森の子
鞘でかき分けた茂みの中、そこには一抱えより少し小さいくらいの、茶色くてモコモコしたものがあった。
そのモコモコしたものは収縮を繰り返している。どうやら呼吸をしているらしい。一見するとクッションのようでもあるが、呼吸をしている以上は何らかの生物だろう。
よくよく見ればピンと尖った耳らしきものも見えるし。
「……生き物?」
しかし、ディアナが思わずだろう、そう言ったのもむべなるかな、である。
しかし、ルーシーの声にも反応しないとは、肝が据わっている……にしてもあまりにも反応がない。ルーシーを取るに足らずと判断したとしても、さっきまで俺たちがそこらをウロウロしていたし、今は俺が茂みをかき分けたから、頭を起こしてこちらを見るくらいのことは例え熊でも虎でもしそうなものだ。
それに呼吸もゆったりしたものではなく、やや速いようにも見える。
「見たところ辛そうだが、怪我してるんだろうか」
「血の匂いはしなかったけどな」
サーミャが鼻をヒクヒクさせている。彼女の鼻にかからなかったということは、大怪我ではないのだろう。
「だとすると、病かも知れない」
「もしそうなら助けてあげたいけど……」
ディアナが言葉に困惑の色を載せて言った。病気なら魔力の乱れも血の匂いもなかったことの説明はつく。だが、その場合に問題になるのは……。
「病の場合、それがクルルとルーシー、ハヤテはもちろんだが、俺たちにうつらないかだな」
「そうですね」
リディが頷く。幸いにして1年弱過ごす中で多少の体調不良はあれど、病に臥せった家族は俺も含めていない。
万が一のために解熱をはじめとして痛み止めや腹痛に効くものなど、薬効のある植物は色々と採取して倉庫にストックしてあるが、それらが有効な病気ばかりとも限らない。
もしこの生物が厄介な病気を抱えていて、俺達がかかってしまったら、この“黒の森”の中では基本的にはどうしようもない。
例えば、かかったのが前の世界で言う狂犬病のようなものなら助からない。いや、あれは前の世界でも罹患、発症したら助からない病気だったが。
そこまで致命的でない病気であっても治療法を求めるなら一番近いところで街だが、この森の薬草で駄目なものが街でなら治る保証はどこにもない。
まだジゼルさん達妖精族が治療法なりなんなりを知っていることに賭けたほうが目がありそうだ。もしくはリュイサさんに大きな借りを作るかだが、都合よく動いてくれるかはちょっと怪しいな。
ともかく、それらの危険を冒してでもこの生物を助けるかどうか。助けるべきかどうかの確認段階でも既にリスクがあるのだ。
ここで手を差し伸べたとして助かるとは限らない。手を出して何かの病気にかかったが助からなかった、となったら目も当てられない。
ディアナの困惑はそのあたりを懸念してのものだろう。別に彼女が冷たいわけではなく、家族のことを考えれば当たり前の懸念だと思う。
「とは言えだ」
俺は誰に言うでもなくつぶやいた。このまま放って自然に任せるのも気が引ける。たとえそれが本来あるべき姿だったとしてもだ。
手は伸ばそう。俺だってある意味伸ばされた手を掴んだからここにいるのだし。
「どうなっただろうとずっと気にするのも夢見が悪い。少なくとも大丈夫なのかは様子を見よう。助けたほうが良さそうだと判断したら助ける」
俺のちょっとした決意にみんな頷いてくれた。
ただし、決意をしたからといってリスクが減るわけではない。当たり前だけど。俺はそろりとモコモコに手を伸ばす。後ろからカチャリ、と音が聞こえた。おそらくヘレンが何かあったら「対処」できるように構えてくれているのだろう。
かなり近くまで手が近づいた。大丈夫ならこのあたりで飛び起きてもおかしくない。だが、モコモコは動かない。とうとうモコモコに手が触れた。
フワリと柔らかいかと思いきや、結構硬い感触だ。それにザラリとしている。硬いのは野生の動物の毛が硬いのは当たり前だとして、ザラリとしたのは……これは土か? 土が毛についていて、サーミャが匂いを感じづらかったとかかな。
モコモコは手が触れた瞬間、一瞬ピクリと動いた。そして、ゆっくりゆっくりと2つの尖ったものがあるところ、つまり頭をこちらに巡らせた。
クリクリとした目が俺を見据える。顔はまるまるとしてちょっと狸っぽい。その目が一瞬驚きに満ちたが、そのままコテンとこちらに目を向けたまま頭を倒した。やはり、あまり状態は良くないようだ。
「ちょっと失礼するよ」
俺はそう言って、狸(?)を抱える。おそらくは獣なので体温が高いことは想定していたが、それにしてもかなり熱いような気がする。
そして、狸は俺にされるがままだ。流石に自然の獣が人に抱きかかえられて無抵抗、というのはおかしい。懸念していたように、どこか具合が悪いに違いない。
狸を抱きかかえたまま、俺が皆の方を見ると、皆は再び頷いた。誰からともなく足早に家へと向かう。もちろん、俺にルーシーを近づけないように(本人は俺に抱っこされているのが何なのか知りたいようだったが)だ。
ヒュウと寒風が肌を撫でた。俺の頭からはさっきまで散々悩んだ懸念がすっかり消え去っているのだった。
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