17

 緊迫した空間。見合わせた互いの距離感を、割れた霧の境界線をくぐるかのように風が通り過ぎる。怯えた表情の目をした少年がもつ黄土のような色はまるでこちらに訴えてくるようにも見て取れる、さしずめ白旗を上げるようなところか。イトスはしかし銃を下げず、平坦とした声色へ微かに不審そうな旋律を乗せた。


「迎えに来た? ……つーかこっちの言葉喋ってんな、同族か?」

「いえ、あの、僕は言葉を教わって、神様に言われてこちらに来ました」


 途切れすぎて細切れになりそうな少年の細い声が真面目そうに揺らぎ、言葉を止めてまた空白。イトスは緊張で上ずり明らかな動揺の仕草を見せる少年の様子を見て、一度銃口をひとまず目標から下げた。この様子であればあながち嘘ではないだろう。これがもし咄嗟に思いついた出任せだったとすれば、少年はよほど場慣れした芝居役者だ。だがイトスから次に口をついて出たただ一言からは、まっとうに信じる色は感じられなかった。


「は、神様?」

「はい、僕達が信仰している神様、です」


 神様。イトスからしたら――いや、彼ら属する悪魔という種の括りから眺めるととても良い印象の種ではない。もっともこの世界は別の概念でもあるのだろうが、イトスにとってはその見境などどうでもよかった。考えるだけ面倒くさいのだ。


「ミッチー、ちょっと解説してくれ。さっぱりわからん」


 で、あるからこそ調度いい人材が居るとありがたい。視線だけをイトスはそちらに向けた。言葉にされなくても、さもそうであるかのような素振りをみせた彼の姿には、ミドセは呆れて視線を返しつつ肩を竦めるしかない。それから一拍、口元に指を添えたミドセは言葉を解いた。


「いや……そうだな、まず知り得る限りから。元々この世界は精霊信仰だ。僕達とは意味合いが違うけど神に位置するものが存在しないことになっている。だから、彼が神と言う者はあくまでの比喩か、或いはそう吹き込んだ奴がいるか、それとも、僕の知らない範囲……時代の変遷で神の概念が成立したか――」


 少し落ち着いたのか先程よりも場に馴染んできた獣人の少年は、説明合間に混じらせたミドセの目線を通されてややびくりと反応する。憐れにも尻尾は丸まり恐怖を体で表現しているが、向けた黄金の瞳が同情するかといえばまた別の話だ。だが話の流れ上しっかりと耳は機能しているのか、そんなミドセの言葉にも相槌を打つように首を傾けていたところを見る限り、どこにも虚実はやはりないのだろう、もっとも言葉にして肯定することはないのだが。


 話が流れて行く。実体こそ軽いが睡眠という挙動によって全体重を預けているリィノをいまだ下ろすこと無く、ただ声という声を辿っていたアシュロは、その空気に逆らうかのようにようやく、空白が出来上がった機会に踊り出るように言葉を発した。


「ねえ坊や、その神様ってどういう人なのかな、最近の人?」


 愛想をもって近づき首を傾げる、お手の物だ。相変わらず警戒して震えるように身構えている点は何ら変わりないが、いかにも場から離脱しそうである、という空気の恐怖は薄れているようにもとれた。少年は目のやりどころに困るかのように視線をそらしながら、息を整える。


「ええっと、そちらの方が言う通り、元々は神様なんていないのですが、昔から家にある本の中に神様が出てくるんです。その神様がいらっしゃったので、僕らがそう呼んでいるにすぎません」

