Epi:2  それを動かす、一つの。

8

 机を挟んで、ソファごと向かい合う。

 目の前で、肘掛けを有効活用していたミドセが、まず息を大きく吐いてから、久しぶりの来訪者として顔を出したイトスを目で射止めた。


 〈イレイサ〉の組織はとあるビルの、高めの階の一室にあり、基本的には静かにミドセが本を積み上げては、まるでそこに住んでいるかの様に一室で寛いでいるのだが

今日はそういう状態を保つのは困難だと、状況の変化によって悟ったようだ。


 有耶無耶状態だが、おわったはずの〈事件〉が新たな形で、前触れなく現れたのだから無理もない。


「で、これがなんて?」

「いや、なんかさ、謎の手紙が置いてあったんだよ。差出人もわかんねぇしこの世界の言語じゃないっぽいし、だから」

「だから?」

「解読してくれって話だよ」


 事件を持ってきたのはイトス本人である。持ってきていた封筒と事件を机に放り投げるためにわざわざ怠惰な身体に鞭を打ってやってきた。

 そのためねぎらってほしいものだったが、むしろ睨みつけられた気がした。

 こんな居心地の悪い場所は嫌だった。できればてっとりばやく帰りたい。

 そんな想いを巡らせていると案の定、不満そうな声が聞こえた。


「久々に顔を出したと思ったらそれかい? いや、実に君らしいけど……あと君はね、相変わらず情報が少ないんだよ。どうせ頼むなら、もう少し状況について説明して欲しい」

「は、情報が少ないって解読だけだろ? なんで?」

「僕がやる気出ないから」


 ミドセは文句を言いながらも、机の上に乱雑に置かれた手紙を手にとり、封筒の表裏をそれぞれ確認する。続いて中から一枚の書を取り出した


「結局は、俺がどう答えてもやる気そうだけど」

「折角知識を頼りにされる分に悪い気は感じないよ。でもそういう態度でお願いされるっていうのはあまり感心しないな。もう少しへりくだる感じで頼む口とかあったら、ここまで余計なことは言わないっていうのに」

「ああそうかい」


 静が多く続くこの空間は、組織で利用する部屋の広さと相反して重苦しさを感じた。なんとなく、二人の距離感と似ている。

 ミドセはイトスを一瞥し、折りたたまれたその便箋を、肩をすくめながら開いた。

 続いて口を開く。


「まあこれ以上は無駄話の繰り返しになるし、君のご希望通り解読してあげるからさ、その間に君がいう〈怪文書〉を見つけるまでのことでも話してよ」

「……あー」


 イトスが気怠そうに背もたれに体を倒す。


「とりあえず起きたら、なんか甘ったるい匂いがして、それがやたら鼻について起きた。で、出処を確認したらそれがあった」

「ふぅん」


 乗り気ではないのにもかかわらず、ようやっと紡ぎだした言葉は生返事、イトスはそんなミドセをやはり睨みつけた。ただしその蛇の睨みは一瞬で、興味を失ったように文面へと目を落とす。


