21

 閉ざされた扉を恐るおそる開けたのは、鼓動を早めつつ息を潜め、震えた手で取手を捻ったセドであった。室内の薄暖色の壁を引き立てるように照らす。これまで居た明かりの落ちた空間とは打って変わって何もかも呑み込む闇のような空間、そこにはどこか異質な空気が流れていた。


 広さは充分。外観から見ても、その奥に最低もう一室あるのかもしれない。居間からの明かりでしか中は見えないが、とても掃除している部屋とは言い難かったし、何よりも


「え、まてって、何でこんなに、匂いが」


 鼻をつく鉄分の嫌な臭い……セドは無意識なのか部屋の状況を口に出しては確認し、眉をひそめて居間に視線を戻してくる。


「明かりは?」

「わかんない。きっと奥に行けば器具ありそうだけど」


 それにしても静かだ。そう、胸中に集結した思考を秘めているのか、ミドセに対して首を横に振ったセドは、そのまま申し訳なさそうな表情ながらも手招きをしている。


「光る球の奴って、ミッチー出せるか?」

「〈能力〉の使い方は天界と変わらないよ。いつも通り想像してそれを魔力に重ねていく要領で――」


 近づきながら溜息と、それでも手振りで基本的な〈能力〉――固有のものとは異なるが、いわゆる魔力を使った魔法の類も同じ括りである――の出し方について指導しようとしたらしいミドセが、隙間から奥を覗き込んで、闇に言葉を飲ませるように滞らせていた。


「イトス」


 それでも大して長くの停止を見せないまま、ミドセは極めて冷静に食卓と部屋扉の中間程にいる名前を指してくる。イトスはそのまま応じた。


「僕たちを除いて、〈何人〉いる?」

「多分……いねぇな」

「そう。なら少し警戒しようか」


 生命の気配を辿ったイトスの曖昧な発言を聞くと、ミドセは片手で森を移動していた時と同じ球体を創り発光させた、光は大きく灯され浮遊すると部屋の奥へと向かう。


 急なことで意識していなかったのか、右手で発動していたゆえに露わになったミドセの手肌は、砕かれたガラス破片を無理に繋げようとしたかのようにひび割れた形で存在していた。一瞬ではあるが、それによって微々たる度合いであるが表情を歪める――ここまでの様子をイトスは何も言わなかったが一通り目を通してしまった。


「とは言ってもひどい有様だ」


 セドに目配せしながらミドセが部屋の奥に目を凝らしている。先にセドを入室させたが、彼の顔はイトスからみても明らかに表情が強張っていた。むしろ灯りで視界が晴れた瞬間に、小さく悲鳴をあげようとして、短く息ごと押し殺したのはセドだ。ただごとではない。先立った二人が入室し、扉が自由になってからイトスも物見遊山のごとく中を覗き込んだ。


 壁に一面の赤い花が咲いていた。


 思考から沈黙する。心なしか居間の時計の針の音が重厚に聞こえた。だが自分でも不思議な位この光景に驚愕も感動も覚えなかった。ただ呆然と少しの間風変わりで、二度と作られることもないだろう絵画を眺めているような心境だった。花はよく見ればそれがただの血の跡だとわかるが、床に落ち、血溜まりとなり、そして強情にも硬く木地に貼り付いている姿にはなんとも表現し難い可笑しさを感じる。


 見た限り凶器などはない、ただそこで何かあったことだけが物語られていた。急ごしらえで天井に配置された光源は、まるで切れかけた電球のように生々しく明暗を時折切り替えては明かりを落とす。


「うわ、なにこれ?」


 それからやや遅れてアシュロが覗き込んでは、口元を押さえて引き下がった。驚愕の様子は無理もない。一般目に見れば明らかに異質だ、しばらくして腰が抜けたのか床にそのまま座り込む姿も確認する。しかしそのまま視線のやり場に困っているのを放置してイトスは足を進めた。


 視線だけで部屋を一周する。居間に居る二人を部屋に招いても充分な広さがあった。寝台は見当たらない。扉は三つ――二つは部屋に面した内側、一つは外へ続く裏口扉。前者の一つの扉の前でセドがノックをしながら様子を伺っていた。しばし待機した後、怖々と開けても首を振るばかりで、先ほどの住人は気配を辿る限りでもいないように感じる。


 ミドセは、件の咲いた赤い血の跡を眺めており、イトスの視線に気づくと不敵そうな表情を見せてきた、何かを考えている様子だが理解はし難い。そうしてそのまま目線を、血の留まる場所へと移動する。床の血溜まりは外側の扉へと道筋を描いていた。