「へえ、本の題名は?」


 ここでミドセが興味を示したように言葉の棘を和らげる。整い明瞭となってきた少年の声はそれで更に和らいだ。はっきりと、題名が聞き慣れた言葉で届いた。


「『降りし奇跡』です」 

「ああ、粗方理解した」


 納得といわんばかりの表情をして、ミドセはその答えに目を伏せた


「解ったのかよ……」

「うん、糸口も見えてきた。それに〈招かれている側〉なのもどうやら真実みたいだ。だからイトス、発砲せずに彼についていくのが賢明だと思うよ」

「チッ、解ったよ。面倒くせぇことだけは増やすんじゃねぇぞ」


 思惑を威圧感で説き伏せられたかのような錯覚を覚えたイトスは懐に得物を仕舞う。少年は大きく息を吐くと、森の奥を指差しながら体をその方向へ向ける。


 イトスは他の者が動くのを暫く眺めていたが、少年が歩き始め、同行した点を確信すると最後尾より足を進め始めた。


「とても厄介なお話ですが、僕と同じ道を進んでください。できれば樹にも近づかず、距離は開けてもいいのですが……とにかく道を外さないように注意してください」

「ん、どういうこった」

「時に……呑まれます」


 イトスは先導する少年の背に向かって眉を潜める。最前線とはそう距離もない。


「は?」

「信じられないお話かもしれませんが、今この森の主が不在なんです。主がいなくなるとどうなるかというと、一定の範囲から逸れると、その場所の時が止まるんです。壁に縫い止められているような感じ……というのでしょうか」


 〈時に呑まれる〉という事象を解説していた少年が、足を止めると周囲を見渡した。そして少し離れた距離、歩いている方角からみて左側――そこを指差す。日が落ちて可視範囲は随分と狭まっていた。いつの間にか少年の手には提灯のようなものが提げられており、発せられる光源が唯一の視界の助けである。そんな状態の為示された方向も、森という陰や闇が多く生まれる場所であるからこそ、形を視認できるまで時間がかかった。

 少年の示した先には小さな――兎のような動物がまるで石像のように動きを止めていた。曖昧が次第にはっきりと物体として姿を現す。百聞は一見にしかず、これが彼の言う〈時に呑まれる〉、そのものの末路なのだろう。


「ああ、確かに言葉のみよりは随分説得力があるね」


 イトスはそこまでの認識に至るまでに回り道でもしたかのような時間が掛かったが、一方でミドセはそれを一足早く、しかもしっかりと把握しては納得し言葉として少年に伝えていた。少年が振り返りミドセの瞳を覗き込む。随分と驚いたような表情だ。


「わ……すごいですね、何故すぐ解ったのかなと思いました」

「まあそういう種族だからね」


 無理もない話だった。即座な反応ができたのは、なにもミドセの把握力が非凡であるから、という簡単な理由だけではない――そうわかるのはあくまである程度の年数を経て知ったイトスの経験則からの観点だ。知らなければ不可解同等の域であろう。件の兎が石化したような現物がなければ〈こちら〉が中々理解できないように、実際に見てみなければわからないものだ。


「貴方達はどういう種族なんですか?」


 続いて少年は首を傾げる。どうやら覗き込んでいたことで物珍しさを感じたのだろう、当のミドセの瞳は煌々と黄金色に光を灯していた。体質というべきか特質というべきか、そういうものは容易く隠蔽できるものではないのだ。光る目が常人ではないと証明させた以上気になってしまうのは仕方がない。つい頭に出てきた疑問を尋ねる衝動を抑えられなかったのだろう。


「悪魔だよ」


 しかしミドセが何食わぬ顔でサラリとそう返すと、少年は目を丸くし、一方でミドセの視線がその誠実そうな視線から外れた、。明らかに背後のイトスからみても傾いたことが解る。その理由が何故か、というところまではイトスも読めないし、深入りする気はない、少なくとも今は。それでも幸いか、あるいは何かを察したか、少年も同じように追及はしない。


「そうでしたか、ではみなさん夜は暗いところでも平気なんですね、すごいです」

「夜目はミッチー特有の技能みたいなもんだと思うんだけどねぇ」


 思わず上がった起伏のある少年の声には、ここまで全く話題にすら入ってこなかった存在……担がれたリィノが欠伸をして一言参加してきた。背負った主アシュロは軽く振り返ってはその様子を伺う。