「なんだよ、訊いてきた割に随分興味なさそうじゃねえか」

「そりゃ、興味や関心を持たれていない相手には相応しい対応をするに決まっているじゃない――それで、君はこういう手紙が来るようなことに心当たりはない?」


 疑問の声色。イトスはこれには首を振った。


「ねぇな」

「差出人には?」

「んなこと言われても、だいたいなんて書いてるかこれっぽっちも読めねえし、解らねえよ。そのために来たんだし」

「そう……念の為確認するけど、内容は一応目は通したんだよね」

「一応は、な」


 やがて、目がとまり、そのままミドセの視線がイトスに向く。イトスからみても何かしら疑問を残していそうな目をしていて、思わずその内心を言葉として放つ。


「なあミッチー、解読にどれくらいかかりそうなんだ? そういうのだと」

「そうだな、状況にもよる」

「状況?」

「これを僕が翻訳して、君に読めるように文章化するかしないか。この文章を直訳するか手っ取り早く要約して君に話すか」

「めんどくせぇから一番早いので」

「そう、なら直ぐ終わるよ。ちょっと君としないといけない話が増えるけど」

「は?」


 イトスが顔をしかめると、ようやく無表情だったミドセの顔に、どこかしら勝ち誇ったような笑みがにじみ出てきた。それに対してイトスは首を傾げる。


「さっきからお前何言ってんだ? ……まさかもう何が書いてあるかわかったみたいに」

「解ってるから言ってるんだよ。……仕方ないな、じゃあ本文について話す前に、君にこの手紙をもう一度順番に確認してもらいたい」


 ミドセは主導権を握ったように手紙を机越しに渡した。

 乗り気でないイトスは訝しげな表情で封筒に戻された便箋を確認する。


「まずその封筒、さすがにこれはここの共通語で書かれている〈人名〉だから解るはずだとは思ってたんだけど」

「共通語?」


 イトスは封筒を確認した。黒字で封筒の中心にかかれた字は細かくて、少しして読めた部分を口にする


「セド……と、誰だこれ」

「セド=ロノワール。流石に正式名称で覚えてあげたほうがいいんじゃないかな?」

「ってことは、これ書いたのってセドだったわけ?」

「そう……だよ、というよりこの趣味を散りばめてるこの封書の差出人にむしろ君が気付かなかったのが驚きだよ」


 イトスはそんな呆れた言葉にも耳を傾けずに封筒の中を確認した。便箋は仄かに甘い香りを漂わせ、星柄の絵がいくつか散りばめられていた。

 文字としては青く、小さな謎の記号が並ぶ。


「さすがに中身まではわかんねぇよ、で、お前のしないといけない〈話〉ってのは?」

「君はもう少しセドに関心を持った方がいいと思うって話さ」


 ミドセは肘掛けの片側に重心を傾け、頬杖をついたまま息を吐いた。


「そういうのはいいんだよ。さっさと内容教えろって」


 イトスが釈然としない様子でミドセに目を向け直した。しかし様子がおかしい。いつもならすぐに嫌味の一つや二つこぼしながらでも返答がくるというのに。


「ミッチー?」

「セドは、一人でクノンを追ったよ。自分に責任があるから、イトスに手紙を置いたらすぐ向かう。……この手紙をこの文体で書いたら、君が訝しがってこのビルにでも現れるだろうって目論見だったんじゃないかな」

「なんだ、じゃあアイツに任せたらいいってことだな。まあ運動しろってことか、全く余計なお世話だ」

「イトス」


 イトスが重い腰を上げようとしたのを、ミドセの低い声が制止した


「なんだよ、もう解読は終わったんだろ? それは俺が気になってたやつだから来たんだ。もう帰るぜ俺は」

「そういえば僕はあの時確かに君に伝えたはずだ。『ルディルを一旦止めて欲しい』という旨。最終的には追い出す予定とのことだったから良いのだけど……でも結局君は止めなかったらしいね。たしかにクノンとは距離を離したかもしれない。あの時血迷っていたセドの言葉が不足していたのは一目瞭然だし……セドが、ルディルを一旦止めるだけには留めないと思う。ましてクノンとルディル、両方に関与するなんて無理な話だし」

「待てよ。俺が止めるのってクノンじゃなかったのか?」

「僕は、自分が言ったことをそう易々と忘れないんだけど……ねえ、イトス。まさかではないけど、ルディルとすれ違って、そのまま君が止めなかった……なんてことはないよね。僕もさすがに状況は人伝手にしか聞いていない。ただはっきりと言えることはあるんだ。君に責任が無いわけではないはずだよ」

「だから何だよ?」

「君のために簡潔に言おうか。ルディルは君にしか止められない。ゆえに君はこれから行かないといけないし、そう手紙にも書いてある……〈これを読んだら助けに来い〉ってさ」


 沈黙が流れる。イトスは立ち尽くしたまま目を伏せた。


「めんどくせぇな」

「そう……まあ君がそうは言っても僕は連れて行くけどね」


 しかしその拒否はあっさりと傾けられることになる。


「そんなことできるわけ」

『その為に俺が居るんだよね』


 イトスがもう一度足を出口に向けようとしたその時、ぼんやりとした半透明の少年がこちらを見ていた。それはやがて形になり、忽然と現れた点を退けていく。イトスが考えなくてもわかる。リィノだ。


「お前ら……」

「とは言っても、俺も散々ミッチーに脅されたクチ。元はといえば俺のせいだし……でもね、イトス」


 リィノはそのままイトスに両手を広げ向けた


「こういうのって連帯責任だよ。だから大丈夫、俺がその気にさせてあげるよ。〈イレイサの命令として〉……じゃあもう一回質問。イトスも……行くよね?」


 リィノはそう言って妖しげに微笑んだ。

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