Epi:4 光宝と〈時の森〉
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「だからそれが、危険だって言ってるんだよ!」
耳をつんざくような声で現実へと戻されたので。瞬きを二回してからイトスは光景を目に焼き付けた。
何が何だか分からないおぼろげな状況、イトスはこの小屋に嫌々戻ってきてから呆然と、恐らく束の間たる時間を過ごした気がすることはうっすらと自覚している。ただやはり今日――いや、天界で事件があってからここに至るまで、思考を回すことがいささか多すぎた。
怠惰な本質は当然、出来る限り何も考えたくない。と、いうのになんだろうか、この怒号、そしてこの有様は。
「落ち着け、セド……んで、結局どうするかまとまったのか? つーかまとまりかけてるからこその〈それ〉、だよな?」
〈それ〉――つまるところ、この喧騒だ。
天界でこの〈二人〉が口論することは正直いってよくある状況なのである。止めなくても、いや、止めるほうが一手間かかるこの二人をここまでイトスが放置していたのは、どちらかといえば上手いことまとめながら話を進める傾向にあったからだ。
とはいえあくまで〈自分が聞いていた〉という前提をもってして言葉を組み立てる必要はある。そうでもしないと火種やら回りくどさが増すからだ。正直全くきいていなかったが、イトスは平然を装って、より身近な存在に確認したのだった。
「まとまってるわけ無いだろ。そもそもな、この状態の中ミッチーが動くってどれだけ危険なのか、本人が一番理解していないんだよ、折れてくれたら俺だってここまで言わない」
「あのね、脈絡がない。根拠もない、僕はそうさっきから君に対してずっと言っているんだけど」
普段の温厚とはまるで名ばかりの熱の入った主張者と、動じずにただ冷酷を徹する相手。この対極が衝突する構図だけを見れば、少なくとも珍しい光景ではない。散々天界にいる時に見てきた。
――大抵セドが折れるか言い包められて終わるのだが、今回はなんだか空気が違う。
そもそもミドセが中々集束させるための手札を、いつものように提示してこないのだ。
この喧騒というものは、基本的に数分以内に終わる。しかし今は、まるで時間の無駄と言わんばかりの言葉が続いてた。セドに至っては息を若干切らしながらも、ひたすら同じフレーズを提唱している。蛇の様にまっすぐ、真実を見据えるような瞳に向かって。
「とにかく、お前の考えはよく分かるんだ。けど、今その動き方をするっていうのは、いくらお前が大技繰り出したりしても無茶があるっていう話なんだよ」
「だから、その理由は」
中々引き下がることのない口論相手に、ミドセの目はセドを捉え、その色に苛立ちを含めていた。
特に被せて言葉で返さないあたり、なにか気がかりなことでも在るのだろうか。
「視えるんだよ」
セドが何度も繰り返された質疑応答に、ここまできて恐らく最初の一呼吸を入れた。まさかこれが、こんな木作りな、他所様の住処で行われている状態とは思えないだろう。それを今更思い出したかのように、セドは言葉を落ち着かせた。
「このまま進んで、お前が滅する未来が。そういう運命なんだよ」
感情論極まりない、恐らく〈彼女〉が求めていない性質の回答に、ミドセはしばらく言葉を返さなかった。
睨み合うような静寂が訪れる。
日常でよくあることと、非日常的な風景、そして境遇。イトスにとってこの空間はやけに歪だと感じた。
今いる場所はあの絵画的空間ではなく、先程食事を取った居間で、住人である獣人の二人は隅で肌を寄せあい怯えながら、口論の火の元を見ているような場所だ。
青白い顔でトゥティタが見つめているあたり、恐らくイトス達が離れた瞬間に相当の事があったのだろう。想像したくもないが。
助け舟を出すようにリィノを見やると相変わらずの悠長な様子で、近くの腰掛けに行儀悪く体を預け、今にも眠りそうな様子だった。
では普段から存在感だけはしっかりといつもあるアシュロの姿はどうだろうか。こちらに関してはイトスの視界からは確認できなかった。
関係性を見る限りミドセを置いてどこかに行くような性分ではない、と理解していたつもりだったが。
一体こんな一大事に、一番場を収めてくれそうな彼女がどこに行ったのか。
