第二章 第二節 消えない印とつないだ絆

第53話ガウバシュの街

麗しの宿亭に着き、料理が運ばれてくるまで、何となく周りを眺めていた。昼をかなり過ぎたこともあって、食堂には私たち以外に客はいなかった。前に来た時は、この宿は寝泊まりするだけで、食事をしたことはなく、ここでゆっくりと座るのも初めてのことだった。これだけゆっくりとした時間が流れると、色々と考えてしまう。


「はい、寿司定食おまち。食べ方はもう見てもらったね? 焼き魚の方はもう少し待ってね。はい、それまでこれ飲んで待っていてね」

そう言って女将さんが料理をテーブルにおいてくれた。


目の前では、先に運ばれてきた自分の分を、目を輝かせてみている。嬉しそうに食べようとするその姿は、実に微笑ましい。

普段大人ぶっている分、こういう素直な所が見られると、こっちまでなんだかうれしくなる。

こんな時でも、こういう時間が持てるのは、本当にありがたかった。


あれから半年。


情勢は依然として油断はできないものの、この島には特に大きな変化はなく、穏やかな日々が続いていた。

時折、泉華せんかがいろんな街の様子を見せてくれていたけど、特に目立った動きはなかった。

いや、若干変な人達は紛れ込んでいた気もするが、あれは見なかったことにしてもいいだろう。最初の方は、特に何かをするわけでもなかったし、その後も問題あるかもしれないけど、大きな問題にはならなかった。

それに、関わり合いになるのだけは避けたい人種のような気がしてならない。でも、泉華せんかは気に入ったのだろう、よくその人たちを映し出していた。


泉華せんかが見せてくれる映像は、泉華せんかの基準によるものだから、泉華せんかの思うようにさせている。しかし、相変わらず寝ぼけている時に映し出すから、夢なのかどうかはっきりしない時もある。

ただ、頼んだことはしっかりと見せてくれるから、その事には文句言うつもりは毛頭ない。


なにしろまだ、私は【千里眼】をうまく扱えていないのだから……。


ピントがずれるというか、うまく設定できないというか……。そこに焦点を当てると、そこまでの物をすべて無視して見てしまうのは、さながら透視しているようなものだった。泉華せんかの遠見の魔法と組み合わせて、やっと見られる程度になりはしたものの、自分で魔法を繰り出しながら技能を発動するのは、なかなか困難な作業だった。

右目と左目で違うようなものを見る感覚に近い。

だから、結局は焦点がぼやけてしまい、せっかく【千里眼】で見ても、なんだかわからないものが見える程度だった。

しかも、【千里眼】では音はない。

使い勝手から言うと、圧倒的に泉華せんかの遠見の魔法に軍配が上がるだろう。

だから、すぐに必要な技能だとも思えなかった。


ただ、ミストの件もあるから、それだけに頼るわけにもいかない。

精霊の序列は、かなりしっかりとしている。

だから、訓練もかねた一日三回の回数制限を毎日繰り返しながら、この国の周囲の警戒は怠らないようにしていた。


ただ、この半年の間に、この国から勇者がいないことは徐々に周りの国に広まっていったようだった。通常は戦勝国のハボニ王国の勇者がやってくるはずが、全員帰ってしまっている。

