24
一息、ニ拍。突如現れた助太刀は。この地に降りて何度かの欠伸、続いて体を反るように伸ばす。そのまま頭上へと角度を登らせつつある月を仰ぐように見る姿は実に悠長だ。まるでここまであった惨事やら問題をすべて他人事と取るような。〈怠惰悪魔〉の性質がそれだとわかっていようが、同じ属性を共にするイトスは訝しげだ。事実森に入る前もそう思っていた。だからこそ不満を口にする。
「お前、何しに――いや、何でここに来たんだ」
勿論疑問も含めていた。実際のところそうなのである。リィノがどういったわけかミドセの下から離れることは少ない。もし離れたとすれば、よほど動かざるを得ないようなことがあった事態だからだ。予見はしていた。でも本人の口から聞きたいものだ。リィノは月から目を離さないで首を左右にかしげた後、まるで交信が終わったかのようにイトスに視線を向けてくる。その青紫の瞳は何を思考しているのかがよくわからないが
「んー、森が騒がしかったから、断ってこっちに来ただけ」
淡々と強弱のない平坦な声色で言葉を返してくる、そのすぐに後左手に据えた自らの黒い多い布を一瞥し、目を細めた。
「うーん、てごたえないなぁ……やっぱり制限されているんだな」
不満を零す口から目立った形で息を吐き出す。だがイトスは自らの疑問に対して満足な答えが返って来ないことに苛立ちを覚え、更に詰める。
「ミッチーとお前一緒に居ることが多いよな。差し置いてこっちに来たのには理由があんだろ。それを聞きたいんだよ」
「あぁ……ミッチー?」
リィノはどこかつまらなそうな雰囲気をまとわせながらイトスをぼんやりと視線で認めてくる。
「彼女は……いや、〈アレ〉はもうだめだよ――あっ死ぬとか、そういう意味合いじゃなくてね、えっと、なんていうんだろ? まず頭があんまり回っていないのと、森の謎の方に熱がはいっちゃったから、正直つかいものにならないかんじ」
当の本人――ミドセの目の前では確実に口にしないような言葉を淡々と並べながら、リィノがそう紡ぐ姿はどこか狡猾さを表していた。悪魔となってからミドセの近くにいたらそうなるのも無理はないが、果たしてその時からなのだろうか……一瞬だけそんな思惑が過ぎったかすぐにそれを打ち払う。
「どういうことだよ」
「ミッチーってさ、基本的にはなんでもできるよね。なんだけど、今回それが聖水をぶっかけられたことで、上手くことが進まなくなったみたい。能力もあんまり使えない。感知力も判断力も鈍っているし……えーっと、〈吸血鬼を倒してくれた〉か確認された時に〈吸血鬼を助けた〉って頭おかしい返ししてたくらいだよ。使い物にならないっていうのはそういうこと」
そういえば、とイトスは対極的にゆるく思考を回しながらリィノから目を逸らす。思い出す。確かにどこか違和感が合った気がした。ただミドセの言い分に狂いがないような先入観がどこか刷り込まれていたのか、はたまた自分が対して興味がなく聞き流していたのか、今となっては知る術もないが……成程、相槌を打ってその件に納得し、もう一度視線を戻した。
「んじゃ、まだ弱ってるとして、森の真相? それに必死なのは何でなんだ?」
「そんなの俺にわかるはなしじゃないでしょー? あと、なんかあんまり聞いてくるなんてイトスらしくない」
「面倒くせぇんだよ……状態なにもかも」
「ふぅむ、すごい説得力……でも、これは推論だけどさ、ミッチーの魔力って〈知識〉なんだよ。俺達のタイプの悪魔ってなにかしらを魔力に変換して生きてるわけじゃん? それがミッチーにとって〈知識〉なわけで、動きが鈍くなったって自覚した以上、上乗せして回復しようしてるんじゃないかな」
思考を巧みにまわしながら、リィノは両手を動かしながら身振り手振り、イトスに向かって自分の考えを紡いできた。普段自分と同じように無関心な彼が、異常に主知的な答えを返してきている理由はイトスもなんとなく理解している。リィノもまた才知を持っているのだ。
暫くの無言。それは会話が締められた、両者に疑問を洗い出す要素が現在"零"となったことを表す。と、ここでもう一度伸びをしたリィノが、息を潜めるように身を地面で縮めていた存在に近づいていた。それの目の前で身を屈めたリィノは、その両肩に軽く手を置く。続いてやんわりとそれを揺さぶった。
「しっかりしなよ、もう去ったから。確かにえげつない形しててきもちわるかったけどさ」
「リィノ……」
