第57話ことわざにわざあり
「なっ、あんた! そっ、それ、何処で聞いたんだい!」
今までの雰囲気をすべてなげうって、ドルシールは血相変えて立ち上がっていた。
ガドラとイドラは、何が起こったのかわからないようで、目を白黒させている。
「『ぎをみてせざるはゆうなきなり』は、あたいの師匠の口癖だった。何度聞いても、その意味を教えてもらえなかった……。いつかは教えてくれる。そう信じて、修行したさ。でも、師匠はどっか遠くに行っちまった。それを知ってるアンタは、いったい、どこでそれを覚えた! 言いな!」
長いな、その口癖。
しかも、どんだけ義にあふれてたんだ、アンタの師匠。
ていうか、アンタ何の修行してたんだ?
まさか、『ことワザ』じゃないよな……。
それと、もう一つ。
いや、むしろルキがそれを口にしたことの方が驚きだった。
「この言葉は、あたしが小さい時に、シン様に教えてもらったものよ。星読みの魔術師、シン・ドローシって言えば分るのかしら?」
やっぱり、アンタか、組合長!
ていうか、そんな小さい子に教えるもんじゃないだろう!
無謀なことしたらどうするんだよ!
ていうか、そもそもそれ教えたから、今こんなことになってないか?
ルキの背中は、なんだか誇らしげだった。相変わらず、組合長は尊敬してるんだな……。
なんというか……。
「シン・ドローシ……。もしかして、『沈黙は金なり』のシンか?」
驚きの表情を見せているドルシール。もしも、その顔を見なかったら、私はたぶん叫んでいたに違いない。
なんだそりゃ?
「たしかに、シン様は『沈黙は金なり』をよく使うわ。でも、その人がシン様なのかどうかなんて知らないわ」
意外と冷静にルキは対応している。
よく使うの?
それ、確かに聞いたことあるけど、私あんまり聞いてないけど?
ていうか、
「いや、それでいい。上級『ことワザ』使いは、自分で編み出した『ことワザ』を多用するものさ。たぶん、アンタの言うシン様は、上級『ことワザ』使いとして名高い『沈黙は金なり』のシンで間違いない。そうか、アンタはあの『沈黙は金なり』のシンの弟子か!」
ドルシールの態度は、明らかにうれしそうだった。背中しか見えないが、多分ルキは胸を張って誇らしげにしているだろう。
『沈黙は金なり』って組合長が考案したのか?
それだけなのか?
『雄弁は銀』はないのか?
しかも、組合長はどっちの意味で言っている?
ていうか、組合長が効果的に沈黙した時なんて見たことないぞ?
くそ! こんなところに来てまで、組合長に踊らされるとは!
相変わらず、何が何だかわからないガドラとイドラ。
私もその仲間にいつの間にか入っていた。
「なら、『ぎをみてせざるはゆうなきなり』の意味も教えてもらったんだろうね? 頼むから教えてくれないかい? あたいがこの図書館に来た目的は、その意味を探すこともあるのさ!」
アンタ、そんなことのために、ここにやってきたのか?
そんな血走った目で、求める物か?
勇者の誰かに聞いたら答えてくれるだろう?
