20

「気づいてたよね?」


 机に並べられた食器、その木製器を眺めながらミドセは、配膳をしているセドに言葉を投げる。甘さが湯気となってスープから香る器の奥にいるセドは、持ったままきょとんと首を傾げた。


「入室時、君は僕たちの気配に気づいていたはずだ、なのにこちらを見て驚いた。どこか不自然だった」

「あ、うん」


 セドは椅子に座って今か今かと待ちわびているアシュロの目の前に、大盛りのスープをおいてはミドセに目をむけ直した。


「確かに気配には気づいていた。三人って聞いていたし、パッと目についたのがイトスだったから。でもまさかこんな大所帯でくるとは思ってなかったからさ」

「〈イレイサ〉全員が組織として動く、そのことの読みが外れた?」

「ちょっと違うな、そもそも俺が視ることができるのは相手がいるときで、その相手越しの視点だけ、最終的にイトスがこの森に来ることまでは視たけど、アシュロやお前が来てくれてるとは〈それまでも〉思わなかったんだよ。だから読んですらいなかった」


 言いながら手を動かす。野菜が乳白の汁の中に溶け、鮮やかな数色をもつ小箱が顔をのぞかせるように散らばせたその食物は、頬杖で耳を傾けていたイトスの前にもようやく置かれた。


「で、ミッチー、お前は」

「不要だよ」


 セドは鍋越しに声をかけるが、当然のようにミドセは言葉で拒否を示す。日常からだいぶそれた木造りの円卓の周りに椅子が五脚。先に部屋の掃除し、使えるように用意をしてくると言った二人の住人は奥の部屋に行ったっきりだ。まるで場を乗っ取ったようにも感じられるこの空間は広く、しかし食事中だというのにどこか寂しさと、緊迫感を感じた。


 黙々と杓子で汁を掬っては口に入れるリィノを横目に、ミドセは言葉を紡ぐ。


「まあ、能力がその程度のものならば仕方ないね。じゃあ入室時の気配は気づいていたのか。……そこまで衰えられていたらこの先困るからさ」


 イトスも机の真ん中にある皿に積まれた固形物をつまみながら話を聞いていた。空気の重さの理由は、ミドセの言伝を絡めた上で理解ができた。


 セドは普段は割と表裏もなく明るい性分なのだが、慣れない事や何かしらの作業をする時は決まって神経質になるのだ。〈予見〉したり〈過去〉を視たりする独特の能力を使わずとも割とそれで状況を把握したりする。


 通常なら基本的に近くにいるイトスからすれば、セドが神経質な時は割と瘴気にあたっているかのような重い空気の為、少しばかり窮屈感を感じるのだが……割とその特技が一目置かれているのだ、邪険にはできない。


 スープをひとすくい。安心する甘みが口の中に広がる。野菜だけの甘味なのだろうがいつもの味よりは少し濃厚な味わいがある、野菜を歯で噛み砕くことで生まれてきたためおそらくこの具の性質か。


「そういえば、クノンは結局どうなってるんだ」


 咀嚼し終えた後の一言をイトスが放つと、座って様子を眺めていたセドの顔色が変わる。神妙な面持ちで目線を降ろしたのが見えた。


「時に、呑まれた」


 呑まれた。隣に座っているイトスが復唱するとセドの目線がすぐさまに向けられる。


「この森、俺が来るまでは時が止まった場所なんてなかったんだ。多分俺が来る前の少し前にクノンはここにきて、俺がこの森に入った瞬間に呑まれたんだと思う」

「確証性は?」

「いや……これに関しては恐らく憶測だとおもうけど」


 身を案じるようなセドの意見の真実を突こうとしたミドセは、あまりの曖昧さにため息をついた。一瞬の研ぎ澄まされた空気は、すぐさまアシュロの能天気な声が容易に引き裂く。


