第50話迷いの森

それからしばらくの話は、聞くだけで精一杯だった。


思いがけない事実の歯車は、予想をはるかに超える速さでまわり始め、私の理解の歯車とうまくかみ合ってくれなかった。

だから、ゆっくりと考えを整理する必要があった。

そのことを告げると、組合長はにんまりと笑顔で応えてくれていた。


そして足の向くままに森に入り、今もなお、私は森の中を彷徨っている。そんな私を精霊たちは、ただ黙って見守ってくれていた。

私を守るように、導くように、精霊たちはそばについてくれていた。


ただ、氷華ひょうかだけは頭の上で氷を出している。

たぶん冷静になれという意味なのだろう。

ほんの少しだけひんやりとする氷が、頭の上に乗っている。言葉よりも態度で表現する氷華ひょうからしさが、逆に温かく感じられた。


「五百年か……」

言葉で表現できないその思いは、口から吐き出すただの息と混じって出て行った。

十八年しか生きられなかった私にとって、その時間はまったく想像する事が出来ないものだ。あえて言うなら、水平線の彼方に浮かぶ船を見ている感じだった。


木漏れ日も、鳥の声も、何かの鳴き声も、下草を踏みしめる音も、昨日とそれほど変わりないはずだ。でも、さっきの話を聞いた後だと、まるで違う森にいるような気分にもなってくる。

ただ、そうした気分も、時間がたてば消えていくのだろう。五百年かけて、この世界が変化していったように……。


道案内のように進む春陽はるひたちの姿を追っていると、自然とその周りにも目がいった。

鬱葱と生い茂る森の植物たちは、ここは自分の縄張りだと主張しているようであり、この場所にいるのが当然だと言っている気がする。


五百年生きた生物は、おそらくこの周りにはいない。


その時何があったかなど、ここの生物たちには関係がない。


今、ここにいる。

それ以外のことは関係ない。

なんだか、そう言われている気分になってきた。


時折姿を見せる妖精や、精霊たちも争いごととは無縁に感じる。


でも、ここで古の魔王は復活した。

古の魔王が復活したのは、タムシリン島だった。つまり、この森のどこからしい。


そう言えば、ここは他の国の森と比べると魔獣が多いという噂だった。

以前、大陸から来たという冒険者の一人が、誰かにそんなことを言ってた気がする。

その時は、そうなのかと、ただ流していた。

でも、今はそれと関係あるのかと考えてしまう。


この世界には、まだまだ私の知らないことがたくさん存在している。もしかすると、知っていることも、実は違うことなのかもしれない。


色々と、知らなければならない。


ただ、古代語の読めない私は、ひらがなで書かれたものを読むしかない。それはすなわち、歴代の勇者たちに影響を受ける可能性がある。

それは一つの者の見方だけど、それでは、物事の片側だけしか見えない。


当時のことを知るには、古代語で書かれたものを読む必要があるんだ……。

それも自分の力で。

組合長が、これまで文化や古代語について、私に聞かせていたのは、この理解を引き出すためだろう。


組合長、そしてあとから続けてロキが語った話は全て、全て古代語で書かれている秘匿された文献に収められており、その後日本語で書かれたものは、やや事実が歪めて伝えられているようだった。


私やミストがもっているのは、ひらがなで書かれた文献を読んで得た知識だ。つまり、事実がやや歪められた方のものなのだろう。

ただ、私の場合、それすらも全部を理解しているとは言えない。


私の中では、『始まりの勇者は四十八の国で召喚され、魔王討伐を開始した。そして魔王を討ち取った時、魔王はすぐに勇者の誰かに乗り移ったから、勇者たちは疑心暗鬼となり互いに殺し合った』という認識だった。そこに国々の王が加担したという感じで考えていた。


でも、私が見た限り、確かに古の魔王がどこで復活したかは一切書かれていなかった。そして、もう一つ。


まことの勇者に関する記載はなかった。


まことの勇者とまことの勇者の違いが語られる前だとは言えば、それまでだ。でも、違いを付けた段階では語られてもいいはずだと思う。歴史書は、新たな事実が判明した時に書き換えられる運命にある。

私だけが知らないんじゃない。ミストも知らなかったに違いない。ジェイドの口からも、それを聞いたことが無いような事が出ていた。

そこにあるのに、その形跡がない。


全くそれがないというのは、意図的に隠された何かがあるように思えてしまう。

まことの勇者の存在が明るみになると、都合が悪い何かがあると思うべきだろう。


なにより、組合長が知っているということは、秘匿されていた古代語の文献の中には記載があるということだ。あえて、そう記載したということは、勇者に知られたくない何かがあったと考えるべきだろう。

それは、いったい何なのだろうか……。

そして、組合長は何故そんな話を私にしたのだろうか……。


『いっそ魔王にでもなりますか』

あの時、何故組合長は唐突にそんなことを言ったのだろう?


この答えは、魔王に関係あるという事だろうか?

相変わらず、先は見通せない。

自分でもわからないところに向かって歩き続けている。ただ、少なくとも村からは遠ざかっているのは分かっていた。


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