19

 淡く明るい丸太小屋の木地、その中を照らす火明かり。時計の小気味悪い秒針の拍は規則的にかすかな響きをもたらし、中に足を踏み入れたと同時に金属質な低音が鳴る。示す数字はイトスでも読める、八の字……共通の意味であれば八時だ。


 次に嗅覚、これはどこか懐かしい、決して家の匂いではない、食べ物の匂いだ。ぐつぐつとこれまた微かに、だが不規則に奏でる音と乳製品独特の粘質的な、だが野菜が混じることで甘みを含めた匂い。間違いない、あの芋だの肉だのを主とした白い煮込み料理だ、この香りをイトスは知っている、視界にいる人物を見れば納得のいく話なのだが。


 心構えはできていた――が、目に収めた瞬間に別の口から、過去の自分であれば言ってたであろう言葉が切り出されることは想定外だった。


「嘘……でしょ」


 驚愕、もしくは期待が絶望に傾いたような、とにかく複雑そうな声。無理もない。目配せするようにミドセを垣間見ると、気づいたのか案の定と言わんばかりの表情を返してきた。


 口を押さえて見ているアシュロの目先には、見慣れた姿ともう一人、片翼の折れた人型の姿が何やら黒い大鍋に向かって何か行動を起こしていた。可愛らしい魔女にしてはどうも歪つな姿……こちらに関してはイトスも知らない。


「ミッチー、これってどういう……」

「ああ、見ての通りだよ」


 リィノの同じく複雑そうに呟く声色へ、なんら驚くこともなくミドセが切り返す。トゥティタは気づいたのか気づいてないのが、我が家に着いて安心したような表情になると、前に踊るように前に立ち、こちらに向かって体を翻すと両手を広げた。


「紹介します。こちらが最近いらした神様です!」


 そこまでしてようやく気づいたのか、あるいは作業に一段落ついたのか、その〈神〉がこちらを見ると、カラリと床に、持っていた杓子から手を離して音を響かせた。小気味の良い、しかし気まずいの木製の音だった。


 沈黙の後、慌ててトゥティタは前後を交互に見比べる。


「あっ、そうでした、お知り合いなんでしたね」


 気恥ずかしそうに身が縮こまった後、「寒いですよね」と体を伸ばして来た道を遡り数歩、扉を閉めた。そこまでの移動は四足歩行、恐らく本来の習性としてはその移動方法が常なのだろう。


「えっと」

「セド、お前っていつから神とかはじめたんだよ……」


 生み出した白い湯気が天井まで登り続ける鍋から身を離し、名前を呼ばれた主は数歩だけこちらに足を進めてきた。久々にみたような錯覚すら感じる青い髪――セドは目を逸らしながらも表情を微笑ませる。イトスは安堵したような呆れたようなため息を吐いた。


「いや、あの……俺だって人違いって話をしたんだけど、色々と話をしてたらこう、断りきれなくて」

「もう少し言いくるめることができるような話術を身につけたほうがいいよ、君は」


 イトスの横でそれ以上の落胆さを浮かべたミドセはそのまま睨みつけるようにセドに視線を向けた。唐突な所作にセドは慌てた表情で、しかし青い瞳をこちらに向けてきた。


「あ――と、ところで何でここが、というか何で来たんだよ」

「いや、君に少し警告したいことがあってわざわざ来てあげた」

「何?」


 続いて怯えた顔、目を離さずともたちまち表情を変えるセドとは裏腹に、ミドセは顔色をそのまま、微細に息を吸い込んだ後ややいつもよりも低い声で言葉を発する。


「何か問題があったら時間に少しでも余裕がある限りは直接来て相談して、そう前も言ったはずなんだけど。どうして事後報告よろしく置き手紙だのしたり意味不明な話並べて電話したりするの。いい加減にして。情報は足りないし曖昧過ぎて歯切れが悪いし回りくどい所為で手間も掛かる、馬鹿なんだから自分で何でもできるって考えを捨てないと今度こそ呑まれて消滅するよ」