恐怖の一線を越え呼びかけられるまで虚ろだった青の瞳にようやく光が灯る。現実に戻ってきただろうセドは、じっとりと視線を向けるリィノに視線を送ると、少しの深い呼吸の後頷いた。それから若干、セド本人とリィノの間に距離を作ると、やがて立ち上がろうと体勢を整える。様子を見ながらリィノは、吹いてくる風に髪を操られながら、月明かりを逆光に言葉を口にし始める。落胆といわんばかりの色を、平たい声に含ませながら。
「この森はさ、件のミッチーが頭鈍ってて、最後の処理を一段階忘れた入り口から、恐らくこの森の中にある〈お宝〉を求めて死んでった亡霊が、一丸となって舞い込んできたから今ちょっとうようよ幽霊が居るんだよね」
幽霊、立ち上がり終わったセドがその言葉に反応するようにびくりと身を強張らす。リィノはそれを煽るためか、単に続けるためかは解らないが、少しだけ強弱をつけて続ける。イトスからみた彼は顔面が逆にあり、表情が読めない。
「したがって、この森から出るのは今のところ無理なわけ。ついでに俺が今その最後の処理やったから当面幽霊は沸かないとおもうよ。あ、あとさっき銃の調子悪かったけど、あれ幽霊貼り付いてただけだから、今は正常に動くよ」
「ああなんだ、ガタがきたのかと思った、手入れ面倒くせぇからな……で、お前さ、ここの森の言語とか解らないっていってたよな」
イトスが話を振られた勢いで疑問を挟む。今までの話を纏めると、この結界はこの世界の言語の呪文みたいなものやら、処理自体が言語で書いてあったりするはずなのだ。ミドセの場合はこちらが知らなければ、知らないまま話を進めることも少なくはないため諦めがつくのだが、リィノは基本的に〈こちら側〉のはずなのだ、後々面倒な現象に繋がるのならば黙ってるとは考えられない。リィノはその疑問には首を振ってまずは答えた。
「わかんないよ。だから俺はオリジナルの〈能力〉を使って封じ込めたわけ。そもそも結界自体よくわからないじゃん? 破れたってことは彼女は解読とかできてるわけだけど、じょーしき的に考えたら結界を繕い直すまでやるのがふつうじゃん? 今回ミッチーはその〈書いてないけど、できて当たり前の〉部分失念してたからこうなったわけなの。言ってしまえばそう、マナーってやつ」
随分酷い言い方をしているが、これこそがリィノの本分なのだろう、居ないからこそ愚痴を零すのはやはり誰とて同じなのだろうか。要するに――リィノはそう言って、息を吸い込むと言葉をつなげた。
「入り口に電流扉作ってみただけ。言ったでしょ? 消すのは苦手、だけど足止めはできるって……俺あの人と違って頭やわらかだから」
「リィノって、なんか、割と不満多いんだな」
胸中でイトスがずっと思っていたことを、ようやくセドが代弁した。大分正気に戻ってきたのか、月明かりの下で不鮮明といえど先程のような顔色の悪さは感じられない。リィノはそこに視線を向けた。ゆるやかに、やはり自身の時間だけを支配するように
「まーね、ところでセド、聞きたいんだけど」
「な、なんだよ」
「まず、俺が入り口適当に塞いじゃったから暫く霊が来ない代わりに外に出れない状態にしといた」
「おい」
自分がこれからしようと思っていた逃避行を、阻止されたことに気づいたイトスがおもわず口を挟んだ、が目もくれずにリィノは続ける。
「と、いうことで本題。君は結局〈彼〉を追う気なの?」
イトスがセドを見やる。横顔は静止したまま、リィノの目に縫い付けられたように視線を逸らさない。目の色は――どこかを視ていた。
「いや、質問変えちゃうね、追って、どうするの?」
「追って……ええっと」
普段目の色を変えていたとき、返答は中々しないのだが、どういったわけか一字一句耳をかたむけていたようだ、疑問に対して目を逸らしたセドはこちらを見てくる。普通の青は困ったようにこちらを見ていた。それでも普通に言葉を展開するあたり、もしかすればリィノはその色に気づいていないのではないか、もっとも今の自分には関係のない話だが。
「あ、そうだ、参考資料として、ミッチーから伝言預かっておいたよ。内容は『三つの禁忌は勿論知っていると思うけど。外界に出た瞬間に無効化する。つまり天界に帰ってこなければ、問題なく色恋でもなんでも進展するようにできているんだよ』……だっけ、うん、こんなこと」
月明かりが増強される。正確にはふよふよと光る玉がリィノの頭上を漂いはじめた。言葉の流れと一緒に連動して浮遊が遊ぶのを見る限り、作成主は紛れも無く彼だろう。ともあれ恐らく常識的なことを口にされたようではあるが、イトスはその点ぼんやりとしていて、むしろそんなことを習ったか……そう思いながらも無関係を装いつつセドを見る。が、セドが困惑したようにこちらを見てくる。
