第四章 穿孔 2




 ふと我に返った時、功は中年の男性、若い女性、その二人と一緒に並んで歩いていた。いや、正確に言えば歩いているのは別の誰かであり、功はその誰かの中に乗り込んでいるような感覚だった。


「それで、その『ふぇるめ』さんっていうのはどんな人なんすか?」


 中年の男に向かってそう話し掛けたのは功であって、それでいて功でない男だった。功は口を開いた覚えはない。しかし確かに自分の口は動き、言葉を発していた。


「メールでやり取りしただけだから詳しいところはわからないが、君たちくらいの年齢の女性のようだ。だから私一人で会うのも気が引けてね。息子の作ったゲーム攻略に協力してもらっている後輩たちも連れて行くと連絡してあるんだよ」


「えー、なんか、やだなあ。あんな可愛い絵を描く人ならたぶん美人ですよ。たすくん、綺麗な女性を見るとすぐ鼻の下伸ばしちゃうんだからぁー」


 長い茶髪の若い女性がこちらを見ながら話し掛けてきた。その時、初めて功は自分が「たすくん」であることを知った。今、曖昧な苦笑いを浮かべる自分でない自分は品田佑、「オモイデアゲイン」の登場人物の一人なのだ。主人公であり語り手である広川博文を後輩でありながら叱咤激励していく重要な相棒役。その彼の中に功は入り込んでいるようだった。


 すると、この二人は……。


 功は両隣にいる人物を品田の眼を借りて改めて確認しようとした。右にいる女性、品田佑を「たすくん」と呼ぶ彼女は恐らく杉川メイなのだろう。メイという名前から勝手にハーフっぽい容貌を想像していた功だったが、目の前の彼女はどちらかというと古風な顔立ちで言い方は悪いが昭和の若手女優のような印象を受けた。


 そう、自分には無かったイメージ。


 やはり間違いない、これは自分の脳が創り上げている夢などではないのだ。自分以外の誰かの意識が創り上げた世界に自分は入り込んでいる。そう功は確信した。


 今度は左の男性に視線が送られた。その瞬間、彼はぎょっとした。


 あまりに似ている。


 功が想像していた広川博文はもっと歳の割には若い顔立ちの俳優のような風貌の男だった。ところが目の前にいる男は痩せていて眼光の鋭い歳よりも逆に老けて見える男になっていた。しかもそれは功がよく知る人物にそっくりだった。


 功は品田の口を借りて叫ぼうとした。


 相浦先生!


 しかしそれは言葉になることはなかった。口が動かない。どうやら品田の五感を感じることは出来ても功の方から彼を操ることは出来ないようだった。これではただの傍観者だ。仕方なく功は彼らの会話をただ聞くだけになった。


「ああ、ここだよ。この喫茶店で待ち合わせしたんだ。じゃあ、入ろうか」


 相浦似の博文がそう言うと三人は商店街の中にある喫茶店に入っていった。


 そうだ、このシーン覚えているぞ。


 功は選考過程で読んだ「オモイデアゲイン」の内容を思い出した。




 両親の夫婦仲が壊れつつあることを知った博人が二人の若かった頃のことを父親に思い出させるために命を削ってまで「オモイデアゲイン」を創った。それを知った博文は自分だけが何も気付いていなかったことにショックを受けた。息子の願いはわかったがどうすればいいのか、自分がどうしたいのかさえわからず「オモイデアゲイン」の存在すら妻に開かせぬまま、ただゲームを淡々と進めるだけの日々が続いた。


 そんな時、なぜかゲームはある場面から進行できなくなってしまった。


 主人公ゲンは命を持ったフランス人形フランの力で両親との暖かい思い出を武器に変え、良い思い出を魔女に奪われ怪物に変わった街の人々を救い続けた。その結果、ゲン自身はほとんどの記憶を失い自分が何のために戦っているのかもわからなくなってしまっていた。


 そんなゲンを救ったのは翔を代表とする戦いの中で出会った仲間たちだった。魔女が潜む洋館を突き止めた彼らは最後の決戦に臨もうとする。魔女を倒せば失った思い出も元に戻るかも知れない。そう思っていたゲンにフランが衝撃の告白をする。実はゲンは現実に存在する人間ではないというのだ。ゲンという名の少年はすでに死んでいて、今いるゲンは魔女が街に残していった魔力とフランの中にあった少年の思い出が結び付いた仮初めの存在なのだという。つまり魔力の元である魔女を倒せばフランは普通の人形に戻りゲンもその存在自体が消えてしまうということだった。ショックを受けたゲンだったが仲間の住む街を元に戻すため覚悟を決め魔女を倒すことを決める。


