2

 学園内の一室では、催しが行われていた。一学年あたり一つしかないクラスという概念。そこにいるのは夕暮れもあって在校生というわけではない。


「なあ、お前が行ってる天界の外ってどんな感じなんだ?」


 癖のある短髪も目も青空色に溢れた少年が、日差しと窓を背に首を傾げる。訊ねるは同じ年齢の、しかし背丈は頭一つは高い少年は、色彩も対照的で褐色の肌で頬杖をついていた。妙に配色が調和された赤メッシュ入りの銀髪が、今日もよく映える。


「そうだな、自然に溢れてるって感じか。少なくともこの世界とは全然違うな」

「ふーん、俺もなんかそういう所一回も行ったことあるけど、また全然違う所なんだな、なんか遺跡? とかいうのがいっぱい有って」

「へぇ、本当に違うな、こっちは森ばっかりで」


 二人は情報交換を何気ない雑談に紛れ込ませていた。そもそも室内の雰囲気は全体的にそのような感じで、とても何か事件が起こりそうなものでもない。

 〈行事〉という点を除けば実に日常的な光景だ。


「けど、結構頻繁に行ってるよなクノンは。特に外界にいく義務もないのにおかしな話だよな。〈契約〉とか、そういうのも今は必要ないんだし」


 空色の少年は視線を落として香ばしい焼き物を一口頬張る。

 一瞬で広がる甘い味。次第少しほろ苦く、茶葉を混ぜ込んだことでできる香料がゆっくりと口の中に広がっていった。

 歯ざわりも良い、実に自分好みである――ということは作った少年自身が一番よくわかっていた。


「そうだけど、やっぱり気分転換にもなるんだ。ここでも会えない人に出会えるし」

「ははは、でもま、クノン。せいぜい心奪われ過ぎないようにな。〈禁忌〉とかも一応あるんだからさ」


 そういって一口、飲み物を含んだ。

 ここまでは本当に、何も考えなくても問題ないほど有閑なものだった。


 一瞬にして、それは変遷する。

 少し、何か異質な気配がして、窓へと振り返った。


「ん?」


 しかしセドは首を傾げる。

 案の定そこには誰もいないし、居たとしてもそれはそれで恐ろしい話だ。それでもどこか胸騒ぎを感じたということは変わらない。


「どうした、セド?」

「いや、ちょっと変な感じがして」


 セドと呼ばれた空色の少年は視線を室内に戻して、声の対象に言葉を返す。


 以前なら毎日のように見ていた教室。

 目の前に居るのは旧友、長い付き合いの一人。

 周りもかなり盛り上がっている知人で溢れている。何一つ〈ここ〉には違和感がない。


「誰かに噂されてんじゃないのか?」


 苦笑いをしたクノン、その女子受けの高い容貌に改めて直視されると何故か気恥ずかしくなって、セドは思わず目線を別の方向にやってしまう。だからこそついて出る生返事。


「あー、まあ〈ミッチー〉とかなら噂してそうだよなぁ」


 教室の机はお世辞にも整ってはいない。まるで昼食時のように、机を動かしては一つの塊にして――そのグループは彼らのように少人数の組もあれば、何人も固まっては盛り上がるところもあった。

 そこに話題の人物がいないということは、これまた不思議なことに日常の景色だ。


「ミッチーはいつもだとして、イトスも来なかったんだな」


 クノンは肩を落としながらセドの目線の先を追い、続ける。


「やっぱりこういうの、イトスは苦手なのか?」

「いーや、単にめんどくさいだけみたいだぜ、朝起こしに行ったのに来なかったし……結局手紙おいてきたんだけどさ」

「へー。イトスらしいな。ミッチーも実はそんな感じなのか?」

「アイツはまあ、こういう行事自体無意味って思ってるっていうか、元々集まりには来ないしあまり好きじゃないんではないかな。勿論、散々アシュロも誘ってたみたいだけど……あのグループにはいるのは窮屈だろうな」


