18
「は?」
これには耳を疑うしかなかった。確かに書籍の名前を聞いただけで理解する。という点に違和感を感じてはいたが、まさかそういう単純な答えだったとは全くもって想像つかない。
ミドセは胸元に寄せている左手の平を天へ向ける。少ししてそこから黄味がかった球体が出現した。球体はやがて体を離れると、イトスとの間を縫うように頭上に上がる。実に簡易的な、天界では基礎能力の一つともいわれている炎属性の球体――即ち光源だ。目で追って位置を調整したミドセは、一息ついてからイトスに視線を向け直し、そのままトゥティタ達が歩いて行った道へと体を向けた。
「まあ、実際に見たほうが早いと思うよ。僕も文献の名前を聞くまで何を言っているか全く理解できなかったし、正直目でみるまでは確実性がないから信じられない……というか信じたくはない」
「そりゃあ、なぁ……俺もさすがにお前の言うことだとしても信じらんねぇぜ」
霧で出来た入り口の所以か、湿潤性をもった空気は地面にも影響があり、獣独特の足跡が、自然と行き先を示すように道に刻み込まれていた。あまり複雑なことを考えたくない。そう思っているイトスにとっては好都合な環境ではあるが、言わずとも先々に状況を理解していき、且つそれを盛大な尺をもって説明してくれるであろうミドセが隣にいるとなんとも〈はずれを引いたような〉感覚が襲う。
安全性だとか信頼性だとかにおいては遥かに高いのだが……。そもそも神という存在について、あまりいい印象はないのだ。その身分に期待することは何もない。
……が、正体を知ってしまうとむしろどうしてそういう曲解が起こってしまったのかという、そういったどうでもいいところに興味が湧いた。それはさておき話し手は実にすんなりと言の葉に自信を持っているように見受けられる。イトスは肩を落とした。
「しっかしそこまで色々解明してるんだろ? お前独りでクノンだとか宝だったか? そういうのとかやっぱ全部解決できるんじゃねぇの」
半ば愚痴のように頭を掻きながらイトスがそう言うと、ミドセの、少し先を進んでいた足音が少しだけ止まった。
「確かに……夜、で万全の状態が恒久的に続くのであれば、僕だけで解決できた話だったかもしれないね」
それは独り言のようにぽつりと、イトスの方を向かずに囁かれた。が、何事もなかったように湿った足音を再び奏でると、いつものような鮮明な声でミドセは紡ぎ始める。
「知ってる? 今日は満月なんだよ」
「それがどうかしたのか」
「月が満ち照らしている時に活性化する生物と、空が鮮やかな青の時に活性化する生物というのがいるのは知っているよね。この世界も然り、僕達が住む世界の悪魔もその法則……つまるところ生活パターンを持っているわけだ」
半ば空を仰ぎ見ながら、今はまだ月が顔を見せてはいない藍色の空に説明するように語りかける、そんなミドセをみてイトスは思わず立ち尽くしそうになった。
「ミッチーは夜魔属……だっけか? なんの種族かよく知らねぇけど、ああ、お前にとって日中は都合悪いから人海戦術で行こうってやつか」
ミドセが一旦イトスの方に身を翻す。軽く口角を上げるのがみえた。少なくとも否定という返しではないだろう。
「僕にとって都合悪いかはさておき、君と一緒さ。一人で負担するのは恐ろしいくらいに面倒だから」
「とりあえず納得しておくか。これ以上横道それても面倒くせぇ」
「賢明だね」
声色だけをみても苦笑している様子がわかった。イトスはそれに息をこぼして暗い路上の足を進める。で――とイトスが少しの空白を挟んで切り出した。
「あいつらに聞かれたら不都合な事って結局何なんだ」
その問いには一拍――いや、それ以上の沈黙が流れた。返事に対する少しの間というのは知る限りで話し癖のようなものだ。しかしそれを加味した上でも実に返事までの拍が長い――が、確実に答えは戻ってくる……それに関しては期待ができた。案の定溜めた白紙の後の一声
「吸血鬼だよ」
イトスは眉を潜めた。聞き捨てならないような、どうでもいいのではないかと思うような、そんな返答だった。
「吸血鬼?」
言葉を反覆した。
「そう、この森は呪われている。吸血鬼の呪いによってね、だから混乱を防ごうとおもって、此処の住人の前で伝えるのを避けたんだ」
「おい、なんだよその吸血鬼の呪いって」
