第29話三八式歩兵銃

 慌てて振り向くと少尉がゆっくりと胸を押さえて膝から崩れ落ちる姿が目に飛び込んで来た。

一発の銃弾が少尉の胸を貫いていた。


「しまった!!」


 キューピッドは我に返った。ここは戦場だった。一瞬の気の弛みは死を招く。今までいやという程それを見てきたはずなのに忘れてしまっていた。


 崩れ落ちて地面に膝を着いた少尉を抱きかかえたキューピッドは

「済まない。僕が余計な話をしたばかりに……」

と唇を噛み締めた。


「気にする事はない……。自分で招いた事だ。それに遅かれ早かれこうなっていた。元々生きて帰れるとは思っていなかったからな」

軍服の胸のあたりは既に吹きだした血液で真っ赤になっていた。


「それ以上しゃべらないで……」

 キューピッドは少尉を抱きかかえたままそう言った。

少尉は最後の力を振り絞って小銃をキュービッドの目の前に差し出した。小銃が小刻みに震えている。キューピッドは少尉の顔を見た。少尉は目で頷いた。

キューピッドはその小銃を黙って片手で受け取った。


「こ、この三八式歩兵銃は陛下から下賜戴いたありがたい銃だ。それ以来俺の相棒だった。だが、もう俺には用がない……この大地で腐らすのは申し訳ないし忍びない……いずれこの戦争は終わる。遅かれ早かれ日本は負ける……。戦争が終わり平和になったらこの銃を使って狩りをすればいい。君の弓よりも遠くの獲物を射止める事が出来るだろう……」

西野少尉はそれだけ言うと

「最後に星を見せてくれないか……」

と言った。


 キューピッドは少尉を仰向けに抱きかかえ直した。


「ああ、満天の星空だ……照明弾が邪魔だが、それはそれで一興だ……」

ほんの暫く空を眺めていたが少尉はキューピッドに視線を移し、力なく微かに笑うと

「君が神様のように見えて来たよ。僕をわざわざ迎えに来てくれたように……でもこんな僕には神様が来るわけないな……はは……でも、あ、ありがとう……」

とキューピッドに感謝の気持ちを伝えた。

口元に笑みが一瞬浮かび、そして少尉の身体からは全ての力が抜けおちた。


 キューピッドは少尉の身体を抱きかかえたまま肩を震わせて声を押し殺して泣いた。

「神様で悪かったなぁ……僕の名前も聞かずに逝きやがって……冥界への道案内も出来ないじゃないか……」


 後悔と哀しさと怒りとがごちゃごちゃになった感情の中キューピッドは

「ここに神がいるのに何故戦争を止められない!! 何故、人一人も助けられない!! なんて無力なんだ!!」

と空に向かって叫んだ。



 翌朝、三八式歩兵銃の照準器の先に、一人のアメリカ兵の姿があった。

トーマス中尉だった。昨夜、彼の横で一人の兵士が狙撃された。彼は何とか昨日を生き延びた。


空高く羽を広げたキューピッドが陽の光を背に受けて三八式歩兵銃を構えていた。

指が引き金にかかった。引き金に力がこもる。

その瞬間キューピッドは

「うん?」

と言って指を引き金から外した。


「そっか……そう言う事か……皮肉なものだ……」

キューピッドの口元が歪んで唇の間から乾いた笑いが零れた。


「時の神の気まぐれで選ばれし者よ。我が僕(しもべ)の願いと想いをここに送る。心して受け取るが良い。そして、その生ある限りその愛と共に生きるが良い」

そう言うとキューピッドは空から彼に向かって引き金を引いた。


 ピンクの弾丸は一直線にトーマス中尉の胸を貫いた。

中尉は空を見上げて

「ペギー? 」

と不思議そうな顔をして呟いた。


 リヴァプールからの想いは今無事に今届いた。

しかしキューピッドの心の中はぽっかりと穴が開いたように風が吹き抜けていた。


「これで彼はこの戦争で命を落とす事はない」


 空の上から暫くトーマス中尉の姿を眺めていたキューピッドだが視線をジャングルの手前の草原に移した。

そこにはほんの小さく盛り土になった西野少尉が眠る塚があった。


「狙いを定めたら余計な事は考えずに黙って撃てだったな」

そう呟くと小銃を肩にかけて天高く舞い上がった。

白い羽が陽の光を浴びて輝いて見えた。





 キューピッドの話はここで終わった。

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