22

 走った。ただひたすら走り続ける。時に呑まれようが知った事か。彼は一筋軌跡描く銃弾だった。追われている訳ではないことは空気の流れがよく表している。それでも駆けるのは無意識たることだった。足を止めて再考するのならば飛び出した意味は無い。第一止める声も聞こえない。その程度で揺るぐものならば、最初から事など起こしていないはずなのだ。


 速度を緩める。若干の慣性で自分の体に衝突したセドが反動で一歩後退、足を止め地面へと頭を垂れた。呼吸などさほど気にしていなかったが、止まることで次第に目立ってくる。ようやく一旦冷静になったイトスは、道中自分がセドを腕ごと引っ張っている事を忘れていて、特に急ぐことはなかった点に気づいた。無我夢中とはこの事を指すのかもしれない……その言葉が心境を表現するに相応しいかまで、深く考察しようとイトスは思わなかった。


「イトス……」


 セドが息を切らしながらも顔をあげてきた。そうしてイトスのどこか考えているような表情が垣間見えたのを捉えて首を傾げてくる。


「イトス?」


 再度、名前を呼ばれてようやくイトスは目を合わせた。


「アイツ……クノンもこーいう気持ちで走ってんのかな」

「こういう気持ち?」


 目立たない息の音を正常化しながら、イトスはセドの復唱に頷く。苦しさは少しだけ、さほど時間はかからないだろう。そのまま久々の走行で若干軋んだ関節を整えるように肩から首にかけて回した。


「ほら、アイツいつも走ってんじゃん。クノンが走ってて息苦しいとか、そういうのはわかんねーけどよ。考える必要ないこと考えたり、逆に考えなかったり」

「ああ、それはあるかもしれない」

「なんかそういう時ってさ、無駄に煩わしいっていうか、複雑なんだよな。これで良かったとか悪かったとか、そういう反省っていうかさ……俺が反省しているとかじゃねぇんだけど」

「なんか、イトスらしくない言葉だよな」


 えらく流暢に口をついて出てくるそれに、聞き手のセドは苦笑いを見せる。そうして体を直立、いつでも動けるような姿勢へと戻したセドを確認すると、イトスは仕上げと言わんばかりに深い息を吐き出した。


「あー、走るってことも滅多にねぇしな。だから考えちまったのかも、普段はめんどい」

「そう、だろうな……あの、俺はさ、クノンを止めに来た。時に呑まれた確証もないし、もし呑まれてなかったらいつ危険が及ぶかわからない。だからやっぱり、ここまで引っ張ってきてもらって悪いけど、正直今イトスと帰る気、しないんだ」

「あ?」


 一拍置いたあとのくるりと色を変えたセドの表情に、なんとなくそう来ると予想はついていたが、一気にイトスも眉を潜め、念の為その青い目を貫く様に見返した。


 ――〈過去〉も〈未来〉も視ていない普通の色だ。どちらかを視ていた場合この色が星夜と昼の空を上下にそれぞれ染めたような、二色の配色を宿した瞳となるのだ。その点に対しては一安心する。だが〈いつも〉とは違うのだ。


「いつもなら、お前の言う通りにする。その方が結果的にうまくいったり、楽な方に行くしさ……でも、今回は俺の意思でここに来た。クノンを――いや、天界を荒らした発端は俺の発言なんだし、責任はとりたいんだ」

「俺は何があったか誰も教えてくれねぇし、第一知ったこっちゃないからそれについてはなんとも言えねぇ……で?」

「今回はお前に、手伝ってくれとは強く言えない。けど、悪いけどそういう理由で一緒には帰れない」


 まっすぐに現実的に見てくるセドを、イトスは再度瞬きを二度したあと顔を見直した。普段であればもっと引き下がってくれると言うのに……どこか不信感がイトスの中で募っていた。その空気がたちまちめんどくさくなる。一息。


「お前はさ、人の危険はすぐわかるじゃんかよ。未来視えてるんだっけか? そういう理由で。自分はどうなんだ?」

「え?」

「だからよ、その目で未来とか過去は視れるわけだろ? 自分のことを占ったり、危険を予知したりとかできねぇのか?」

「できない、な。だからどうなるかは解らない」


 イトスの質問にセドは首を振ってみせると、肩を落としたイトスがそのまま言葉を浮かべた。


「俺は、ミッチーには色々御託並べられたけど、お前を連れ帰りに来たんだよ。魔力安定しねぇし、面倒くせぇし。でも結果的にお前がクノンに関して責任をとって、それから無事に帰ってきてくれるならそれでも別にいいんだよ、それが解れば一人で帰る。そうでないってんなら無理矢理連れて帰る」

「どうして!」


 声が静寂に反響した。訴えるようなセドの声は、不安と怒りが入り混じった顔から取り出されてはイトスをはっきりと貫く。冷静さが一転。


「イトスに無理矢理連れて帰られるなら、それこそ俺がここに来た意味が解らない。それは嫌だって言いたいんだよ」

「だから、さっきから言ってるだろ。お前は解決した後、無事に天界に戻ってくるんだよな?」


 動じずにイトスは冷淡な口ぶりで話すと、セドは言葉を詰めては顔を伏せてきた。理由はわからなくもない。だがイトスとしてはそれがどうであれ結果さえうまくいけばそれでいいのだ。


