Epi:3  《神様》がいるから

16

 丸太小屋の中にある一つの居間は安心と不安、二つ色の空気が混じっていた。外は霧が纏い、この部屋一体を温める暖炉が機能しなければどれだけひもじい思いをするのだろうか。



 警戒の空気が不安の中に織り込まれる中、壁に据えた大鏡を見ていた緑色の片翼が狼狽えるように振り返った。


「三人、三人もいるよ! この辺りで見ない感じの……しかも結界破ろうとしているよ!」


 上ずった声で挙動に怯えを示しながらもう一人の住人に話題を振る、怖がっているのか、その住人も、自前の尻尾を丸め込みながら周りを見渡した。


「ど、どうしよう……今破られたら」

「通せ」

「え?」


 二人の住人が慌てる中、落ち着いた声が部屋を反響する。住人は動きを止めて視線の先を見やる。


「でも〈神様〉……」

「面識がある、通せ」


 言葉がぶれずに住人に伝わる。尻尾を持ち耳を生やした少年は、恐る恐る近づきながら、しかし〈神〉の表情をみてやがてうなずいた。


「わかりました。お知り合いならば」


 肝を据えたように一度しっかりと背を伸ばすと、格好と不釣り合いに人の立ち姿と同じようになった少年は、そのまま扉へと向かった。


 開いた瞬間の風は、異空間のように冷たかった。









 移ろいすらない緑の端をやや練り歩き、ようやく足を止めた頃には、一面はすっかりと闇に染まり、人の気配も、自分たち以外が切り離されたように、心なしだが生命の気配すら感じないほどの静けさが訪れていた。踏みしめる場所は決して人の道でも獣が踏みしめつくった場所でもない、ただ、一風変わった場所などない森の茂みで、内部への侵入を許さない垣根のごとく入り口を隔てた空間の前に佇んでいた。耳に入るのは自分の呼吸か、あるいは風の音か、道中いつの間にか会話は飲み込まれたように消えていた。


 重い空間、先も見えない気が遠くなりそうな世界、イトスはその静寂に反するように口を開く、言葉の先はやや距離を起き自分の前を歩いていたミドセだ。


「なぁ、本当にここなのか?」


 手掛かりをうまく解せる唯一の存在とも言える存在ではあるのだが、そんなミドセにイトスはやはり若干の不信感があった。普通に考えてもこんな場所から入れるとは思いもつかない。


「そりゃあ、こんな濃霧で、この茂みで、入り口と考えるのは確かに通常では考えられないね、でも此処に描いてあるんだ」


 ミドセはそう言ってイトスにゆるりと近づき、紙を持っていた左手を差し出した。折りたたみを展開しても掌よりもやや大きめの紙、イトスはそれを受け取ろうとしたが、端に見える細やかな文字、簡略化された図形の群れをみては眉を潜め、そのまま拒むように軽く身を離す。


「さっぱりわからねぇな、検討もつかねぇ」


 大きく息をつき視線を別の方角にやる、たまたま目に入ってきたアシュロは、リィノを背負いつつも体を軽く動かし、そのまま空をみていた。リィノに関しては相変わらず、アシュロに身を完全に預けては目を閉じていた。一周、そのあとイトスは再度口を開く。疑問の声色。


「なぁ、会話もだけど、お前はここの言語解るのか? 来たことがあるからすぐにわかる、本当にそれだけなのか?」

「もちろんだよ、それでないとここまでたどり着いてすらいないよ」


 ミドセは一度距離を詰め、どことなく下から覗き込むように目を細めた。


「それにしてもここ数日やけに食いついてくるね? 言ったよね、折角優秀な同胞が味方についているのだから、あまり揚げ足をとらないで欲しいな……って」

「面倒くせぇんだよ。こう、頭良いお前にはわかんねぇだろ、何もかもわからない世界にいるっつーのはよ」


 静かにだが風向きが変わり、森を覆う冷たい霧は一層濃くなっているようにもとれた。ミドセは貫くようにイトスの紅い眼を見据え、それに応じるようにイトスも琥珀の眼をとらえていた。


 その戦意にも変わりかねない空気を切り裂くように、身軽なアシュロがその間へ、リィノを背負いながら割り込んできた。


「喧嘩しないで! ほら、ミッチーもまだまだ頭つかうんだし、イトスもめんどくさいわよ!」


 互いに得物を手にしていたわけではないが、睨み合いをその一言で辞め、同時に深い息をついた。


「まあアシュロに免じて許してあげるよ。一応仲間だし、ね?」

「ちっ、めんどくせぇ奴だぜ」

「聞こえてるよ、イトス?」


 舌打ちと小言を漏らしたイトスにそう指摘したミドセは、ようやく目線を外し、割って入ってきたアシュロに目をやる、アシュロは目が合ったと同時に、場にふさわしくない明るい声色で首を傾げた。


「あのね、ずっと気になっていたんだけど、この紙に入る方法とか書いてあるの?」

「そうだね、この部分に魔力の亀裂があって、ここに術式を紡ぐ……とあるね」

「へぇ、術式わかるの?」

「うん、本来下調べが必要かなと思っていたんだけどここに書いてある」

「おお、それはすごいわ……」


 好奇心旺盛といわんばかりに、アシュロはミドセが再度目を通し始めた紙を上から覗きこむようにして見る、しかしアシュロからしても解せる物はなく、強いて言えば矢印にも似たその形が入り口であることを示している、という程度しか相変わらず理解ができなかった。


