第一章 第二節 勇者であふれた世界

第10話覚醒

なんだか、この感じが懐かしい。

今まで感じていなかった自分の重み、手足の感覚。

われんばかりの歓声が足元から聞こえてくるけど、そんなことより、この久しぶりの感覚を味わいたい。

ほのかに香る花の匂いが、焦げた感じの臭いと合わさって、鼻の奥をくすぐってくる。

そよ風のような優しい感触が体いっぱいに感じられた。

色んな感じがよみがえっている。

でも、あと一つ。

見えないことに慣れすぎて、見ようとしていなかったことに気が付いた。


恐る恐る、ゆっくりと目を開けてみる。

まぶしさに、思わず閉じそうになるものの、そうしてはならないと抵抗した。

細目では、周りをうまく見えはしない。でも、確実に私は自分の目で世界を見ていた。

しかし、それに満足できるはずもなく、自分の目を大きく見開いていた。


瞬間、私は世界の一部を感じていた。


そして、同時にとても安心できていた。

見えることが、こんなに安心するものだなんて想像もしなかった。


光の膜のような何かが、目と鼻の先にある。その向こう側には大理石を思わせるような重厚な壁が、物々しくそこにあった。


いや、これは天井部分かな……。


何となく、テレビかネットで見たことがある気がする。いや、違うな……。

どちらかというと、ゲームやアニメに出てくる、大きな教会のような感じがする。さらに上の方には光を取り込むような窓も開けられていた。そこから光が差し込んでくる光が、おそらくこの場所を神聖なものに感じるように設計されているのだろう。

細やかな意匠ともに目を引くステンドグラスやアーチ状の装飾。一部分しか見えないけど、その迫力に圧倒された。


もっと見てみたい。

そう思ってみても、思うように首を動かせなかった。ただ、目だけ動かしてみてみると、光の膜のようなものは、私をぐるりと囲っているようだった。


触ってみるか……。

そう思ったけど、やはり体は動かない。

その時突然、目の前の景色が、上の方へと動き出したように感じた。


またもや足元で、歓声が沸きあがる。


どれだけ多くの人がいるのかわからないけど、よっぽどうれしいに違いない。

一体何があったのだろう。

ようやく興味がわいてきた。

ひょっとして、この歓声は私に向けられているのだろうか?

下を見てみたい。見上げるように固定されている首が恨めしかった。


けど、さっきよりほんの少しだけ首を動かす事が出来た。

視線を限界まで下に向ける。


やっぱり……。

そう言いたかったけど、言葉は出なかった。

でも、想像していた通り、私の体は宙に浮かんでいた。


景色が上に移動したんじゃない。私が下に降りているんだ。


ある程度想像してたけど、本当に自分が宙に浮いているなんて、ふつう想像しないだろう。でも、こうして見ると納得せざるを得ない。


そして、下から聞こえた歓声は、宙に浮く私に向けられていたに違いない。

相変わらずゆっくりとだが、下へと降り続けている。

サーカスのピエロのような気分だけど、そう悪い気分でもなかった。


いつの間にか、目の前に見たこともない像が見えてきた。見た感じは、女神像。だとすると、やはりここは神殿なのだろう。かなり大きな女神像に思えるけど、それ以上にこの建物が巨大なものだと再確認した。


ゆっくりと、ゆっくりと下へと降り続けている。

たぶん、桜の花が舞い散る速度よりも遅いに違いない。

それと共に、もっと下を見る事が出来た。


女神像の足元には、見るからに偉そうな人たちがいた。


私はこの人たちを知っている。

私の中で、何かが告げてきた。

でも、正確には誰かは知らない。この人たちを表す言葉を知っているという事だろう。


ゲームでよくある国王と大臣と騎士、そして神官がいて……。あれは魔術師だろうな……。たくさんの衛兵と騎士もいるゲームの世界。まさにあれは、その世界の住人に違いない。

それにしても、この首が何とかならないものか……。顎を突き出した形になっているから、はた目には結構偉そうにしているように見えるだろう。

第一印象最悪に違いない。


下りていくにつれて、だんだん歓声が止んでいく。そのかわりに緊張感が漂ってきた。

騎士たちの鎧が立てる、金属音が騒がしい。


目の前の風景を見ると、もうすぐ床だと思う。女神像の足元から、床が階段状になっている。だから、今いるところは少し低めになっているのだろう。でも、相変わらずうまく下が見られない。けれどもうすぐ着地するはず。

そんな思いに、自然と体が応えてくれていた。


無意識に両手が真横に伸びる。羽だったら羽ばたけるかもしれないけど、あいにく羽はもっていない。羽ばたけるわけじゃないのに、羽ばたくように着地しようと思ったのか?

我ながら、その行動が滑稽に思えた。


でも、おかげで両手の自由がきくのがわかった。

少しずつだけど、どんどん自分の思うように、体を動かせるようになっている。

さっきよりも自由に首も動く。


久しくなかった自分の体を自分で動かしている感じ。

その喜びをかみしめるまもなく、周囲の緊張感は否応なく高まっていた。

取り囲んでいるのは、衛兵や騎士。騎士の方は顔が見えないけど、衛兵の顔は皆緊張していた。中には明らかにおびえた表情を見せている者もいた。

まあ、こんな空中遊泳みたいなのを見たら、普通驚くよな。

ストンと納得が胸にしまいこまれた。


その時、ほんの一瞬、指先が床についた感触があった。


思わず、その感覚に驚きの声をあげたつもりだったけど、まだ声は出なかった。


しかし、無意識に抵抗したのだろうか?

