15
人が通るために施された道を歩く。両端を彩る丘陵というには平坦な緑は、大振りの葉が顔を見せる領域がいくつも点在していた。懐かしい、そうリィノが眼を擦りながら解説するところによれば、ここは農村のようなもので、領域は畑であるとのことであった。イトスは天界ではみることもないような真新しい情報を右から左へ流しながら、とにかく目的地に着いて事がはやく済めばいいのにと考えていた。
疲労を感じながら数分程度、例の大きな建物の扉を開く。時間がなのか人気がなのか、外ですれ違う人はいなかった。遠越しにみて畑で作業を終えた人間の姿はあったが、こちらに目を向けることはなかった。しかし扉の中は違う。軽い木鈴の音が響いたと同時に飛び込んできたのは酒気の匂い、熱気、人の数。イトスはあからさまに嫌そうな表情をしながら零す。
「多くね?」
「聞く限りそういう所らしいよ、冒険者やら旅行者が多いから。まあ適当に座っといたら? 冷やかしに水くらいは出してくれるよ」
戦力外と判断したのか、ミドセはそうイトスらに目配せしてから奥へと――人混みをかき分けて向かって行った。人の多さはやや広めの木造空間の中、十程度の円卓をほぼ埋め尽くす程度、よくみれば空席が点在している。疲れもあるからとリィノがイトスの裾を引っ張った後、死角となっていた入り口に最も近い空席に座った。木製の円卓には何も飾られていなかったが、すぐに前掛けをした女性が盆の上に水であろうものがはいった硝子の器を置きに来る。イトスがそこで驚いたように一瞬硬直したのをリィノは見逃さなかった。
「なに、どうしたの?」
「いや……あのさ」
店員の笑顔を見やると、愛想だとしても歓迎されている、ということは理解できる。地獄耳のごとくイトスは周囲に耳を済ませ、しばらくした後、彼は頭を抱えるように口を開いた。
「言ってることが、全然わかんねぇ」
「あ、安心して、俺もだよ」
リィノはその様子に首を傾げながら微笑みを浮かべる。イトスは周囲をみやりながら言い放つ。
「え、いや、アイツら解ってんのこれ……」
まるで異界にきて切り離された空間のようで――現に異界なのだが――イトスは腕を組みながらも姿勢を崩し椅子に腰掛け直した。リィノはお手上げと言わんばかりにため息をついた。
「まあ逆に言えば、俺達が言ってることも相手には伝わってないってことだから、いいんじゃないかなぁ」
リィノは近場の酒飲み人と視線が合い、会釈をする。なにか言ってると悟ったのか、とりあえず頷いていたのをみてイトスはため息を漏らした。
「なんつーか、不便だな」
「そだね」
「本当に、俺らが来る理由ってなかったよな」
「それだよもう」
「でもお前楽しみがあるからいいじゃねぇか」
「疲れてたら楽しめないじゃん」
気が抜けたかのように腕ごと突っ伏したリィノは、腕に寝そべるようにしながらも、置かれた器の縁を右手の人差し指で円を描くように撫でる。大きく吐いた息が、弄ぶ器を曇らせた。
「なあリィノ、ルディル達は本当に此処に来たとおもうか?」
「ミッチーがいうからそうなんじゃない?」
向かいで右手を軸に頬杖をついたイトスへ視線を合わさずにリィノは返す。退屈しのぎと言わんばかりに、二人の口はやけに軽い。こうもしないとこの騒ぎの中眠れやしないし、なによりも気が狂いそうだと各々感じていた。
「よそ者が来ても特に怪しがらないっていうのは確かにミッチーの言うとおり冒険者とかいうのが多いんだろうよ、でもルディルが来てさ、血なまぐさいことが起こったという調子でもねぇんだよな」
調子が狂いそうだ、イトスはそう零す。振り返ってみてもおかしい。以前聞いた話、ルディルは天界ですれ違った人を何人も殺した。戦慄状態へとあの世界を変貌させた彼が、仮にも獲物であるクノンに注目していたとしても巻き込まないのはおかしい。後追いしたセドがなにかを施したか、と考えてもイトスの知り得る彼の性格上、おそらく何かしたいまでは感じても実際に手をかけることまでは不可能だろう。もっとも、イトスが忘れているだけかもしれないが。うんざりとするほどの長考、その区切りのいいときに、偶然にもリィノが言葉を返そうとしているのか、もぞもぞと動きを見せた。その布がかすれるような音が耳に入り、イトスが見やるとやや苦そうな表情をつくってはこちらに見せて来た。