 少ししても言葉は返ってこない。沈黙が再び訪れた。息をついて、セドの顔を覗きこむように、イトスは口を開く。


「なあ、クノンとなんで衝突したんだ? 何度も言うけど俺はここまでのこと全然知らない。ただお前はずっとクノンをこんなことにしたのは俺の責任だって言ってるじゃんか。衝突した理由ってなんだったんだ?」


 何気ない疑問だったが、聞いた瞬間にセドは顔を上げイトスを見て、若干目を見開いた。何か癇に障るようなことでも聞いたのだろうか。頭の片隅で思いながらも再び合わせられた目を焼き付けるように見返す。


「クノンは、天使と付き合いたかったらしいんだけど。俺はそれを止めた。アイツにとっては意思表示に関して否定って受け取ったみたいで、それが癪に触ったらしくて、それで……」


 セドの言葉が切れる。やはりなにか思い当たったのだろう、セドの目がやり場に困ったように逸らされた。


「同じだ」


 そうして言葉が短絡的に続く。目線がまた戻ってきた。


「今俺、イトスに考え否定されて、すごいムキになってた」

「ああ……ま、立たされないと、気持ちって解かんねぇもんな」

「なんか、ごめん。すごく取り乱してた」


 いくつ顔をもっているのやら、申し訳無さそうな眼の色でセドはイトスを見つめなおすと、続いて微笑むような表情へと移り変わる。


「イトス、俺のこと心配してわざわざ事を起こしてくれたんだな。わざわざアイツ、ミッチーを敵に回すようなことを言って……」

「いや、それはねぇよ」


 だがイトスはしれっと表情も声色も変えずに言葉を吐きだした。


「俺は言うとおり天界にとっとと帰りたい。ここに俺が居る理由がそもそも解かんねぇから。言語もわかんねぇし、強いて言えば銃で威嚇したり射止めることはできるけれどもよ。そもそもめんどいし」

「つまり、イトスが今必要な理由を提示したら、一緒に来てくれる?」

「いや、どうしてそうなる、というか俺を巻き込まないみたいな口ぶりはどうしたんだよ」


 面倒な予感がする――手のひらを返したような展開にそう悟ったイトスに悪寒が走った、心なしか風も出てきたように感じる。イトスとセドは付き合いは長めではあるが、それゆえにここまで口車にでも乗せられていたんじゃないかという感覚すらあった。一、二歩後退する。やけにセドの表情は曇りから晴れに近づいている気がするのだ。


「本当はさ、お前が……イトスが俺が居ないと安心できないように、俺も近くに居てくれたほうが安心するんだよ。それに……今回一番見逃せないなって思ったのは〈死神〉。アイツがクノンにつきまとっているから」


 〈死神〉、その言葉でセドの声色が一気に低くなる。セドは〈憎悪悪魔〉という類の属性で、普段はそうでもないのだが、この単語を引き金に一気に態度が変わる。〈死神〉――ルディルという存在との間になにがあったかイトスは知っているが、極力話題に触れないようにしていた。名前通り憎悪の感情が一気に表情に出てくるからだ。加えて面倒だというところもある。セドはまっすぐに青い目で改めてイトスを見つめる。


「〈死神〉のあの目は、イトスじゃないと対抗できない。もちろん時に呑まれたならそのままにしておいたらいいんだと思う。でも、ここの時がもし動いたら? クノンはきっと帰ってこなくなるし、何より〈死神〉が帰ってきたら天界がまた殺伐とすると思うんだ」

「俺じゃなきゃ対抗できないってわけでもねぇ気がするんだけど」

「リィノも、あの威圧感で精神が乱されたって聞いた。ミッチーもアイツと目が合わせないようにしている。俺も出来る限り見ないようにしているし、実際に目を合わせてそのまま消えた悪魔も居る。イトスも知ってるだろ?」


 熱がはいったのか、セドがイトスの両腕を掴んで前後に揺さぶっていた。恐怖も感じているのか、指から若干の震えが伝わってくる。


「イトスは、目を合わせても問題ないんだろ? 近づいても消えないわけで、アイツと接触は極力してほしくないけれども、俺だってこの森のことはどうだっていいって思ってる。でも、このまま俺が、いや、イトスが帰ったら――」


 捲し立てるような早口が唐突に止まった。イトスはそんな熱弁が急に温度を失い、訝しげに思ったが、セドのその表情を見定めては状況を察する。目の色が変わっていた。何かを視ている――と悟ったのと、セドが言葉を発して体を突き放したのはほぼ同時のことだった。


「イトス、危ないから警戒して!」


 急に外気の温度が下がり、それから白とも紫ともとれない曖昧な霧が、前方……森の入り口側から一気に押し寄せ、不定形なそれが彼らを飲もうと口を徐々に開き始めていた。

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