第30話生還
「その西野少尉って息子さんに会えずに死んじゃったんだね」
麻美が泣きそうな顔でキューピッドの話を聞いていた。
「うん。そうだよ。彼は会わずに逝った。僕が余計な事を言わずに立ち去ていれば、彼も油断せずに済んだものを……」
そう言うとキューピッドは唇を噛み締めた。
「でも、その島の日本軍はほとんど全滅したんでしょ?」
「ああ、そうだ。生き残ったのは僅かだ」
「じゃあ、その少尉が言う通り、遅かれ早かれ死んでいたかもしれないんでしょ?」
「そうかもしれない……」
「でもその少尉さんは自分に息子が出来た事を知る事が出来て、それはそれで満足したんじゃないのかな? 私はそんな気がする」
と麻美は言った。
「何故そう思う?」
キューピッドは麻美をじっと見て聞いた。
「だって、本人は死ぬ覚悟でこの島に来たわけでしょ? だったら後の心残りというか気がかりは残された家族のこれからでしょ? 自分に息子が出来たって分かっただけでも安心するし嬉しいんじゃないのかな……そりゃ、我が子の顔位は見たかっただろうとは思うけど……」
麻美にしては至極まっとうな意見だった。キューピッドはそれを聞いて少しだけ救われた気持ちになった。
「それ以来彼の三八式歩兵銃は僕の相棒になった」
キューピッドはぽつりとそう呟いて、膝に置いた小銃を撫でた。
「そうかぁ……そんな事があってその銃が今キューピーちゃんの手元にある訳なんだ」
麻美はそう言いながら同じように小銃を撫でた。
「あ、ごめんなさい。勝手に触って」
「ううん。良いよ。もうこの銃は二度と人の命を奪う事が無い銃だから」
そう言うとキューピッドは笑ったが少しだけ寂しそうな色が混じっていた。
「そっかぁ。今は人を幸せにする銃なのね」
と麻美はその寂しさを感じながらも優しく銃を撫でた。
「うん。そうだよ」
キューピッドはそう言って麻美が銃を撫でるのを見ていた。
暫く銃を撫でていた麻美は気を取り直したように
「それよりもマーガレットはどうなったの? その中尉さんとは再会できたの?」
とキューピッドの顔を覗き込むように見つめて聞いてきた。
「え? ああ……その話はまだしていなかったね」
キューピッドはまた話を続けた。
キューピッドがその島を去って1か月後に、日本軍の司令部陥落で戦闘は概ね終結した。ただ、捕虜にもならずに生き残った数十人の日本兵が最後までゲリラ戦を挑み、戦後も戦い続けてはいたが大規模な戦闘は日本軍の司令部が陥落した時点で終わっていた。
それ以前にマイケル・トーマス中尉の所属する連隊は死傷者が連隊の半数近くに達してようやく他の連隊と交代して島の東部へと移動した。通常であればもっと早くに交代すべき死傷者の数であった。
結局、2~3日でかたが付くと戦闘前は楽観視される事もあったこの島の攻略であったが、日本軍の徹底した組織的戦術によって二か月以上の戦闘となりアメリカ軍の損害も甚大なものとなった。
翌年の夏、日本はポツダム宣言を受諾し、日本の無条件降伏で第二次世界大戦は終結した。
戦争は終わった。
そのニュースは瞬く間に世界に伝わった。勿論、マーガレットの住むリヴァプールの街にもそのニュースは届いた。
マーガレットはいつものように窓際の椅子に座って眼下に広がるリヴァプールの街の景色を見ていた。
ここ数か月、休みの日は時間を見つけてはこうやって景色を見ながら紅茶を飲むのが、彼女の日課になっていた。
「ペギー、こんにちは」
と唐突に空から声がした。
マーガレットは視線を街並みから空に移した。
そこには羽を広げたキューピッドが初めて出会った時のように、陽の光を浴びて優しい笑顔でマーガレットを見下ろしていた。
「あ!」
と小さな驚きの声と共にマーガレットは立ち上がった。
「待たせたね。ダージリンを味わうには良い時間だ」
「え?」
慌てて跪き祈りを祈りを捧げようとするマーガレットの耳に、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
マーガレットは目を見開きキューピッドの顔を見上げた。
キューピッドは微笑み、そして黙って頷いた。
彼女は口を両手で覆った。全てを察したようだ。そしてもう一度すがるような目でキューピッドを見つめた。
キューピッドはマーガレットのその視線を優しく受け止めると、また笑顔で頷いた。
彼女は入り口に走っていってドアの前で立ち止まった。そしてもう一度振り返ってキューピッドの顔を確認するように見た。
キューピッドはまた黙って頷いた。マーガレットは深呼吸をすると意を決したようにドアを開けた。
そこには軍服姿のマイケル・トーマスが花束を抱えて立っていた。
彼女は自分の今見ている光景が信じられないかのように首を振った。
マイケル・トーマスは静かに頷いた。
「還って来たよ」
みるみるうちにマーガレットの瞳は涙であふれた。我慢しきれずにマーガレットは彼に飛びついた。
トーマスは優しくそれを受け止めた。
キューピッドはその様子を窓の外で確認すると、何度か頷いてから空を見上げた。
今日のリヴァプールの空も青く澄み渡っていた。
「さて、行くか……今度は少尉、あんたの国へ行ってみるよ」
眩しそうな表情でそう言うとキューピッドは羽を広げて天高く舞い上がり消えた。
第三話 了……四話目書けるかな?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます