7

 小部屋のような空間。

 扉はないが、はっきりとした金属製の冷たい感触がそこにはあった。

 数歩ほどの廊下。その壁添いに窪みがあり、その奥になにやら光る存在がある。そこから微かにする駆動音は電気仕掛けだと謳っている。ただし、現在はどうやら省電状態で、数分は操作していないということが確認できた。

 それなら問題はないだろう。イトスは装置に肘をつくと、腰を床に据えたクノンを若干見下すように視線を落とした。


「なあ。お前はさ、今どうしたいんだ?」


 若干呆れを含んだ息をつき、肩をすくめる。

 混乱はとうに過ぎ去ったようで、なんとか落ち着いた様子のクノンは理解したのか、首を傾げてうなる。


「俺はさ、セドと違って〈先を視る力〉なんて無い。だから今後どういう風になるかもわかんねぇし、なにより断片的にしか話聞いてないから、これまでなにがあったかもわからない」


 退屈を凌ぐかのように、手持ち無沙汰なイトスは周囲をもう一度見回していく。

 装置奥にある魔法陣のような模様をした部位は若干光を灯していた。

 この状態だとあと一手順踏めば装置は起動するか……。


「だから、結局お前がどうしたいか、なんじゃねえの? 俺はお前を止めろって言われてここには来た。でも拘束性はないからな。……だいたい無理だろ、強欲な奴に我慢しろっていうのさ」

「でも、事情聞いたら反対するんだろ?」


 ようやくクノンが顔を上げた。

 褐色の中に映えた紫の瞳はいつものような真摯な色をしている。イトスはそれでも物怖じせずに言葉を紡いだ。


「どうかはわからねぇな。でもめんどくせぇんだよ。揉めこんでこんなふうに巻き込まれる事自体が……俺はな?」


 大きく再び息をついて、イトスは懐から得物を取り出す。

 銃口をクノンの目と鼻の先に向けた。クノンは条件反射でびくりと肩を震わす。だがイトスは、引き金に手をかけなかった。


「だから、行けって言ってんだよ。逆にここで迷うくらいならおとなしく従っとけ。自己責任ってわかってるんだろ?」

「セドがさ」


 クノンは銃の胴体を腕でつかみながら目を逸らす。


「お前なら、この後めんどくさいからって理由で俺を止めてくれるだろうって言ってた。だから本当はこの後」

「うっせえよ……」


 今度は怪訝そうに引き金を引いた。音と光が爆ぜる。

 弾は、クノンを貫かなったかわりに、外にある氷山の一部に反射した。クノンはその音に萎縮したようではあったが、すぐに状況を掴んだ様子で胸を撫で下ろした。


「お前が自己責任でこのまま選択するのと同じように、俺も自己責任で選んでるんだよ。あいつの話が全てってわけじゃねえと思うし、もしかしたらそれが〈今〉止める話だとも限らねえだろ?」


 イトスは気怠そうに息を吐き、

 ――なんで俺がこんなに説得しないといけないのか、と思いながら懐に得物をおさめなおした。

 クノンはおずおずと立ち上がり、液晶に触れる。画面が薄く光を放ってすぐに、電子音がその後続いた。少しして、クノンの手が止まる。


「イトス」


 そのまま言葉を繋ぎ、イトスの注目を向けさせると、画面を小突いた。


「俺はここに行く。そう皆に伝えといてくれよ」

「なんだ追いかけさせる気満々か」

「万が一、な」

「なあ……何しようって思ってるかはよくわかんねぇけど、危険なことなんだろ、覚悟しろよ。俺も覚えておいてやるから」


 クノンが大きく息をついて言葉を締めたイトスの言葉に頷く。

 画面の中の枠組みを指でなぞれば、奥の魔法陣が一掃にきらめいた。画面の表示は消える。


 一方、室外から地響きのような音がした。


 砕けたような音……氷山か。イトスは注目しながら、異変に気づいたらしいクノンを手で制止する。


「とっとと行け。この世界のことはあんま気にすんな」


 鈍い金属に背後からの光が反射した。それがまばゆくなり、次第にその輝度が緩まる。

 忽然、防ぐ手もなく自分を横切る存在に気づいた。


「時間差出そうだけど同じ場所には行けるかなぁ~」


 ――明らかに気楽そうで、暢気で特徴な声。

 イトスは先ほどまでクノンが居た方向を振り返る。

 ルディルがそこにはいた。


「お前……今どうやって」

「ん~? 普通にイトスのお隣通っただけぇ~」


 ルディルは周囲を見回すと、物ともしない表情をこちらにむけ、いつもどおりの笑顔でこちらに小さく手を振る。


「じゃあ~行ってくるねぇ~」


 イトスが呆気に取られ、状況についてなにか一声かけようか悩むより早く、その身体は光を放ち、やがて溶けるかのように消えていった。


 あたりが一瞬で暗くなり、ひっそりと静まり返る。

 

