第134話ガドラの戦い(後編)
「きんにく! キンニク! 筋肉! オレ様のぉー! 筋! 肉! を! あまーく見るなよ、オマエ様! 見てーんだったらよ! とっくりと拝ませてやんぜ! 目ん玉かっぽじって! とくと拝みやがれ! 躍動する! 筋! 肉! おー!」
よく覚えていないけど、たぶんあの時と同じことを言っているに違いない。
――そのセリフは決まり文句か、踊る筋肉?
あえて言わせてもらうけど、それは見ていて気持ちいいものじゃない。
「うっわぁー。動いてるよー。気持ちわるーい生き物の集合体みたい」
心底いやそうな目を向けるネトリス。
その言葉に同意するかのように、ルキとエトリスはすでに目を背けて、店長の手当てを手伝っていた。
――ほら見ろ、いきすぎなんだ。活き活きしすぎなんだよ、その筋肉は!
リナアスティはなんだか不思議なものを見ているように、じっとそれを見つめていた。
――多分、メナアスティがいたら……。即効で消されるな、あの筋肉。教育に悪いか何かで……。
ガドラは…………。やっぱり、ガドラだ……。
不敵な笑みを浮かべながら、自分も訳の分からないポーズを決めて応えていた。
それを見て、さらに激しくなる筋肉役者。
ただでさえ暑苦しい空気が流れているのに、それと共に二人の間に熱い絆のようなものが見えてくる。
――意気投合してんの? でも、このままだとガドラが危ない。クエンの攻撃をガドラが防げるはずがない。
でも、ここからではどうすることもできない。そして、それは突如訪れていた。
「筋肉・弾!」
鋭く光る、クエンの眼光。
それに続く無骨なまでのその一撃。
あの重量武器の運用として、最も効果的だと私も考えるその攻撃。
一瞬で
だが、一瞬ですさまじい勢いをつけたその一撃は、
圧倒的な力と速度の前には、小手先の技は必要ない。たぶんあの武器を手にしているクエンは、そう考えているに違いない。
現に、ガドラはそれに反応すらできていない。仮に反応できたとしても、たぶんガドラでは対応できない。対応できるとすれば、あの中ではただ一人しかいない。
すさまじい速さと圧倒的な力が合わさったクエンの攻撃。
それは、この場にいるだれもとらえきれないモノだった。
――そう、ただ一人を除いては。
振り下ろされたその
だが、ガドラはそれ以上縮まなかった。
ガドラの頭に打ち下ろされる瞬間に、横から銀色の光が薙ぎ払う。
急に大きな力でその向きを変えられた一撃は、当初の目標を大きく外す。そして次の瞬間、爆音が波紋のように広がって、大地に凄惨な傷を刻んでいた。
ガドラからかなり離れたところに突き刺さった
地面がわれ、陥没する。
その一点にとどまらず、脆弱な所が地割れとなって走っていた。
「ふん! 何処狙ってる! 下手くそめ! オレ様はここだぜ! よくねらえ!」
多分ガドラは気付いていない。リナアスティがその背後でガドラを守ったことは、他の誰もが理解しても、ガドラはそう思ってもいないだろう。
その瞬間、ガドラの背後に美しい銀色の屏風が広げられる。みとれたクエンの口元にかすかなほころびが見えていた。
そのクエンの視線に気が付いたのだろう、不用心にもガドラは振り返って確かめていた。
だが、その目には何も映っていないはずだ。
周囲を見回すガドラの目に止まらぬように、リナアスティは巧みに姿を隠している。
何もない事に安心したのかもしれない。口元を少し歪めたガドラが、再びクエンに向き合っていた。
その瞬間、その背後で透明だった銀竜が姿を現す。
翼を広げたまま、魔法の力で優雅にガドラの背後に浮かぶリナアスティ。真剣な戦いの場にあって、ガドラに見つからないように、その視界から巧みに逃れている。
――リナアスティ。もしかして、ガドラで遊んでる?
竜の姿に重なって見える、少女のリナアスティは楽しそうに笑っていた。
――ただ、ここはリナアスティに望むしかない。今はそこに望みを託そう。
私の想いが通じるのかどうかわからないけど、思わないよりはましかもしれない。
再び繰り返された攻撃が、地面に大きな傷跡を残す。
ゆっくりと
「おう! おう! おう! やるじぇねーか! オマエ様よ!」
「あったりめーよ! 俺様は勇者殺しのガドラ様だぜ! 今度はこっちから行くぜ!」
ガドラはクエンを、クエンはリナアスティを見ている。
見ている相手がそれぞれだけど、何となく会話が成り立っていた。
ただ、ガドラはバカだけど愚かじゃない。クエンの視線には気づいている。さっき背後を確かめていたから間違いない。
でも、さっき誰もいない事を確認して満足しているのだろう、今はもう気にしていないようだった。
そう、クエンの目の前にはガドラしかいない。最初は訝しんだガドラも、今はそう信じている事だろう。
それほど巧みに、リナアスティはガドラの動きに合わせていた。
――さすがだ、リナアスティ。その調子でガドラの動きに合わせてガドラを助けてあげてほしい。クエンの動きは大体わかる。その動きにどう対応すればいいかもわかる。でも、ここからでは何もできない。私にできることはといえば、ただひたすらそう願うだけだ。
ガドラには見えないように、不可視化の魔法も織り交ぜて、まるで私の思う通りに動いているようなリナアスティ。願ううちに、まるで私とリナアスティが一体化しているような、そんな感覚が私の中に生まれていた。
でも、相変わらずリナアスティは呼びかけに応えてはくれていない。精霊たちとの状態も変わっていなかった。
そして、ガドラはいつまでも防御しているだけの男ではなかった。
右手に持つガドラの王家の剣が、クエンの胸にスッと伸びる。
やや遅れたタイミングで、リナアスティの尾がガドラの右から薙ぎ払うように放たれていく。
思った通り、右手に剣を持つガドラからは完全に死角の位置となっている。これならガドラにも分からない。しかも不可視となった尾の攻撃は攻撃として理想的だと思えるものだ。
――本当にすごいぞ、リナアスティ!
