最初の一つ

 肌寒い中を人々や馬が行き交う。馬の中には早駆けしたのだろうか、身体からほのかに湯気をたてているものもいる。

 人々があちこち忙しそうにしているところを見て、“師走”と言う言葉が頭をよぎった。


 ふと見ると、壁の向こうに立ち上る煙が見える。火事……ではなさそうだ。おそらくは壁内の家で暖炉に火を入れているのだろう。

 そう言えば、早々にマリウスと知り合ったので、この街にどんな人達が住んでいるのか知らないな。壁内に入ったこともないし。

 本来は立ち入ることが難しい都の内街の方がまだ馴染みがある。


「ああ、代官の他には騎士が数人てところよ。結構広いからね、うちのとこ」


“街の領主”と聞くと、この街だけを治めているように思ってしまうが、無論そうではなく、この周囲にある農地も領地であるらしい。

 全体を代官が取り仕切り、騎士達が補佐をしているらしい。街と農地からくる「あがり」の一部も彼らの収入になるし、いざ事が起きたときに、まず矢面に立って戦うのは彼らなのだと、大筋をディアナが言って、ところどころアンネが補足していた。

 アンネが隣国の事情に通じているらしきことはこの場は目を瞑っておこう……。


「いずれルロイが越してきて、今の代官さんは晴れて隠居か」

「いつになるかはともかく、そのはずね。前に兄さんが言ってたし」


 その少しだけ新しい街も、いつもの街になっていくのだろうか。そんなことを少しだけ思った。


「あ!」


 荷車をカミロの店の倉庫に入れた後、みんなと一緒に娘達を連れていった裏庭に、明るい声が響いた。この店の丁稚さんだ。利発そうな目に喜びの色が宿っている。

 ……この子の事を考えると、冬の間来ないのもかわいそうかな、などと考えてしまう。店の人達も良くしてくれているようだし、きっと街に友達もいるんだろうが、この時間にうちの子達と一緒に過ごすのも、丁稚さんには良い経験になっていると思うからだ。

 だが、丁稚さんはよその子、カミロなり番頭さんなりから頼まれない限り、気遣いが過ぎればそれは嫌味になりかねないし、控えておくべきか。


「寒くなったなぁ」

「そうですね。なので……」


 丁稚さんが庭の隅の方に目をやった。裏庭に入ってきたときから目にはついていたが、昼なお赤く燃える焚き火がそこにはあった。


「用意してくれたのか」

「ええ。寒いといけないので」


 いずれ走り回るのだろうし、そうすれば汗をかくほど身体が温まることは間違いないのだが、汗をかいた後にそれが冷えると、体温を奪われてよろしくないこともある。焚き火でそのへんの調節が出来そうだ。


「ありがとうな」


 俺は丁稚さんの頭を撫でると、すっかり見慣れた裏口から店の中へ入っていった。

 いつもの商談室に入ると、程なくカミロと番頭さんがやってきた。


「よお、急に寒くなったな」

「そうだなぁ。夜は火が欠かせないよ」

「昼も夜も火が必要ってわけか」

「だな。ありがたいことだよ」


 そんな他愛もない話をカミロと交わした。ちょうど気温の話も出たことだし、俺は話を切り出す。


「寒いと言えばだ。次の納品をいつもより先延ばしにしようと思うんだ。あまり寒い中を行き来するのもな」


 番頭さんが淹れてくれた何かのハーブの茶を啜る。暖かさが喉から身体に染みこんでいくのを感じた。


「とは言っても、延びて困るようなら別にそれを蹴ってまで冬ごもりしようってわけでもないんだ。その辺どうかと思ってな」

「ん。そうだな」


 カミロは口ひげをいじりながら天井を仰いだ。


「あればあるだけ嬉しい、というのが正直なところだな。在庫が多少出ようとも売る先はあるし」

「ふむ……」

「ま、無けりゃ無いでどうとでも出来るさ。さすがにいつまでもない、ってのも困るが……」

「さすがに完全に春になって木々が青々とするまでは来ない、なんてつもりはないよ」

「それを聞いて安心したぜ。さすがに延々と売り切れなのは困るからな」


 ニヤッとカミロが笑った。かと思うと、少し表情を引き締める。


「じゃ、今回は6週間分くらい持っていくのか。運べるか?」


 カミロが言って、俺はリケとリディの方を見やる。彼女達は2人ともコクリと頷いた。


「大丈夫そうだ。なに、いざとなれば久方ぶりに俺が担ぐよ」

「おいおい、それで身体壊したりするなよ」

「まだまだ平気さ」


 今んとこはな。あと10年もしたら厳しくなってくることはもう知っている。


「何かあったら、アラシをやってくれ」

「そうだな。そうするよ」


 そう言ってカミロは番頭さんの方を見る。番頭さんはいつもの作業をしに部屋を出て行った。


「ああ、アラシなんだが」

「なんだ、また何かあるのか?」


 苦笑するカミロに俺は頷いた。


「ほら、いつもここでしてくれる話があるだろ」

「ああ、あちこちで仕入れてくる噂だとかか」

「あれを手紙に纏めて、週に一度くらいの頻度でアラシで送ってくれないか?」

「他に世間の話を知る術もないか」

「そうなんだよ。それですぐに何か困る、ということもないんだろうが……」

「知っておいた方が良いこともあるだろうからな」


 俺は再び頷く。そして、マリウスの話しをしようとした。


「じゃ、伯爵閣下にも都の話やらを聞いておくか」

「それも頼もうとしてたんだよ」

「そりゃ。話を欲しがっているわけだからな。察しはつくさ」


 カミロは大げさに肩をすくめる。商人であればこれくらいは普通に思いつくか。鍛冶屋の俺が思いつくくらいだし。


「勿論、金は払うから」

「おっ、いい稼ぎになりそうだ」

「お手柔らかにな」


 カミロが大きく笑い、俺は苦笑する。


「が、金は少しで良い」

「ん? ちゃんとかかった金と手間賃くらいは取ってくれよ。そっちの方が互いに気が楽だろ?」

「いやぁ」


 カミロはそう言って頭を掻いた。


「お前んとこだけじゃなくて、他にもうまく売れそうだなと思ってな。値引きはその分だ」


 少しだけ決まりが悪そうに、しかし、少年のように目を輝かせてカミロは言った。

 もしや、俺は新聞のはじまりのようなものに手を貸してしまったのでは……。

 いや、大規模に印刷できるようになるまでは、情報が大規模に拡散することもそうはあるまい。大きな告知は蜜蝋を塗った立て札の表面を引っ掻いたものでなされたりするくらいだし。


 あまり大儲けはしてくれるなよ、俺はカミロにバレないよう、心の中でこっそりとそう思うのだった。

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