立ちが募ってきているのか、心なしか魔力の揺れが空気中で乱れた形で肌を掠めていく。同族ではないと恐らく感知できないような魔力の揺れ、まるでセドの精神状態が手に取るように解る。ここまで表向きに浮き彫りになるのも、余裕が無いからだろうか。そのはずだ、一方で悠長すぎる振る舞いのルディルは、相変わらずのゆっくりな挙動をもって首をかしげている。セドの目には煽られている様にみえても可笑しくない。
「殺すよぉ? 制裁を与えるってかっこいいしぃ~」
答えを経て、得物の鎌先が月光を集わせて一瞬輝いた気がした。容姿、状況、そして何よりもその言動……まるで死神だ。イトスは自世界では常識的な事実を胸の内で呟く。
「かっこいい……な。死神そのもの、相応しい言い方だな」
セドは溜めていたのか、息を一気に吐き捨ててから肩を竦める。滅多に見ないような嘲笑いの表情が、一瞬でセドから現れた。まっすぐにルディルに指を差す。
「だが、気に食わないな」
発声終了と同時に地面が小刻みに揺れる。続いて地面に青白い蛇の軌跡を思わせる結晶体が一気にルディルを目掛けて土を抉りながら襲いかかる。到達と同時にルディルが避ける様に跳躍した。
「甘い!」
セドがどこから取り出したのか、カード状の物質を数枚、跳躍したルディルを目掛けて投げつける。カードは氷粒の光る軌跡を拡散させながら、ルディルの胴を標的に飛びかかる。セドの瞳もどことなくいつもと違う。視ている時のものとも違う、暗色の青。この様子だと自分が助太刀せずとも片付くのではないか、と思った矢先に状況が変わった。
得物が到達直前にして、ルディルが音もなく、溶ける様に居なくなったのだ。痕跡を森に残したセドは、その状況に気付くや否や、その表情……目に灯した明らかな殺意の色と、同等の空気を纏わせた魔力を鎮めた。セドはそれでも警戒しているのか辺りを伺うが、やがて視界にイトスをようやく捉えたのか、発声しようとする――が、それより先にイトスが構えていた銃を向け、セドを掠める方が早かった。突風反動か、セドが一瞬地面から斜めに傾く。
「え……あ、イトス」
「落ち着けセド」
遠越しに声を通すセドに、イトスが常より声量を上げて述べる。
「アイツはまだどっかしらに居る。今のも撹乱しただけだ」
イトスはセドと距離を詰めながら銃先を森へと向ける。
「でも」
「んだよ、急に雰囲気変えんなよ……やりづれぇ」
セドがイトスを少し安堵した面持ちで見てきたことで大きくため息を吐く。が、セドもうっすらとは解っているのだろう。イトスとは方法は違えどまだ脅威が去ったわけではないことを。距離は大分詰めた。強いて言えば痕跡を挟んだくらいか。イトスが空気を辿る。明らかに、この落ち着いた魔力はセドだけのものではない。警戒を緩めてこそいないが深呼吸をした。
「セド、アイツの特性、もう一度教えてくれ」
「特性?」
「さっき中で言ってたヤツだよ。ランクで補正がかかって制限されていたとしても、残っているモンはあるんだろ?」
「んと……自分が手を加えた、あるいは自分の血液を伝って移動できる」
「じゃあ、今スッと居なくなったのもそれを利用した可能性があるよな」
「あ……」
自分で言ったことを今更思い出したのか、半ば展望が開けたような表情をセドは見せてきた。だが現在それだけで片がつくようなはなしではない。イトスは続ける。
「気配的にはまだ近くにいんだよ。実際どう動いて、どんな結果になるか、俺らが危険に身を晒すかは、そこまでは俺には解かんねぇんだ。そういうのはお前の専門分野だろ?」
「イトス」
「頼るとか頼らねぇとかじゃねぇ……俺は頼まれた事仕方なくやってるだけだ」
横目でセドを見ながらイトスはそう言うと頷く。瞬きと同時にセドの目の色は変わる。
「小屋の中……は確実にない、となると他の血痕は……」
「甘いねぇ~」
セドは声を耳元で聞いて反射的に身をそこから放す。一瞬にして姿を表したルディルの周囲を見ても、イトスの視界に血の跡は見当たらない。その奇をてらったようにもみえる登場に驚いた姿を見て、ルディルはひらひらと手を振ってみせた。
「〈吸血鬼〉っていうのはねぇ~霧にもなれるぅ~」
その遊ぶような手の動きが止まったと同時に、そこを中心に、帯電し終えたような出力の電流が、一気に放出した。視界が、一瞬で白けた。
と、ここでイトスは、先程クトロカに渡された銃弾の事を思い出す。ルディルの、知り得る限りの特徴。……〈死神〉という通り名がまかり通りすぎて埋もれたもう一つの通名があるのだ。目を眩まされ、視界はまだはっきりしないが、鈍い音が地面を鳴らした辺りどちらかが動いたのだろうか。悲鳴的なものは耳に入らなかった、空間が遮断され、切り取られたとは考えられない。イトスはそれを言葉にする。
「〈壊れ天使〉」
次第に白は正常な色へと溶けるように戻っていく。
「は?」
少し離れたところで、セドの耳を疑う様な声がした。無理もない。現に言ってる自分でも違和感のあるような言葉を口にしたのだ。それはそうとして視界にぼんやりと像が写る限りは無事な様子である。
ところで視界が晴れないのはそれを放った〈彼〉も同じという可能性はあるのではないか? イトスは思考がそこに辿り着いたと同時に、〈エスツェット〉へと手を伸ばし、弾……いや、薬莢を供給口へと手探りで押し込んだ。
「イトス、それってどういう――」
かちり、セドが言い終わらないうちに音を鳴らして構える。先は気配のもっとも強い場所、すなわち、自らの背後だ。
一瞬の静止、静かに鳴る引鉄の作動音。
「え?」
軌跡のすぐ先にいたらしい、ルディルであろう声が、一瞬で言葉を途切らせる。暫くして煙幕が晴れるように光が晴れると、そこには呆然と周囲をゆっくりと見回していたルディルが居た。
「お前……!」
視界に捉えたセドがすぐさま駆け寄ると、今度は避けもしないルディルの襟元を掴み、一気に自分側に引き寄せた。
「え……あれぇ~?」
ルディルは特に驚いた様子もなく、怒気を含んだセドの表情を物とも言わない表情でみつめる。
「セドぉ~? ここどこぉ~?」
「とぼけんじゃねぇ、今ここでぶっ殺してや」
「セド、殴るなまた発症したら面倒くせぇから」
拳を握り顔面にまっすぐに殴りかかろうとしていたセドの手を制止したイトスは深く息をついてルディルを見やった。
「お前もお前で急に雰囲気変えんなよ……やりづれぇ」
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