「あらおはようリィノ、だいぶ寝てたわよ」

「あー、うん、おはよう……」

「お前は……ったく羨ましいよな、どこでも寝れるし担いでもらえるしで」


 暢気そうな声にイトスが大きく息をついた。その様子を振り返って伺うと、アシュロに目配せをして降ろしてもらう。リィノが久方に地面に着地すると軽く天に向って上体を伸ばした。驚いたのは一人、獣人の少年だ。


「わわ? すみません、気づきませんでした」

「大丈夫だよ、君と会う前から気配がそもそも無かったからね」


 一点に視線を集中するとリィノは不快とも疑問ととれる目つきであたりを見回した。最初にそれを解除したのは少年だ。首を傾げて不思議そうに耳を垂らす。


「あれ……? おかしいですね、僕が仲間の、〈クトロカ〉という子がいるのですが、その子が話していたのは『三人が森の前に居る』ということだったんです」

「すごい、そういうことまで解るの」


 アシュロがふらついているリィノを支えながら感嘆の声を上げる。リィノの様子はそれに対して嫌そうな表情で対応するが、残念なことに当の本人は見ていない。少年は少し背筋を伸ばすとその言葉に対して軽くお辞儀をした。動作が不慣れなのかよくみると足元がおぼつかない。


「申し遅れました。まず、僕は〈トゥティタ〉と言います。それから僕らは『亜の民』と言われていて、森を守っているのです。なので、入り口に誰かが来た時には、僕には見えないのですが精霊が知らせてくれて、その様子が鏡に映るんです」

「やたらハイテクなんだな……」

「ハイテク?」

「いや、こっちの話だ」


 イトスは小さく零すともう一度ミドセを見やっては近づく。そうして小声で確認するようにほそぼそと声を紡いだ。ミドセは首を傾けた。


「あいにく話は全く見えないんだが、やっぱりお前は何か解ってる顔してるな、この際道中長そうだし説明して欲しいんだけど」

「ああ。じゃあ先に行っててもらおうか、大丈夫、気配は読めるからすぐ追いつくよ」


 ふわりと、風を吹かせて、疑問の表情の少年――トゥティタのところまで声を飛ばすかのようにミドセがそう発する。耳がピクリと動き、あの、と声が伸びるが、間髪入れず続いた。


「そこの二人は先に連れて行って、今はあんまり役に立たないから」


 と、いう声に少し間を持たせて頷く。


「わかり、ました」

「えっ役に立たないってひっどーい!」


 アシュロが黄色い声を上げるが、ミドセはそれにも冷静に対応する。


「特に君には何かと遠回りに説明することになるから。効率化を求めたいんだよ、今は」

「だけど……仲間でしょ?」

「うん、仲間だからこそ先に行けって言ってるんだよ。決裂したくはないでしょ」

「う、わかったわよ」


 渋々ながらもアシュロはその姿勢を変えないミドセの言葉を呑むと、リィノの背中を押した。――くれぐれも時に呑まれないようにしてくださいね。との忠告をする少年には、疑うような表情がない。


「本当無警戒だな、心配だよ」


 距離を大分話してから、ミドセはため息をついた。


「それで、やっぱアイツの前では言い難い話をお前は持っていた、と」

「珍しく配慮してきたね、必要はなかったけど……本当にその洞察力だけは感心するよ」


 足跡を追うように、それでも追いつかないように、ミドセが足をようやく運びながら言葉を流しはじめた。


「単刀直入に二つ言うよ。まず此処には来たことがあるんだ、七〇年前のね、結界を張ってある点は想定内だったけれども、情報が集まるまで全く見当もつかなかった」

「そんなことだろうと思ったんだよ」


 なんでもっと早く言わなかったんだよ――そんな言葉を呑み込みながらイトスはそれに付き歩く。


「だから、この〈時に呑まれる現象〉の仕組みも理解しているし三人と彼が言った理由も大体想像がつく。もう一つ、彼のいう神様の正体なんだけど――」

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