「いや、普通に考えて解るだろ、そういうシステムなんだよ、セド」
正直全く思い出せないのだが、投げ捨てるようにさらりと口にする。セドは再び青ざめる。理解できないのか、それとも自身に託された責任感に威圧感を覚え始めたか、あるいは両方か。見かねたリィノは溜息をつく。
「俺は、悪魔の、〈天界にある学園〉ってところ、寝てばっかですぐ退学になったし、どういう仕組みかとかそういうのはわかっていないんだけど。昔、人間だったころに、『犯罪とか悪いことしても、国外のことだから許されるー』みたいなほうりつがあったんだよ。なんかそんな感じなんじゃないかな」
「えっと、この世界にいたら別に消えたりしない、そういうことか?」
セドの顔色が晴れる。と、なればやはり理解出来ていなかったのだろうか。例えとはわかりやすければ実にいい黙示だ。リィノは曖昧にだが頷いた。
「たぶんね。というよりセド、そもそもどうしてあのお兄ちゃんのことこだわるの? 生き方を決めるのは、あのお兄ちゃんだとおもうんだけど、責任とか、そゆのも」
独特に言葉を絡めながら、リィノは体ごとイトスの方に向け、通過するように再度月を仰ぐ、イトスからも、セドからも身を離しながら。止まって、そして発声を続ける、
「仮に、だよ。死んでしまったらどうなるか、この体はわかんないんだけど。俺みたいな感じで一度死んだのになんらかの形で戻ってくることだってあるんだ。死ぬ前はさ、自分が死んだら友達だとか親が悲しむから、そうするのはやめようってずっと思ってたんだ」
月が少しずつ、目立たないように天頂を目指す。リィノは周りの空気に無頓着となりながらそれに手を伸ばす。次第にリィノの口数が増えてきている気がする。――夜は深まるごとに〈幽霊種〉という存在を肉体ごと確固たるものにでもするのだろうか、大きな存在感がある。
「そしたらさ、そもそも俺に友達なんか居なかったんだよね。親は寂しがってくれたけど数日くらいだったんだよね……セドはずっと寂しがるわけ?」
紫の目が、一瞬だけ裏切られた瞬間のように曇ったのをイトスは見逃さなかった。普段何を考えているか見当もつかないが、おそらくは真実なのだろう。その様子を息をすることを忘れていたかのように見ていたセドも、どうやらその色の移り変わりに気がついたようで一度目を丸くし、再度確認された瞬間、呪文から開放されたように視線を落とした。傍観者であるイトスは特にそれに言葉をかけたり補足したりはしない。――面倒だからだ。暫く静観して、言葉の捻出を待ち続ける。
「俺は……」
セドが顔を伏せながら口を開いた。
「お前とは……違うから、追ってできるだけ良い方向に、友人であるクノンを、導いてあげたいんだ」
分節で言葉を区切りながらセドは顔を上げていく。光が灯った目は決意を固くしたような強さがあった。
「俺は、占い師だから、どうなるか、運命を視て助けてあげることくらいはできるんだよ。当たらない時もあるかもしれないけどさ、とにかく、後悔して、生涯閉ざしてほしくないんだよ。なによりも〈友達〉だから、お節介って言われるかもしれないけど、どうせ生きるなら不幸せになってほしくない。俺は、友達に幸せにしてもらって今生きてるから、後悔されたまま失ったら絶対に寂しい」
「あー、わかった……だってさ、イトス?」
「お、おう」
急に話を振られてイトスは生返事を、若干遅れて返した。嗚呼また面倒なことになるなとおもったが、話をまとめる限り、どうやらこのまま自分で引き返すという手段は霧散したようだ。一方セドはやる気がでたのか、明るい笑顔でイトスの顔を見ては微笑んだ。
「だから、帰る術もないし、イトスも、手伝ってくれよ」
「お前ら、本当になんか、面倒くせぇよな」
「ミッチー経由しないと多分お兄ちゃんに会えないと思うんだけど、あっちのほうがめんどくさいよ?」
「俺、まだ同意してない」
「同意してなくても結局イトスが手伝ってくれるって俺知ってるからさ」
ぐいと、セドが背中を押す。方角は小屋。足跡は幸い残っている。辿ればなんとか戻れそうである。
「あー……めんどくせぇな、わかったよ」
案の定こうなる、とはわかっていたが、イトスもここまでくると諦めるしかない。回避する方法を考える方がこの際面倒くさい。いつもそうなのだ。
森は風をゆるく、樹木と道肌を糸で縫うように吹きながら、静寂を再び歓迎した。
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