 セドは室内でも一際大きな塊となっている席を垣間見ながら苦笑する。

 女子がそこには大半集まっており、持ち込んだお菓子や、ペットボトルの飲み物を各々に継ぎながら談笑し、楽しんでいた。その光景は傍目から見ても賑やかだ。


「まあ、参加は任意だしいいんじゃね? この同窓会」


 セドはようやく目の前に視線を戻し、クノンの持つ紫の瞳を眺めた。


「で、それはそうとクノン。お前も何か俺に言いたそうなかんじだけど」


 一呼吸のあと、その先を見据えるような目つきは、普段の若干幼い印象と異なり、どこか真剣な色をしていた。名を呼ばれた褐色のクノンは図星と言わんばかりに目を丸くして、即座に白旗を上げた。


「いや、実はさ、こうして久しぶりに会うじゃないか。それでちょっと……相談に乗って欲しいことがあって」

「相談ねぇ、俺ってそんな相談されるような柄じゃないと思うんだけど」

「そんなこといっても、占いとか、やってくれるじゃないか。セドはそう言うの、向いていると思うから」


 若干期待めいた目つきで、クノンはそう言う。

 セドは占い師だ。半ば趣味でやっていると自称しているが、代々の占い師家系であり、的中率は高い。

 セドはひと呼吸置き、肩をすくめた。


「それで、こんな俺になんの相談ですかねクノンさん」


 塊の中から気配りのできる少女が、話を遮って飲み物を注ぎにやってくる。炭酸混じりの柑橘ジュース。音が騒がしく器の中で揺れ、気泡が暴れた。

 甘いが、酸味のある香りが鼻を刺激する。


 ――空白。


 その表現に相応しいくらいに、その間の彼らの言葉はなかった。いやむしろ彼女が別の場所に行くのを待っていたと言うべきか。


 しばらくして彼女の背が視界から離れたとき、暗黙の了解を解いたクノンが話しづらそうな口を開いた


「恋愛占い、してほしいんだ」


 小声。言った後すぐに周りを見回して、クノンの頬が若干赤く染まる。


「は? 誰のだよ」

「そりゃ……俺との」

「……はい? え? ちょ、俺そんな趣味ないんだけど」


 やや後ずさりするように身を引きながらセドが反応を示すと、ようやくクノンは理解したのか慌てて首を振った。


「あ、違う言い方が悪かった、セドとってわけじゃない! あの、俺と、ある女の子との……関係をな」

「な、なんだびっくりしたそっちか……いやーしかし初耳だぜ、お前にそんなやましい気持ちがあるなんて」

「ばっ……やましくなんか」


 ますますそうやって挙動不審になるクノンをみて、セドは肩を竦め、大きく息を吐く。


「いや、てっきりアイドルダンサー一本って思考なのかと思ってた。誰だったか忘れたけど、お前のとこいるじゃん? 公認カップルみたいなやつ。まあたしかに気持ちはわかるけど、そういう公然と出来るもんじゃないとスキャンダルっての? そういうのになるぜ、お前一応研修生らしいけどさ」

「……それは、大丈夫だと思うけど」


 この世界には大手の音楽組織がある。

 音楽というよりもアイドルの所属する事務所というべきか。セドはクノンがそこに加入してからのことも長年の付き合いで知っている、だから前提としての疑問を投げた。案の定クノンの表情が若干曇る。