「あれ? でもこの森って入り口閉じてたのよね。セドは勘違いされて許可が出たとして、なんでクノンは入れたの?」

「ちょ、アシュロ、まだ食うのか?」


 アシュロが皿を向かいにいるセドに突きつけながら疑問を口にすると即座に表情に呆れをみせながらそれを受け取り、セドは腰を上げた。大鍋は深く、二人の住人が使うには多すぎるぐらいの量ではあるし、セドからしても作りすぎたと後悔していた分減る分には困らないのだが、強請られることこれで四回目である。


 ため息ひとつ。近くの鍋からアシュロの前まで移動しながらその疑問に答える。


「もともとクノンはこの森には何回か来たことがあったんだってさ、経緯とかはわからねぇけど……ここの住人に、『彼女さん』と一緒に言葉とか教えたりして親しくなって、だから二人は顔見知りだったみたいなんだ、実質顔パスってやつ?」


「それなら納得がいくね」


 ことり――木製の食器の音が鳴ったと同時に、セドの隣の椅子に腰掛けているミドセが頷き割って入ってきた。整合性を確認しているのだろうか、整理を希望したミドセは一考する素振りを見せた後その言葉に見合った質問を、視線と共に改めて投げた。


「それを聞いたのは、先程の二人から?」

「そう、そこに鏡あるだろ。クノンが映ってたって言ってたんだ」

「鏡ぃ?」


 セドがイトスの疑問に頷くと指を差す。少し離れた丸太の壁に、銀色の縁装飾が高級感を醸し出す円鏡がかけられていた。鏡は一気に視線を浴びる。


「最近になって使われるようになった魔法製品……とかいってた。俺達の世界でいうと〈監視カメラ〉みたいな役割なんだってさ、入り口に誰かが立ったら光っては写る。という仕組みだとか」

「成程ね」


 再度うなずいたミドセは席を立って鏡に向かい歩いた。食卓から数歩、近づきかけて足が止まる、鏡はミドセの至近距離にはない。しかし、何かに気づいたような……。


「どした?」


 イトスが声をかけるがまずは無反応。――またか。そう思いつつも答えを待つ。ミドセがどんな表情でそれを見ているかはわからないが、少なくとも良い事、では無さそうだ。


「純銀か」


 少ししてミドセはぽつりと口にする。辛うじて聞こえた。そういえばリィノが先程銀について何か言おうとしていた、もしかしたら呼応するものがあったのかもしれないが、それには触れずそのあといつもの空白を開けて紡がれる。


「確か、吸血鬼様の御殿にあった書物にこの形と同じ図が載った資料があった、名称は〈リグズラグリ〉……まあ、さほど重要じゃないから覚えなくてもいいんだけど、確かに特定の場所を映す代物だね。本物なら普通の吸血鬼は触れないし映らないものなんだけど」

「って、さっきから思ってたんだけどさ、お前知ってんのかよ!」


 ここまで何一つ状況を知らないセドが突っ込むように聞くと、言葉に呼応するかのようにミドセは踵を返し戻ってきた。そして結論。


「知っているよ、来たこともある。だからこの世界の知識も少しは蓄えている。ただ、この鏡の所在については予想外だった……とにかくこの森が鏡と、この家の住人によって管理されていることは理解した」


 元の椅子に戻ってきたミドセはそのまま何事もなかったように座ると一瞥する。リィノは食べ終わったのか、ふぅと一息をついて机に顔を伏せる――いつもの仕草を見せていたが、アシュロは違った。


 硬直している、それに様子をみていたミドセが気づき声を掛ける。何か考えていたのだろうか。


「アシュロ、珍しいね。どうしたの? 疲れた?」

「ううん」


 その一言で機械が動き始めたように顔を声の先に動かすと、それから自然に首をアシュロが振り、続いて首を傾げた。


「さっき、セド言ったわよね」

「ん?」

「『彼女』って」

「言った……けど」


 セドは確認された言葉に肯定する。が、次の瞬間に悪寒を感じたのか、即座に身を引いた。アシュロの目の色と動作に変化が起こったのはその予備動作とほぼ同時である。とても、先程までの穏やかで社交的、且つ仲介を買っていたような態度ではない。