「あの死神さんは、人間は簡単に殺せないと思うよ」
「人間は?」
「うん。根本的に人間と仕組みが違うって前ミッチーが言ってた。俺達、悪魔は魔力でできてるじゃん、人間はそうじゃない。だからこう、俺も念じて人間を殺すとか操作するとか、多分できないだろうし、第一自信もない」
「なるほど、道理でお前大人しいのな」
「実際に森で飛んでた鳥で試してみたんだけどなぁ……無理みたいだった」
やったのかよ。イトスは内心そう思いつつグラスを鷲掴みにしては一気に飲む。
「鎌は持ってるけど、基本的に目を合わせて殺すーって言われてるから、だから人間様は平気なんだよ、たぶん」
此処に至るまでに何度も落胆によりため息をついたが、ここでようやく二人の調子が重なり、余計に虚しくなった。重苦しさ、気だるさ、両者とも帰りたいという単語で思考を埋め尽くす中、自らの円卓の前に現れ、その空気に割って入ったのは、相変わらずの調子のアシュロだった。そういえば姿が見えなかったなと薄ら思ったが、果物がはいった飲み物を手にしているあたり、金銭はさておき何かしら行動を別所で起こしたのだろう。
「どうしたの、辛気臭いわよ?」
「いや、なんていうか話も通じないし気まずいんだよ……」
「アシュロはいいよね、話わかるんでしょ、こっちは意味不明でうっとうしいよ」
口を揃えて不平を漏らす二人を見やった後、気まずそうにアシュロは微笑んだ。
「え、私も何言ってるかわからないよ?」
「は?」
イトスは驚いて声を上げる。不思議そうな表情にアシュロは言葉を続けた。
「向こうのお兄さんが何言ってるかわからなかったけど、座りなよって感じの仕草してきたから座って……それでもよくわからないからにこにこしてたらジュースもらったの。向こうの人は慣れてるのかな、私が話通じないって解った瞬間に身振り手振りで会話した感じ?」
至って自然に、再現するかのごとくアシュロがそんな仕草をした。
「ここは酒場だし、やること話すことは全世界共通だとおもうけどな」
「あ、ああ」
「さすが、慣れてるねぇ」
アシュロのその言葉に場が静まり、当の本人は不思議そうにそれを眺めていた。再びの沈黙、リィノは再度器に触れ、水面をゆらゆらと揺らしながら見つめたあと、座る体勢に戻して両手で持ち、中身を口にした。
「ん、これって……」
それにたいしての感想は普通のものではなく、どこか違和感をあるかのような口振り、器から口を外して水面を再度見やろうとした時――
遠越に高く砕けた音がした。まるで硝子質のような音――あまりにも主張したそれはもちろん一瞬にして多くの人の言葉を鎮めたが、やがて再び喧騒へと戻る。間を置かず、ミドセが平然とこちらへと近づいているということにイトスが気づいた。奥をみると先程の店員か、女性が腰を下ろして始末しているのが目につく。
「今、何があったんだ?」
「別に」
喧騒を基準として、自分たちよりさらに別空間に存在するごとく静けさを纏ってミドセは立ち止まり、円卓に視線を向ける。ミドセの右手の裾が濡れているように感じた。滴り落ちるほどではないため大事ではないのだろうが――イトスは再度確認するように目を呉れる。
「なんかお前がしたのかとおもった。楯突いたのかとか」
「そこまで野暮なことはしないよ、たかが情報収集、正当防衛やら武力行使でなければこんな人前ではやらない」
「んならいいんだけど、そんでなんか情報は入ったのか?」
「大きな収穫はないよ、顔ぶれが変わってたから軽く聞き込んだ限りでも……まあ僕らが遠くからきたエルフ種だとか思われていたり、アシュロがとても愛想がいいから気に入ったとかそういうのが主」
横目で隣に立つアシュロを見ながらミドセはそう口にする。アシュロは満開の笑顔で反応を返した。
「やっぱり、よかった全然言葉通じなかったけどやっぱり好印象だったのね!」
「軽そうで八方美人だって揶揄されていたけどね」
「なにか言った?」
「いや、何も」
ミドセは肩をすくめながら、しかし改めてアシュロの方に向き直る。アシュロは一驚した表情で疑問を浮かべた素振りを見せる。
「そういえば、君も恐らく言語は解らないはずなんだけど間違いない?」
「うん、全然解らないわ」
「そう、なら一つ気にかかっていたことを聞くよ。先程君が言っていた〈入り口〉の話だ」
