9

 リィノは艶めかしくみえる腕を緩やかに伸ばすとイトスの首へと回す。上目遣いで気を引こうとしたようだが、あいにくイトスには興味がない。むしろ腹が立った。


「お前、何する気だった?」

「いや……ちぇ、やっぱり効かないか」


 リィノは舌打ちの後に目を逸らすと、軽やかに身を離す。イトスは様子に首を傾げたが、構いなく会話は続いた。


「まあ、案外効いているけど本人が鈍感……という可能性も捨てきれないよ、リィノ」

「おい、どういうことだよ」


 自分から見れば不愉快きわまりない、それでいてなぞめいたまま進む言葉にイトスは気怠そうに頭を掻いた。続いて彼が睨んだ相手であるミドセは


「それは問題視するところではないから割愛するよ」


 と、涼しい表情であっさりと切る。

 イトスの中でこみ上げるものもうっすらとあったが、言葉にならないうちにミドセの言葉が紡がれ、声に出す機会を失う。


「とにかく、何としても君には同行してもらう必要がある。そうでもないと、此処に来た意味もないし」

「俺はその手紙を」

「そうだね、君にとってはそうかもしれない。でもイトス、君だってあの二人を外界に促した事実がある。きっかけが君自身でなかったにしろ、第一〈始末〉をしていないよね」


 同行? 始末? 状況が飲み込めずイトスは頭を痛めた。

 これから何かをさせられる、という兆しが、言葉の中に多く散りばめられている。納得ができない――そんなことを考え込んでいると、見透かしたのかミドセが言葉を続けた。


「組織ってそういうものだよ。君みたいな協調性のない人ならば、確かに面倒だからと本来は放棄するかもね。でもそればかりで世界は回らない。手っ取り早く何事も終わるわけではない」

「俺まで行く必要ってあるのか? お前ら二人とかいう頂点がいれば、別に下っ端は必要なくねぇか?」


 回りくどさも相まって、苛立ったイトスは反論した。

 ――紅い目の先にいるこの二人は、この領域でも指折りの強者だ。方向性はそれぞれ違うものの、基本的な状況はこの二人で楽に片付くはずである。

 すべてを訴えはしなかったが、それすらもまるで受け止めたような表情でミドセが肩をすくめた。とても煩わしそうだ。


「〈強い〉という地位は何も万能に等しいわけではない。そもそも、君が赴かないことで、セドを仮に失うとしよう。君の強さ……言ってしまえば〈楽できるから安定する魔力〉はどうなる?」


 ミドセの低い声と、強められた言葉を受けて、イトスに衝撃が走る。

 確かに魔力の〈供給方法〉および〈安定基準〉は個体により異なる、そう改めて記憶の底から掘り起こされた。

 言われてみれば確かに、重大な気がしなくもない。


「いや、いいんだよ、他力本願にして、僕らに任せてくれても……でも彼まで無事だっていう保証まで僕は持てないな……無事じゃなくても僕はどうでもいいし、ね」


 普段ざわめかない感情に、若干だが追い打ちがかかったような揺らぎ。

 イトスは大きく息を吐き、ようやく観念した。


「あー……わかったよ、手伝う」

「え、なんでミッチーには従うの?」


 中間に居たリィノが不服そうに訊ねてくる。

 恐らく先程の誘惑めいた言葉に関してだろう。それについてはミドセが答えた。


「そりゃあ、相手が僕だから、じゃないかな」


 その視線が目配せするようにイトスに流れたため、まずは一度聞こえていないふりをする。


「精神から操ってさ、イトスを手懐……従わせたら一瞬だとおもったのにきかなくて、なのにミッチーの言葉は聞くの? えーまったくわからないんだけど」

「つまりなリィノ」


 イトスは小さく零すと、ミドセを指差した。


「コイツを敵に回すと、とてつもなくめんどくせぇんだよ」

「なんだ、解ってるじゃないか」


 まだわからない、といった具合にリィノの首は曲がったままである。若干面倒ではあったが、とりあえず補足する。


「〈傲慢属性〉の奴は大体気が済むまで説き伏せてくるんだよ。……話がこれ以上長くなるくらいなら、渋々了承して、話から解放された方がよっぽどいい」

「あー……そう言われてみたら」

「俺達〈怠惰属性〉からみたら、ひでぇぐらいに面倒くせぇ相手だ……そんなの長く付き合ってたらわかってくるって」

「まあそれにしても随分長く引っ張ってくれた様だけど、君にも何か思惑があるんじゃないのかい? 単に動きたくなかったのには意味があるような口振りだったよ」


 急に疑問を投げられて、イトスは状況を思い出すように目を伏せた。


「〈全然時間経ってから行っても問題ない〉……別れる前に、セドにそう言われたんだよ。それって余裕があるからそこまで人手が居るわけじゃねぇって思ってさ」

「ああ」


 いつの間にか分厚い本の頁を捲っていたミドセは納得したようだ。金の目が本の間から覗く。


「それは単純に彼のお人好し加減の言葉だよ。そうすれば時間稼ぎできるし、急いては事を仕損じる。そういう言葉も何処かの世界にあったけど、それも勿論あるだろうね。でも彼の思惑の構成っぷりを見れば解るはずだよ。巻き込むわけない」

「でもミッチー、お前さっきそこに『これを読んだら助けに来い』って書いてるって言ったよな?」

「書いてるわけないじゃない。あれは君を駒にするために僕が添えただけ」


――短い沈黙時間と、頁を捲る紙の薄い音が響いた。


「リィノ、帰らないように見張っててね。今目星つけてるから」

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