 最終決戦を予感させるその場面までゲームは進んでいたが、そこで問題が起きた。魔女のいる洋館の門が開かず突然パスワードの入力を求めるウインドウが開いたのだ。博文はメインのイベントはおろかサブイベントと言われる直接物語に関係ない依頼まで見落とさないようにゲームを進めてきたつもりだった。しかしいくら記憶を探ってもパスワードのヒントになるような言葉など思い付かなかった。


 見落としただけだろうかと思い、彼は品田やメイにも相談してみたが二人ともそんなヒントになるようなシーンには覚えがないという。このまま結末を見ずに諦めなくてはならないのかと落胆した博文に品田がある提案をした。元のゲーム作成ソフトであるクリエーションのユーザーはネットを通じて無償で他のユーザーが創ったゲームをプレイすることができるのだという。そこで他にも「オモイデアゲイン」をプレイした人間が何らかの攻略情報をネットで公開しているかも知れないからそれを検索しようというのだ。


 ところがその提案を受けて検索を実行した三人は余計に混乱することになった。「オモイデアゲイン」はクリエーションユーザーの間で完成度は高いのにクリアー出来ない謎のゲームとして有名になっていたのだ。これは創った人間にしか解けないパスワードなんじゃないかというのが大方の意見であり、その場面まで高い完成度を見せていたゲームがなぜ急にラスト間近でそんな理不尽な謎を用意したのか、ちょっとした議論を呼んでいたのだ。


 製作者にしかわからない謎なら製作者に聞けば良いんじゃないですか?


 あまりに単純だが的を射た意見を出したのはメイだった。


 博文に「オモイデアゲイン」の存在を知らせるメモを渡したあの謎の少年。きっと彼ならパスワードについて何か知っているだろう。


 早速博文たちは博人の残したクリエーションのデータから「オモイデアゲイン」の共同製作者を探すことにした。


 オモイデアゲインの企画者でありストーリーと制作全般を行ったのはもちろん博人だったが、絵や音楽を提供した人間は別に数人いるようだった。その中にあの少年がいるはずだ。


 博文たちはクリエーションに搭載された独自のコミュニケーション機能を使い彼らに連絡を試みた。事情をメール機能で連絡しても不審がられてしまったのか、なかなか返事は来なかったが、その中で最初に返事してくれた相手が今日会う予定の「ふぇるめ」という女性だった。




 功であり、それでいて功でない品田佑はテーブルに着いた。隣に博文が座る。功はその横顔を品田の眼を借りてまじまじと観察した。


 ……やはりそうだ。


 一つの確信があった。この広川博文には相浦作三郎の意識が宿っている。ンダッヴァの力で自我を失ったことのある功にはそれがわかった。


 そうか、ここは相浦先生の意識が創り上げている世界なのか。


 本当なら一刻も早く「あなたは広川博文ではなく相浦作三郎であり、この世界も自分たちが居た世界ではないのだ」と伝えたいところだったが、今や品田の体に居候しているだけの功には何の手立てもなかった。


「あの、すいません。広川さんでしょうか?」


 功の思考を止めたのは若い女性の声だった。振り返る品田の目線に合わせて、その姿が目に入る。ブラウンのセーター、ショートカット、そして大きな目が印象的な可愛らしい若い女性だった。確かに小説の「オモイデアゲイン」に描写されていたとおりの姿ではあったが、功は僅かな違和感を覚えた。やはり自分のイメージしていた顔立ちとは違う気がした。


「あの、私、『ヒロト』さんが亡くなられていたなんて知らなくて……。お悔やみ申し上げます」


 席に着くなり彼女は頭を下げた。


「ご丁寧にありがとうございます。今日わざわざ来て頂いたことに感謝します。ええと、それであなたのことはなんとお呼びしたらいいでしょうか?」


「あっ、あの、『ふぇるめ』と呼んで頂けますか? 絵を投稿する時はいつもそう名乗っているので」


「わかりました、ふぇるめさん。それで私どもの事情はメールでもご説明したのでおわかり頂けたと思いますが『オモイデアゲイン』の最後に出てきたパスワードについてあなたは何か知りませんか?」