「ほほう、事件って感じだねー」


 扉の前にいたアシュロを押しのけたのか、いつの間にか背後にいたリィノが声をかけてきた。見なくてもわかる、気がついたらそこにいる、その様は相変わらず幽霊のようだった。幽霊のよう……そこまで考えて、そんな最適にも見える比喩がよぎったイトスは「いや、違うな」と一瞬浮かんだ自分の思考に対して首を振った。


「こういうのお前の専門分野なんじゃねぇの。推理小説好きの〈元幽霊〉さんよ」

「んー、否定はしない」


 場に似つかわしくないリィノの暢気な言葉に思わずイトスが振り返る。じっとりしたいつもの目は、なぜか狡猾そうな笑みを浮かべていた。


「忘れてると思うけど、今も〈幽霊の種〉ではあるよ、殺される瞬間、現場なんてほんとひどいもんだよね、いつみてもさ」


 どうでもいい、そう感じると同時にやばい奴だ――イトスはいつもこんな時に感じる好奇な目に顔をしかめた。リィノは特に気にせず周りを見渡すとそのまま目を細めた。


「遺体はおそらく外に運び出されたね。遠目からみても固まってるのを見る限り、色を見ても多分もう三時間は経過してるんじゃないかな」


 実に、まるで睡眠により疲労が取れたかのように、流暢にリィノが言葉を刻みながらイトスを追い越していく。床の固まった絵画を意図的に避けながらミドセの前に行くとそのまま両手を、恐らく意味はないのだろうが両側面に向かって開いて、そのまま手をひらひらと遊ばせた。


「遺体とかあったら何が原因かわかったのに……そう考えてるんだよね?」

「まあ。こんな惨状にした人が意図的に遺体を失くしたのか、あるいは〈住人の二人が〉なにか事を起こすために運んだのか……色々と推測はできるけれども真実はこれだけだとなんとも言えないね」


 ミドセが口惜しそうに肩を落とす。情報が足りない曖昧な状況が一番苦手だということはイトスも知っていた。今回知識は大量に持っているが、それでもこのような状況ということは、恐らく専門外なのだろう、案外何でも見ただけでわかるという頭じゃないんだな。イトスはそう思いながらも息を吐いた。


「しっかし探偵ごっこしにきたわけでもないんだ。ここで何があろうが俺らには関係なくねぇか?」

「勿論そうだよ、けど仮にこの家の住人がここで生け贄を捧げるために森に来た冒険者共を殺していたとするよ。この部屋が屠殺場に近しい部屋だったかもしれない」

「いや、そんな馬鹿な、あいつらは……」

「〈神様〉を生け贄に捧げたら平和が訪れる、そういう狂った教育がされてる可能性もあるんだよ」


 前はそんなことなかったけれども――淡々と推測を重ねるミドセがそういいながら冷たい視線を投げると、その先に居り抗議をしようとしたセドが身を怯ませる。イトスは段々と面倒になってきた。


「だとしたら、やばかったとして、住人がいない今のうちに出て行けば問題ねぇだろ」

「それが、えっと……クノン? が殺されてた、とか死神があの二人を殺してひっぱっていった、とかだったらどうするの?」


 リィノが身を乗り出すようにそう口にしては首を傾げてくる。好奇な目は一転不機嫌そうで、まるで気持ち悪いとでも言わんばかりの表情だ。


「んなこと言われても俺は――」


 一定間隔の低い金属の音が、まるで場を制するように大きく奏でられた。時計の音だ。九の図に一針が身を据えた。大きな音により、会話はぷつりと九回の鐘がなり終えるまで途切れる。


 残響が去りまもなくして、場に変化が起きた。木製の扉が引かれる音。方角は花の咲く壁――裏口扉だ。


「あ……みなさん、すみません。この有様で」


 照明の様子、人気を確認したトゥティタが気まずそうな表情で頭を垂れ、そのまま引き戸を全開にした後、中へ入ってきた。服と、若干の毛並みに血が貼り付いていた。条件反射か、この場のだれしもが身構えただろう。可能性は否定出来ないのだ。だが恐らくそうしつつも声色が違う者がいた。セドだ。


「トゥティタ……大丈夫か?」

「え、あ、はい。大丈夫です、神様」


 心配そうな声に、気まずそうな顔は苦笑いに変わるが、何かを目にしたのか引きつった顔に変わる。横目で見ると威嚇した目つきのミドセが一点、トゥティタを捉えているのがわかった。


「ここで何かあったみたいだけど、何があったの?」

「あの、お祖父様、つまりここの主様が殺されて……」

「死体はどこにやったの?」


 目を泳がせるトゥティタに語気を強めてお構い無く詰問する。苛立ちが空気を伝うのはあっという間だ。怯え尻尾を丸めながら、トゥティタは息を吸って言葉に変換した。


「墓地が先にあるので、そこに、埋めてきました」

「もう一人は?」

「花を供えてから、すぐ戻ってきます」

「そう、全然信用できないね」


 聞くだけ聞いてようやく目を逸らし、血の池に視線を落としたミドセが、舌打ちをしそうな勢いの不快感を声色に乗せてそれから黙る、終話と同時に後ろ足を蹴りあげ小走りにミドセに近づいたセドが、訴えるように声を吐き出す。


