第7話、始動
2年前だったろうか、杏子は、高校の旧友と何年か振りに偶然、街で再会した。
当時の思い出話に花が咲き、居酒屋にて、深夜まで語り合った。
その友人は在校当時、クラブ活動には所属していなかった為、出て来る在校時代の思い出話は、下校時に寄ったゲームセンターや喫茶店、同級生の逸話や、気に入らなかった教師の事などだった。
その友人の会社にいる先輩の話だが、今年、中学になった子供がおり、しきりに、親であるその先輩の中学時代の事を聞いて来るのだという。 将来、もし、自分の子供がそんな事を聞いてきたら、何を話したらいいのだろう? と友人は言った。
ゲーセンや、早弁の話なんか出来ない。
親として、良い思い出の一つも話したいところなのに、自分には部活の思い出すら無い。
・・・強制的に参加させられた水泳大会や体育祭等の思い出は、すぐに忘れてしまうものだ。
しかし、自分たちで苦労し、企画を考えた文化祭の模擬店などの記憶は、いつまで経っても覚えている。
部活での記憶も、それに等しい。 いや、それ以上だろう。
部活に勤しんでいた杏子を知るその友人は、胸を張って部活の話が出来る杏子の事を羨ましい、と言った。
青春とは、過ぎ去りてから想うもの・・・
3年間など、あっという間だ。
放課後、いそいそと帰る友人を恨めしく感じつつも、大切な思い出を創る事が出来た杏子は、幸せだったのかもしれない。
長い人生、たった数年間くらい、1つの事に束縛されていたっても、バチは当たらないだろう。
遊ぶ事など、その気になれば、これからいくらでも・・ いや、いつでも出来る事なのだ。
これからも、『 やりたい事 』ではなく、『 今だからやれる事 』、『 今しかやれない事 』を優先しなくてはならない・・
そんな事を考えさせられた、杏子であった。
「 杏子先生! 見て見て、コレ! 」
沢井が、新しく作成した数枚の原譜を、部室に入って来た杏子に見せた。 誇らしげに、赤い部印も押してある。
「 イイわねえ! 原譜らしく出来てる。 これなら、蔵書として保管するに値するわよ 」
「 でしょ、でしょ? 今日から、元譜に戻す作業に入るの。 入れる順番、教えて下さい 」
「 特管は・・ って、分からないか・・・ ん~・・ 特殊管楽器ってのは、楽譜の版元によってまちまちだけど・・ 」
「 杏子先生、ナニそれ、特殊管楽器って? 」
沢井が聞いた。
「 えっとね・・ オーボエ、ダモーレ、イングリッシュホルン、ファゴット、コントラ・ファゴット、え~と・・ E♭クラ、アルトクラ、コントラアルトクラ、コントラバスクラ・・ ってトコかしら 」
「 コントラ何とかって・・ 見た事ないよ? 確かに、譜面はあるケド・・・ 」
「 まあ、コントラ属は、あまり必要ないわね。 音が低過ぎて、録音にも残り難いし・・・ ホントは、バスクラも特管なのよ? メジャーになったから、そんな事まで知ってる人、少ないけど 」
書庫棚を整理していた神田が、古い専門誌のカタログを引っ張り出して来て、言った。
「 恵子、コレよ、コレ! ほら、コントラバスクラリネットって! 」
クラリネットのメーカー広告だ。 種類別に、写真付で紹介されている。
沢井が、覗き込んで言った。
「 ひええ~っ、ナニこれェ~! ぐるぐる巻きじゃん、このクラリネット! 」
「 スゴイわよォ~? 104万円だって~! 」
「 コッチの何? お化けみたいな、バスクラリネット! 立って吹くの? 」
杏子も、カタログを覗き込んで言った。