「あの、私はヒロトさんからお願いされた絵をデザインして送っただけですから。大まかなストーリーとかそのキャラがどんな場面で出るか、そういうことは教えて頂いていましたけど、ゲームのシステム上のことは何も聞いていないんです。ごめんなさい」


 申し訳なさそうにまた彼女は頭を下げた。博文はそれを見て残念そうな表情を浮かべた。


「そうですか、知りませんか……。いや、これは失礼しました。あなたが謝る必要など無いのに嫌な思いをさせて申し訳ありません。悪いのは私なんです。私は息子がゲームを創っていたことすら知らなかったんですから。父親失格です」


「そ、そんな……」


「いやあ、それにしても少し驚きました。息子と一緒にゲームを創っていたのがあなたのような大人の女性だなんて。あ、いや、博人と同年代だろうと勝手に思っていたので」


「私もヒロトさんがまだ中学生だったなんて知りませんでした。クリエーションを使ってメールだけでやり取りしていたからか、自分と同じか、むしろちょっと上の人だと思っていたんです。プライベートな話のやり取りをしたことはありませんでしたけど、送った画像への修正指示やアドバイスもすごく的確だったんですよ。一度お会いしてみたかったです」


「そうですか。私の知らない息子の姿をあなたは知っていて下さったようだ。ありがとうございます」


「いえ、そんな、私は『オモイデアゲイン』を企画した『ヒロト』さんしか知りませんから。それに親しい人にだからこそ見せない顔って誰にでもあるんじゃないですか? 私だって絵を描くのが好きで昔から色々ネットに投稿していますけど、そのことをリアルの友達には言ったことないんです。恥ずかしくて」


「はあ、そういうものなんですか? ああ、そうだ、それでもう一つお聞きしたいんですが『オモイデアゲイン』の他の協力者について何か知っていることはありませんか? 特に博人の他に中学生くらいの男の子が制作に参加していなかったでしょうか?」


「中学生の男の子ですか? 私、オモイデアゲインの音楽を担当した『モーツ』さんなら知っているんですけど、確か、彼は音大生らしいし……」


 首を傾げた「ふぇるめ」を見た博文たちは一様に肩を落とした。その中で品田の中にいる功だけは全く驚かなかった。全て前もって読んでいた「オモイデアゲイン」どおりの展開だったからだ。


 この後に何が起こるかも功には全て分かっていた。


 後日、ふぇるめの紹介で「モーツ」と名乗る大学生と会った博文たち。ところが彼も中学生の制作協力者など知らないと話した。手掛かりを失い落胆した彼らだったが、ある有力な情報をモーツから得ることができる。クリエーションユーザーの間でちょっと有名になっている中学生クリエーターがいるというのだ。


 彼、「ルロウ」と名乗っている少年は自分で作品を創るだけではなく様々な作品にアドバイザーという形で参加している有名人らしかった。藁にもすがる思いでルロウにコンタクトを取った博文たちはついに彼こそがあの謎の少年本人であることを知る。


 再会した少年「ルロウ」こと「河里努」は博人と知り合った経緯について話し出した。


 努は製作途中の「オモイデアゲイン」を偶然ネットで発見し、よくできたシナリオに感心して製作者である博人に興味を持ち連絡を取ったのだという。それから二人はネット上で交流を重ね、同世代ということもあり、やがてお互いの悩みも打ち明けるほど仲良くなった。それから博人が心臓の病気で入院したことを知った努は意を決して見舞いに行ったのだという。それが二人の初めての出会いだった。博人は大層喜んだが、急に真面目な顔をして、自分にもしもの時は代わりに「オモイデアゲイン」を完成させて欲しいと努に託したのだった。


 事情を知った博文は努に「息子の代わりにゲームを完成させてくれてありがとう」と礼を言った。それに対し努はなぜか首を横に振った。あのパスワードを設定したのは実は博人ではなく努であり、それは正直意地悪な気持ちからやってしまったことだというのだ。自分が死ぬかも知れないのに父親を信じて遺言のようなゲームを残そうとする博人に親との関係がうまくいっていない彼は嫉妬し、博文を試してやろうとこのシステムを追加したのだった。


