生活をはじめる

 ドアを開いて、台所へ戻る。腹が減っているのだが、前の世界のように5分程度でぱっと食べられるような便利なものはないだろう。棚を見て、どんな食材があるかを確認する。豆と野菜(ほぼ根菜類)、燻製されたおそらくは豚の肉が収まっている。置いてあるかめを覗くと、塩漬けになった、こちらもおそらくは豚の肉が入っていた。とりあえずはこれらを煮るなりして食べることにしよう。

 鍋はすでにかまどにかかっていたので、その鍋に大きな水がめから小さな水がめで水を移し、かまどに火をつける。火は自分でおこして薪につけないといけないのかと思っていたら、ちょっとした魔法でかまどに火をつけることができた。

 魔法の振り分けは最低限だ、と言っていたが、生活に便利なこの辺りは「最低限」に含めてくれていたようだ。自分で火を熾すのもロマンではあるが、生活でとなると面倒だし、こういうのはありがたい。

 ふと気になったのは、火を簡単な、それこそ最低限と言われるほどの魔法で起こせるなら、冷蔵庫のようなものがあってもおかしくはなさそうなものだが、それが見当たらない。実際に野菜は乾燥させたものと、採れたてに見えるものが置いてあるだけだし、肉についても干したものしかない。冷蔵技術につては特に発達はしてないか、あったとして相当な高級品で、こう言うおそらくは人里から少し離れた感じの場所には、似つかわしくない感じのものなのだろう。

 鍋に入れた水が沸騰して湯になったので、そこに切った塩漬け肉と野菜、豆を入れる。豆はレンズ豆のようなものと大豆のようなものがあったが、今回は大豆のようなものを入れることにする。木製のお玉でかき混ぜながら加熱を続ける。


 グラグラと煮える鍋を見ながら、これからの生活について考える。金はここで鍛冶をして稼ぐとしても、食糧や調味料(当面は保存料と兼用である塩のみだろうとおもう)、そして水の調達をどうするかだ。いきなり俺の作ったものが売れるかは分からない。それを考えれば、ここの食糧が尽きる前に調達する方法を考えなければいけないだろう。

 今日はこの目を覚ました時間が果たして午前なのか午後なのか、夕暮れ後はどんな感じなのかをこの家で確かめてみて、明日に森の探索を行うことにしよう。なにせ俺はこの森がどれくらいの広さなのか分かっていないのだ。

 もしかしたら地理情報が頭に”インストール"されているかも知れないが、そもそもここがどこなのかが分かっていない。なるべくなら一番近い人里を見つけて、この森がどこにあるのか、どれくらい広いところなのか、どういう場所なのかを知りたい。そうしないとこのあと何十年か続く「余生」を過ごすには不安が大きすぎる。

 鍛冶屋であるからにはそのうちに来客もあるだろう――とは言え、いつになるのかは見当もつかない――し、その時に「ずっとこの森で一人で暮らしていた」というのはおかしすぎる。もし、この森が頻繁に人が入ってくるような場所なら、入ってきた人は突然現れたこの家を不審に思うだろうからだ。もし人里に出ることがあればその辺りも探りを入れないといけない。"お引越し"の直後だから仕方ないが、やることが満載だ。


 あれこれ考えているうちに、鍋が煮えた。棚から木製のお椀をとり、お玉で鍋のごった煮をよそう。悪い匂いではない。木のスプーンですくって口に運ぶ。想定を微塵も越えない、塩漬け肉と根菜と豆を煮込んだスープの味だ。とは言え、別に不味いというわけではなく、普通に食べられる味である。これなら、そもそも食えずにジリジリと精神が削られていくということもそうそうないだろう。俺は同じ味が続いても平気な性質たちなのだ。味に飽きてきたらその時にまた考えればいい。


 スープを腹に入れて少し経ったがまだ日が沈む気配はない。直接は木々の葉が邪魔になってよく見えないが、午後だとしてもまだ結構日が高いようなので、少し外を探索することにする。居住スペースに置いてあった剣鉈をとって腰につける。

 このときまでそれどころではなかったので今更気がついたが、今の俺は麻の服とズボンに、革のベストと言う所謂"RPGの村人"スタイルだ。この格好なら突然誰かに出くわしても特に不審がられることはないだろう。いやまあ、ここがとんでもなく辺鄙な場所であった場合は別だが。


 ともあれ、体感で2~3時間ほど水場を探して、見つからなかったら戻ってくることにしよう。俺は外へ出て、扉に鍵をかけると、森へ踏み入った。

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