ああ、思い出したようにアシュロは手を打つと、胸元に挟んでいたのか半ば露出した胸の谷間から折りたたまれた紙を取り出す。リィノは顔をしかめ、顔を背けた。
「ほんと良くこんなところで、デリカシーないよねー」
「だって手ぶらのほうが動きやすいし、入り口って言ったのももらった紙に絵をかいてもらったから、多分入り口かなぁって」
「それで、その紙はもしかして木こりとやらにそれをもらったと、それを失念していたと」
「そういうことになります!」
「そう……いや、そうだと思っていたよ」
ミドセの白い目で、アシュロの笑顔が次第に苦笑いに変わる。ミドセはしかし何を言う様子もなく、むしろ怪訝そうな表情でなにか言いたそうにした後、奪い取るようにアシュロからそれを受け取った。イトスはその様子を見上げながら円卓の縁を指で規則的な拍子と共に叩く
「で、どうなんだ?」
「ん……推論程度だけど有力情報だね。それこそ、聞いていたほとんどの時間を浪費した感じ」
「じゃ、じゃあ」
「行こうか、夜の方がこちらも動きやすいし」
手を合わせて期待に胸をふくらませていたアシュロを横切り、ミドセが扉を開く、声に紛れて先程の入り口でなっていた木鈴が心地よく音を鳴らした。一転した態度のアシュロが慌ててとめる。
「え、ちょっとまって、泊まらないの?」
「は? そもそも時間を無駄にする要因をつくったのは誰だった? そもそも僕は一言も宿泊する提案を出していないからね」
「えー!」
「ほら、イトス達連れて来て。野宿でもいいってはしゃいでいたのは誰だった? あと此処もうじき閉まるよ、閉めだされるのも時間の問題」
アシュロがその言葉に返す術もないまま愕然としてその背を見送る。一度扉が閉まったあと、アシュロが再度円卓に近づき、両手で卓上を叩いた。
「ほら、行きましょう! 置いてかれたらそれこそあとで話が長くなるわ」
「アシュロが余計なことをしなければな」
「あーあ、はやく寝たかったのに」
欠伸をして残念そうにしながらもリィノがアシュロに両手を広げる
「責任もって背負って」
「うー……」
腑に落ちない調子だがアシュロは不満そうしながらも渋々リィノを背負う。イトスも続けざまに鈍った身体を動かしてはゆっくりと立ち上がった。
―――
「ねぇ、ミッチー」
地面はいつしか土から草を踏みしめる音と色に変わる。陽はいつの間にか落ち、暗がりの藍が世界を染めていた。ここにきてどれくらいだろうか……アシュロに背負われながらも、ほぼ距離をあけない位置にいたミドセにリィノは声をかける。
「あの、さっきの森には沢山の霊魂がいたんだよ、どうして沢山いたんだとおもう?」
「霊については正直どうとも。そもそも君の専門分野じゃない?」
ミドセは足を止めた。アシュロもやや遅れて止まり前にでてしまった身体を踵を返すように向ける。ミドセは先程の紙に目をやりながら言葉を並べた。
「ただ一つ推定ができるのは、今から入る森が関わっているという点」
「あのでけぇ森が?」
ようやく追いついたイトスが聞きながらも言葉を反覆する。ミドセは頷いた。
「〈願いを叶える光宝〉がある。たしかに酒場でも耳にした言葉だ、地元に詳しい人あたりなのだろうねこの書き方を見ると。恐らく迷い者となった冒険者共が、報われないまま彷徨っているんじゃない?」
「あー……そうかも」
リィノが今は遠くなった〈町〉の先をみやる。
「あくまでも推定だけどさ。噂も実にありきたりだから、こちらからしたら無謀な事をした憐れな冒険者の末路としか思えないんだけどね」
そう言っては再度森へと向き直る、近づくに連れてやや霞がかかり、次第に涼やかだった空気が冷たくなってくる。
「それにしても」
ミドセがどこに向けてというわけでもない調子で言葉を紡いだ。
「一番の疑問は、アシュロにこれを渡してくれた人がなぜ〈入り口を知っていたか〉なんだよね」
「そういえば」
アシュロが思い返しながらもそう言葉に反応する。
「遭遇したのが当の霊魂が集う森なんだし、案外幽霊と君が接触したのかもしれないね。それこそ招かれている可能性も」
「やめて!」
強めに否定するようにアシュロが、背負ったリィノを落とす勢いで首を振った。
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