第59話エピローグ

 病室には夕子とその母親、そして倫太郎がいた。

病室は綺麗に片付けられていた。そう、今日は夕子が退院する日だった。


 夕子の母親が

「先に会計にお金を払いに行ってくるから後でロビーでね」

と言って病室から出て行った。


「でも、無事に退院出来て良かったな」

倫太郎がぽつりと言った。


「うん。みんな倫ちゃんが地獄の閻魔様に『夕子を連れて行くな』ってお願いしに行ったお陰って言ってるわ」

 あの日病室にいた者は倫太郎が「「身代わりになれるものなら、僕が先に逝くのに……」という台詞を吐いてから意識を無くしたことを知っていた。


その直後夕子が意識を取り戻し、そのしばらく後に何事もなかったように倫太郎が目覚めたので、その場にいた者は夕子のいう様に思っても不思議ではなかった。


「うん。お願いというよりその時は本気で身代わりになりたいって思っていたんだけどな。でもね。意識が飛んだ時に二人の死神に出会ってね。その二人が冥府の宮殿みたいなところに僕を連れて行ってくれたんだ。まあ、これは夢なんだろうけど」


「ううん。多分それは事実で、その時にいた二人はキューピッドとサリエルよ」

と言うと夕子は首を軽く横に振った


「そう言えばそんな事を言っていたなぁ。 でも、なんで夕子がそんな事を知っているの?」


「さあ? なんででしょう?」

夕子は悪戯っぽく笑った。


「じゃあ、僕が会った閻魔様みたいなのは?」


「それはハーデースという冥府の神様よ」


「そうかぁ……そのハーデースの奥さん?妃なのかな……その人に冥府から追い返されたら、この病院のベッドで寝ていたんで驚いたよ」


「お母さんも言っていたわ。『倫ちゃんが急に意識を無くして呼吸まで止まった』って」


「うん。そうらしいね。僕にはその記憶が無いんだけど」

そう言って倫太郎は頭を掻いた。


「キューピッドが僕が夕子の身代わりになる事を運命の神様に認めさせて、冥府の神様と妃が僕を追い出したおかげで二人ともここにいる……そんな夢だったよ」


「そうなんだぁ……」

そう言いながらキューピッドが夕子の為に奔走してくれていた事を彼女は心の中で感謝していた。

ただ、もし冥府の主が倫太郎を受け入れていたらと思うと、ぞっとしたが、それはキューピッドも織り込み済みだったのだろうと思いそれ以上は考えない事にした。


「ハーデースの妃の名前はペルセポネーだよ」

夕子はキューピッドの事を語る代わりにそう言った。


「そうなんだぁ……って、なんでそんな事を知っているの?」

と倫太郎はまた同じ事を聞いた。


「インターネットで調べたの」


「いやいや、そういう意味では無くて……」


「ふふふ、さ、そろそろロビーに行きましょう。お母さんももう待っているかもしれないし」

と最後は話をはぐらかすと夕子は倫太郎を急き立てた。


「ま、良いか」

 倫太郎もそれ以上追及もせずに病室から出て行った。

その後を夕子もついて退室しようとしたが、病室の入り口で立ち止まって部屋の壁を見た。そしてここに立っていたキューピッドの残像を感じながらゆっくりと扉を閉めて部屋を後にした。




 病院の屋上にはフェンスに腰を掛けているキューピッドとサリエルが居た。


「結局、またペルセポネーに助けられたみたいですねぇ」

とサリエルが言った。


彼の視線の先には病院から出てきた三人の姿があった。

その先に、夕子の父親が運転してきた車が停まっていた。

父親は母親から荷物を受け取ると、トランクにそれを積み込んで運転席に座った。

三人はそのまま車に乗り込んで病院を後にした。


それを二人は屋上から見ていた。


「ああ、後で聞いた話だがアポロンの時も同じようにペルセポネーが門前払いをしたらしい」

過ぎ去っていく車を見つめながらキューピッドは言った。


「アポロン? アポロンも同じ事をやったんですか?」

サリエルが意外そうな顔をして聞いた。


「ああ、あいつがペライの王アドメートスの延命をあの姉妹に頼んだそうだ」


「へえ。そんな事があったんですねぇ」


「ああ、そうだ。その時に身代わりになったのが王の妻のアルケースティスだ。その時も冥府の入り口まで来た彼女をペルセポネーは追い返している」


「そうなんですかぁ」


「だから最初からあの二人はそうするつもりだったんだろう」


「へぇ。あの二人もやりますねえ……でも、なんであんな面倒な事を」


「冥府の神様の領域は対象が死んでからでないと発揮できないからな。だから倫太郎があそこに来て初めてハーデースやペルセポネーが自由にできるわけだ。それまではあの二人には手を出せないって事さ。モイライの三姉妹もその辺の事情が分かっていたようで、今回のこの結果も織り込み済みだったかもしれん」


「ふぅん。そういう事ですかぁ……ま、なんにせ良かったですね。二人が無事に付き合えて、キューピッド的には何も問題はないか……」

とサリエルは物足りなさそうに呟いた。


「まあ、そうなんだけど……」


「けど?」


「今回は、俺……あの二人に何もしてない……」


「何もしてないって?結構マメに走り回っていたじゃないですかぁ?」


「いや、そういう事では無くて本来の仕事……つまり恋の弾丸も撃ってない。あの二人は僕が何もしなくても付き合ったし……キューピッド的な事はなにもしていない」


「ああ、そういう事ですねぇ……いいじゃないですかぁ。結果として二人をくっ付けたんだから」

と言ってサリエルは笑った。


「そうだな……」


「そうそう」

サリエルは笑って応えた。



「ま、良いか」

キューピッドもそう言って空を見上げた。


今日の空はどこまでも青く澄んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キューピッドと歩兵銃 うにおいくら @unioikura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