「悪いけど僕は答えを教える気はありませんから。博人君が話してくれたあなたとの『一番の思い出』をパスワードにしました。本当にあなたが彼に信頼されるような父親だったなら自力で見つけられるはずです」


 不敵な笑みを浮かべた努に品田は声を荒らげた。


「てめえ! いい加減にしやがれ! おまえに博人君の作品をいじる権利なんてねえだろ!」


「……」


 怒った品田が本気で胸ぐらを掴んでも努の口は開かなかった。


「待て、品田君! その手を離しなさい。彼はまだ子供じゃないか」


「甘いですよ、広川さん!」 


「いや、いいんだ。この問題を自力で解けなければ現実の問題も解決できない、そんな気がするんだ。それにゲームだろうと何だろうと相手が真剣に創ったものはプレイする方も本気でやらなければいけないんだろ? 私にそう教えてくれたのは君だぞ?」


 そう言って博文は笑った。それは苦笑いであり自嘲であり最後の試練へ挑む者の強がりでもあった。


 結局博文の意向もありパスワードが何なのか努から聞き出せないまま、その日の面会は終わりを迎えた。




 博文はそれから悩み続けた。博人はいったい何を努に話したのだろう? それがわからぬまま時間だけが過ぎていった。それはつまり妻との別れが近付いているということだった。女友達に就職の世話をしてもらったり引越し先を決めたりと着々と行動を起こしていた博子に対し彼は焦るだけで何も出来ず、ついに一周忌の前日を迎えてしまっていた。


 その日、眠れぬ夜を過ごした博文はふと思い出した。昔、眠れないと訴える博人と二人きりで話をしたことがあった。取り留めない話からだんだん思い出話になっていき、まだ息子が小さかった頃の話を「昔あそこに行ったよな、あれをしたっけな」と懐かしがって熱っぽく語る博文に対し、なぜか博人の方はあまり乗って来なかった。


「何だよ、人が懐かしい話をしているのに。冷めた奴だな」


 博文が大人気なくそう怒ると博人は笑いながら謝った。


「ごめん。父さんが懐かしくても僕は小さかったからあんまり覚えてないんだよ」


「ああ、そうか、そりゃそうだよな。それは俺の方が悪かった。じゃあ博人の覚えていることって何だ?」


「そうだなあ。そういえば今日の晩ご飯のハンバーグはすごく美味しかったね」


「はあ? 何だよ、そりゃ。ついさっきの話じゃないか。それにハンバーグなら母さんが時々作ってくれるだろう? そういうんじゃなくて、ほら、『あんなところに行ってあんなことして楽しかったなあ』とか特別印象に残っていることだよ。思い出ってそういうものだろう?」


 博文がそう言うと博人は「ふーん、そういうものかな?」と小さく笑った。それは思わずどきっとするほど大人びていて達観した表情だった。そして彼はその後にこう言ったのだ。


「僕は普通に『毎日』暮らせるだけですごく楽しいんだよ」


 博文は急いでオモイデアゲインを立ち上げた。彼にとっては今まで忘れていたくらいの何気ないやり取りだった。その時はただ変な奴だなとしか思わなかったが、息子の死んだ今になってみるとあの時の彼の言葉の意味が判ったような気がした。


 焦る気持ちを押さえながら画面を見つめていると例のパスワードを入力するウインドウが現れた。自分の思い付きは正しいだろうか?


 博文は入力欄にある言葉を入れると震える手で決定キーを押した。


 一瞬の間が永遠のように長く感じられたが、ガチャリという効果音と共に洋館の鍵が開く音がした。その瞬間、彼は自分の考えが正しかったことを知った。


 努が言っていた「博人の話してくれた特別な思い出」、その答えは「毎日」であった。博人は命に関わるほど重い自分の病気についてしっかりと理解していた。その結果、彼は普通の日常生活の大切さを誰よりも知っていたのだ。今日の夕食のハンバーグ、そんなありふれたものこそが彼にとってはかけがいのない特別な思い出だった。


