温泉客

 俺の作業が終わり、今からもう一仕事するには中途半端なので今日の作業を切り上げたあと、カレンを剣の稽古をする皆と一緒に外に出してから鍛冶場を片付けてしばらく。


「せっかくだし、温泉へお湯を汲みに行かない?」


 と言い出したのはディアナだ。秋も深まってきて涼しくなってきたとは言っても、鍛冶場の暑さは汗をかくのに十分だし、稽古で体を動かせば更にだろう。温泉の湯に浸からずとも、それで身体を清められれば気持ちいいだろうな。

 となれば、家族の皆も特に反対意見はなく、クルルと俺だけでも十分なところでも、ちょっとした散歩代わりにと全員で連れ立って汲みに来たのだが……。


 平和そのもの、と言っていい光景がそこにあった。俺の肩のHPは順調に減り続けている。

 排水用の池に狼と狸に鹿、そして兎が一緒になって浸かっていた。これを平和と言わずしてなんと言うだろうか。一様に目を閉じてうっとりしている。それなりに間隔を空けているのは互いへの配慮だろうか。

 しかし、この様子だと時間帯が違うだけで、猪や熊、虎も浸かりに来ている可能性が高いな。まぁ、それはそれでここらで“悪さ”をしなければ、別段止めだてするつもりもないのだけど。

 クルルやルーシー、ハヤテの様子を見ても「なんか皆来てるね」くらいの感じで、特に警戒や威嚇はしていないので、悪さを働くような動物は今のところいなさそうだ。

 もしかすると、リュイサさんあたりがそうなるように手を回しているかも知れない……というか、俺たちが来そうにない昼の時間にあの人が入ってる可能性は結構あるな。


「わぁ、凄いですね」


 目を輝かせてカレンが言った。滞在がしばらくの間とはいえ、これから先何度か目にする光景にはなるだろうが、楽しんでもらえるならそれに越したことはない。


「こっちは皆が浸かってるから、水路の方で汲むか」

「そうだな」


 俺が言うと、サーミャが頷いた。森の皆の邪魔をしても悪いし、衛生的にも良いとは言えなさそうだしな。

 空きの瓶2つほどを水路に沈めて湯を汲む。傍らではカレンが水路の湯に手を付けていた。もちろん瓶で汲んでいるより下流側である。


「本当に温泉が湧いてるんですね。よく探し当てましたね」

「まぁね」


 感心しきりのカレンに俺は答えたが、実際にはこの“黒の森”の主であり、この世界の根幹である“大地の竜”の精神体の一部に直接場所を聞いたわけなので、外しようがない。

 それは今はカレンに言っていいことでもなさそうなので。控えめに自慢するに留めておく。


「まだ浸かれないんですよね?」

「森の皆が浸かってるのは排水用の池だからなぁ。あそこに浸かれなくはないだろうが、目隠しも何もないし、浸かれるように整備もしてないからオススメはしない」

「と、言うことは湯殿か何かを作るんですか?」

「そうだな。湧いているあそこと排水用の池の間に湯殿を建てて、そこで湯に浸かれるようにするつもりだよ」

「私がいる間に建てるならお手伝いしますね!」


 カレンは勢い込んで言った。温泉と聞いて居ても立ってもいられないのは、前の世界でもこの世界でもあまり変わらない性なのだろうか。1人でも人手が多い間に着手するのは有効だと思うので、本人がいいなら早めに取り掛かることも考えるか……。帰る期間がその分長くなってしまうが。

 少しして、湯で満たされた瓶2つをクルルの首にかける。彼女は一声嬉しそうに鳴いて、そう家から離れていない距離を戻る。

 温泉の湯は身体を拭いたりするのには良さそうだが、まだ飲用や食事に流用する勇気はない。衛生的な話もあるにはあるが、魔力が多く含まれている水(湯)が身体にどう影響するのかがよく分からないからだ。

 森の動物達が浸かっているので、少なくとも浸かる分には何も起きない……はずだが、経口摂取するとなるとまた話は変わってくる。

 前の世界の神話でも「異界の食事を口にすること」は特別な意味を意味していたわけだし、特別なものを飲む、食べるといった場合の影響は多少気にしたほうがいいだろうな。この世界の食事をさんざん口にしている俺が言うことではないかも知れない。


 そうして戻ってくると、伝言板の上に小さな影を見つけた。俺や他の家族も知っている姿だ。


「アラシ! 戻ってきたのね!」


 カレンに言われて、アラシは「キュッ」と短く鳴くとこちらに向かって飛んできた。足にはかなり小さいが手紙らしきものがくくりつけられている。カミロからの通信だ。


「俺が開けても?」

「ええ、もちろん」


 俺の言葉に頷くカレン。俺はそっとアラシの足から手紙を外すと、固唾を飲んで見守る家族の視線の中、手紙を開いた。

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