第三章 閃光 交わるパラレル3




 タンクァはまた例の薬を使い国立病院に入院していた。しかしなんと今回は指示があったわけではなく自らの意思でやったことだった。タリラの影武者候補としてイクサネール本国が送り込んできた人物、クオーラという名の女性と出会ってからすでに三ヶ月が経とうとしていた。


「失礼致します。タンクァ様、少しよろしいでしょうか?」


 部屋に入ってきたのは例の主治医だった。気のせいか、前に見た時よりも表情が強張っているようにタンクァには見えた。


「うむ、こちらも話がしたいと思っていたのでな」


「……なぜ薬を使われたのですか? あれは指示があった時のみ使う約束だったはず。死ぬことはないとはいえ何度も使えば体にもいらぬ負担を掛けるのですぞ」


「それは主治医としての忠告かね? それとも何度もわしがここに来て自分がスパイだと他の医者にバレたら困るという監視者としての立場からの発言か?」


「正直に言えばどちらもです。どちらにしても危険ということだ。あなたは本国からの指示通りに事を運んでいればいいのです。なぜわざわざ自ら動かれたのですか?」


「わしの考えを本国に伝えなければならなかったからだ。君は一ヶ月後、研修のためイクサネールに行くようだな。本国ともその時に連絡を取り合うのであろう?」


「わざわざ私のスケジュールまで調べたのですか。私はあくまで本国に属する人間だ。本国からの命令を伝えることはあってもあなたからの命令を受ける筋合いは無いのですよ」


「大事な話なのだ。本国の提示してきた計画に変更を求めたい」


「変更ですと? クオーラがタリラと見分けが付かないほど似ていることは側近のあなたが認めたのではなかったのですか? 今更、何を言っているのです?」


「しかしクオーラは女だ。そこが決定的に違う」


「この際、それはなんとでもなるでしょう? タリラはそもそも中性的な外見をしている。だからこそ影武者探しをした時に女であるクオーラに白羽の矢が立ったのです。ほんの少しの整形だけであれだけ似せることが出来たと本国からは聞いている。逆に言えばあれだけ似ている人間は他にはいないということです。後はあなたの細かな指導だけだ。今すぐに、とは本国も思っていない。何年か時間を掛けて仕込んでいけばよいのですよ。焦ることはないはず」


「この三ヶ月、随分悩んだのだよ。しかしやはり影武者というのは無理があり過ぎる。理由は幾つかある。まずタリラ様の持つ芸術関係の技術は簡単に真似できるものではないということだ。一つ一つの技術としては確かに素人の技だから大したことはない。しかしこれまで金にモノを言わせてタリラ様が身に付けてきたあまりに多方面の技術は同じくらいの時間と財を掛けなければクオーラも習得できないであろう」


 タンクァは最近になってふと思ったことがあった。ひょっとしたらタリラの芸術道楽は簡単に自分の偽者を作らせないための用意周到な戦略、計算されたものだったのではないか、と。


「それにタリラ様がもし急に真面目になって政治の仕事をし始めるようなことがあればミンシュアやスパイドからもおかしく思われるだろう?」


「確かに問題点はありましょうが今更計画を中止になど出来ませんぞ! このままタリラが芸術にうつつを抜かし続ければ確実に三国のバランスが崩れていく。現にイクサネールの一部の有力者たちからはいずれ戦争もやむなしという意見すら出ているそうです。『ご老人』と呼ばれる彼らの存在はあなたも知っているでしょう? ある意味、王以上の力を持った貴族のご隠居連中だ。そいつらを納得させるためにはタリラの影武者を立てるという計画が順調に進んでいると証明することが絶対条件になるのです。それが出来なければ本当に無意味な戦争が起きかねない」


「わかっている。だから中止ではなく変更を求めたいと言ったのだ」


「変更? 何をどう変えるのですか?」


「影武者を立てずにタリラ様本人を真面目な王へと変える」


「な、何を言っておられる? 今まであなたにそれが出来なかったからこうして三国の緊張状態が続いているのですよ? だからこそ本国も影武者などという漫画のような一か八かの策を実行に移すことを決めたのです。馬鹿げているとわかっていてもやるのが政治というものなのだから」


「わしもタリラ様を変えることなど不可能だとずっと思ってきた。しかし今回あのクオーラと出会えたことである妙案を思い付いたのだ」


「クオーラ? 彼女が関係すると? 影武者は立てないと今仰ったばかりでは?」


「影武者にするわけではない。クオーラにはタリラ様と結婚してもらう」


 あまりにも意外なタンクァの言葉に主治医は眼を丸くした。


「なっ! 今、なんと申されたのですか? いや、私の耳がおかしくなったのか?」


「タリラ様にクオーラを引き会わせ結婚させるのだよ。うまくいけばタリラ様も一人の男として自覚を持って生まれ変わってくれるかもしれない。それにもしタリラ様本人が変われなくても『お子』でも出来てくれればこれからの教育次第で立派な王に育て上げられる」


