まずはここから

 俺を先導してヘレンが進む。とりあえずは商談室だ。街道上ならなんとかごまかす方策もあるだろうが、この建物内で何かあれば、それはカミロの責任とメンツに関わってくる。

 まぁ、国から見れば俺はしがない鍛冶屋、カミロもそこそこ名が知れてはいるが商人“でしかない”ので、何も起きないかと言われると断言できないのだが。

 ヘレンが警戒してくれているのは半分は職業病のようなものもあるだろう。無駄に終わっても「ああ良かった」で済む話だから、特に止めさせたりはしない。


 ヘレンが商談室の扉を開けてくれた。中から殺気が飛んでくることも、刀なり槍なりが突き出されることもない。

 そこまでして、ということではなさそうでほっと胸をなでおろす。これから胃が痛くなるかも知れないが、そっちは慣れっこっちゃ慣れっこだ。


 商談室に入ると、見慣れたカミロと番頭さんの他に、2人いた。

 1人はカレンだ。ニコニコとまではいかないが、少なくとも神妙な面持ちではない。

 もう1人はこの街の領主であるエイムール伯爵――つまりはマリウスだ。

 他の北方の人々はこの場にはいない。隣の部屋にいたりするのかも知れないが。


「やあ、エイゾウ」


 気さくな様子でマリウスが手を挙げた。俺も片手を挙げてそれに応じる。


「おう、どうだ、新婚生活は」

「思ってたより楽しいよ」

「それは良かった。本当に」


 俺は心底そう思って笑顔になる。あの奥さんと幸せに暮らしているのなら、友人としては何よりの話だ。

 そこでカミロがパン、と手を打つ。


「さて、最初に商売の話だが……」

「いつもどおりだよ。今回は欲しいものも一旦はなしだ。次のときでいい。売りたいものがあるなら別だけど」

「いや、今日はお前たちに売っておきたいものはないよ。ありがとう」


 と言ってカミロが頷き、番頭さんに目をやると、番頭さんも頷いて部屋を出ていく。


「さて、それじゃ早速こっちの話をさせてもらおうかな」


 口を開いたのはマリウスだった。とりあえず俺は話を聞く姿勢になる。が、


「その前に、カレンさんはともかく、北方の方々がおられないようですが」


 珍しくディアナが口を挟んだ。俺の隣に座っていた彼女は少し腰を浮かせている。声色は幾分冷たいもので、怒気をはらんでいるようにも聞こえるが、まだ感情を爆発させるところまでではないようだ。

 とはいえ、腰を浮かせ、口を挟む時点でディアナとしては思うところがあることの表明である。


「ああ、そこに悪意はないよ。エイゾウを見くびっているわけではないことは理解して欲しい」

「でしたら」


 若干の苦笑とともに返ってきたマリウスの言葉に、食ってかかりかけたディアナをマリウスは手振りで制し、そこへカレンさんが続ける。


「北方の関わることでもあり失礼にあたることは承知ですが、あまり顔を合わせたくないでしょうから、と申しておりました。もう既に北方へ向けて出立し、はや数日が経っております」


 変に顔を合わせて話がこじれてしまうほうを北方の人々は避けた、ということか。

 その説明でどこまで納得できたかはともかく、ディアナも浮かせかけていた腰を下ろした。

 俺は肩をポンポンと叩いて無言で感謝を示す。大きなため息が隣から聞こえてきて、一旦はそれで落ち着いたようだ。

 小さく息を吐いて、マリウスが続ける。


「さて、概要はカミロ殿からの連絡で知っているだろうし、こちらの提示する条件次第とのことも承っているが、こちらのカレン嬢と北方の話だ」


 自然、視線がカレンさんに集まり、彼女は幾分身を縮こまらせた。


「ここであまり駆け引きもしたくないから、ぶっちゃけた話をするぞ」


 俺は頷く。悪い話でなければ受け入れて損はないのだ。感情的な話もあるにはあるが、何を差し置いてもやだね、というところまでではない。


「僕と侯爵閣下としては、たとえ密偵に近しいものであったとしても、これまで王国とはあまり繋がりのなかった北方と、繋がりを強められるならこれは大きなメリットになると考えている」

「侯爵派の得点にもなる」


 ボソッとアンネが混ぜかえっした。少し苦笑したが、マリウスは続ける。


「それにエイゾウたちには王国に留まっていて欲しい。であるならば、エイゾウ工房への条件はなるべく良いものを提示して、一挙両得を図るというのが結論なんだ」

「おいおい、随分とぶっちゃけたな」


 俺から反感を買うかもとは思っていないのだろう。これを舐めてかかられている、ととるかは人によるだろうが。


「他の皆はともかく、俺は公式には住んでない人間だぞ」

「そうだな。まぁ、そこはなんとかできると思う。ほら、あの遠征のときの文官がいただろう?」

「ああ、フレデリカ嬢か」


 フレデリカ嬢は俺も従軍した魔物討伐の遠征のとき、補給や報奨やらの管理を任されていた文官で、なんというか小動物っぽい人だった。


「彼女が非常に“優秀”でね。気がついたのはつい最近なんだが、彼女なら任せられるよ」

「俺が知ってる人なのはいいけど、変な巻き込み方をするなよ」

「わかってるさ。友人を守るために、働いちゃいけないところに不義理を働くわけにもいかないからな」


 マリウスは肩をすくめ、俺は大きく頷いた。


「まず最初に、北方が公式にも秘密裏にも、王国、というか侯爵閣下や僕の頭越しに君たちに接触することは今後はない。君たちは王国に定住してないのだから当たり前だけどね」


 そこまで言って、マリウスはウィンクをする。イケメンのウィンクは様になっていてズルいな。俺ではああはいかない。

 これを断言できる、ということは何らかの密約を北方と交わしているのだろう。その内容についてはあまり知りたいところではないが。

 マリウスは小さく息を吸って、言った。


「それで、君たちに提示する条件なんだが……」


 なぜだか場が静まり返った。誰かがゴクリとつばを飲み込んだ音が聞こえたような気がする。


「月に1度か2度、このカミロのところへカレン嬢ができたものを送る。エイゾウはそれを確認して出来を判断する」

「ふむ」


 ここは聞いていたところだ。特に疑問も不満もない。


「1回の確認ごとに銀貨をこれだけ支払おう」

「えらく多いな」


 マリウスが出した指の数は、ちょっと良い品……高級品と特注品の間くらいのものを打ったときくらいだった。毎月この収入なら、俺はほとんど働く必要がない。

 いや、こういうので稼いで「やったぜ働くのは辞めだ」とするつもりはあんまりないのだが。


「その代わりと言ってはなんだが、1つだけ聞いてほしいことがあるんだ」

「なんだ?」


 俺はマリウスに先を促す。しかし、答えたのはカレンさんだった。


「すぐにとは言いません。いつか弟子入りを認めてほしいのです」


 そう言って、カレンさんは深々と頭を下げた。小さなため息をつく声が聞こえる。それが自分のものか、それとも家族の誰かのものか、一瞬自分でも分からなかった。

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