第133話ガドラの戦い(前編)

ガドラのその一言で、この場の空気が激変していた。


クエンの大きな体が小さく震えている。それはまさしく、嵐の前触れを示しているに違いない。


つかの間の沈黙。

名残惜しい気持ちが起きる間もなく起きた雄叫び。それは紛れもなく誕生の雄叫び。生まれたことを歓喜するかのようなそれは、はばかることなく爆散していた。


沈黙を彼方に吹き飛ばし、気合のこもった雄叫びのみがこの世界の音を司る。


しかも発せられた気合は風を生み、土埃を舞い上がらせ、クエンの姿は瞬く間に消えてしまっていた。


更に巻き上がる土煙。

それは視界をどんどん悪くしていく。

なおも止まらないその勢いの中心は、間違いなくクエンだった。


更に、追撃のような雄叫びが天を衝く。


見えるわけではない。いや、見ようと思えば見えるけど、出来ればもう二度と見たくない。

神の作り出したこの結界。通常なら中と外で時間の流れも違うはず。だが、今見ているこの光景は、私が見ていることによりつながっている。リナアスティを見ることにより、それが確かなものだと感じる事が出来る。


――でも、今はコンタクトをとれない……。

さっきから、試みてみるものの、それは一度として成功しなかった。


見ることと聞くことと感じることはできる。それは【千里眼・改】の能力のおかげだろう。様々なことが見えるようになったと自慢もしたい。


でも、あれだけは見たくない。


何やらめまぐるしく動くようなシルエットが、時折見えるような気もする。

でも、それは幻覚だ。そう、幻覚だと信じよう。


ただ、現実は甘くなく、冗談で厳格にすら思えてきた。

突然の雄叫びと、『あっ』と何かするのを忘れたかのような間の抜けた声。


――そうか、やっぱりそうだ……。

その光景は、見覚えがある。たぶん、巻き上がる竜巻のような砂埃の中で、あれとあれが進行している事だろう。

ありがとう、土煙。


――ひょっとすると優育ひなりが起こしてくれたのかもしれないな。


でも、それなら優育ひなりはたぶん姿を見せている。今どこにいるのかわからないけど、たぶん私の帰還のために何かしてくれているのかもしれない。

今、私の外にいるのは、優育ひなり泉華せんかの二人だけ。ここには氷華ひょうかがいてくれているけど、他の子たちは、私の中に閉じ込められている。


――中と外。これだけバラバラになった感じは初めてだと思う。


不安が頭をもたげてくる。

そしてなぜか、私の視線はガドラの方に向けられていた。

その瞬間、いいようのない不満が私の心に満ちていた。


――まったく、とんでもないことをしてくれる。だから、ガドラには来てほしくなかったんだ。

常識では考えられない事が起きる。その世界の中心で、間違いなくガドラは高笑いをしている事だろう。


そう、あの時もそうだった。忘れもしないトルリ山大墳墓。


罠があるのかないのか。それをわかっているはずもないのに、ピンポイントで罠を発動させるガドラ。

その無駄に高い罠感知能力は、普通は発動しない方向で働かせるものだ。


でも、ガドラは違っていた。


――罠がある、ゆえに罠にかかる――

もはやそれを踏み倒していくことに、生きがいを感じているとしか思えない。

いや、それはガドラがもつ、哲学か何かかもしれない。


今回もその能力が否応なく発揮されている。


確かにそれは罠じゃない。でも、それは一種の落とし穴とも言えるだろう。


クエンの体つきをみれば、誰だって『凄い筋肉ですね』とか、『その筋肉どうやって鍛えてるんですか?』とか、筋肉にまつわる話がでることだろう。


それを言ったものが、あの踊りを見せつけられ、絡まれる……。


――だから、それは第一種禁句に指定されている。多分。

いや、あれだけ性格が変わって手が付けられなくなるんだ。間違いない。もはや、罠と表現してもいいだろう。


そしてここでも、ガドラのガドラたるゆえんを示していた。


――クエンは筋肉という単語で、人が変わる――

それを、ガドラは知らない。絶対に知らない。知っているはずがない。


――知らないのに何故? なぜこのタイミングで、その単語を何故切り出せる?――

その疑問を、私は頭の片隅で考えている。


今考えているのは、ここから抜け出すこと。


それを考えてはいけないと思っているのに、かかわったらいけないと思っているのに、考えている。

ルキ達が作ってくれたチャンスを最大限に活用しないといけないのに、考えている。


そんな事を考えている暇はない。それは分かっている。でも、考えてしまっていた。

そして、同時に答えていた。


――ガドラだから――


単純明快なその真実。


でも!

それでも言わずにはいられない。聞いてくれるのが氷華ひょうかだけしかいないけど、言わせてほしい。


――大体、ピンポイントすぎるだろ! 『筋肉が泣くぜ?』、『みせてみろよ?』、そりゃ、クエンも見せるよ! 喜んで!


ちょっとだけすっきりした気分になったその時、見える世界に変化の兆しが見えていた時、私は何かを感じていた。


気合の風がおさまりをみせ始め、否応なくそこにクエンがいることを見せつけていた。せっかく何かわかったような気になったけど、それはクエンによって蹴散らされていた。


今そこにいるのは、生まれたままの姿になった何かの戦士。


――誕生を、歓喜で表現する。

それにはその意味があるのかもしれない。でも、それはまずい。特にルキとエトリスの視線が、すごく冷たいものになっている。


――いや、いくらなんでも下は履いてるだろう……。

完全にそうと決まったわけではない。生まれたままの姿で、外に居られるはずがない。でも、今のクエンには常識が通じない。


もしもそうだとすると、さっそくしょっぴいて貰わないといけない。

でも、お巡りさんはここにはいない。


でも、これほどとは……。

冗談抜きにしても、その体を見れば一目でわかる。圧倒的な力が、クエンの中で沸き起こっている。


あの時はこれほどのことはなかっただけに、焦燥感が私を締め付けてくる。


今までのクエンは理性の塊のような感じだった。でも、あの時の目を考えると、これから起こるのは最悪の展開。


あの時、あっという間に鎧を脱ぎ去り、そして丁寧に面兜を安置していた。


あの時のそれは、滑稽にも思える姿だった。

確かに、あの時はそんな悪い雰囲気ではなかった。


――ただ、今はあの時と状況がまるで異なっている。


そう、あの時とは違う。あの時の目と明らかに違う。

確かに鎧を脱ぎ去った直後のクエンは、理性が吹き飛んだ野獣のような目をしていた。でも、そこには分別を残しているのも見て取れた。

あの時、クエンの周囲にいるのは味方だということを理解したから、何も起きなかったのだろう。


だが、今はそうじゃない。

そして今なお、ガドラは明らかに敵意を向けている。


暫らく聞こえていた気合の声、やがて風がそれと共に土煙を運び去っていく。


そして明らかになったその筋肉。


低い笑い声が響くその源。

そこには躍動する筋肉をみせつける、生まれたままの姿の戦士が仁王立ちしていた。


だが、それだけで終わるはずもなかった。

自信に満ちたその姿。

ときおり戦鎚矛ウォーメイスを軽々と振り回し、何もかも隠すことなく見せつけていた。

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