「けど?」

「それは、常識的な考えじゃないか。でも運命ってのは、セドに言わせてみたら、そういうわけじゃないんだろ? もしかしたら上手く行くかもしれない」


 根拠もないのにクノンはそう言って、一層まっすぐに視線を向けた。挙動不審と打って変わっての真剣な眼差し、余程の悩みなのだろう。


「まあ、そうだな」


 セドがそう言って所持品の入った自らの鞄を探りに、体を屈めつつ口を開いた。


「お前がやって欲しいのは、恋愛に関するこれからの未来ってことでいいんだな、それを占うってわけ」

「うん。お願いしてもいい……だろうか」


 手を止めて、目的の物をみつけたセドはようやく体を起こした、手元にはカードの束が持たれていた。


「別に構わないぜ、いつもやってたことだし。ただ、信じすぎるのも良くはないからな。いつもこれは言ってるけど」


 そう言ってカードを切り、手札を整列させていく。

 星のような形。その慣れた手つきに息を飲んだクノンを、セドは不思議そうに見る。


「そんなに緊張してるわけ?」

「いや……やっぱりほら、嫌な結果だったらなって、もしこれが悪い方向だったら……」

「そういうときは信じなきゃ良いんだって。俺の占いが確実に当たるとは限らない。そうだろ?」


 いとも簡単にセドは切り返すが、その様子にクノンは少々不安な表情を見せる。


「でも……セドに今までもたくさん占ってもらったことあるけど、やっぱり本職だからか、外れたとこみたことないし、それに、俺自身もそうだと思ってる。俺はセドの占いは信じてるし」

「……」


 まだ開きすらしていない、結果すら解っていないのに、どこか重い空気が流れた。

 緊張からだろうか。周りは騒がしいはずなのに、まるで切り取ったような静けさを感じた。

 セドの手が止まる。なにかそれに対して感じているのかはわからないが、その直後、そこまで無心のようだった表情が、途端に打って変わって明るく笑みへと変わった。


「大丈夫だって、俺の精度は完璧じゃないからさ。だからもし、外れたとき……いや、仮に悪い結果になったとしても。いいように考えたらいいって」


 な? その笑みにつられて、クノンも胸を撫で下ろした。


「そう、だな」


 めくるまで、彼らの中には空白が生まれたようだ。絵が表れたとき、その空白が濃くなっていくような時間が流れる。いや、止まっているといったほうが正しいのか。


「なぁ、クノン。お前……一体どんなやつと付き合ってるんだ?」


 逆さまになった勇ましい者が剣を伸ばしていた絵。若干重そうに口を開いた、かのようにもその声色からは感じ取れる。


「な、なんで、そういうの言わないと駄目かやっぱ」

「そうじゃなくてさ」


 反対に一層顔を赤らめたクノンに、申し訳なさそうな表情で更にセドは言葉を紡いだ。


「なんていうか、お前らしくないんだよ。“女帝”はまだわかるんだ。ああ、お前本気なんだなっておもったから……でもさ、お前このカード何回もみてきただろ? 今回はじめてここの位置にこっち正義じゃなくて、"女帝"……こうなったんだよ……だから俺からしたら……悪いけど、不信」


 いつも見ていたカードの文面には"正義"の文字がみえる。


「今回たまたま、とかじゃないのか?」

「やっぱり、クノンお前、隠してるんだな。なんかそういうの」


 大きく息を吐く。そして吸い込む音。

 一呼吸、一拍。

 セドの表情は次第に無へと移り変わっていた。同時に、クノンの顔色もまるで血の気が引いたかのように一瞬顔を歪めた。


「俺、このまま進むの反対だから。お前がそれを貫こうとしてるのはよくわかってるけど」

「なんで、どうしてそんなこと言うんだよ。今日のセドおかしい。そんなに俺に漠然とした答え言ってくれなかったじゃないか! それなのにそんな……」

「言ったよな? 俺の占いが確実に当たるとは限らない。だからこれは俺自身の答え」


 動揺しているクノンとは裏腹に、セドは冷静に言葉を紡ぎつづける。目は、ずっとその紫の瞳を凝視していた。


「と、いうか俺の質問、うまいこと交わしたよな。よっぽどこれが自分にとってどういう結果を生むか、最初からわかってたんじゃね? 俺はそれを聞いた上で言う気だったんだけどな」