「イトス」
その時、予想外な勢いで、冷静にミドセから名が告げられた。イトスは巻き込まないでくれと念じながらも視線を送り返す。
「〈君〉はどう思う?」
「あー、どっちでも良いと思うが」
「どっちでも……その二択は何を表しているの?」
何を言い出すのやら、イトスがそう思っていると、ミドセが不思議そうに首を傾げた。
逸らすようにセドをちらりと見やると、唐突に視線から解放されたからか、安堵に近い表情をしながらやはりこちらに判断を煽るようにイトスをみていた。
嗚呼、面倒なことになりそうだ。イトスは思いながらも二択について考える。
――だが、その空白の猶予は思ったより長くなかった。ミドセが呆れたように肩をすくめたからだ。
「やっぱり聞いてなかったね。ならちょうどいい、少し話を整理させて」
「あ? 何でだ」
「セドと僕が話をしているだけだったらいつまで経っても終わらないんだ。セドが折れてくれたら君に口を出す気は無かったんだけど」
「なっ……」
セドが驚いたようにミドセの方を向くが、興味別のものに変わったように、ミドセはイトスを穴が開きそうな目で見てきた。
そしてイトスの拒否なんか受け付けない、と言わんばかりに間をおかずに言葉が発せられる。
「まず争点を説明すると、この森の主……後継者の捜査方法についてだ、クノンを説得、若しくはこちらが納得する状況にもっていくのであれば、〈時に呑まれず〉かつ〈死神との接触〉をできるだけ避けた上で、行方知れずとなった後継者に立ち会う必要がある」
「ああ、セドの意見も尊重する気なんだな」
できれば手短に片付けてくれ。
イトスはそう思いながら恐らく適当な言葉を相槌として渡す。ミドセはゆっくりと頷いて言葉の彫りを深めた。
「まず〈後継者〉についてだけど、隣室の血溜まりは先代……つまりここ数日前程度まで主だった存在が〈死神〉に殺された場だった。運良くここの二人は息を潜めていたのか、気づかれなかったみたいなんだけどね」
セドが言葉に呼応するかのようにミドセを見やる。彼の目は殺気を灯していた。
「先代が殺されたことで〈時の流れ〉が止まった。結果として〈時が生命を呑み込む〉ようになる。……ここまではいい?」
「なんとなく」
正直要点だけ話して欲しい気持ちがイトスにはあったが、恐らく話の骨を折ると余計に冗長とするのが予想がついた。
で? イトスはなるべく話を流そうと促す。
「後継者を見つけないといけない理由というものがあって、まずその時を動かしてもらわないといけないんだ」
「時を? 必要あるのか?」
「そう、僕もそのままにしておけばいいと思っていたんだ。だけど〈死神〉がどうやら正確に時に呑まれる事無く奥へと進んでいるみたいなんだ。他人事だと仮定するならば別に野放しにしていて問題がないんだ、でもそこの亜の民がね……」
ゆるやかに視線を動かしたミドセが隅の獣人達に目線を投げる。
鳥のような種……クトロカがいち早くそれに反応し、身を竦めてから言葉を投げてきた。
「この森の中心に〈光宝〉と呼ばれるものが在るん……です。どんな人の願いも叶えてくれる。と呼ばれるものだけど。実は願いだけではなく、その場所に、大きな樹があって、その上にある宝を取ると、この森と、宝を手にした人に関係する人に影響をきたす。といわれていたりして」
「イトス。ゲンシンの歌い手の妹〈シエル〉が転生悪魔なのは知っているよね。彼女はこの地の出身だったんだけど、同時に別の森の〈光宝〉の主だったんだよ」
クトロカが言い終わらないうちにミドセがそう紡ぐ。イトスは眉を潜めた。
「唐突にんなこと言われてもわかんねぇよ」
「そうだろうね。なら、踏まえた上で話を戻そうか。僕が今必要だと考えているのは〈光宝〉を死神とクノンが何かしらの形で手にしようとしているようだから、どちらかが手にしたら、僕らのうちの誰かしらはただでは済まない。時を流す必要があるのは、主さえ見つかれば、〈光宝〉が誰の手に渡ることもなくなるからなんだよ」
そこまで言うとミドセが大きく、言い終えたように息をついた。
納得していいものか悪いものか、イトスは少しだけ思考する。そして浮かんできたものを取り外すように言葉にした。
話題を一時的に曲解させる。気になるのだ、個人的に。
