第143話ヴェルドとクジット
言葉と共に放ったであろう右の拳が鼻先をかすめて通り過ぎる。
空を切ったその軌跡が遅れて連れてきたのは、えぐられた空気の苦痛のうなり声。
だが、それだけでは終わらない。
まだそれが残ったまま、体を回転させてきた蹴りは、深く地面をえぐっている。
立ち上る土煙。だが、クジットの動きがその存在を許さない。
息もつかせぬ大振りな技の後にも関わらず、突き刺さるような蹴りの嵐が吹き荒れる。だが、それではまったく届かない。
それを悟ったかのように、一瞬にして頭上をとったクジット。その眼には、必殺の色が浮かんでいた。
そう、上から降ってきたのは拳の壁。
まるで千手から繰り出されたかのようなそれは、一撃一撃がかなり重い。
避けるのは簡単。
しかし、そのどれもが次の攻撃への布石。迫りくる圧迫感は相当のモノだけど、私の勘がそう告げる。
おそらく、彼の圧倒的なスピードから考えると、この後こそ本気の一撃が来るに違いない。
体の動きや仕草はまるで違う。でも、大きく避けずに技から技に繋がる流れのような攻撃に身をさらしてみると、なんだか懐かしい気持ちになっていた。
そう言えば、マリウスがそうだった。クジットの攻撃にマリウスの姿が重なって見えるのは、たぶんそう感じているからだろう。
戦いが楽しいという感情を前面に出すマリウス。
けだるそうな表情のまま、楽しいという雰囲気を垂れ流すクジット。
見えている姿は全く違うけど、私にすれば、二人は同じ世界で生きている。
そう、今この瞬間を間違いなくクジットは楽しんでいる。つくづく、
思わずそんなことを懐かしく思いながら、後頭部を狙った首を刈る蹴りを瞬時にかわす。これはマリウスとの試合ではない。いくら懐かしい思いがあると言っても、ここはそんな場所でもない。
――さあ、まずは最初の一撃で見てみよう。
「へえ、やるもんです。このあっしがスピードで負ける――」
クジットの話を途中で遮り、足癖の悪いその足をそのまま切り落とす。
飛び散る鮮血を残し、驚愕の表情が飛び退いていく。
苦痛を押し殺した声と共に、クジットは再び距離をとっていた。
「まあ、それなりに戦いを経験してきたので。でも、やっぱり切ったものが本体にくっつくように移動するんだ」
――やはり、状態が変わらないという事じゃない。変化した結果、元に戻る。その途中で起きた事象は、そのまま記憶として残っている。つまり、結果的に
だが、さすがに
殺気を抑えた私の攻撃を、いとも簡単に察知したクジット。だが、察知しても対応はできなかった。狙った場所に狙った攻撃がクジットの体に刻まれる。
それが今のクジットと私の実力の差。他に力があったとしても、この速度差はどうすることもできないだろう。
――それに、まだ私はさらなる速さの頂に上る事が出来る。
ただ、切り落とす瞬間に、体はすでに回避しようとはしていた。でも、それも全ての精霊を纏っている今の私にしてみれば、かなり遅い行動に思える。
白い光を残しながら、狙いは過たず、太ももをバッサリと切り落とす。
普通なら戦闘続行不可能な致命傷と痛みだろう。出血も相当な量となっている。
だが、やはり【状態不変】の力は侮れない。
切り落とされた足が地面についた瞬間、まるでそこに意志が宿っているかのように、地面をけって体を追いかけていた。
足を残して後退したその体に向けて、切り落としたはずの右足が追いついてつながる。
まるで見えない糸か何かで引っ張っているかのようにも見える動きは、【状態不変】がもたらす効果なのだろう。そして、血色がよくなったことを見ると、失った血も元に戻ったのは間違いないだろう。
「いや、早すぎるです。驚いたです。でも、まだまだ本気じゃないって気がするです。恐ろしい人です。このままでは、あっしも勝てないです。負けもしないけど、勝たないと、面倒です。だから、ここからはあっしらが勝ちに行くです」
全く焦燥感を感じさせないその口調の後、口笛を吹いて合図を送る。