一瞬弾かれるように浮いてから着地している。

本当に久しぶりの感覚。

ひんやりとして気持ちいい。

でも、せっかく地に足をつけたというのに、ほんの少しだけ違和感があった。


そんなにも時間がたったのだろうか?

いや、ずっと地面を歩いてなかったからだけじゃない。

久しぶりに自分の体を、自分の足で支えた感じに戸惑ったというものでもない。


明らかに体が軽かった。

それもつかの間、警戒感が一層あらわになって取り囲んできた。


その違和感を確かめることすら、周囲の状況は許してくれなかった。

さっきよりも多くの衛兵や騎士たちが遠巻きにして私を囲んでいる。

いつも以上に私の感覚は研ぎ澄まされている。

まるで、この場全体を見ているかのように感じる事が出来た。

どの顔も警戒し、緊張している。そして……、怯えていた。


さっきの歓声は、いったい何だったのだろう。ちょっと自惚れた自分が恥ずかしかった。


ひょっとして歓声はすでに別の何かが受けたあとで、私は余分なものとして処理されようとしているのか……。


そう思えば納得もできる。

この人たちは警戒心を前面に押し出しているのだから……。

犬だったら、歯をむき出しにしてうなっている感じだな……。

そんなに怯えないでほしい。

どうすれば、そう伝わるのだろう……。


相変わらず、言葉はうまく出せないでいる。


でも、彼らは決してそれ以上近づいてこなかった。

私との間に、一定の距離をしっかりと確保している感じがする。そこもまた、犬と同じなのかもしれない。


こちらが手出ししなければ、襲い掛かってこないだろう。

でも、仮にそうだとしても、今は非常にまずい状況には変わりない。


抜刀していないものの、それぞれに武器を持っている。しかも、魔術師っぽいのが本物だったとすると、魔法までくる可能性がある。まだ、この光の膜があるからいいのかもしれないけど、いつまでもあるとは限らない。そして、これが見せかけだけの可能性もある。

それに、囲まれているのだから、やっぱり状況的には最悪だ。


こっちはもちろん丸腰……。

しかも、まだ体が自由に動かない。その分なのか、妙に感覚だけは研ぎ澄まされている。まるで、立ち合いの中にいるように、周囲の息遣いまで手に取るようにわかる。

でも、動けなかったら意味はない。


お互いに緊張感が高まっていく中、真正面から一人の少女が進み出てきた。


今、この場の雰囲気に全くそぐわない感じの少女。しっかりと口をつぐみ、まっすぐに私に向かって歩いてくる。


けど、気丈に見えるだけで、無理をしているのが分かる。

細かく震える体が、少女の心のうちを明確に表していた。


布を差し出すようにして歩いてくる姿は、まさに恐る恐ると表現するのがいいだろう。近づくにつれ、その歩幅もさらに小さくなっている。


でも、不安と怯えと共にある。自分の意志をもたぬ顔。

可愛らしいけど、鬱陶しい。

両眼に涙をたたえているとはいえ、見覚えのあるその表情が、今は無性に腹立たしかった。


周囲の状況を見続けないといけない。でも、その少女の表情から目が離せなくなっている。

見慣れたはずの表情。

今までは何とも思わなかったはずなのに、今はそうじゃなかった。

そんな顔が、ゆっくりと近づいてくる。


ならば、堂々と待っていよう。

何を命じられているのか、見届けよう。


少女の歩みは止まらない。本当にどんどん近づいて、わずか数歩手前でいきなり跪いてきた。

おもむろに恭しく、その場で掲げるように服を差し出している。


少女が跪くときに見えた私の体、そして差し出された衣装の意味。

その瞬間、私は何も着ていないことに気が付いた。


「ちょっと、まって!」

叫びながら、慌ててそれをひったくり、少女から距離をとる。

見たこともない服だけど、大体服なんてどこも同じのはず。動揺する心を抑えつつ、まず先に下をはく。間違わないように確かめながら、見慣れない服を着ることに全神経を費やした。

下をはいて、ようやく人心地ついた感じになった時、羞恥心が急に飛び出してきた。


ちょっとまって、ちょっとまって、ちょっとまってよ!

羞恥心が私の周りを、ぐるぐる駆け回って騒いでいる。

全身の血が、顔に集まってくるようだ。


裸だよ?

私、裸だったよね?

これだけ大勢の人の前で、今裸だったよね?


警戒してたのって、変質者だと思ったから?

いやまあ、確かにそうだけど……。


でも、うそでしょ?

嘘だと言ってよ!

ていうか、誰か教えてよ!


やり場のない怒りが、今度は目の前で騒ぎ出した。


なにこれ?

新手のドッキリか何か?

しかも、あれだけの至近距離で、少女の前で堂々としていたよ、私!


羞恥心とやり場のない怒りが、衝突して戦いだしている。


ああ、穴があったら入りたい……。

いや、穴はもう勘弁してほしいけど……。


軍配は羞恥心に上がり、かくして私は膝を抱えることになった。


膝を抱えてうずくまるしかない私を吹き飛ばすように、快活な笑い声が後ろから聞こえてきた。

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