第三章 閃光 オモイデアゲイン3




 ずっと疑問に思ってきたことがある。


 なぜ博人は私に「オモイデアゲイン」をやらせたかったのか。私が普段ゲームをしないことは知っていたはずなのに。


 品田君たちが家に押し掛けてきたあの日、私はその疑問について一つの答えを導き出した。ゲームの内容を見ていて気が付いたことだ。私だからこそわかったこと、つまりそれは博人から私へのメッセージだ。彼の伝えたかったことは理解した。しかし私には彼の希望を叶えてやる勇気が足りなかった。誰かに背中を押してもらいたい、そんな思いがあった。


 その日は朝から他社へ研修に行かなければならなかった。私一人ではなく品田君、パート社員、派遣従業員、総勢十数人という大所帯が三台ほどの車に分かれて一時間ほど掛けて研修先へ向かうのだ。


 仕事をくれる相手が要求してくることをいかに熟していくか、私の勤めるような小さな会社にとってはまさにそれこそが死活問題であり、次々と企画される新製品に対応するためには数カ月単位で繰り返される厳しい実習をその都度合格しなければならなかった。やっと慣れた頃にまた別の作業を覚える、その繰り返し。必然的に勘違いやミスが発生してくるので指導、管理の立場としては常に緊張感を持っていなければならなかった。


 それに問題なのは作業者の半数以上が派遣社員ということだった。女性が多いこともあり、人の入れ替わりがどうしても頻繁になってしまうのだ。会社が人を一人失うということはつまりその人間が持っていた一人分の経験値を失うことに等しい。それを埋めるためには根気強い指導を継続していくしか無かった。人に何かを教えるということは難しいことだ。若い時の私は指導を受ける側の作業員に過ぎなかった。性格的にはそちらの方が向いていたと思う。しかし歳が増えるということはそれだけ関わり合いになる面倒事も増えるということだから仕方ないのだろう。


 朝礼が終わると私たちは行動を開始した。車を出すのは私と事務所の人間、そして工場長の三人だった。うちのように小さい会社では時に工場長すら作業者たちのバックアップに回らなければならなかった。改めて人数を確認してみると私の車には私を含めて三人乗ることになりそうだった。丁度良い機会だと思い品田君と杉川さんに声を掛け一緒に車に乗ってもらうことにした。三台の車のうち、私は最後に車を出した。


「何か話してくれる気になったんすか?」


 車が会社の門を出るなり品田君がそう聞いてきた。


「あれから何にも教えてくれなくなっちゃいましたもんね。心配してたんですよ」


 本当に心配した様子で杉川さんがそう言った。二人とも私の決意を感じ取ってくれたようだ。


 車はやがて比較的真っ直ぐ進むルートに入った。朝日に照らされた両脇の水田がキラキラと光って綺麗だった。思えばオモイデアゲインを始めた時にはまだ春の陽気を感じていたのにもう初夏と言って良い季節だ。意を決した私は話し出した。


「あの後もオモイデアゲインは進めているんだ。そして、あの時、君たちに話した『ひょっとしたら』がだんだん確信に変わってきた。正直、私は認めたくなかった。博人が亡くなる前にそんなことを考えていたなんて。もしそうだとすれば私は父親失格だ」


