お出かけの朝
罠については一度棚上げにし、コツコツと納品物を作り続け、その合間に狩りをする組は何回か森の見回りを行い、そして納品の日がやってきた。
朝、目を覚ますと、ストーブの火はすっかり消えていて、毛布をめくると寒さが襲いかかってくる。
「“こっち”も冷えるなあ」
前の世界でもなかなかの寒暖差を経験してきたが、文明の利器によるサポートがあった。今のところ、骨の髄まで凍るような寒さは感じていないが、文明の利器のありがたみを思い知るほどの寒さになるのだろうか。
手早く家を出る準備をし、水瓶を抱えて外に出る。俺は自分の吐いた息がほのかに白く形を作っていることに気がついた。日に日に寒くなっているというのは俺の肌感だけではないようだ。
俺が家の扉を閉めると、バタバタと娘たち3人が寄ってきた。彼女たちの息も白い。狼であるルーシーの息が白いのは当たり前のように思えるのだが、クルルとハヤテの息も白い。2人ともドラゴンあるいはそれに近しい種なので、見かけが爬虫類っぽく、変温動物のようなイメージを受ける。
しかし、触ったときには蛇のように滑らかな手触りとともに、確かに温もりも感じるのだから、身体が熱を発しているのは間違いない。このあたりは前の世界の常識が全く通じないところである。
「寒いから今日も水浴びはなしだ」
俺がそう宣言すると、ルーシーが尻尾を下げ、クゥーンと遺憾の意を表した。
俺は苦笑しながら、ルーシーの頭を撫でる。以前と比べて屈む距離……というか、まぁそういうものが減ってきた。今も膝をつかずに腰を曲げるだけで頭に手が届いている。
「夕方にお母さん達に湯で拭いて貰うんだぞ」
そう付け加えると、しょんぼりしていたのはどこへやら、すっかり機嫌を直したルーシーは、尻尾をふりふり一声吠えた。その声もどことなし精悍さ――女の子に適切な言葉かどうかはともかく――がついてきている。
それでも、幼い頃と変わらず水浴びが好きなので、どうにも子供扱いが意識から抜けないな。
「よし、それじゃあ行くか」
クルルとハヤテも撫でてやり、その温かさを手のひらに感じてから、俺たちは湖へ向かった。
「うーん、やっぱり一段と寒いな……」
湖はさざ波を立てていて、凍るといった現象からは今のところ無縁のように見える。
だが、湖面をいく風が元々冷たいところに冷やされるのか、身を切るようなと表現する一歩手前くらいまで寒さが来ている。
「水を汲んだらすぐに戻ろう。今日は納品があるからお出かけだ」
その言葉に、娘達はやんやと喝采をあげた。多分。身体を清めるのは温泉があるし、農作業には井戸の水がある。従って水は基本飲用や調理用にしか使わないので、夏場よりは少ない量だけを汲むと、足早に帰路についた。
家に戻ると、ストーブが活躍していて、ほのかな暖かさが身体を包んだ。一番最後に起きてきたらしいアンネが“本気”の時とは全く異なるポワンとした表情で顔を洗い終えたところらしく、タオルで顔を拭いている。
タライからはほのかに湯気が立っていた。それについて聞いてみると、ヘレンが、
「ひとっ走り行ってきた」
と事もなげに返す。うーん、水汲みは2日に1回とかにして、「お湯汲み」にした方が良いだろうか。そうすれば朝に娘達を湯で拭いてやれるし。湯冷めしないよう、すぐに乾くようにしてやらないといけないが。
俺がそう言うと、ヘレンは首を横に振った。
「夕方の稽古だけじゃ鈍るかも知れないし」
とのことである。すぐそこだし、ちょっとしたジョギングみたいなものか、と俺は納得して、それ以上は何も言わなかった。
一方で、リケが苦笑半分ウキウキ半分の表情でアンネの髪を梳ってやっている。この後パパッと三つ編みを結ったり、色々と髪型を作ってやるのが、リケの楽しみなのだそうだ。
「妹にやってあげていたのもありますけど、自分の髪がこの通りですからね」
リケの髪……と言うかドワーフ族の髪質は一般的にかなり頑固なようで、出来る髪型も少ないのだそうだ。
「ドワーフであることを残念に思うことはあまりありませんが、こればっかりはもう少し柔らかい髪の種族であればなぁと思いますね」
「今度エイゾウに頼んで、髪にいい香油なんかを買ってもらいましょうよ」
様子を見ていたディアナが混ぜっ返す。ブンブンと手を横に振るリケ。
「ええ!? そんな、悪いよ」
「春になったら、髪に良い薬草が採れますから、それも探しに行きましょうね」
そこにフンスと鼻息も荒くリディも加わってきた。彼女の髪は櫛を通さずともサラサラと流れるようである。エルフだからだろうな、と思っていたが、なんらかの秘訣もあるのかも知れない。
……俺も再び40が巡ってきて前髪が撤退戦を始めてしまう前に色々聞いておこうかな。
髪が女性の強い関心事の一つであることはこの世界でも変わらないらしく、ワイワイと、あの香油が良かったとか、あの薬草は効果が高いだとか、あそこのはあまり良くなかった、なんていう話で盛り上がっている。
俺はその喧噪をBGMに、額にそっと手を当てると、朝食の支度を始めるのだった。
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