「そんな言い方ないだろ、被害者だったらどうするんだよ!」

「なら、君が目の色変えて〈能力〉を使って確認すればいいさ……本人居たらわかるんでしょ」

「それは――」


 セドが言葉を閉ざす。言われてみればその通りなのだ、だがなにかあるのか行使しようとしない。それが癪に感じたのかイトスはセドに近づきながらトゥティタに視線を向けた。


「仮に信じるとしてさ、殺されたんだろ? どんな奴に?」

「ええっと、黒い服で、鎌を持って、黄色っぽい髪の人です……」

「だとよ、ミッチー。やっぱり〈死神〉じゃねぇの」


 そういいながらセドの肩を叩き合図する、イトスのそんな様子にセドは疑問を浮かべた顔をすると、そのままセドの腕を引っ張った。


「特徴は確かに、詐称できないからね、大方〈死神〉のせいだろうけど……」


 ミドセがその様子を目に入れたのは、若干の手札を得て考察にでも思考を働かせはじめた時だ。ゆえにイトスを見ると怪訝そうな顔で再び睨みつけるような目つきへと変貌させる。


「イトス、どういうつもり?」

「ん、気が変わった。俺コイツ連れて帰るわ。探偵ごっこはゴメンだし厄介事はなおのこと面倒だ」

「だから、連帯責任って話したよね?」


 構いはしない。イトスの思考にはついにその選択肢が大きくこびりついていた。


「なあセド。クノンは時に呑まれた、それは間違いねぇよな」

「まあ、そうだけど」


 腕の中で抵抗するように暴れるセドを腕力で無理やり押しこめながら肯定する。イトスは「なら」と次にトゥティタに目をやる。


「なぁ、時が止まってるのはいつまでだ?」

「多分、次の主様が見つかるまで、です……でも、あの」

「んじゃ問題ねぇだろ。仮にルディルが動いていても、全力出せるリィノとミッチーなら、〈この外界〉だし片付けてくれたら問題ないだろ」


 言葉と同時に光源が揺らいだ。点滅を繰り返し、それがやがて闇に落ちる。一面は途端に幕を下ろしたように暗転し、ミドセの金の眼だけが不気味に色を灯していた。が、そんなことにも目を暮れずイトスはセドを引っ張っていく。場所は座り動じないアシュロを横切り、闇は光へ、そして正面は訪れた時の入り口、まっすぐに、剥がすように腕に力を込めたセドを引き摺るように前進し、やがて扉を開けた。ここまでに時間はややかかったが、不思議と追ってくる者はいない。


「ちょ、待てってイトス」

「この森がどうなろうと、俺は知ったこっちゃねぇよ」


 扉を閉める際、イトスは吐き捨てる様に、闇に向かってそう言った。



「ミッチー、追わないの?」


 残された部屋に正式な照明が灯され、部屋に明かりが灯る。リィノが見送った後、ミドセを一瞥してそう言うと、視線の先は小さく首を振った。


「追えないよ、今の僕にはね」


 そのまま右手を袖の布地からむき出しにする。ぼろぼろの肌を当人はぼんやりと眺めていた。トゥティタは眼におさめたのか驚いた様子を見せる。


「その手……」

「僕ら〈吸血鬼〉はね、リィノの言う通り聖水の力に弱い体質なんだ。動きを制限されたり、魔力の出力が安定しなかったり、感知力が鈍ったり厄介でね、でも」


 そう言いつつもトゥティタを見返すと、そのまま袖口からなにか物質を落としそれを左手に乗せる、重みで一瞬だけ左手が下がる手に据えるは小さな短剣だ。ミドセはそれを言葉と共に投げる。


 顔の横側から手首を捻って発射したその白き刃は直線の軌道を瞬時に描き、入口の前にいるトゥティタを間髪かすめて、その後木目に突き刺さった。ほんの一瞬のことだったが少しずれていたら確実に体を貫いていただろう。


 助かった安堵感と、殺意を真実だと教えられたその様子に冷や汗をかきながら、それをぎこちない挙動で黄土色の瞳は確認した。一体何?


「固まってない情報に対して収集目的で脅しをかけたりは問題なくできるから……僕は今あいつらよりこちらの方が大事なんだ」


 右手の力を制限された吸血鬼の口角が上がる。手にはまた、新しい白い刃が覗いてはこちらを見ていた。


 アシュロはその一連の流れに対して、恐ろしさと驚きゆえに何も反応出来ず、ただ人形のように体を硬直させ、ただ見守るのが精一杯だった。

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