偶然とはいえ、まるで私が指示しているように動いてくれるリナアスティに、思わず喝采を送っていた。
単純にガドラの攻撃でクエンは倒せない。それどころか死ににいくようなものだ。
リナアスティに任せてくれたらいいけど、今のガドラが簡単に引き下がるとは思えない。
全く不本意だけど、ガドラが満足するようにさせるしかない。
防御に徹してくれるなら、ここまで考える必要もないだろう。クエンの攻撃は私が予想できるし、リナアスティも同じ事が出来ると証明してくれている。
だけど、攻撃は別物だ。
攻撃する時は特に、ガドラがリナアスティを意識すると、クエンもまたガドラを意識するかもしれない。この作戦は、クエンがガドラを脅威として認識しないことに意味がある。
クエンは当然ガドラの攻撃を軽々とかわしつつ、
その反動を利用したリナアスティは、尾をガドラの視界の外に持っていき、また不可視化を使う。
だが、二人の魔法で強化されたリナアスティの攻撃は、かなりの衝撃を伴うはずだ。
予想通り、
しびれたような手の動きが、その衝撃を物語る。
そこをガドラは逃さない。
再び単調に思える攻撃を仕掛けるガドラ。
同じ動きを合わせるリナアスティ。
再び
だが、クエンは
ガドラの攻撃を最小限の動きで躱したことと、さっきよりもリナアスティが強い攻撃を放っていたのは、クエンにとって誤算だったに違いない。
反動でやや押し負けたクエン。
その少しの差が、物事を劇的に変化させていた。
その瞬間、まだそこにあったガドラの剣がクエンの腕を浅く切り裂いていた。
「ちっ! 雑魚が!」
思わず舌打ちするクエン。
だが、ガドラは追撃の手を緩めない。そのまま剣を引き戻しつつ、体を反転させるように、突きを払いに転じていた。
通常なら、
だが、リナアスティがもたらした衝撃がそれを許さない。そして、リナアスティの行動もそうだった。
反転させたガドラの視界に入らないよう、軽く大地をけったリナアスティ。実際には魔法で浮いているのだろう。羽ばたきによる風は起こっていない。
それは、魔法の動きと体の動きを組み合わせ、相手に推測の幅を広げさせる計略のような行動に違いない。
余分な情報は余分な処理を必要とする。一流の戦士であればあるほど、相手の行動を無意識に観測しているはずだ。
そして、いつの間にか体の方に引き戻していたその銀色の尾を、しなやかな鞭のように上から叩き下ろしていた。
まだ攻撃していないガドラと、今まさしく攻撃しているリナアスティ。身体能力による速度差が、攻撃順位を入れ替えている。
だが、その順位が変わらなくても、クエンにとってはリナアスティの上からの攻撃が脅威だろう。しかも
しなやかな尾は、受け止めたところで曲がり、そこから先で攻撃を変じる。
打ち払うか、避けるか。
その二択の間隙で、クエンはその背後に移る少女たちの姿を見ていた。
エトリスとネトリスが詠唱しているような姿を。
――本当に見事なコンビネーションだ。私がその場にいたとして、たぶんそう指示している事だろう。陽動の詠唱は、確実にクエンの思考を鈍らせる。
詠唱をしているということは、それなりに強力な魔法を展開しつつあるということ。リナアスティの攻撃をかわしても、そこに魔法がやって来ては厄介になる。
たぶん、クエンの判断はそう結論付けたに違いない。一人対多人数の場合には、手数で圧倒されるのは当然だ。だから、一手で状況を打開する方法を考える。
リナアスティの一瞬の行動不能を、エトリスとネトリスの攻撃の時間に転換する。
なまじクエン自身が味わっただけに、そう発想することは目に見えている。
まさにそれが三人の目論見とも知らずに。
おそらくクエンは今、それを打ち払うことを選択している。力を最大限にまで高めたような雄叫びを上げるクエンは、実にわかりやすい男だった。
そして、その
衝突の瞬間、今度は本当に羽ばたき、周囲に土埃をまき散らす。すさまじい力のこもったクエンの攻撃は、その中で空を撃つ。
――重量武器を上に向かって攻撃をする――
それはぶつかり合ってこそ、次の動作に結びつくもの。
ぶつかり合ってこそ、相手の体勢を崩す攻撃にもなる。
だが、空を切ったその攻撃は、完全に力の向きを見失い、自らの力のために行動不能に陥っていた。
そしてクエンは今、鎧の類をいっさい着ていない。
確かにクエンは、ガドラを雑魚扱いしていた。そして特別な勇者であるクエンの筋肉は、生半可な攻撃は寄せ付けないかもしれない。
だが、ガドラの剣は王家の剣。
そしてそれは
しかもその剣は、自らの意志で風の刃を発動させる。
そう、ガドラはクエンにとって雑魚かもしれない。だが、その雑魚は勝機を嗅ぎわける鋭い嗅覚と鋭利な牙を持っている。そして、彼を支える頼もしい仲間の助けもあった。
「ガドラスラッシュ!」
伸びきった無防備なその脇腹を、ガドラの剣が深々と切り裂き、風の刃がさらにその傷を深く、深く切り裂いていた。
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