「えっ、クノンって彼女がいるの?」

「そう……って言うかお前、同窓会の時一緒に居たよな」

「居たけど、でもすぐクノンは怒って出て行っちゃったから、どういう話だったかは知らないのよ! で、何? 恋愛相談なんて持ちかけられて喧嘩したの?」

「いや、あの」


 扇動的なアシュロの身を乗り出した空気に、距離はあるもののセドは困ったように更に身を引く。日常的にもよくあった光景で、興奮したアシュロを制止するのは中々に難しい。殊更恋愛話となると自分が主導権を握らんとばかりに首を突っ込んでくる。


「アシュロはほっといて……それで、その時彼はなにか言っていたの?」


 基本的に他人事としているイトスから見ても、アシュロの対応に関しては手慣れた様子を見せるミドセは、性格が真逆と言えども親交が深い。それでもこの暴走列車を止めるのは中々手こずるらしく、結局のところ話の筋を別方向に持っていくということしか出来ないらしい。


 ――そうなるとイトスからしても何もできないと判断することになるので、口に出さないように場を見守るのが安泰だ。セドは少し考えた後、一番の当事者として、ここにいないクノンの言葉を取りまとめた。


「えっと、天使と付き合って何が悪い、禁忌を破った前例なんかない、そもそもその禁忌は自由と反している……こんな感じだったとおもう」

「それで、君は今回止めるために追いかけたということだね」

「おう……結局こんな風に巻き込む形になったんだけど」


 先程からミドセの言葉には身を縮こませるような表情でセドは見ている。これも覚えている限りでは日常的な風景だ、これにも手出しは必要ないなとイトスは視線で声の主を追った。


「そう。全く、そこまで心配して止めなくても良かったとおもうんだけどね」


 しかし話を流されたからと言って大人しく引き下がるわけがない――障害を貫通した銃弾のごとくアシュロが一旦出来た沈黙の壁をも貫通するように飛び込んできた。


「そうよ、なんで止めるのよ」

「何でって……」


 セドがミドセからアシュロに目線を向け直す、心なしか顔の距離がセドに近づいていた。


「異種族恋愛なんでしょ? 禁断の愛、背徳的だけどだからこそ燃えるもの。セドはその邪道の中、危ない橋を渡るギリギリな感覚の良さが解ってない。そうミッチーも言いたいの、わかる?」

「いや、そう考えているのは恐らく君だけだよ、アシュロ」


 感極まり、むしろ先程よりも語気も上がっているアシュロに、ついにミドセが手を使った上で制止を示した。


 アシュロが、そこで一瞬で我に返り、乗り上げていた姿勢を戻しはじめた。しかし不満は残っているようで、それが残骸のように耳に届く。


「えー、でもここは止めて説得するより応援すべきところじゃないの。恋愛は確かに自由よ。……いや、ちょっとまって、そもそもなんでこんなものわかりの悪いセドに相談したのかな、私なら恋の先導師として適切なルートを示したわよ!」


 前言撤回、残骸にしては実に未練がありすぎる。イトスは息を落とす。そして別の――様子を見ていても退屈はしないが――住人達が向かったであろう部屋に視線を送った。


 そういえば随分と席を立ってから長い。掃除をするにしても時間がかかりすぎている気がする。そう頭で考察しても結局は面倒が先行して確認しようまでは至らないのだが……視線を戻すとセドが落ち込んだ表情をした上でアシュロから視線を逸らしていた。