「オモイデアゲインに博人君が込めたメッセージって何だったんですか?」


「おそらく博人はこう言いたかったんだ。『父さん、母さんと付き合い始めた頃のこと覚えている?』って」


「奥さんとの思い出ですか? ゲームの中にそんなシーンが?」


「木の化物になり掛かったアサミっていうキャラクターが出てきただろ? 彼女が彼氏と出会った時のことを語るシーン覚えているか?」


「えーと、何でしたっけ?」


「やだな、たすくん、もう忘れちゃったの? 元カレに振られて公園のベンチで泣いていた彼女によしのりが声を掛けてきて慰めてくれたって話だったでしょ?」


 さすがにこういう話は女性の杉川さんの方がよく覚えているらしい。


「そうだ。実はそのエピソードは実際の私と家内のエピソードなんだよ」


 二人は驚いた様子で揃って「えっ」と声を上げた。


「二十年近く前の話さ。公園のベンチで俯いたまま声を上げて号泣している女性がいてね。男絡みのことだろうとは思ったけど、なんかほっとけない気持ちになって『隣に座ってもいいですか?』って声を掛けたんだ。真っ赤な眼をした彼女の不思議そうな顔は今でもよく覚えているよ。女性が一人で泣いている時に空気も読まずナンパしてくる男がいるとは思いもしなかったんだろうね」


「それが奥様との馴れ初めなんですか? じゃあ博人君にもその話を?」


「いや私はしたことないよ。恥ずかしいじゃないか、そんな話を息子にするなんて。だから最初は『偶然かな?』と思ったんだ。だけどゲームを進めてみたら偶然なんかじゃないとわかってきた。おそらく博人は家内から聞いたことがあったんだろうね、まだ彼が産まれる前の二人だけの思い出話を。付き合う気がないって言われたのに一方的にデートの約束をした私が五時間彼女を待ち続けて諦めて帰ろうとしたまさにその時に彼女が来てくれたこととか、勤めていた会社で彼女がいわれのない噂を広められていることを聞いた私が探偵紛いのことまでして噂の出処を突き止めた話とか、そんな私と家内しか知らないはずのエピソードがゲームの中に出てくるんだから」


「は? なんすか、その話? 初耳っすよ。広川さんってそんな熱い性格の人だったんすか?」


「へえ、なんか今のイメージと違いますね。ところで噂の出処って何だったんですか?」


「家内の同僚にある女性がいたんだけど実は彼女は家内と小学校の時、同級生だったらしいんだ。ところが家内はすっかり忘れていてさ。その彼女は親の都合で三年生くらいの時に転校していっちゃったから記憶にあまり残らなかったんだろうけど。それと実はもう一つ理由があった。彼女は顔をね、かなり整形していたんだ」


「うわあ、それじゃ奥様は悪く無いですよ」


「結婚して苗字も変わっていたからね。家内は全く気付かなかったらしいよ。でもその彼女は家内が同級生だったことをはっきり覚えていた。そしていつ気付かれるだろうと不安になったらしい。それで変な噂を流して家内の方を辞めさせてしまおうと考えたみたいなんだ」


「ひどい女っすね。ねえ、メイちゃんもそう思うっしょ?」


「まあ、そうだけど……。でもちょっとだけその人の気持ちもわかるな」


「ええっ、メイちゃん、まさか整形してんの! マジ? い、いや、そうだとしても俺の気持ちは変わん、んん、そ、そうだ、変わらない、変えるな、変わらないぞ!」


「おい、コラー! 心の葛藤が漏れてるわよ! それに私、整形じゃねえし! そういう意味でわかるって言ったんじゃないの。好きな人にだからこそ自分の本当の弱みを見せたくない、そのためにはどんなことでもしてやろう、そういう気持ちってこと」


「家内も彼女を許したんだ。だから整形のことは誰にも言ってない。私と結婚して家内は仕事を辞めちゃったけど今でもその彼女とは良い友達なんだ」


「いい話ですねえ。あっ、話が逸れちゃいましたね。それでどういう事なんですか? 博人君は広川さんと奥様しか知らないはずのエピソードをオモイデアゲインのイベントとして取り入れた。そして完成したゲームを広川さんにやらせようとした」


「私は色々考えてこう結論を出した。博人は自分が大人になるまで生きられないと覚悟していたのかもしれない。そうなると両親、私と家内は二人きりになってしまう。博人は自分が『かすがい』であることをよく知っていたのかもしれない。感の鈍い父親は気付いていないが一人息子を失った母親が離婚を申し出るかもしれないと予測したのかもしれない。そして私にこのゲームをやらせることで私に何かを気付かせてそれを防ごうと思ったのかもしれない」