「ごめんって、今回に関しては俺が悪いし迷惑掛けられなかったんだよ」


 バツが悪そうな表情へと変化しつつも、慌てて仕草で言葉を繕うセドは、その言葉のあともう一度「ごめん」と顔を伏せた。ミドセもそれを見て呼吸を整える様に肩を竦める。気まずそうなそんな場を見守っていたアシュロは、特にこの家の呆気にとられていた住人を宥めるように柔らかく言葉を向けた。


「二人共ごめんね! 私達は友達を探しに来たの。気が立ってるからちょっとぴりぴりしちゃった」


 笑顔で、手振りもつけながらそう言葉を放つが、当然というべきか二人は反応すらしない、それどころか少し慌てたような目つきで、羽根付きの人物がこちらを奥から覗き込むように見ていた。肌の色は人間というには肯定し難い。灰色に薄緑を溶けこませたような、温度を感じない色。鮮やかな緑を基準とした容姿の少年は丸くて特徴的な鳥の瞳をしばらくこちらに向けて見据えていたが、やがて少しずつこちらに歩みよってきた。信じられない、という顔にも見える。それは近づくほど自分よりやや目線を上に向けていく。イトスは暫くしてその目先に気づいた。


「知り合いか?」


 小さく本人に聞くと


「さあ?」


 それに気づいているのか、当人は曖昧に言葉を散らした。


 少年が近づけばよく分かる。人の姿ではあるがやはり鳥の特徴的な触覚であるとか、翼を象った耳であるとかが一般の視力においても鮮明に見えてきた。やがて足をとめた。


「やっぱり、あの時のお姉さんじゃないですか!」


 少年は見上げるようにミドセに、訴える様に言葉を投げる、肯定も否定もせず、ミドセはその小柄な姿に目線だけを向けた。


「あの、今は〈クトロカ〉という名前なんですけど数十年前別の名前だったの……です! その時吸血鬼を倒してくれた、吸血鬼さんですよね?」


 首を傾げる。しかしミドセは何も言わない、ただ何か思案しているように視界を落として確実にクトロカという少年を見ていた。イトスはそれを遠目に見つつ、面識があるということをこれまでの習性を踏まえてもなんとなく察していた。本人の前でわざわざ確認する程の度胸はないが……。一方ここまで案内人であったトゥティタはその様子を〈ミドセが困惑している〉と捉えたのか慌ててクトロカとミドセの間に割って入った。


「クトロカ、この人は悪魔って種族だよ、吸血鬼なわけないよ……それにどうみても〈お姉さん〉じゃないよ」


 ね。確認するようにトゥティタはミドセの方を向いた。確かにミドセは中性的な容姿をしている。本人の口から言うか大方察しなければどちらかは把握できないだろう、もっとも前者を行った話は聞いたことがないが……そのため他人からみた憶測的な認識はそれぞれであろう。一方答えを知っているミドセは、トゥティタも視界へと入れたが頷く様子も首をふる様子もない。だがクトロカは諦めきれないのか、自信をやや失い語気を弱めながら続けた。


「人違いならごめんなさい、でも……右手のヒビ割れを見て、今度こそ人違いしていないって思ったんです。その、数十年前にも、あったので」

「右手?」


 イトスとアシュロの声が同時に重なった。そういえば思い当たる節があるし、イトスも何故なのか、普段は余計なことを考えない頭でずっと引っかかっていた。二人はミドセをそれぞれ両脇から、腕を覗きこむように見下ろした。そういえば此処に来てから袖から手を出していない気がする。訝しそうに両者を見定めた後、ミドセがようやく口を開いた。


「右手の事、よく解ったね。見栄えが悪くなるからこの通りにしていたんだけど」

「じゃあ、やっぱり――」

「長寿鳥種は五十年で名を変えることは知っているけれども、〈吸血鬼を助けた〉という話は知らないし助けてもいない、現にこの世に吸血鬼はまだ生きている。人違いじゃない?」