「いや、頼んだのはあくまでセドをクノンが『友人』と見込んだ結果で、彼もセドが『友人』であるから止めた。それについては問題ないんじゃないかな」

「けど……俺が否定しなければ、クノンはああならなかったし、こんな事にもならなかったし」

「クノンがどうなるか、その時読めなかったなら君に故意も責任も無いよ。そこから先は――」

「あー、わかってる。俺がちょっと事故起こしたから事件にしちゃったの、それは謝る」


 ミドセの視線が一度向き、注目されたリィノは上体を伸ばしながら言葉を切る。見る限り反省している様子はないのだが、そもそもイトスは何が起こったか詳しくは知らない。ただ聞いてる限り、現状必要な情報じゃないのだろう。むしろ大分本題から逸れているのではないか……基本的にこういった騒ぎは通常ミドセが仕切ったりしているのだが、今の様子を見る限りそうもしていられない状態にも見える。


 そういえば、どことなく先程からミドセが時折怪訝そうな表情を垣間見せている気がする。普段からそうであるため気のせいなのかもしれないが……


 イトスは背後にあった窓の外を見遣った。月が出ている。夜を生きる種にとってはさぞかし活躍する舞台に相応しい白い円だった。


「話割って悪ぃけどさ」


 途中から話を聞いてはいなかったが、独り言のように言葉を投げる。不思議なくらい一瞬で喧騒は消えた。視線は満月の場所のまま


「とにかく、クノンは頻繁にここにきているってこと、禁忌とやらを確認するために自殺行為ができるか確認に来たってことなんだよな。あとセドは止めようとしたら神様扱いでここから離れていない」

「自殺にはならないと思うけど、恐らくそうなるね」


 静まって重い空気に急に変わった中ミドセが答える。セドは黙って頷いていた。


「本当だったら確認で済んだ。でもまさかの死神が追ってきた。街の奴らが言うには死神はこの森にクノンを追ってきた……そうなんだよな?」


 死神――ルディルを思い浮かべながらイトスはそう言い、視線を机側に向け直した。〈死神〉の言葉で顔色に一瞬でも殺意の表情がセドに現れたのをイトスは見逃さなかったがそのまま続ける。


「じゃあ、アイツは……死神は今何処にいんだ?」


 そのまま紅の瞳は青の瞳へと視線を注ぐ。セドは不服そうに目をそらした後、一考、そのまま視線を戻す


「俺は、アイツがこの森に侵入したっていう話は知らない、し――あいつらもあの死神の事は言ってなかったし、入れないと思うんだけど……そんな、まさかこの森に、いるわけないよな」


 続いて表情は不安そうにも変わる。イトスは始終移り変わりをみていたが、気にせずに言葉を投げる。ずっと気になっていたことだ


「なあセド、お前この家にきて、この部屋以外には入った?」

「いや、ずっとこの居間にいた」

「住人はあの二人だけなのか?」

「聞いた話では四人だって聞いた。……俺は二人としか会ってないんだけど一人はちょっと遠出しているらしい、もう一人は……知らない」

「んじゃ、もう一人もだけど……あの二人、掃除するって言ったっきり部屋から帰ってきてないよな。やけに静かだよな?」


 思っていたことをそのまま伝えた途端にセドの目が見開く。それから首を振った。ただならぬ様子だ、黙り込んでいたミドセが、腕を組み――しかし、セドに対して普段が毒の棘のような言葉を投げているとしたら、そこから毒を抜いたような声色で言葉を乗せた


「君が有する、危険を察する馬鹿みたいな能力が発動していなければ、君が危惧するようなことは起こっていないんじゃないかな」

「けど……」

「ただ――そうだ、思い出したよ。ルディルも〈吸血鬼種〉だと此処に来る前にシエルに言われていたんだよね。イトスは住人の身を案じているようだけど、悪い結果になっていなかったにしろ、ルディルがこの森に入っている可能性はあるよ。あの鏡の性質を見る限り、ね」


 ミドセがそう言って鏡へ目を遣る。いつもならそういった情報は先出ししてくるというのに、何故今なんだ、という持っている不満を投げる状況に相応しくないほど、空気は一転していた。

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