 自分が「かもしれない」を連発していることには気が付いていた。まだはっきり認めたくない気持ちがあるのだろう。


「私は博人が病気になった後に気持ちのどこかで逃げるようになっていたんだろう。病気で苦しむ息子を見るのが辛くて、彼に掛かりきりになった妻へ全部任せてしまった。自分は治療費さえ稼げれば良い、そんな言い訳のもとに仕事に打ち込んだ。いま思えば彼女との会話もだんだん少なくなっていたよ。時折交わすのは息子の病気についての話だけだった。昔はもっと色んな話をしたのに。彼女の知らない私の子供の時の話や将来こうしたいああしたいなんて希望に溢れた話もしていたのに、最近は『今』の話しかしなくなっていた。過去や未来を語る余裕を無くしていたんだろうね。彼女が博人の一周忌が終わったら離婚したいって言い出した時、私はなぜかわからなかった。博人はとっくに気付いていたのに」


「まだ遅くないじゃないっすか。これからでも」


「そうですよ。今までごめん、やり直そうって言えば奥様だって喜んでくれますよ。本当に嫌いなら一年なんて待ちません。奥様も迷っている証拠ですよ」


 二人は一生懸命、私を励ましてくれた。しかし私はそれに対し何も答えられなかった。


 直線だった農道が終わり車は再び市街地に入った。ここからは右折左折を繰り返しながら目的地を目指さなければならない。私の心も同じだった。本当に博子とやり直すことなど出来るのだろうか? いや、その前に私は彼女とやり直したいと本当に思っているのか? 自分自身がよくわからなくなっていた。


 車は順調に研修先へ近付いていく。それなのに私の心は完全に迷ってしまっていた。それを察したのか、いつの間にか品田君も杉川さんも喋らなくなっていた。車中に無言の時が流れた。やがて車は研修先の会社の駐車場へと到着した。その時、杉川さんが急に口を開いた。


「あの、広川さん、博人君ってどんなお子さんだったんですか?」


「えっ、そうだな、どんなって言われても……」


「すごい息子さんだなあって思って。私だったら病気の辛さに負けちゃって自分が死んだ後のことまで考える余裕はないと思うんです。それにオモイデアゲインってゲーム自体、すごく良く出来ていますよね? ネット仲間の協力はあったにせよ、中学生がここまで考えて創り上げるってほんとにすごいですよ。頭のいいお子さんだったんですね」


 確かに博人を成績のことで怒ったりした覚えはなかった。そして彼が何か我儘を言った記憶もなかった。そのことを考えるとふと恐ろしい気持ちになった。


 私が知っていた博人は本当の博人だったんだろうか? 彼は生きていて楽しいと思ってくれていたのだろうか? 彼は自分の病気のせいで両親に迷惑を掛けていると思い、他のことで我儘を言ってはいけないと自分を押し殺して我慢していたのではないか?


 そんな疑問が沸き上がってきた。


 どんなお子さんだったか、そう聞かれて私はうまく答えられなかった。なぜか? 答えは簡単だ。私は博人のことを知らな過ぎた。


 彼が家内と普段どんな話をしていたのか。いつからゲームを創っていたのか。思い出すのは彼の笑顔ばかりなのに、その裏で本当はどんなことを考えていたのか、私は何もわかっていなかった。


 いや、そうじゃない、わかっていたかどうかなんて今さら重要じゃないのだ。わかった今でさえ私は動けずにいる。私は結局死んだ息子が必死で残した遺言にさえ躊躇っている卑怯者だった。


「オモイデアゲインは最後までやるよ。どうするかはそれから考えようと思う」


 私は車のドアを開けながらそう呟いた。


 それは二人に向かって、というよりは、ただの独り言に近い言葉だった。





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