26

 しばし目を伏せ、沈黙を纏っていたミドセが、何かを思い出したかのように、ゆっくりと顔を上げた。


「いや、違うな」


 誤算という表情でも、焦りを含めた表情でもない、ただ淡々とした態度で、小さくミドセは頭を振る。


「こちらにも待っている間、やることがある」


 木製の椅子に腰掛けていたミドセが立ち上がった。


 同時に、空気の流れが変わった。イトスにはそれが混沌とした気味の悪い感覚に思えて……しかし何処から放たれているかすら、理解し難いものだった。とはいってもこの雰囲気は初めてではない、よく同じ気配を放つ者がいるのだ。その当人――すっかり椅子を我が物顔で支配し寛ぐリィノに、イトスは目を向ける。半ば眠そうにリィノは目を合わせてきたが、狡猾そうでも悟ったようでもなく、ただ素直に首を横に傾げてみせた。


「どしたの?」

「いや、お前じゃないよな」

「俺――何が?」

「あー、じゃあ良いんだ」


 鈍感なのか、わざとなのかはこちらには解らない。しかし見る限り、彼からではないということを察することはできた。候補が消去法で除かれたことで、もしかすれば思い込み、という線もありえなくはない。が、ミドセが動きを示した以上、自分の幻覚ではないだろう――加えて状況を考えれば、出処は彼女でもなさそうである。ゆえに視線をその本人、ミドセへと向けた。すぐに彼女と目があったが少しの間を見せた後、首を振ってくる。


「〈歪〉の感覚があるんだ。ただ、どこからか……悪いけどすぐにはわからないよ」


 白々しく、あるいは話題を逸らした感じではない、ただ純粋にわからないのだろう反応をミドセは見せた――もっとも、時間をおけばミドセは勝手に解決したうえで正答を見つけ出すのだろうが。


 とはいってもこのまま奇妙な風当たりの空間に居るには、いかんせん心地が悪い。迫ってきているわけでもない、殺気があるわけでもない。ただただ、言葉に出たとおり〈歪〉なのである。曖昧すぎるそれを捉えるのは困難だ、ここに居るただ〈一人〉を除いて。


 その彼は一歩、靴を鳴らして一言。どこにも視線を合わさずに言った。


「なあ、ミッチー」


 呼ばれたミドセが即座に顔を向けると、視線に気づいたセドは口ずさむ。


「天界と外界について、なんだけどさ」

「なんだい? 唐突にそんな常識事をいうなんてさ、セド」

「いや、確認だ。天界から外界に渡るときって、確か制限が掛かる可能性があるんだよな。たしか……〈ランク〉に応じて」


 ――ランク? セドの冷静な口ぶりに、イトスはほぼ確実な返答を返すだろうミドセに目を向けた。


「そうだよ」


 まず、結果は意外にも簡潔だ。普段からそのくらいで返事をしてほしいくらいには。だがその返事に飽きたらず、セドは継続する。


「その〈ランク〉の制限って、どこから影響が強い?」


 勿論ランクについてはイトスも知っている。自分に、否、一定の年齢を経た悪魔であればだれしも持っているからだ。


 例えば魔力の保有値、能力の使い勝手等、総じて魔力を使って生活するにあたり、どのくらい実力があるかを計算され、成績表の如く位を与えられる。普通はなんらかの権利だったり、権力といったものに必要な存在で、より高い方が有利であるはずなのだが――


 セドは何を言い出すのだろうか。イトスが深読みするまでもなく、ミドセの返事は整然と提示された。


「〈A〉以上。行動範囲だとか、魔力の出力レベルだとかが、高まるほど制限されるね」

「そうか、わかった。じゃあ〈血で移動してきたところを仕留められる〉可能性は高いよな」


 納得したのか、セドが大きく息を落とすと、すぐさま室内を駆けはじめた――彼がなにか気がかりなことを言った気がするが、イトスは平然と流す。ある程度の瞬発力があるセドは、一定距離を動き立ち止まった刹那、躊躇うことなく扉を開けた。繋がりの先は、あの〈事件現場〉の部屋であった。


「セド……!」


 ミドセが時間差をつけた上で言葉にした時にはもう遅く、彼女が一歩を踏み出そうとした時にそれは阻止された。


 表現するならば、何らかの壁面が崩れ落ちたような、大きな音が木の床を、壁を伝い、揺れと共に反響し、扉の奥からこちら側へ大風が吹き寄せる――砂か、木屑か、ともかく何らかの起爆からの反動が、何の罪もない居間へと被害を及ぼした。


「馬……鹿じゃないかな、あの無計画は」


 状況がとりあえずの〈まとも〉へと切り替わってから、ミドセが吐き捨てる様にそう言葉を零す。


「なんだってんだよ!」


 扉の奥を睨みつけながらイトスがそう言うと、ミドセは咳を一つ、それから恐らく理解している範囲であろう事を口にした。


「〈死神〉が、現れたんだよ、恐らく……いや、彼のことだから確実か」

「〈死神〉が! アイツ奥地に行ってたわけじゃないのかよ?」

「間違いなく。君の背面にある〈リグズラグリ〉……銀製の鏡は、森にいる生命体の居場所を映し出すことができる。彼も僕と同じで〈吸血鬼〉だ。だから鏡には映らないけれど、名を、姿を思い浮かべれば捜索することができた、確かに〈間違いなく〉奥にいた」