「た、タンクァ様、正気ですか? 自分が何を言っているか、わかっておられるのか? そんな無茶苦茶な計画がうまくいくわけがない。第一、クオーラがそっくりなことをどうタリラ様に説明するつもりです? 『偶然そっくりな女性がいたんで面白いかと思って連れて参りました』とでも言うおつもりですか? ふざけるのもいい加減に……」


「無茶苦茶なのは影武者計画といい勝負だと思うがね。わしは最近クオーラとの出会いに運命を感じているのだよ。カンショネラ様がわしの元に彼女を送り込んできたに違いない」


「ま、待ってください。何を根拠にそんなことを?」


「今、タリラ様は小説を書いておられるのだ。例の芸術癖の一環だよ。タリラ様自身の半生を元にした自伝的な話と自分がタリレという女性として生まれていたらどうなったのかという所謂パラレルワールドの話が交互に展開していくという物語なのだ。偶然にもクオーラはまさにそのパラレルワールドからやって来たような女性ではないか?」


「小説に出てくる女性? そんな作り話が何だと言うのです?」


「わしはタリラ様がその物語にどんな決着を付けようとしているのか、ずっと気になっていたのだ。最近になってそれがわかった。それぞれの世界で成長した王子タリラと姫タリレはある日の晩、聖カンショネラ城に古くから伝わってきた大きな鏡が光を放っているのを目撃する。それぞれの世界で鏡に向かって伸ばしたタリラとタリレの手がそこで触れ合い、彼らはお互いの存在を知るというわけだ。二つの世界が鏡を通して繋がり合い、それを知るのはタリラとタリレだけ。二人は互いの世界を行き交い、時に助け合い、時に入れ替わり、互いのトラブルを解決しながら信頼を深めていく。そしてその信頼は恋へ、さらに愛へと変わっていくのだ。お互いがパラレルワールドの自分自身であることをわかっているのに禁断の愛へ落ちていくというわけだよ」


「うーむ、だんだん話が読めてきました。その小説に便乗してクオーラをタリラの影武者ではなくタリレという架空の人物の影武者にしようというのですね? しかしいくらタリラが芸術狂いの夢想家だとしてもそんな馬鹿げたお伽話を信じるでしょうか? 自分の書いた物語の登場人物が実際に目の前に現れるなんて」


「タリラ様がなぜあんな小説を書いているのか、わしはずっと考えていた。そして思い付いたことがある。これはタリラ様の強烈なナルシズムの現れなのではないかということだ。生まれついての王であり三国緩衝の人柱として生きていくという特殊な境遇で生きてきたタリラ様は常に孤独で他人を愛するということが出来ないのではないだろうか。だからこそ自分の世界に入り込める芸術に大半の時間を使ってこられたのだろう。自分を愛してくれるのは自分だけ、無意識にそんな考えを持たれているのだと思う」


「つまり病的とも言えるナルシストのタリラなら多少現実離れした設定で現れたとしても違和感なく自分そっくりのクオーラをタリレとして受け入れると?」


「うむ。『目を背けられない過酷な現実』と『自分を少し誤魔化せば手に入る作り物の幸せ』が並んで目の前にあった時、君ならどちらに手を伸ばす?」


「それは……、私にはなんとも……」


「影武者という荒唐無稽な計画を実行するくらいならわしの計画の方が面白いと思わんかね? わしはタリラ様を学生の頃からずっとお側で見てきた。あの方なら目の前に自分と瓜二つのクオーラが現れたら必ず現実の方をねじ曲げて考える。そういう方だ」


「そ、そこまで変人なのですか、タリラは? しかし、そんなハチャメチャな計画をイクサネール様やご老人たちが納得されるでしょうか?」


「それを問い合せて貰いたいからあんな毒を飲んで辛い思いをしてまで君に会いに来たのだ。今、本国に行き向こうでじっくり話せるのは諜報員の中でも君だけだろうからな」


「それはそうでしょうが……。あっ、そういえばウヒョット様とターイン様にはどう話されるおつもりですか? タリラに引き会わせるとなれば二人にも秘密というわけにはいかないでしょう?」


「それは私に任せて欲しい。二人とも昔馴染みだからな。うまく納得させる」


「タンクァ様、本気なのですね? うーん、しかし……」


 主治医は難しい顔をしたまま黙り込んだ。その間タンクァも黙って彼が考えをまとめるのを待っていた。数分後、彼は溜息と共に一つ大きく頷いた。


「わかりました。本国の首脳部にタンクァ様の考えを伝えましょう。正直、私もずっと本国が伝えてきた影武者計画には無理があると思っていたのです。計画を立てた首脳部でさえ出来ると信じていないような、ご老人たちを納得させるためだけの詭弁に過ぎない計画なのではないかと疑ってきました。それならいっその事タンクァ様の奇策に乗るのも悪くない」


 主治医はにやりと笑った。タンクァもそれを見てにやりと笑った。


「それではこれで失礼致します」


「うむ。よろしく頼む」


 主治医は帰りざまにドアに手を掛けたまま振り返った。


「タンクァ様、これは邪推かもしれませんが……」


「何だね?」


「楽しんでいませんか?」


「そう見えるかね?」


 二人は再びにやりと笑った。





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