 博人が「オモイデアゲイン」に込めた意味……。


 ふと我に帰った博文はゲンを操作して洋館の中に入った。するとそれまでゲンたちの前に立ちはだかってきたモンスターたちは一切出て来なかった。あっさり進んだ館の奥、そこには一人ぼっちで魔女が待っていた。フランは最終決戦を前に改めてゲンに確認した。


「ゲン、いいの? 魔女を倒せば私もあなたも消えてしまうのよ?」


 翔たち仲間はその時初めてこの戦いの後、ゲンが消えてしまうことを知った。魔女を倒すことに躊躇した仲間たちに彼はこう言った。


「こいつを倒さなかったら僕が存在できたとしても未来は来ない。こいつを倒せば僕が消えても未来は来る。僕はみんなの未来なんだ。さあ、僕らの未来を取り戻そう!」


 それはゲンの言葉ではなく博人から父へ残されたメッセージだった。博文は「オモイデアゲイン」というタイトルに隠されていた意味に気付くことが出来た。「思い出アゲイン」だと思っていたそのタイトルは実は「『思い』でアゲイン」だったのだ。「思い出」を取り戻すことが目的なのではなく、忘れていた「思い」をもう一度取り戻し、その力で大切な日常を取り戻す、それがゲンに、仲間に、そして博文に課せられた使命だったのだ。


 ゲンと心を一つにした博文は魔女へ戦いを挑んだ。さすがに最後の敵ということもあり魔女はこれまでの敵とは比べものにならないほど強かった。ゲンは何度も倒れ仲間たちに回復してもらった。逆に仲間が倒れた時はゲンが回復役になり仲間を助けた。まさに死闘だった。


 やがて回復の魔法や薬を使い果たしゲンも仲間たちも瀕死の状況となった。次に魔女からの全体攻撃を食らえばゲームオーバーとなってしまう。それでもこれはゲームなのだから別にやり直せばいいだけだ。しかしすでに博文にとってこれはたかがゲームなどではなくまさに最後の戦いであった。


 ここで負けたらもうやり直す気になどならないだろう。それに時間がない。今からやり直したとしても朝を迎えゲームが終わる前に博人の一周忌は始まってしまう。その後に博子は家を出ていくだろう。彼女を止める自信などなかった。息子がオモイデアゲインのエンディングに残してくれたであろう「勇気」が今の博文には必要だった。


 彼は大きく溜息を吐くとゲンの最後の行動、コマンドを選択した。残った力はぎりぎりだ。それを全て注ぎ込んで最後の必殺技を使う。画面をまばゆい光が包み、それは一筋の光に凝縮し魔女を一閃した。


 ところが魔女は倒れなかった。代わりにゲンが力尽きるように崩れ落ちた。博文は絶望に包まれた。ここまで頑張ってきたのに負けたのか。呆然と見つめた画面の中で魔女が何やら話し出した。


「はあはあ、私の勝ちのようね。でも正直驚いたわ。あなたたちの使っている力、それはそもそも私が街に残した魔力が元になっているはず。つまりあなたたちは力の生みの親である私に絶対勝てない。それなのにここまで私を追い詰めるとは。いったい何をした? どこでそのような力を得たのだ?」


 倒れたゲンに駆け寄った翔は泣きながら叫んだ。


「ゲンは自分が消えることをわかった上でおまえに挑んだんだ。俺たちの未来を創るためにな。おまえのように人の大事な思い出を盗んで心を踏みにじるような奴にその強さはわかんねえんだよ!」


「ほう、未来とな。未来という、どうなるかもわからぬ不安定なものに希望を持つというのか?」


 魔女は不思議そうな顔でそう聞いた。それは演技などではなく素朴な疑問を持った子供のような表情だった。


「ああ、そうだよ。人間は過去に得たあらゆる思い出を糧に未来へ進むんだ。悲しい過去から学んで反省し、楽しい思い出をまた作りたいと思って努力する。全ては未来のためだ!」