「ただ残念なことが一つ、思ったより時間が掛かるかもしれない」

「え? あんまり文字かいてないっぽいけど、合言葉言うとかそういうのじゃないの?」

「えっと、短絡的に言えばそうはなるかな。簡単に言うとここにあるのは、例を上げると『教典の何ページを読め』と言われているようなものかな、内容は前読んだことあるし、それを魔力に念じて乗せるんだけど、逆算して考えると長めに時間がかかるってこと」

「あっそ、んじゃ、俺休んどくわ、適当にやってくれ」


 説明が終わったと同時にイトスはそう声を上げる。みやれば草原の柔らかめの場所に仰向けになり、腕を頭の上で組んで目を閉じていた。ミドセは冷ややかな目を向けながら、低い声で返事をした。


「ああ、こちらこそ邪魔されたくないからね、せいぜいくつろいでおくがいいさ」


 ミドセはそのまま体ごと入り口へと向き合い、そのまま濃霧へと手を伸ばす、白いそれは絡みつくようにミドセの左手に纏わりつき、そのまま淡い光を放った。だがそれは微かな光で、集中しはじめた状況に気づかぬアシュロはそのまま声を掛けた。


「ミッチー、イトスも単純に長旅で疲れてるだけよ。それになんでもかんでも一人でやっちゃうから、余計に退屈に感じて……」

「アシュロ、少し黙ってくれないかな」


 身を乗り出すようにしていたアシュロはその声でようやく気づいたのか軽やかに後退した。いつもと同じような調子に見えなくもないが、長い付き合いのアシュロは少し違和感を感じた。それでも真剣で冷静な姿を遠目で見れば、気のせいかもしれない、そうも感じそのままふわりと手持ち無沙汰な体を視界に入らない範囲で動かす。月の光は、半分の形に相応しい柔らかでどこか物足りない光を落としていた。


 柔らかな風、柔らかな光、時折何かできないのか様子を伺っていたアシュロとは裏腹に、イトスは呆然と空を見つめたり、目を閉じたりを繰り返していた。


 正直居心地が悪かった、不慣れすぎる空間と、天井に点在する白の粒はあまりにも無意味なようにも、奇妙にも見て取れた。いつもであれば手に届きそうな範囲にそれはあるというのに、また、視界を覆うようなものがない世界はあまりにも開放的すぎてむしろ鬱陶しくも感じるほどに、とにかくイトスにとっては不快にも近い感情が渦巻いていた。


 辛うじて目を閉じていれば、いずれは無の境地に至ることができるのであろうが、違和感は多少刻まれた時間では拭えない。いっそのこと担がれるリィノのように気にしなければよかったのだが、どうにもここ数時間、数日にして感覚が狂いきったようにも感じた。


 だからこそ、一瞬で現れた大きな違和感に即座に反応できた。


 自分からは驚くほどの速度で飛び起き、やがてこちらを背にするミドセを突き飛ばす。唐突に視界が揺らぎ、集中していた結果こちらの行動を感じ取れなかったのか、ふらついた身の均衡を戻したミドセは、若干の驚きの感情を、それでも冷静な表情と共に乗せる。


「ちょっと、一体何? これ以上邪魔しないで不快だよ」

「っるせぇな、お前が気づかねぇわけないだろ? なあ、出てこいよ」


 募った苛立ちを中で備えた弾に込めるように、イトスは銃口を霧の先に向けた。ミドセの成果か、先程よりは明瞭に奥を映す。紡いだ術式は完成間近だったのか、仄かに輝く亀裂は月の光を反射してやがて、めくり落ちるように一片が零れた。首を突っ込むように様子をみていたアシュロが遠くを眺める。キラリと何かが光った。


「ほらよ、居るじゃねぇか」

「成程ね、君の視力と気配だと馬鹿みたいな距離の異物が読めるのか」


 ぼそりと、いつの間にか立ち上がっていたミドセが息をつく、そのまま亀裂をなぞった。


「ったく、この調子だと何も読めやしない」


 静かに、囁くように言葉を流した、そんなミドセの言葉をイトスは聞き逃そうとしたが、ふとその動作にすら違和感を感じて、思わずイトスは得物の角度はそのままに、光った物質に視線を向けながら声をかけた。


「なあ、ミッチー」

「何? あと数秒、ちょっと黙って」


 苛立ちを含める声、それが終わったと同時に亀裂は崩れた岩肌の用に地面に落ちていく。まるで濃霧を氷化して、それの空洞をつくったかのような、人が一人ずつ通れるような穴。


「聞こうか、イトス」

「お前さ、利き腕右だったな?」

「両方使えるんだけど、何故?」


 翳す手を戻しながら息をつき、一拍置いての返事でミドセはイトスへ目を向けた。


「時間を稼いだのか、それともそっちの手の方が効率が良いって最初思ってたんだけど、ちげぇな?」

「さあ、なんのことだろう、今の状況で最も効率のいい手段を選んでいるんだけど」

「あー、まあ今はいっか……とにかく、そこのそいつだよ、銃で撃つ前にとっとと顔出しやがれ」


 イトスの殺意に近いその言葉に、ようやく、奥の茂みからカサリと揺れる音がする。そのまま頭をそこから出す。 距離は近く、こちらを怯えた目で見やる姿は人と同じ目で、しかし生えた耳が違った。人間のそれとも、こちらの悪魔のような伸びた耳とも違う、斜め上に伸びた、金色の獣の耳。


「あ、あの、すみません……僕はあなた達を迎えにきたんです」


 高めの少年の声がこちらに伸びてくる。恐る恐るこちらに手を挙げながら近づいてきた。

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