「 同じコントラバスクラリネットよ。 メーカーが違うの。 コッチの、ストレートタイプのは、管体が樹脂製だけどね。 ・・あ、原譜の入れ方はね、一番上が、総譜とコンデンス・・ 指揮者が使うヤツね。 順に、木管からよ。 総譜・・ フルスコアって言うんだけど、それ見ると、上から下まで楽器別に譜面が書いてあるでしょ? その通りに並べればいいの 」
「 なんだ、カンタンじゃない。 美紀、やろう! 」
「 OK! 何か、譜面整理って、偉くなったみたい 」
「 なにそれ、ヘンなの 」
ポスター貼りを終えた杉浦が、部室に戻って来た。
「 ちょっと、美紀! あんた、トイレにポスター貼って、どうすんのよ! 」
神田が、あっけらかんと答える。
「 何で? トイレにも貼ろうって、加奈、言ってたじゃん 」
「 洗面所に貼るのよ、洗面所っ! 個室の中に貼るなって! それに・・ 男子トイレの中にも貼ってあるらしいじゃん。 クラスの連中が言ってたわよ? どーゆーコト? あんた、中まで入ってったの? 」
「 誰にも見られてないから、大丈夫だって。 ちゃちゃちゃっと、やったから 」
「 ちゃちゃちゃ、じゃないわよ。 信っっじらんない・・! 」
杏子が、腹を抱えて笑い出した。
神田が、杉浦に言った。
「 やっぱ、個室の方が、じっくり見てくれるんじゃないかな~、って思ってさあ。 だって、目の前に貼ってあんだよ? 注目度、バッチリだって 」
杉浦が注進する。
「 そ~ゆう問題じゃないのっ! 平気で男子トイレ入って行く、アンタの常識のなさに呆れてるのっ 」
「 大したコトないって~ あたし、前に男子トイレの個室、使ったコトあるよ? オシッコ、漏れそうだったから 」
杉浦が、落胆したように言った。
「 ・・もう美紀、ゼッタイ、お嫁いけないと思う 」
笑いが止まらない杏子。 お腹を抱えながら、言った。
「 ああ~苦しい・・あ、あなたたち・・ 進学、ヤめて吉本、行きなさい・・! 」
それを聞いて、すかさず神田が言った。
「 そうしようか、加奈! 落ち武者シスターズってのは、どうっ? 」
「 ナニそれ。 どうっ? て、ヤに決まってんじゃない。 バッカじゃないの? 」
小馬鹿にする杉浦に対し、全くお構いなしに、神田は続けた。
「 でね、でね、加奈がヨロイ着てね、あたしがお姫様の衣装着んの。 そんで加奈がね、『 オレにゃ~、てメ~らという、かわいい子分が・・ 』ってさあ・・ こう、刀、持ってね 」
「 勝手に刀、持たせないでよ! それに・・ それ、浪曲じゃん。 ウチのおじいちゃんがよく聴いてるヤツよ。 浪花節と落ち武者、普通に混同しないでよ! 大体・・ 何であんたが、お姫様なの? 」
「 だって、楽器も吹かなくちゃ。 他のコントと違うトコ、見せなきゃダメよ 」
「 はあ・・? ナニ言ってるの? ってゆうか、もうカンベンしてってカンジ? 」
「 加奈、パーカスでしょ? だから楽器を吹くあたしが目立つから、お姫様やった方がいいの 」
「 チンドン屋か、あんたはっ! 武家の姫が、トロンボーン吹く姿なんて・・ 面白過ぎて、不気味だわっ! 」
「 だって、チンドン屋さんって、ちょんまげしてクラリネット吹いてるよ? この前、大道芸人フェアで、やってたもん 」
「 ・・・・ 」
2人の間に入って、杏子が言った。
「 ・・も、もう・・ もういいから・・! あ~、お腹が痛い。 お願いだから、あなたたち、漫才しないで。 ほら、沢井さんの手伝いをしてあげて 」
杉浦が言った。
「 杏子先生! 美紀ったら、おかしいのよ? ゼッタイ、入試、受けてないよ? ヘンだもん! 」
杏子は、再び笑った。
「 あははっ・・! 最高・・! あなたち、最高ね・・! 」
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