 翔がそう言うと何やら魔女は目を瞑って考え出した。先程までの戦いが嘘のような静寂。翔たちは息を飲んで見守った。やがて彼女はすうっと目を開いた。


「ふむ、面白い。そのような発想は我にはなかった。ゲンが未来の象徴なら差し詰め私は過去そのものだな」


 魔女は笑った。それは先程までの冷たい笑みではなく柔らかな人間臭い表情だった。驚く翔たちに向かってさらに彼女はこう言った。


「よし、奪った思い出たちは全て返してやろう。それにゲンという奴も生き返らせて存在を与えてやる」


「なんだって! 本当か! 俺たちを騙す気じゃないのか?」


「今の話は私にとって予想外で興味深いものだった。私が過去でそいつが未来だというなら過ぎ去った過去は未来に道を譲るのが当然であろう。ただ、今の戦いで私もかなりの力を失った。そいつを生き返らせるためには魔力が足りぬ。それでだ、そこの人形、確かフランとか言ったな? おまえが動くために使っている魔力を返してもらわなければならない。残念だが、おまえはただの人形に戻る。それでも良いか?」


「なに? おっと、そうきたか、おかしいと思ったぜ。フラン、騙されちゃいけないぜ。こいつはおまえから力を奪いたいだけだ。ゲンを助けてやるなんてきっと嘘っぱちだぜ」


 庇うように前に出た翔。しかしフランはかぶりを振った。


「翔、待って。私、彼女を信じるわ。きっと彼女はゲンを認めてくれたのよ」


「ま、待てよ、おまえは消えちまうんだぞ? いいのかよ?」


「ふふっ、いつも喧嘩ばっかりしていたあなたが一番心配してくれるなんてね。でも、いいのよ、私は元々動いたり喋ったりする存在じゃないんだもの。そう、私だって彼女と同じ過去の存在なのよ。アンティークな私を可愛がってくれた過去の持ち主たちはみんなお空に旅立っていった。私だけがずっとここに残された。魂を与えられてからその意味をずっと考えてきた。私、幸せよ、最後にゲンやあなたに会えて胸を張って旅立てるもの。さあ、魔女さん、お願い」


 フランはそう言って前に出た。魔女は黙って頷き、眼を瞑った。空気が変わった。フランから光が飛び出し、それまで立っていた彼女はパタンと倒れた。駆け寄った翔が彼女を抱えるとそれはすでにただの人形になっていた。


 光は魔女の元に吸い寄せられ、そして彼女自身もまばゆい光に変わった。大きな暖かい光。一度ふわっと空に浮かび上がったそれはゆっくりと倒れたゲンの元に降りてきた。ゲンと光が重なる。閃光が世界を包んだ。翔は暖かな光の中で意識を失った。


 エンディング。


 玄関で父親に見送られたゲンは何も言わぬフランに挨拶し家を出て学校へ向かった。登校途中、近所に住む仲良しのお兄ちゃんである翔と出くわし二人は並んで一緒に歩き出した。二人はふと空を見上げた。彼らは魔女と戦った記憶をすっかり失っていたが、どこまでも広がる青い空を見ていると「前に進まなきゃ」、そんな気になった。


 オモイデアゲインのエンディングを見終わった博文は涙が止まらなかった。博人の葬式の時でさえ流すのを我慢した涙が溢れてきた。そしてぼやけた視界のままゲーム機を握り続けていると「END」と表示されていた画面が突然ふっと変化した。そこには暗闇に浮かぶ字が表示されていた。


 あなたは奥さんを愛していますか? YES/NO


 決まっているじゃないか、そんなの。


 あなたにとって大事なものが何かわかりましたか? YES/NO


 しつこいぞ、博人。もうわかっているよ。いや、わかっていたんだよ。俺が弱虫だっただけだ。


 後ろを振り向いて、あなたは何をしますか?


 ……えっ?


 博文は驚き、後ろを振り返った。そこには自分と同じくらい涙を流している博子が立っていた。いったいいつからそこにいたのか、全く気づかなかった。


「あなた、ごめんなさい。私、博人から聞いていたの。そのゲームのこと」


「なんだって? じゃあ、博人が何のためにこのゲームを創っていたのか、それも知っているのか?」


「ええ。実はね、博人に『お父さんとお母さんが別れちゃったらどうする?』って半分冗談で聞いたことがあるの。そうしたらあの子、考え込んだ顔をしてね、『僕に任せておきなよ』って言ったのよ。それから暫くして博人は作っている途中のそのゲームを見せてきて『ねえ、お父さんを信じてみない?』って……」


 知らないのはやはり自分だけだったのか。苦しんでいたのは博人だけじゃなかった。彼女もその思いは同じだったのだ。


 そのことに気付き、取り返しの付かないことをした気がして博文はうなだれた。一年前の彼ならそのまま部屋を出ていってしまっていただろう。しかし博文は息子からの贈り物をしっかり受け取っていた。