 淡々と、言葉を返した。ああやはり知っているんだな――イトスはそう理解すると息と不満を零す。


「あー、もう茶番はいいか? うざったいくらいにワケわかんねえことだらけでそろそろ怠い。んでミッチー、お前の腕いつからだ。ここ突破するときには左手使ってたしその前後か?」

「あの酒場」


 イトスが問い詰めるようにそう並べると、ミドセは黙っていたが、代弁するように別の声が響く。無感情な声――リィノの青紫の瞳がじっとりとミドセの方を向いた。一欠伸をして続ける。


「酒場で出された水、性質が聖水系列だった。よくわかんないけど揉めたんでしょ、さっき酔っぱらいと。その時にかけられた……ちがう?」

「揉めてはいないよ」

「じゃあ吸血鬼と間違えられたって言ってたから、多分相手のかんちがいってやつ、きっとやつあたりかな。……いや、でもミッチーはさっきからずっと流そうとしてたけど〈吸血鬼〉だもんね、否定できないよねー」

「えっ」


 アシュロが目を丸くしてリィノとミドセをみやった。


「えっ……て、アシュロ。知らないわけないよね? ミッチーは悪魔族の〈吸血鬼種〉。鏡にもうつんないし夜が明けたら魔力弱くなるし聖水ですぐ肌ボロボロになるし銀とかも……」

「リィノ、余計なこと言わないでくれるかな」


 重く声を掛けられたリィノがミドセを見る、とても冷ややかな、どこか蛇が睨むような目がリィノへ向けられていた。威圧感だけが伝わってくる。が、なにもしてこないことを確認すると、リィノは腕と背筋を伸ばして悠長に深呼吸までした。これでは密談していたことが台無しじゃないか、そう言わんばかりの空気がミドセから伝わってきた。気まずい――イトスは怪訝そうに場を眺める。時計はそれほど動いてはいない。軽い運動をするように首を回すと言葉を紡いだ。視線はこの家の住人に向けた。


「とにかくな、そこのセドは俺達と同じ悪魔だ、神じゃねぇよ、話がこれ以上こじれるとややこしいから端的に言う。セドを解放しろ」

「えっ、あのさ、イトス、ちょっと待ってくれ」

「あ?」


 懐に据えた銃を取り出そうとするイトスを慌てて傍観していたセドが制止した。眉を一層にひそめて、イトスは近づいてきたセドに目をむける。


「俺、別に拘束とかされてないから。ただ、ちょっと頼まれてここに居るだけ」

「お前、クノンは」

「大丈夫。時間……まだあるし、いや――まだ、その時じゃない」


 セドは、射止めるように、イトスをみていた。確認するようにイトスはセドの目に焦点を合わせるように目を凝らした。そしてセドの肩に手を置く。普段の青より濃い色を溶かし混ぜていたセドの眼の色が、体を揺らされたことで戻ってきた。


「解った。説明とかしなくていいから、戻ってこい」

「戻って?」


 トゥティタがそのやり取りに首を傾げる、それに端的に答えを切り出したのは話題から場を引いたことで解放されたミドセだ。


「簡単に言えば、君たちが言ってる神とやらと同じことをやっているんだ。そりゃ間違えてもおかしくないよね」

「成程」

「セドの、その言葉の理由の根拠も知りたいし、時間もあるなら話を整理させてほしい。少し、場を借りてもいいかな」

「あ、はい。神様のお友達であれば」


 ミドセのその提案に、二つ返事でトゥティタは頷いた。合わせてクトロカも頷く。


「じゃあ――」

「ねえ、ミッチー」


 話す場所を見繕おうと視線を四方に向けようとしていたミドセに、アシュロは声をかけ、その視線を自分へと向けさせる。「何?」と軽く首を傾げたミドセの目先には、愛想笑いの中に若干の申し訳無さの色をつけたアシュロがいた。


「私、ちょっとお腹がすいちゃった……」


 彼女の視線はやがて、匂いの元凶である大鍋へと移り、それから舌なめずりをした。

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