そんな難しいもんじゃないと思うけどな……。
「いいわ、なら、それを教えたら、館長の娘さんを誘拐するなんて、馬鹿な真似はしないって約束して」
「そんなこと、はなからするわけないじゃないか。アンタが聞き耳立ててたから、からかっただけだよ。でも、そんな約束でいいなら、いくらでもしてやるよ」
やっぱり、ドルシールはそうだった。
この世界の『ことワザ』使いってやつは、どいつもこいつも……。
「ほんとうなのね?」
「ほんとうさね! ああ、あたいが長年追い求めていた『ぎをみてせざるはゆうなきなり』の意味が、今目の前にある! なんて今日はついてるんだろうね! これぞまさしく『てんゆう』!」
ドルシールは、自分の体を抱きしめ、身をよじっていた。
それほどまでに、そこ意味を知りたかったのだと思うと、もう
それには師匠との思い出が詰まっているのだろう。
亡き師匠の言葉だけに、思い入れがあるのだろう。
「そう、じゃあ、教えてあげるわ。いなくなったお師匠様が、どんな思いで言ってたのかをよく考えてね」
ルキの言いたいことはよくわかった。
この世界で、いわゆる八徳がどこまで理解を得られるのかはわからない。でも、『仁』『義』くらいは伝わってるだろう。
八徳にしても、ひょっとしたら伝わってるかもしれない。武士道とか、八犬伝とかでも有名だから、ちゃんとした意味で伝わってると信じたい。
それにしても、『ぎをみてせざるはゆうなきなり』が勇者によってもたらされたのに、その意味を伝えた人たちが、それを実践できていないのが残念だ。
私がため息をついた時、ため込んだ息を吐き出すように、ルキはドルシールを指さしながら解説しだした。
さっきまでとは完全に雰囲気が違う。
こうなったルキは、私には止められない……。
「『ぎをみてせざるはゆうなきなり』の『ぎ』っていうのはね、疑わしいってことなのよ。『ゆうなきなり』っていうのは勇気がないってこと。つまり、あんた達みたいな、あやしい言動を聞いて、行動しないのはダメだっていう教えよ。わかった? つまり、どこか遠くに行ったあんたのお師匠様は、あんたにそういう人になってもらいたかったんだと思うわ」
組合長! アンタ、またか!
思わず
ドルシールを指さしながら、毅然とした態度で、ルキは言い放っている。今更、それは違うとは言いにくい。
いや、そもそも訂正したところで聞かないだろう……。
ルキは組合長から教わっている。ということは、組合長を説得しないことには、ルキは納得しないだろう。
でも、何となく意味は通じてしまっている……。
もういいや……。
八徳には、私の方で謝っておこう……。
その時突然、麗しの宿亭に絶叫がこだました。
その声に、全員が思わず耳をふさぐ。
何事がおきたのかと、奥から女将さんたちが出てきていた。
やがてそれが収まった後、喜びに震えるドルシールが、皆の注目を集めていた。
「そうか! そうだったんだ! 『ぎをみてせざるはゆうなきなり』ってのは、そういう意味だったんだ! ようやく、ようやくわかった! あの老いぼれめ! ようやくアンタを見つけたよ」
両手を固く握りしめ、震える拳を潤んだ瞳が見つめている。
求めてやまなかったものが手に入った時、人はこれほどまでに感激するものなのだろうか?
ていうか、その師匠もこれだけ喜ぶんだから、死に際に教えてあげたらよかったのに……。
「そうか、『ぎ』ってのは疑わしいってことか……。それでわかった。あたいの師匠がよく言ってたさ。『ぎは罰せよ』ってね。ありがとね、アンタ」
何かを成し遂げた後のような、晴れやかな顔のドルシールがそこにいた。ガドラにしてもイドラにしても、ドルシールの顔を見て嬉しそうにしている。
「あんたじゃない。あたしにはルキって名前がある」
ルキの方も楽しそうだ。
なんていうんだろう、たぶんお互いを認め合った者同士が健闘をたたえ合う雰囲気がそこにあった。
ルキは一本決めたんだ。
もはや何のことかわからないけど、ドルシールの誘拐事件(仮)を見事に阻止した。
方法や、もはや何が何だか分からなくなった雰囲気も結果的にはO.Kだ。
もう何も言うまい……。
八徳、特に『義』には不憫だが、私にはどうしようもない。
でも、これだけは言っておきたい。
誰にも共感してもらえるとは思っていない。
いや、ひょっとしたらこの広い世界にいるかもしれないけど、今はその人に出会えていない。
だからこそ、もはや私の心の中だけでとどめ置くことはできなかった。
『日本語はひらがなだけでもなんとかなる』と思ってしまった自分が恥ずかしい。
でも、その想いは思ったより大きかった。
いままでたくさん飲み込んでた分、――これ以上は詰めこむ事が出来ず――自然と口からこぼれ出た。
「ああ、漢字って偉大だなぁ」
誰も私のつぶやきを聞いてない。
でも、実体化していない精霊たちが、慰めるように私の肩に集まっていた。
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