「……君は充分に時間をくれていたのに、私はこんなに待たせてしまった。今さらこんなことを言っても調子のいい奴だとしか思われないだろうけど……」


 言葉がうまく出て来なかった。そんな時、見えない博人がそっと背中を押してくれたのがわかった。


「君を傷付けた過去は取り戻せない。でも許されるなら君ともう一度未来を見たいんだ」


 博文は臭いセリフを真面目な顔で言った。するとそう言われた博子はきょとんと彼を見つめた。それは初めて二人が出会った時、彼女が見せた表情だった。「ぷっ」と先に笑い出したのは博子の方で、それを見た博文も同じように噴き出した。二人は涙を浮かべたまま久し振りに笑い合った。ひとしきり笑うと博子が疲れたように溜息を吐いた。


「もう、馬鹿なことしてないで寝ましょうよ。今日は親戚もいっぱい来るんだから」


「えっ、ああ、そうだな」


「あーあ、忙しくなっちゃうな。法事の後、不動産屋にキャンセルに行かなくちゃならないし。でも仕事は折角の機会だし、やってみても良いわよね?」


「えっ、あ、それじゃあ……」


「あなたもこれから大変よ。自分の食べる夕飯くらいは自分で作ってもらいますから」


「な、なんだ、そのくらい大丈夫だよ。なんならお前の夕飯も作って待っているよ」


「えー、あんなまずいもの私に食べさせる気? 昔あなたが御飯作ってくれたことあったでしょ? 博人も私も美味しいって言ったけど陰で『もう勘弁して欲しいね』って言ってたのよ」


「なに、本当か? ひどいな、二人とも。見てろよ、今度は絶対美味いって言わせるからな」


 また二人は笑った。決して全てが昔のようには戻らないだろう。それでも二人はまた並んで歩き出した。





 駐車場に向かって歩く品田の中で功は「オモイデアゲイン」の最終章を思い出していた。


 小説はこのようにハッピーエンドを迎えていたが、この先、博文と一体化した相浦がどんな世界を描いていくか想像もつかないのだ。


 自分の時のように途中でこれが夢であることに気付き脱出できるか、それとも上竹のように想定外のトラブルが起きてしまうのか、今や観察者に過ぎない功にはどうにも出来ないことだった。


 やがて駐車場が見えてきた。商店街の入口近くのコインパーキングだ。もう少しでそこに着くという時に、功はふとあることに気が付いた。


 何か変だ。今は「ふぇるめ」と会った帰りなわけだが、猪倉仁悟が書いた小説のオモイデアゲインではわざわざこんなシーンを描写していなかったはずだ。


 書かれていない場面を読者が想像で補う、いわゆる行間を読むというのは普通のことだ。本のスペースが有限なものである以上、主人公の行動や心情を全て逐一文章にするわけにはいかないのだから読者の想像に任せる部分は必要になる。寧ろ、それをうまく使って小説は出来ていると言っても過言ではない。相浦は小説家として大家なのだから行間を読み、この場面を創り出しているだけなのかもしれない。


 しかしなぜか功はこの原作にはなかった場面に強烈な違和感を覚えた。


 これは、ひょっとしたら……。


 危険を感じた彼は叫ぼうとした。しかし体を間借りしている状況は先程と変わらない。品田の口は動かなかった。


 諦めるな! 思いを強く持て!


 功は自分に言い聞かせながらもう一度品田の口に意識を集中させた。


 そして次の瞬間。


「……し、師匠ぉ! 止まって下さい!」


 やった! 大きな声で品田である功は叫ぶことが出来た。それを聞いた博文はびくっと驚いて、反射的に歩みを止めた。それとほぼ同時だった。路地裏から突如現れた自動車がブレーキも踏まずこちらへ向かってきたのだ。一瞬の出来事だった。けたたましい破壊音を辺りにまき散らしながら車は駐車場の入口に突っ込んだ。


 青ざめた博文は尻餅を着き、だいぶ遅れてメイが悲鳴を上げた。ほっとすると共に功は思った。やはりおかしい。こんな場面は「オモイデアゲイン」には無かった。一体どうなっているのだろう? 「帰蛙」の物語の展開上死ぬはずはなかった上竹も死に、相浦もシナリオにはない危険に襲われた。


 嫌な感じがした。


 まさか、悪意のある第三者が存在していて、この世界のストーリーを書き換えている?