その後、勇者が来た形跡はない。


でも、勇者がいなくなった分は、違う悪さをする奴も出てきていた。


そういう所は、何処の世界でも同じなのだろう。

でも、たまに悪さをする奴らの多くは、ほとんど冒険者たちが片付けてくれていた。


不完全ながら【千里眼】の能力と、泉華せんかの遠見の魔法で、森の奥に居ながらも、街の様子を見ることはできている。

ただ、それとは別に、泉華せんかの気まぐれで映し出されるその光景は、見落としていたものを見つける事が出来て、なんだかとっても楽しみに思えるものになっていた。


あの時のように、時々組合長に遊ばれる日々も、今ではそれなりに躱せるようになっている。


本当に穏やかな日々は、過ぎてから感じるものだと、今なら実感できる。


あの日の衝撃的な出来事がなければ、多分もう少し、その日々は続いていただろう。

でも、あれがあったから、今こうしてこんな時間を持てているのも事実だ。

一体何がいいのかなんて、本当にわからないものだと思う。

だから、あの衝撃的な出来事も、多分何とかなるに違いない。


いや、何とかするために、ここに来たんだ。



年が明けて私が十三歳になったり、古代語をかなり読めるようになった頃、ロキの七歳の誕生日が迎えられた。


すでに、六歳だった他の子供たちは七歳になって、ちゃんと魔王斑も消えていた。

よほどうれしいのだろう。

その気持ちは痛いほどよくわかる。


お尻を丸出しにして、無邪気に村中を駆けまわるその姿は、まるで背中に天使の羽が生えているようで微笑ましかった。

そして、それを見る度に私たちは、その日を待ち遠しく感じていた。


ミズガルド統一歴二千五百十三年三月三日。

待ち遠しかったロキの七歳の誕生日。


その一日を、ずっとロキを追い回しながら祝っていた私たちは、ついにその姿を見ることなく三月四日を迎えてしまった。


その日、ロキが寝床についた瞬間、全員で力なく床に手をついた。あの組合長ですら、自ら考えた格言を言うことなく、魂が抜けた顔をしていた。


この時初めて、私は組合長と心からわかりあえた感じがする。

ロイとも、確かな心のつながりを感じていたし、ルキとの関係が修復されたもの、多分この日からだろう。


ただ、今となっては、あの時の組合長の顔を泉華せんかに頼んで記録してもらえばよかったと後悔している。

でも、あの時はそんな心の余裕はなかった。


いや、違うな……。

あの時、私たちは同志だったから、そんなことは考えもしなかった。


その日、やはりロキは大人だったということを再確認できた記念日は、なんだか少し物足りない気もしていたけど、妙に納得できるものでもあった。


翌日、ロキから衝撃の言葉を聞くまでは……。


『魔王斑が消えていない』

それを聞いた瞬間、ズボンを脱ぎはがしにかかったルキの行動は、いかにショックであったかを物語っている。

必死に抵抗していたロキの姿は、呆然と見ていた私の中で、記憶の宝物入れに大事にしまっておきたいものになっていた。


恥じらうロキと執拗に脱がすルキ、ただ呆然と見守るロイ。

かつての同志の変わり果てた姿に、私も茫然となっていた。


めったに見ることのない姉と弟の熾烈な争いは、いつ果てるとも知れなかった。


やがて、諦めたようにロキの手が緩み、その瞬間をルキが見逃すはずもなかった。

永遠に決着がつかないと思われた勝負は、意外にあっけなくついていた。


ルキが勝利をもぎ取った瞬間、恥じ入るように背中を向けたロキのお尻には、確かに魔王斑があった。


あの日、確かにロキは羽目を外すことは無かった。

それを期待していた私達は、失意の中にあっても、心の底ではその姿を納得できていた。


消えて当然だと思っているのだから、私たちも特に確かめもしなかった。

精神的に大人な分、そういう子供らしさは見られないのだと納得もした。


そして、次の日に姉からのひどい仕打ちを受けても、そうすることは仕方がなかったのだと理解しているようだった。


本当にできた弟だと感心する。でも、その事にショックを受けていないはずはない。


衝撃の言葉から抜けきらなかった私は、その時は特に何も思わなかった。

でも、後から泉華せんかが見せてくれた記録映像にはしっかりと小さく震える姿が映っていた。

あの姿を見て、隠された気持ちを無視はできない。


だから、私たちはこの街に来ている。あの姿を忘れないために、泉華せんかはたびたびその映像を見せてくれることがあった。