 イトスが再びため息をつく瞬間と、背後からこつりと足音が響く瞬間が重なった。この涼し気な温度……誰かわかったイトスは特に振り返らず口を開いた。


「なあ、俺はここで止めるべきだったのか? セド」

「正直止めて欲しかった。でも、もっと先だって理解してたから」


 疲労の声が転がる。次いで背中に重みがのしかかった。イトスの前面に腕が回る。


「ったく、無茶しやがって。だいぶ魔力使ったんじゃねえの」

「どうだろ……けど俺、死神は逃したくなかった。ぶっつぶしたかった」

「どうせ今外界に居るんだ。そこでやりたきゃ、やればいいじゃんかよ……もっとも、今は休んだほうがいいんでねぇか?」


 細い声が次第に、なよなよしく音を紡いだセドの体はしばらくイトスに凭れていた。

 その後少しばかり軽くなり、やがて完全に離れる。


「そう、だな。今は大丈夫だと思うし……そっか、少し皆で作戦とか考えて、あの状態を奪回できればいいか!」


 急に変わった声がセドから放たれ、驚いたイトスが振り返る、セドはいつもの調子で明るく目に光を灯していた。


「な、イトス、協力してくれるよな」

「めんどくせぇよ」

「そこをなんとか」

「大体そっちが状況知ってんだろ、俺を巻き込むなって」

「全員で行動してこそ〈イレイサ〉だろ。今回は死神もいるんだし」


 ――イレイサ。

 それは同級生と、リィノがつくった少数精鋭の小さな組織で、様々な依頼を抱えてそれをこなす、いわば何でも屋のような存在だった。

 先ほどイトスがミドセと落ち合った場所がその本拠地で、ミドセもまたその一員……正確には長を務める存在だった。

 長らくイトスは顔を出していなかった故にすっかり頭から抜けていたが、セドのその一言で思い出す。


「あぁ……そうだな」

「なっ! 俺の目論見だと全然時間経ってから行っても問題ないんだ。だから日を改めて行こうぜ!」


 〈視えている〉とそれほど余裕をもって動けるのか……イトスはただ頷いて感心していたが、やはり気質の問題か、焦る感情は自分の中で沸かなかった。

 決して信じきっているわけでもないのだが


「おう」


 ただ、拒否しようにも、ここまで意思表示された以上否定する術などどこにもなく、生返事のように相槌を返すのであった。







「それにしても」


 外に出ると石畳の一部が小さな湖と化していた。


「アイツは?」

「あー、〈ゲンシン〉のパッシュだっけ。あいつならさっき妹さん……? が来て一緒に帰っていったぜ」

「随分なんか、間抜けな退場だよな。話聞く限り」


「はは、そうだな」


 いつも通りの、ありふれた会話が、非日常から日常へ戻っていくことを示すかのように交わされ、二人は元の場所へ引き返すようにその湖を横目に歩く。


「でも、わかったことがあるんだ」


 セドがふと空を見上げるように立ち止まった。

 イトスは数歩遅れて止まり、セドの様子を伺う。

 はは、と笑い声からセドははじめた


「やっぱりアイツは」


 何か含んだような言葉を途中で止め、それから思い立ったようにイトスを覗き込む。少しだけ青い色に重みを感じた。


「アイツ――死神は、やっぱりおかしいんだなって。パッシュも言ってたから、俺が間違ってるわけじゃないのかもしれないって、今日はちょっと安心したんだ」


 ただしそれは杞憂だったらしい。今見る限り、彼の表情はいつものように笑顔を咲かせている。


「そりゃこんだけ一帯賑わせて、血生臭いことやった奴が普通なわけはねぇよ」

「違いない」


 胸をなでおろしたイトスは軽口を叩くと、セドが肩を震わせて笑った。

 こうして少し辛味を効かせた声が、日常へと戻ったことを二人に認識させた。



 陽が沈みきって昇るまでに、惨事は天界から過ぎ去った。

 それはこの世界、この空間にとっては僥倖なことであろう。

 幸い犠牲はあったものの、自分の周りの被害はさほど多くはなかった。


 だから談笑のあと、イトスは曲がり角でセドと別れると、自然体を保ちながら帰路にゆっくりと向かうことができたのである。

 その姿は明らかに、いつもどおりのことであった。

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