 聞いてもいないようなことを言いつつもミドセは手をまっすぐに翳す。説明しながらもなにかしらを発動しようとしている、とでもいうのだろうか。


「後継者についても鏡を利用して、アシュロに赴いてもらったんだけどね。ともあれ、〈死神〉……ルディルは〈自分が与え流した血を梯子にして、転移ができる〉みたいだ。恐らく、セドの発言を聞くに、ね」


 言い終わらないうちに何かを打ち受ける音が奥から響く。反響音はそこまで小屋には響かない。そうなると外へと移動したか。一瞬で静まった音とすれ違うように、風のざわめき、もしくは鈴が砂のように流れるような音が流れる、音はうっすらと緑を纏う光で作られたとばりのごとく木の壁を撫でては広がった。刹那、発動主であるミドセは言葉を矢のようにイトスを射抜いてくる。


「イトス、セドとルディルを止めて」

「は?」

「前回ルディルを止められなかったでしょ、今回それでなかった事にしてあげるから」

「いや、止めるったってどうやって」


 いい加減連日の流れを汲み取ってもミドセの言葉にはどこか無茶を感じる。頭の片隅では確かにそれに越したことがないとは思っているのだが、イトスからすれば具体性を求めてしまうのである。理由はただ一つ、面倒だからだ。


「〈氷〉で殴りかかるだろうセドと、〈電流〉と鎌で刈り取るだろうルディル。どちらにも君の〈炎〉は有効なんだよ。両成敗しても構わない話ではあるのだけど。それからセドは間合いを狭めないと基本的に防御に徹して頃合いを見る。対してルディルは最適な間合いをとって一気に潰しにかかる。……そうだな、ルディルの武器を取り上げるのが一番いいんじゃないかな。君の遠隔武器で」

「そういうのならお前がやるほうが効率が……」

「さっき聞いてなかった? 僕の魔力が弱まってるって」


 どの口がいうか。いや、普段ミドセはこの手の弱言など言葉にすらしないはずだ。聖水の被害を被り結果墓穴を掘った、と言った意味合いであれば理解できなくもないが、恐らく精神的に自滅するのは間違いなく根っからの〈傲慢属性〉であるミドセ本人であろう。もちろん彼女も今自分が発した言葉が、どの程度自分に衝撃を走らせるか解っているはずだ。否、むしろ……ここまで一気に思考し、イトスは言葉を返す。


「こんな時に試すんじゃねぇよ。そんな大層な防御壁貼れているし、おまけに右手とっくに治ってるだろ?」

「なんだ、せっかく華でも添えてあげようかと思っていたのに。ま、そこまで鈍感じゃなくてよかったよ」


 一体ミドセのその語彙やら思考回路は何処から生まれるのか、イトスにはやはり見当もつかなかったが、ひらりと魔力を切り離した右手首を回して、どこかに打痕ができていても可笑しくないような音先へと手を翳す。再び金色を纏った魔法陣が円形に拡大を始めると、そのまま壁を貫通、一瞬の風音を居間全体に奏でた。


「飛び道具は流石に今回のと、君の失態を挽回させてあげるために僕は命じているんだよ。……まあ恐らく〈ランク〉の補正でルディルが弱まっていたとしてもセドの総合力なんてたかが知れているから……はやく行って来て」

「あーわかったわかったうるせぇな……でも」


 顎で扉の先を示すミドセに不満を零しながらも、イトスは空間を確認するため周囲を見る。瞬時に察したらしいミドセは不敵に笑ってくる。


「派手に暴れていいよ。何のために修復と保護の結界壁を同時に放ったと思ってるの?」


 予測し、かつ準備していたのだろうそんな言葉に、イトスは呆れた様に大きくため息を零すと扉へと向かう。


 ――と、奥から声が聞こえた。少し鈴を鳴らすような声。空気をかき混ぜる風に髪を乱しながらこちらに向かってくる姿。目の端でちらりとみやるとクトロカが駆けてきていた。


「なんだよ、忙しいんだ」


 本心からにじみ出てくる鬱陶しさをみせながら睨みつける。と、クトロカはなにやら円柱……にも近い掌未満の形状物質をこちらにみせてきた……弾丸だ


「あの、これ、使って下さい。一発ですが時を鈍らせるものです」

「あ? いいのか、んなレアもん俺なんかに使わせて」

「れあもん……? いや、いいんです。まだ幾つかこういうのありますから」


 有無を言わさずイトスの右手に無理矢理と言わんばかりにクトロカは持たせてくる。ひやりとしたそれは氷のような恐ろしい冷たさをしていた。


「貴方は、よく来てくれるになんだか似ているんです。だから絶対役に立つと思います」

「……」


 イトスは弾丸を握りしめ、少しだけ納得のいかない言葉に調子を狂わせながら、特に礼をすることなく、改めて扉の方角に向いた。未だ解決に至ってないのか、外からは破裂ではすまないような音が轟くように鳴り響いている。


「あー、面倒くせぇ、ちょっと黙れよおい」


 どこにも向かったわけでもない音はすぐに追い風に呑まれる。扉の先をみやると、あの鮮血の絵の具でできた壁は、何事も無かったかのように――風穴を開けていた。

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