ただ、泉華せんかにしてみれば、今では仲良くなったルキをからかう時にもたびたび使っているのだから、その事には特に思い入れがないのかもしれない。


ダメだ。

あの時のルキ顔を思い出すと、ちょっと笑えてきた。



「なに? なにかおかしなことあったの?」

目の前で、食事をしているルキが怪訝な顔で尋ねてきた。


一時期は無視というか、避けられてた。でも、今はこうして話せるまでに関係は改善している。

いや、むしろ、あの時は何だったんだと思えるほど、今は普通になっていた。

それも、ロキの件があるからだろう。


だから、こうして二人だけでガウバシュの街までやってきている。


ロキの魔王斑が消えない理由については、さすがの組合長も分からないようだった。

王城の図書館が消失した以上、この国でそういう調べものが出来るのはガウバシュの魔導図書館しか残されていない。

他の国にいけばまだあるけど、この国にはここしかなかった。


まずは行って調べることになり、入館許可証のある私がそれを担当することになった時、買い物がしたいというルキが名乗りを上げていた。

日用品が不足しているらしく、色々買い揃えたいというのが表向きの理由だった。


これまで、森の中で怯えながら生活していたこの子たちは、時折冒険者たちがもってくるもので、つつましく生活をしていた。

でも、ルキは約七年前に王都にいたから、ある程度の物がある生活を知っている。


だから、恐怖が去った今となっては、その欲求が一気に開花したというのを、もっともらしく説明された。


でも、それが表向きの理由だというのは、あの時いた誰もが知っている。

だから、私もその理由に合わせて行動していた。


本当に、弟想いのいい姉さんだと思う。

そして、ちょっと恥ずかしがり屋さんだ。


そんな子が、一瞬でもくつろいで食事を楽しんでいる姿を見る事が出来て、本当に連れてきてよかったと思う。

多分、勇者がいた時なら、こんな風にできなかっただろう。



「いや、すごいリストだなって思っただけ」

「当然よ、あたしだけじゃないもの。村の中で怯えて暮らしていた時は我慢もできたけど、シン様がそばにいてくれるだけで、みんな心強いし。あれから、冒険者さんたちも新しく住んでくれるようになったしね」

口いっぱいに頬張りながら食べている姿に、思わず口元が緩むのを感じていた。


「まあ、君もいるしね」

小声で言ったつもりかもしれないけど、その声はしっかりと届いていた。


「どういたしまして」

目の前の熱いコーヒーを苦労して飲みながら、笑顔でお返しをした。

それは意外だったらしく、目を丸くして食べるのを中断している。

でも、私がそれ以上何も言わないことに気が付いたのだろう。


再び食事と格闘しだした。


そんな時、ようやく私の食事も運ばれてきた。

私が頼んだのは焼き魚定食。時間がかかると最初に言われたとおり、結構時間がかかっていた。

だから、コーヒーが先に来るのだという。


それにしても、前来た時はそれほど気にしていなかったのが不思議なくらい、この世界の食事、文化は特殊に育っている気がする。

前に泉華せんかが見せてくれた人たちも変な格好だった。


このコーヒーにしても、何故か湯飲みに入っている。というよりも、焼き魚定食にコーヒーが付いているのもどうかとは思う。


食後のコーヒーならまだわかる。


でも、『焼き上がるまでの時間にどうぞ』って感じで持ってきたあたり、そういう概念じゃないのだろう。

だいたい、湯飲みだし……。しかも、やたら熱いし量が多い。

そして、ミルクは一切ない。


コーヒーをフーフー冷まして飲むことなんて、今まで経験したことのないことだった。


まあ、たしかに日本は文化的には雑多なものだったとは思う。

神様だってたくさんいるし、一年を通して、色んな宗教行事が公然と行われていた。

しかも、特に宗教っぽくないものとして、宗教行事に参加していた。


『自分たちに都合のいいように、自分たちの文化に取り込んでいくのが国民性だ』と誰かが言ってた気がする。


だから、それを受け継いだこの世界の文化も、多様性があるのは理解する事が出来る。


でも、何かおかしい。


だいたい、紅茶はちゃんとティーカップだし、お茶も湯飲みとしっかりしている。

でも、コーヒーだけが、何故湯飲みになったんだ?


この文化を持ち込んだ人は、コーヒーに何か恨みでもあったのだろうか?