 クノンは空色の双眸を避けるように顔ごと逸らした。


「セドなら……セドならきっといつもみたいに背中押してくれるって思ったんだ、だから、占って欲しかったんだ」

「背中押せるなら、俺だって押したかった。でもクノンは解ってるんだろ、俺が……」

「わかってる! でもだからってもっと気を利かせてくれてもいいだろ? 俺が、ここ数ヶ月どれだけこの悩みを一人で抱えてきたか……」

「なぁ、クノン」


 淡々と、しかし笑みを微かに浮かべて、セドは言葉に柔らかみを含めた。


「クノンはさ、俺にどういうふうに占って欲しかったんだ? どういうふうに答えたら納得してくれたんだ?」

「それは……」

「俺に言わせたかったのか? ……<天使と付き合って仲良く消えろよ>って」


 絶句。唖然。クノンの表情が恐怖や怒りが入り混じったようなものに変わったことを、セドは見逃さなかった。言葉を切り出そうとしたが、それよりもクノン自身からの言葉が先に飛ぶ。


「天使と付き合って何が悪いんだよ!」


 まるで火の粉が飛んだ勢いだった。

 張り裂けるような声、それは室内に響いて、賑やかな声を収束させる。今までは切り取ったような空間だったものが拡張され、周囲に広がる形になる。

 興奮したのか椅子から立ち上がり、机に手を突いていたクノンのその姿は、注目を浴びるのには十分な光景だった。

 互い、視線には気づいていた。故にセドは言葉で援護しようとするが、クノンの爆発は鎮静化することを知らない。


「だいたい異種族恋愛とかいうけどさ、それを目にした人がいるのかって話だよ。そもそも〈禁忌〉って三つあるけど……それを破った前例なんて殆どないんだろ? そういうのを鵜呑みにしてここでじっとしていろっていうのか? おかしいじゃないか。自由が規則の世界ってわりに全然不自由じゃないか! セドもそれについては言ってただろ? やっぱり、間違ってる……セド、占いって信じなくていいんだよな。じゃあ俺、信じないから」

「クノン……」


 ざわめく室内、その雑草には目もくれず、的であったクノンはすぐさまその場から離れる。

 セドが彼をもう一度見たときには既に教室の外、扉の向こうへと移っていた。続いて興味というべきか野次というべきか、外野の何人かが教室を出て行った。

 と、同時にその当事者であったセドの周りにも人だかりができはじめた。何があったのか、と好奇な目が多く今のセドには向けられている。


「なにがあったっていうか……あいつが強欲悪魔らしく振舞っただけだ」


 セドはそんな注目にただ苦笑いを浮かべることしかできない。


「ったく、こういう時クノンの場合、わけ分かんないことするから困るよな! なんか急に一方的に熱くなっちまったし、俺じゃ止められないぜ」

「そんなものなの?」

「そんなもん。だって今回も間髪入れずあんな反応だし……少しは話聞いて欲しいんだけどな」

「ふぅん」


 一定の距離を空けながらも、セドに言葉を投げたのは朱色の髪を束ねた少女だった。

 彼の周りに群がった者は何人もいたが、実際に話を総括したように切り出したのは彼女で、それ以外は面白半分、会話にもならない反応である。

 セドは机に片手頬杖をつきながら、横目でその群れを眺めつつ息を吐いた。


「っていうかさ、みんなモノ好きだよなぁ、単純によくある食い違った会話だろ。まあ価値観の違いだろうけど、普通にそっちも盛り上がってたんだからそんなに気にしなくても」

「だって」

「ねー」


 その言葉にお互いの顔を見合わせて自然と意気投合する者も少なくはない。


「クノンはいつもあんな感じだろ。今に始まったことじゃねぇじゃん」

「セドってこういう時ヤケに冷静よねー」

「あっちが勝手に熱くなってるだけだって。そうやってアシュロは俺達の話に先立って首を突っ込むのも……ほら、別に普段通りだろ?」

「あ、そっか。それもそうね」


 名前を呼ばれたアシュロはその言葉に納得の素振りを見せた。途端数え切れないほどの足跡が室内扉の向こうから聞こえ始める。 

 団結したかのように、室内に居た者の注目が一つ、その先に絞られた。


「これもいつも通り……だっけ?」


 セドはそんなアシュロの素朴な疑問には答えず、しばらく呆然と一点を眺め、それから思い立ったように席を立つとようやくその質問に答えた。


「そんなわけねぇよ……寧ろ厄介だから」

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