今まで全く単語すら出てこなかった――いや、一度は聞いたかもしれない、だがどうでもいい種族の名前とその時は判断したのだろう――〈吸血鬼〉という存在が当たり前のように出てくる。イトスにとってはまた厄介だと感じるものが発生したも同様だ。今度は特に目立った沈黙も感じられないまま言葉が耳に届いた。
「ああ、そういえば話していなかったね。簡潔に言うと〈数百年前、山頂の王が豊作目当てに悪魔と契約。見返りにこの森が災厄に晒されることになった〉……だからさっき種族を聞かれたときに返答に困ったんだよね。誰かさんが馬鹿正直に言うだろうから先手を打ったけど」
「でもあの犬みたいなのは特に変な反応しなかっただろ」
「うん、もしかしたら年数経過で〈悪魔〉という語録が消えた可能性があるからある意味助かったよ。それでも、町様で聞いた吸血鬼という単語は根強く残っている可能性がある。名前を出しただけでも警戒されたらそれこそ事がうまく運ばないじゃない? だから僕はこの話を伏せていた」
聞いてもいないのに連ねていくのも恐らく性分なのだろうか、イトスは右から左に流しながら相槌を打った。正直まだ濁っている部分はある。たとえば吸血鬼という語になぜそこまでこだわるのかといったところだ。しかしこちらとて長々と話を聞きたくはない性分だ。ながい台詞を圧縮して頭の隅に寄せて……イトスは次の問いを投げた。自分から聞かせろと言ったものの、そろそろ飽きてきた。
「んじゃあとひとつ、〈神の正体〉その根拠だ」
そう問い飛ばした矢先、目先に今頭上を飛んでいる光源とは違う、淡い光が灯される。先程の獣の少年の姿、見慣れた二つの人の型、それから奥に特徴的な家の形の影が見える。小さな二つの四角窓からも光が漏れていた。ふと光がみえたのか、黒い影がこちらに向けて手を振っている、アシュロだ。どうやら目的地のようだが、そんなことにはおかまいなくミドセは背をイトスに向けたまま、いつもの語気よりはやや柔らかめに言葉を届けてきた。
「月が満ち照らした夜には星の編んだ世界を詠んであげる、僕と同じ青い空の時間には、この世界を優しく導いてあげる――〈かみさま〉はそう言って町の人々に笑いかけると、ゆっくりと世界のこれからについて教えてあげました」
「あ?」
「『降りし奇跡』の一節だよ。初版と二版で展開が変わったと言われる風変わりな作品で、恐らく彼が読んだのは二版だろうね」
「ワケわかんねえけど」
イトスが少し足を早めて、ミドセの横にならぶ、そして気まずそうに、且つ呆気にとられたようにそちらに目を向けた。
「アイツが人違いされてるってわけか……」
「恐らくね。まったく随分偉い身分になったもんで、まあ時が呑まれて――領域外の時間が止まっているんだ。下手に動かなかったのは運がよかったんじゃないかな」
光が次第に青緑の葉の色を鮮明にし、住人の根城となっている空間への領域に差し掛かると、ミドセが造った光源が自然と空気に溶ける様にきえていった。アシュロの特徴的な高い声が、相変わらず元気そうにこちらに声を投げる。
「おそーい! 待ちくたびれちゃったわよ! 皆揃ってから神様に会おうって三人で待ってたんだから!」
期待の表情のアシュロと、相変わらず眠そうだが少し興味があるのか、目を半ば開きながらリィノがこちらをじっとりとした目でみていた。実に輝いている。
「なんか……アイツらみたら期待して損したって言いそうじゃないか」
「うん、リィノはともかくアシュロはね。まあ反応が面白そうだからそのままにしておくけど」
イトスはそのままトゥティタに目を向けた。友好的なアシュロの計らいで少しは緊張が解けたのか、先ほどよりは大分落ち着いた言葉遣いで、トゥティタが微笑んでくる。
「お待ちしておりました。御用は済んだのですか?」
「うん、本当にこの森は面白いね。風をぶつけても葉が揺れないから興味深かったよ」
ミドセが対極的に真逆の表情で獣人に目配せした。絶対そんなこと考えていなかったろ。イトスはそう思いながらも様子を眺めていた。トゥティタは安堵して息を吐いた。
「良かったです……とはいっても数日前までは動いていたんですけどね。あ、でも今は神様が居ますし森もまた今までどおり動くかもしれません。そうしたらもっと面白いものが見れると思いますよ……あ、では皆さん揃いましたし、いよいよ僕の仲間と神様を紹介しますね」
トゥティタはそう言ってお辞儀をすると、扉に近づき、そして扉を開けて中への移動を促した。
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