そもそも、五百年の間に、誰もそれを訂正しなかったのだと思うと、何か怨念のようなものがあるのではないかと思ってしまう。


そして、もう一つ……。


目の前で顔を真っ赤にして食べているルキが、変な食べ方をしている理由がそこにある。

そりゃ、刺身の上にわさび――正確にはわさびのようなもの――を乗っけたら大変だろう……。

寿司じゃないんだし……。いや、寿司定食だったっけ……。


この街は大陸との玄関港として、他の国との貿易港としての役割を担っている。当然海に面しているので、この街の名物は魚料理が多いという事だった。だからだろう、この宿でも特別料理というのが寿司定食だった。

でも、私の感覚から言わせてもらえば、それは刺身定食だ。ただ、食べ方教本みたいなものを見ると、刺身のようになっているものを、自分で寿司のようにして食べるみたいだった。

定食という名の通り、ルキの前には刺身とご飯と赤だしのようなものと、天かす? てんぷら? みたいなものがお盆にのっている。

見た目は、本当に刺身定食。


でも、まさかね……。

それは、単純な疑問だった。でも、わいた以上は確かめたくなる。

私はそれを注文していないのだから。


「ルキちょっと頂戴」

「あっ! ちょっ!」

有無を言わさず、ご飯を少しだけもらう。


当然のように、ご飯は酢飯だった。

寿司は文化として輸入しても、転生者もうまく握れなかったのだろう。

そこから独自に酢飯の上に乗っけて食べるスタイルがこの世界での『すし』となったようだった。


「ちょっ、そこあたしが食べてたところ――」

「まあ、ちょっと味見したかっただけだから」

「あ、あ、味見って、何、味見したの!」

「ご飯が、酢飯かそうじゃないかって気になったんだよね。でも、酢飯だったよ。でも、この酢飯、そのままでもおいしかった」

ちらし寿司のようなものだと思えば、寿司定食と呼べなくもない。

ルキも納得してくれたのか、黙って食べ始めていた。

でも、やっぱり怒っている。

多分、怒りの方角を探しているに違いない。その矛先は、何処に向けられるのだろう。ヒヤヒヤしつつも、ここは甘んじて受けた方がよさそうだ。


「ていうか、なに? その使い方!」

満を持してやってきた怒りは、箸の方に向けられていた。

この世界に、箸で人を指したらダメだという概念はないのだろうか? しかも、何度も私を突き刺しかねない。文句があるのか、使い方を教えろというのか、どうすればいいのか迷ってしまう。


「箸の本当の使い方だよ、教え――」

「いらないわよ!」

もう、どうしていいか分からない……。

でも、私にとって極めつけの違和感は、この箸の存在だ。そして、当然その使い方もそうだ。


たしかに、箸ではある。

でも、ルキの使い方はまるでフォーク二刀流だった。


わざわざ両手の箸を器用に使ってネタをつかみ――若干一部刺さっている時もある――、スプーンですくったご飯の上に乗せていた。


その度に、一々持ち替えていた。

しかし、そうやって食べるように、このテーブルにはマナー本のようなものが置かれていた。

ルキはそれを一生懸命食べる前に見ていたから、ただ実践しているだけだ。

普段はフォークとナイフとスプーンしか使っていない。


「でも、本来の使い方の方が食べやすいと思うよ」

「いらないわ、あたしはこれで十分よ」

こういう時は、逆らわないに限る。

また、折を見て教えてあげよう。


だいたい、雰囲気を出すのに必要なら、その使い方を先にしっかりと教えるべきだろう。ただ、物が用意されただけじゃ、伝わるはずがない。

何から何まで、やることが中途半端すぎる。


いや、違うか……。

これが、この世界では一般的なんだ……。


技術は導入した。

使い方もたぶん実践して見せたのだろう。

でも、勇者たちは基本的に戦闘狂。自分たちが使えればよかっただけだ。


でも、その文化は広がっていった。

もたらされた文化は、その上で独自の進化をしていったのだろう。

箸一つにしても、いろいろ考えさせられる。


ということは、私が抱いているこの違和感こそが、私がこの世界に溶け込んでいない証なのかもしれない。


もう、一々突っ込むのはやめよう。

ここは異世界なんだ。


そして、私はこの世界で、この人たちと生きていくと誓ったんだった。

だから、多少変に感じる事は、私の方が飲み込まなくてはいけない。


そう、例え街にいる人たちの服装が、とても変になっていたとしても……。

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