おそらくクエン達に指示したのだろう。クエン達の雰囲気が攻撃の色に染まっていく。それはかつてないほど、鮮明に輝く色だった。
だが、クジット自身はそうでもない。
どちらかというと、どこか散歩に行くような感じのそれ。
おそらくそれは、【状態不変】で生きている状態に固定している影響だろう。
たとえこれだけの実力差があったとしても、生き残る自信のあるクジットにしてみれば、生まれるはずのないものに違いない。
――決死の覚悟というものは、死を意識した瞬間に産声を上げる。そしてその事が、さらなる強さへと育つ者の第一歩になるのだろう。
【状態不変】は【治癒強化】と同じ常時発動型の能力。それには回数制限などはない。つまり、生きている状態に固定しているクジットは、不死身の肉体を持っているのと同じなのだろう。
――生きているから変化する。自分の意図した方向に変化することが成長だ。
だから、クジットには成長はない。その事をクジット自身も分かっている。だから全てにおいて面倒になるのは当然と言えば、当然だ。
――変われないから。でも……。さて、どうするか。いや、そうするしか方法はないか……。
再び動き出す、クエンとアメルナ。そこにはすでにさっきとは全く違う、別人の気配が漂っている。
『【状態不変】の勇者は厄介だ。できれば、戦闘を回避して別の手段を講じるべきだ』
組合長の考察にはそう書いてあり、決して殺せないとも書いてあった。そして、他にも周りにもたらす影響が厄介だとも書いてあった。
自分が変わらない分、周囲に変化を強要することがあるらしい。その事だけは確証が得られなかったに違いない。資料には、半信半疑といった感じで書かれていた。
ただ、古の魔王との戦いでも、【状態不変】の勇者は最前列で戦ったらしい。
だけど、死なない生物は生物じゃない。現に始まりの勇者はとっくの昔に死んでいる。おそらくだけど、その能力にも何か落とし穴があるかもしれない。
――試してみるか。でも、一応リナアスティにも頼んでおこう。
私の意志を感じたリナアスティが瞬時に竜の姿に戻り、天高く舞い上がると、北の方角に飛び去っていく。
――さあ、戦いを終わらせるための戦いを始めよう。
「
私の求めに応じて飛び立ったリナアスティの代わりに、瞬時に三人が私の中から飛び出していく。
そして、瞬く間に皆をそれぞれの結界で覆っていた。
「さあ、
頭で理解しているものの、こみ上げてくる感情に揺さぶられ、思わず笑みがこぼれてしまう。
(そなた、この状況を楽しんでおるな? 一言あの者に言えば済むことであろう?)
意外に冷静な
(気のせいだよ、ここで試しておかないといけないだろうし)
そう、これはあくまで必要なこと。
――決死の覚悟の相手に、そこを分からせることも必要なことだ。絶望を感じた瞬間、人は争う意思を無くす。
自分でも悪役な台詞だと思う。でも、そのことをもう一度そう告げようとしたときに、
(あはは、ハナはわかってるんだよぉ。ハナの性質は『活力』と『心』だよぉ。しってるよぉ)
まだ抜いてもいない
エトリスとネトリスの攻撃で空いた大穴の中心から、そびえたつ二体の柱。
その姿は紛れもなくあの武神。その姿に目を奪われる間もなく、二体はルキ達に向けて巨大な拳を打ち下ろす。
「戦闘用の仇だぜ! 覚悟はいいな! 小娘ども!」
しかも、飛び上がったジュクターを中心として、おそらく百体の
「ひひっ、よそ見すると致命的だし。卑怯でも、生き残ったのが正義だし。ひひひ」
「まったくです。いくら強いと言っても、その油断が命とりです」
「いくらあんさんでも、これでは手も足も出ないです」
クエンとアメルナ、そしてクジット。それぞれが三方向から私に向けて攻撃を繰り出す。
見違えるようなスピードと力の波状攻撃が、私めがけて押し寄せてくる。そして、ルキ達の方には、巨大な二本の腕が同時に降り下りていた。
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