「そういや、シエルが天界に来たのって、半年前だったよな。あいつが来た時に何か天界で起こっていたっけか?」
「シエルが、天界に来たきっかけは、現在の義兄であるパッシュが何か行動を仕掛けたからなんだけど、彼がまず、〈光宝〉を持ってきていたらしいんだ」
「〈光宝〉はすぐに効果を発揮するわけではなくて、ある程度、それに興味を持った人を所有者とみなして、そこから周囲に影響をきたすと言われています。……欲望に反応するっていうんでしょうか」
トゥティタが震えるクトロカを引き寄せながら問い掛ける。その様子に違和感があって、声に連動するようにイトスは首を傾げた。
「なあ、お前らのどっちかが次の主になるってことはできないわけ?」
「それが、できないんです」
クトロカが頭を振る。
「前の主様が指名したひとではないと、継げないのです」
「あー、面倒だな」
「続けるよ、イトス。それで、その〈光宝〉は、シエルによれば、彼の近所に住んでいる存在に謙譲したらしい。シエルも、悪魔になったから特に影響はないだろうと考えていたらしいから」
と、そこまでいうと、靴の鳴る音がした。
つま先で木材を小突く音、耳をやって、目を向ければセドが椅子の背もたれを抱きかかえていた、間もなく中腰で曇った声を発する。
「シエルと会ったって話してくれたその日。俺の母さんが水晶みたいな、月みたいなやつを持っていた。俺は別に、気にはしていなかったんだけど」
セドは、顔を伏せる。ミドセが顔色一つかえないあたり、おそらく先程展開し、話題に上がったのだろう。
その証拠に沈黙に戻ったセドの言葉を補うようにミドセが言葉を足した。
「既に、この〈光宝〉関係で犠牲となった人が天界に居るんだよ、イトス」
「そういや、半年前だったか、セドの親父とおふくろが怪死した事故あったの」
ここまできてようやく思い出した。
どうもセドがいつもと打って変わった態度でえらく沈んでいた日があったことを。
セドに注目していたイトスは少しばかり様子を眺めていたが、一息、深呼吸をして体勢を整えなおしたセドが表情すら整えて、何事もなかったようにこちらに目を向けてきた。
「ま、そういうことはどうだっていいんだよ。とにかく、今〈光宝〉があいつらに渡ったらタダ事じゃないから、ってことで揉めてたんだけど、ミッチーが、そこの獣人二人と契約して準備したら、強制的に時を流すことができて後継者が見つかりやすくなるって案を出してきたんだ。勿論主にはなれないけど少なくとも俺たちが時に呑まれるリスクはなくなるだろうって」
「んで、お前ら揉めてたのか?」
イトスが呆れた様に息をつく。
リィノの言うとおり、ミドセの思考回路に支障がきているというのはあながち間違いではないのかもしれない。
「まあ、冗談だったんだけどね。そこまで躍起になるから付き合ってただけだよ」
沈黙が走る。最中ミドセが視線をあらゆる場所に向けた後、したり顔といわんばかりに口角を釣り上げた。
「その後継者だけど、場所はすぐわかったから、アシュロに赴いてもらったんだ。だから僕が君に本当に尋ねたかったのは〈クノンの説得への加担〉と〈死神の阻止〉どちらを君に任せるべきか、なんだよね」
「だからんなこと急に言うなよ。聞いてねぇ……」
あまりに唐突過ぎてイトスが面倒くさそうに紡ぐ。
「僕は確かにセドの主張に付き合ってはいたけど、君には状況を説明していたに過ぎないよ? 話を盛らないと中々耳を傾けてくれないしね」
そう言葉を切ったミドセは、存在感すらなかった卓上にある冷め切った飲み物に口をつける。
その利き腕右手のひび割れが、何事も無く消えていたのをイトスは見逃さなかった。
「どうせ次期主を説得できないと、この先の動き方が変わってくるし、だから今僕達にできることは待つことくらいしかできないよ」
「俺が言うまで、今の案本気でやろうとしていたくせに……」
「なにか言った?」
「いや」
不満そうなセドが、ミドセから目を逸し、続いて聞こえてきた言葉……恐らく独り言であったが、それもイトスは聞き逃さなかった。
「俺の両親はあんな宝じゃなくて、〈死神〉に殺されたんだ……」
まるで暗示のような言葉である。
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