「精神の世界に外から介入してくるなんて、そんなことできるわけ……、師匠?」


 目の前に座り込む博文がおかしいことに功は気付いた。彼はこっちをじっと凝視していた。


「私が、師匠? 品田君? いや、おまえは、こ、こう……」


 彼は確かに功の名を呼んだ。揺らいでいる。功が大樹から自分を取り返した時と同じだった。チャンスだ! すでに品田から体の主導権を奪い取っていた功は叫んだ。


「師匠! 岡澤功です! わかりますか? ここは現実じゃない。あなたは相浦作三郎です」


「おかざわ? あい、うら? 私はひろかわ……、いや……」


 おかざわこう? 聞き覚えのある懐かしい名だった。


 そして彼は思い出した。


 後悔。


 そう、後悔だ。広川博文が妻や息子から逃げていた過去を後悔するように、自分は些細なつまらない嫉妬から弟子との関係を壊してしまったことを悔いていた。だからこの作品に共感し推薦することに決めたのだ。


 推薦? ああ、そうだ、私は審査員として、この世界に触れ、そして……。


 そうだ、私は相浦作三郎だ!


 博文の眼に光が戻った。それと同時に周りの景色が歪んでいった。現れたのは暗闇。駐車場も商店街も今まで一緒にいたはずのメイの姿さえもうどこにもなかった。深い闇の中に相浦と功だけが残された。真っ直ぐ功を見つめる彼はいつもの相浦作三郎であった。


「功、おまえ、どうして? いや、それよりここはどこなのだ?」


 何も無い闇を見回す相浦に功は今までの経緯を話して聞かせた。


「ンダッヴァ? 吾郎が死んだ? ここは他人同士の意識が繋がり合う精神の世界だというのか? なんと、とても信じられん話だ。しかし今見ているものがただの夢とも思えん。どうすればここから出られるのだ?」


「師匠は現実世界に帰るイメージを強く持てば出られるはずです。僕はまだこの世界に残ります」


「何だと? ここはあの吾郎が死んでしまうような場所なのだろう? それに先程の事故も言われてみれば確かにおかしい。そんな危険な場所に残るというのか?」


「はい、俺は朋美と美花も助けに行かなくちゃならないんです」


「助けと言ってもどこに行くというのだ? この何もない暗闇の中を」


「ちょっと待ってください」


 功はそこでイメージをした。二人へ続く道。すると何もなかった闇の中に丁度一人の人間が通れるくらいの光の穴がぽっかり姿を現した。


「おお! 何だ、これは? まさか、功、おまえが創ったのか?」


「はい。師匠も自分が帰る出口をイメージしてみてください」


「うむ。やってみよう」


 相浦は目を瞑り、次の瞬間パッと目を開いた。それと同時に暗闇の中、天から一筋の光が射した。それは次第にただの線ではなくひとつの形を成した。それは梯子だった。


「これが師匠の現実世界へ帰るイメージなんですね。師匠、どうか、ご無事で」


「それはこっちのセリフだろう。……それにしてもおまえから師匠と呼ばれたのは久し振りだな」


 相浦はそう言いながら梯子に手を掛けた。それを見てから功も穴の縁に手を置いた。


「無事に現実世界で会えたらまたゆっくり話でもしよう。いいか、絶対に死ぬなよ、功!」


「はい。きっと朋美も美花も連れて帰ります」


「ああ。ではまたな」


 功は師が梯子を登っていく様子をずっと見守った。彼の姿は段々小さくなりやがて暗闇に溶け込むように見えなくなった。そして梯子自体もすうっと薄くなり消えてしまった。


 功は昔のように相浦と会話できたことが嬉しかった。現実世界に戻れたらちゃんと謝ろう。そう、素直に思えた。


 とんでもないことに巻き込まれたが悪いことばかりでもない。


 やっぱり俺は相浦作三郎の弟子、岡澤功だ!


 彼はもう一度自分に言い聞かせるように自らの存在を確認すると次の世界へ続く光の穴へと飛び込んだ。






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